<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


【スライムがあらわれた!】
「大変だ、スライムだ!」
 いつもに比べて比較的静かだった黒山羊亭だが、男が飛び込んできたのでにわかに騒がしくなる。身なりからすると農夫らしい。エスメラルダが歩み寄る。
「旦那さん、落ち着いて話して」
「うちの農場に、どこからともなくスライムがやってきたんだ。うちには家畜がたくさんいるんだが……そいつらを餌にしようってハラなんだ。家畜は人間みたいに抵抗しないからな、ちくしょう。もう何匹かは飲み込まれちまった。頼む、退治してくれ」
「わかった。すぐに誰かを行かせるわ」
 エスメラルダは顎に手を当てる。
「しかしスライムか。殴ったり蹴ったりは通じないかもしれないわね……」

 エスメラルダが困ったことには、誰も名乗り出る者がいなかったのである。スライムは通常の魔物と比べ、溶かされて跡形もなくなるかもしれないという恐怖がある。二の足を踏むのも当然といえば当然であるが、農夫は落胆し、エスメラルダは根性なしと毒づきたくなった。今日の黒山羊亭に手錬は集まっていないようである。
 常連のアイラス・サーリアスが食事のために入店してきたのはそんな頃合だった。
「よかった、いい人が来てくれたわ」
 エスメラルダはアイラスの注文も待たずスライム退治を依頼した。
「いいですよ。厄介な相手ですけど」
 快諾するアイラス。断る理由はないし、負けるとも思っていない。
「ひとりなんだけど、いいかしら」
「スライムって、仲間が包み込まれた際には、仲間を犠牲にする覚悟で挑まなければならないんですがね……ひとりなら逆に好都合かもしれません」
「すまねえな若いの」
 農夫が頭を下げた。
 アイラスはひとまず腹ごしらえをしてから出立した。農夫の案内でアイラスは休憩なしに村へと急ぐ。家畜は乳や肉といったものを生産してくれる、言ってみれば戦う冒険者のエネルギー源だ。一刻も早く、脅威を除かなければならない。
「でよ、どうやってあの化け物をやっつけるんだ」
「村に着いたら、大量の松明を用意してくださいませんか。スライムは炎に弱いですからそれで」
 アイラスはそのように、簡潔に戦法を説明した。農夫は頷いて、松明だなと確認した。
 日が西に傾いて空が橙色に覆われる頃、農夫の村に到着した。村人は早速アイラスの要望どおり、協力し合って数十本にも及ぶ松明をこしらえた。ただし油は使用しない。炎に包まれたスライムに寄ってこられては困るからである。
 松明を農場まで運ぶ。家畜はすべて避難させていて、もぬけの殻である。スライムは今は餌を消化していてその場から動かないと聞かされた。今のうちに退治しなければ、いずれまた腹の空くスライムは、村のどこかに匿っている家畜を探し出して再び襲ってしまうだろう。
 農場の中央。緑色の不定形物質――スライムがそこにいた。しきりにそのブヨブヨとした体を蠕動させている。
 透けて見える体内には、犠牲になった家畜のものだろう骨があった。松明を握り、アイラスは気を引き締める。一歩間違えば自分もあのようになる。
 ――スライムが振り向いた。残虐な両目を確認する。
 食事の邪魔をするな! 魔物の言葉は理解できずとも、明らかにそう叫んでいるのがわかった。緑の体を伸張させて、スライムは上からのしかかろうとする。アイラスが横っ飛びで避けると、大量に水をぶちまけたような音が響いた。スライムは激突した勢いで平坦になった体を元に戻し、見当たらない口から金切り声を出す。
 スピードではこちらが勝っている。アイラスは内心ホッとした。
 普通の敵であれば釵で突くなり銃で撃つなりするのだが、この相手には通じない。根気良く松明を押し当てて弱らせていくよりないのだ。
(魔力を込めた拳なら大丈夫じゃないだろうか?)
 アイラスは一瞬そうも思ったが、実行には移さない。地道な作業に嫌気が差して別の戦法を取るも、結局失敗して命を落とした者の例をいくつも聞いている。
 その体を存分に使って、スライムは多彩な攻撃を仕掛けてきた。細く変化させ鞭のような一撃を見せるかと思えば、はっきりと人間の拳を形作って遠距離からパンチを伸ばしてくる。体の一部を砲弾のように飛ばしたりした時にはさすがに驚いた。
 しかし戦慣れしたアイラスの目は見極めに長けている。ギリギリで避け、迫った緑色の体に松明を押し当てる。むしろ攻撃を繰り返すたびにスライムは溶けていき、疲弊していく。
 西日の下半分が、もうすぐ山際に消えようとしている。戦闘開始から20分ほどが経っていた。アイラスが消費した松明はわずかに7本。充分に余裕があった。
 と、スライムはじりじりと後ずさって、アイラスから距離を離していく。後ずさりの速度は少しづつ速まっていく。
 勝てないと判断したか。だが逃がすわけにはいかない。スライムが弾けたように走った(?)のと同時に、アイラスの脚がその力を発揮し、離された距離を一気に無くす。
 だがアイラスは即座に異変を感じた。視界が緑色に染まった。スライムが逃げるのを止め、体を広げているのだと気づいた時には遅かった。
「しまった、誘いか!」
 逃げれば必ず後を追ってくる。とどめを刺しに相手が近づいてきたら避ける間もなく覆ってしまえばいい――。スライムは必死の最中に頭を働かせて、そんな単純にして上手すぎる策を思いついたのだ。
 アイラスは松明ごと、刹那のうちに包み込まれた。鈍い痛みが全身を襲う。早速溶けはじめていると悟った。スライムの体内は空気が欠乏しているらしく、松明も消えかけている。
 呼吸はできず、何も聞こえない。
 死の予感。意識が遠くなる。
 ダメか。ここで息絶えるのか。
 
 否。――そんなわけにいくものか!
 
 突如、消え失せる寸前だった松明の炎が、激しすぎるほどに燃え盛り始めた。勢いはさらに増す。スライムの体色が、緑色から灼熱の赤色に変化していく。
 アイラスは確信した。死の間際にあった自分の魔力が炎に流れ込み、強化したのだ。いわば生きる執念。
「ギ……ギャアアア!」
 スライムは断末魔を叫び、内側から蒸発していった。

■エピローグ■

 黒山羊亭に帰還したアイラスは、無事に任務を終了したことをエスメラルダに報告し、背中に担いでいた籠の中身をテーブルに出した。色とりどりの野菜や果物――報酬にと、村人たちから大量に贈呈されたものだ。この一部が、今回の斡旋料代わりである。
「ご苦労様」
「なかなか大変でしたよ」
 アイラスは戦いの顛末を語った。話が思わず死にそうになった局面に及ぶと、珍しいことがあるものね、とエスメラルダは言った。
「じゃあ気を取り直す? ついさっき商人が来てね。いい品物を仕入れたから、食べてみなさい」
 そう言って出されたのは、緑色のゼリーだった。どこぞの島に成る果物で作られたものらしい。甘い香りが漂いいかにも美味そうだ。ところがアイラスはスプーンを手に取ろうともせず、そこからピクとも動けなかった。
「どうしたの?」
「すいません、スライムを連想してしまいました」
 ほんの少しの沈黙のあと――エスメラルダとアイラスは大笑いし始めた。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。ご発注ありがとうございました。
 スライムはRPGの基本ですね。ちょっと盛り上げるために
 ピンチにしてしまいましたが……オーライでしょうか?
 
 それではまたお会いしましょう。
 
 from silflu