<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


満月の豚

◆オープニング◆
 昼食を楽しむ客達の話題は、今巷を笑いの渦に巻き込む「豚」につきた。白山羊亭のウエイトレスであるルディアも好奇心一杯に、その話に耳を傾けていた。
「イマリの新聞見たか?あれは笑えたぜ」
「それよりマレー社の新聞だよ。写真がこう、ドドンと出ててよ」
「フラウ情報誌なんてセンスが無いわよ。満月の豚ですって!!」
爆笑が巻き起こる。
「何ですか、満月の豚って……!!」
 ルディアも目尻に涙を溜めながら、言った。
 ここ何ヶ月か、満月の夜に白い豚が騒ぎを起こしていた。瞳の色は赤く、キツイ目をした豚なのだが、その豚はどこからか現れて来て、豚とは思えない行動を起こすのだ。
 客の一人である男が言った、マレー社の新聞はルディアも取っているから良く知っている。豚がある大学の研究室に現れ、それこそ実験でもしているかのように、器用にビーカーを混ぜる写真があった。
 二度目に出没したのは光鉱石の発掘現場で、シャベル片手に掘り進んでいる場所が目撃されたとか。三度目は海辺で、何かを砂浜に書き連ねる姿。その他にも幾つか目撃証言がある。
 しかし”物”を”使う”という概念を人間以外が持っているとは思えない。
「突然変異の特殊な頭脳組織を持つ豚かもしれないと、かの有名な学者が言った時には、俺はあの人の頭を疑ったね」
「サーカスから脱走説もあったわね」
 彼らの話は留まる所を知らず、次から次へと豚についての情報を紡ぎだす。ルディアも楽しく聞いていたのだが新たな客がやって来て、後ろ髪を引かれる思いでその中から離れた。

 最奥の隅の席に座ったのは、ルディアも見知った少年だった。彼の纏う黒いローブは魔法使いである証拠で、彼は北の森に住まう魔女の弟子であった。
 北の森の魔女といえば随分な変わり者で、それに仕えるその少年は魔女のグチを零しにか良く亭を訪れていた。そういえば最近見なかったなぁ等と思いながら、ルディアは彼に近づいていった。
「お久しぶりですね。今日のご注文は?」
 酷く気落ちした様子の少年に、ルディアは明るく声をかける。俯いた少年は微動だにしない。
「あの……?」
 顔を覗き込むと、彼の目には涙が溜まっていた。そして唐突にルディアの手を掴むと、彼は悲痛な声で呟く。
「……助けて、下さい……」
 そう言って、彼は声を上げて泣き出した。

 しゃくり上げながら、少年は事情の説明を求めるルディアに応えてゆっくりと話出した。
「ひっく……今話題の満月の豚、なん、ですけどねっ…!!あれ、ウチの、えっく……師匠なんですよね……」
 少年の言葉に、一時豚の話題を中断していた客達が目を剥いた。目を点にしてルディアも、首を傾げる。
「あの人、僕に何も教えてくれなくて!!……お前にはまだ早いって言われっ、たけど、絶対面倒臭いだけなんですよ。ぅっく、だから僕自分で勉強して、見返すつもりでその……」
 ――彼女に、薬入りの紅茶を飲ませたらしい。変化の薬だったらしいが彼女に異変は起こらず、少年は失敗だと思った。
 そして満月の豚騒動が起こりだして、少年は魔女が豚へと変じて飛び出していく場面に遭遇してしまった。
「まさかとは思った、んですけど……魔法書読み直したら……うぅう〜」
 話によると魔女には豚になっている記憶が無い。そして自分が豚になっている事には露程も気づいていないから、何時も通りの行動をしているだけだった。
「気づかれたら、どんな目に合うかわかりきってるわね……」
 魔女の噂は耐えない。実験室を爆発させたとか、海辺で朝まで数式を書き出して思案しているとか、思えば行動はこんなに似通っているのに。そしてその性格の悪さも考えると――。
「だから、その前にどうにかしないと……。……ど、どうにか……」
 すがる様に見つめられてルディアは、彼がどういう助けを必要としているかを悟って苦笑いを浮かべた。


◆冒険者◆
 怪しい黒塗りの馬車が、夜の森を行く。六角形の箱と、それを引くのは木馬である。黒い木馬がキィキィと耳障りな音を鳴らしながら、鬱蒼とした冬枯れの森を上へ上へと上っている。それは闇の気配と相俟って酷く不気味だった。
 馬車の向かう先は、天辺に立つ黒い尖塔。馬車の中に居るのは魔法使い見習いの少年と二人の冒険者だ。
 片は絶世の美女。透き通るような白い肌を惜しげもなく晒し、踊り子たる扇情的な肢体を持ったレピア・浮桜。
 片は穏やかに笑む、蒼髪を首元で結った青年。大きな眼鏡が特徴的なアイラス・サーリアス。
 気分的に白山羊亭に踊りにやってくれば、ルディアが少年に捕まって居るのに気づき、話の内容に興味を覚えたレピアに続き、ルディアと少年に懇願されたアイラスが魔女にかけられた魔法を解こうとその住処へ向かっている。
 少年は多少冷静さを取り戻した様で、レピアとアイラスの質問にも易々と答えた。途中で泣き出す等、話を中断する事は無く酷く理知的な面持ちでいた。
 それによりわかった事は、魔法書に解毒剤云々については全く書かれていなかったという事。少年の持つ魔法書は元々魔女の物で、魔女にとって一度かけた魔法は解く必要が無いとの事で――つまり解毒などの方法は一切載っていない。少年と魔女の魔法は解く事を想定したものではないのだ。
 それ以外の変化、毒、無効化の薬などを、『おいしい紅茶の淹れ方研究中』等と嘘ぶいて何度と無く紅茶に混ぜて飲ませたのだが、依然と効果を発揮しない。
 ではあれやこれやと眉間に皺を寄せつつアイラスが発案すれば、少年が肯定を示さない。
「いやぁ。適当に混ざった液体が最高の効力を持っていたらしくて……どうやら薬系は無効化させてしまうみたいなんですよねぇ」
半ばヤケになりながら、少年は笑った。
「笑い事じゃないでしょう……ここはやはり、謝まった方が――」
「それは死んでも嫌です!!!」
 とまあ、アイラスと少年の解決策へのやり取りは馬車が止まるまで続くわけだが、その間中話題に入ろうともせぬレピアは、上機嫌で窓の外を眺めていた。
 彼女はただ、魔女に会うのが楽しみなのである。噂では絶世の美女との話だし、尾ひれのついた誇張に過ぎないであろうとも、性格が悪いという紛れも無い事実から美女である可能性は高いものと思っている。
 そうして蠱惑的に笑むレピアは目を見張る程美しく、少年は横目でレピアを見つめては嘆息し、そんな少年を見てアイラスが大げさにため息をつく――それぞれの意志は一つではなかった。


◆魔女◆
 意気揚々とレピアが先頭を行き少年の示すままに魔女の館へと入り込むと、暗い室内でランプの明かりを頼りに、一人の女が書面をなぞっていた。
 いかにも魔女といった感じの風体で少年の体が一瞬強張った事から、それが彼女の師匠である魔女だと知れる。
 彼女は目線を上げる事も無く、無関心な声で少年にお帰りと告げた。
「それで?後ろの二人はあんたの客?」
 長い黒髪を煩わしそうに払いながら、魔女は片眼鏡を外してレピアとアイラスに一瞥をくれた。
 丁寧に頭を下げるアイラスの横で、レピアの美しい顔が喜びに輝く。
 魔女は確かに美しかった。細い眉毛はつり上がっていたが、キレ長の瞳を持った整った顔立ちの美女。惜しむらくは口の悪さか。
「ふん。用が済んだらさっさと帰らせな」
 少年ははいと小さく返事を返し、レピアとアイラスを伴って奥へと消えた。

「思ったより綺麗ね」
 少年の部屋へと案内されると、レピアは陶然とそんな事を言った。性格の悪さなど許せる程の美貌は、レピアにとってかなり好感触だった。
 そんなレピアに少年は大きなため息を漏らす。
「ええ、まあ。顔だけは」
「さて。満月は明日ですし、それまでに魔法を解きませんと」
 アイラスは二人を無視して、机の上に重ねられた書物を手に取った。
「解毒が無いにしても、何か手がかりが見つかるかもしれません。貴方が使った魔法はどれですか?」
「あ、はい。えぇっと……これです!!」
 少年が手早くページをめくり、指でそれを指し示す。
 レピアとアイラスがそれを覗き込む。
「いもりの尾……三俣の人参?」
「黒砂糖、炎の砂――ゴキブリの髭……」
「ミキサーにかけて、二時間煮込むべし!!」
次第に顔を曇らせてゆくレピアとアイラスを知ってか知らずか、少年が握り拳を叩いた。それから、へなりと肩を落とした。
「――一時間だけの豚変化、ってやつなんです。まあ一種の罰っていうか、そんなものに使われまして……罰っていう位だから記憶が無ければ意味がありません」
少年の指が再びページを捲り出す。
「忘却の薬を混ぜまして、記憶を失くさせるまでは良かったんです。そうして紅茶味にするために鳥の糞を潰して……」
「鳥の糞で紅茶味になるんですか」
「――そんなもの、飲んだのね。彼女……」
曖昧な笑みが口元に上る。昼間は石化する神罰を受けたレピアにとって魔女の身の上は同情できる事象であったが、しかしそれ以上に彼女が知らずに飲んだソレにおいても哀れでならない。
 アイラスにとっても同じ。そんな物とてもじゃないが飲めたものではない。ここは少年自身の為にも、魔女に真実を話し怒られるべきだと思うのだが。
「えぇ。でも僕が混ぜた鳥の糞、鶏だったんですけど……。それに蝙蝠の糞も混ぜたら、何ていうか、こういう事に……」
 少年の部屋の窓からは、魔女の居る部屋が良く見える。仄かに灯った明かで壁に魔女のシルエットが浮かぶ。そちらを見ながら三人は、胸に去来する様々な思いに深く嘆息した。


◆少年◆
 とにかく話していても埒があかない。時間は刻々と過ぎていく。
 レピアとアイラスは少年にもう一度件の紅茶を作らせる事にして、自身達はなるべくそれを見ないように書物を漁った。
 それから魔女の実験室だという部屋に忍び込んで、彼女の作った薬を少しずつ拝借して来た。毒をもって毒を制すという様に、解くことは出来ないまでも中和出来ればと考えた末だった。
 問題は魔女にどうやってそれらを飲ますかという事。
「師匠は紅茶が一等好きなんです」
という少年の言に従ったとしても、紅茶を何度も勧めるわけにはいかない。そこまでしては逆にワザとらしい。
「チャンスは一度か二度ね」
「ですね。それでも駄目な場合は僕にも考えがあります」
「王子のキスって手もあるけど?」
「……は?」
 そうして二人がそれぞれに頭を働かせていた時。
 少年が薬の完成を告げるように、満面の笑みでガッツポーズをしてみせた。
 少年がティーカップにそれを注ぎ込むと、部屋を芳しい香りが満たした。驚くレピアの目にも、それは疑いようの無い紅茶に見えた。だからこそその材料を想像したくない。
 魔女の部屋から持ってきた薬も紅茶仕様にすれば、部屋にはティーカップが四つになる。
 が、いざ出陣というまさにその時。
 少年の部屋の扉が音を立てて開いたかと思うと、恐ろしい形相で仁王立ちする魔女の姿が少年の顔を真っ青に染め上げた。
「人の部屋に勝手に入るなと、言ったはずだぞ!!」
 実験室に行ってきたのだろう。その手にはレピア達が彼女の部屋で見た紅玉を埋めた腕輪が握られていた。彼女の魔力を凝縮した、良く売れる魔法の源である腕輪――その紅玉に亀裂が入っている。
 どういう経緯でそうなったかは知れないが、しかし自分達が実験室に無断で入った事がこれで魔女にわかってしまった。
 彼女の鬼の如く表情を見ながら、二人はしまったと思う。
「それから魔法薬をどうした!?」
しかし魔女の怒りは全て少年に向けられている。風も無いのにはためく魔女の服と黒髪に、炎のように燃える瞳に、少年が悲鳴を上げる。
「お、落ち着いて下さい!!」
「ぅ煩い!!」
「そう、これには理由が……!!!」
 アイラスが少年を背中に庇い、レピアが魔女の腕にしがみつく。
「五月蝿いね、お放し!!!これは私とそのガキの問題だ……」
「とにかく、お茶でも飲んで落ち着いて!!ね?」
「そうです、貴方も。事情を説明しないと……」
 湯気の立ったカップを、レピアは肩を怒らす魔女の口に、アイラスは腰を抜かした少年の口に、それぞれ無理矢理に近い体で注ぎ込んだ。


◆協力者◆
「そうかい。そういう事……」
 紅茶を飲んで落ち着いた魔女を前に、二人は事のあらましを説明した。もちろん真実を話すわけにはいかない。
 世間を騒がす満月の豚騒動、その豚の正体を少年という事にして。そして少年に泣きつかれたレピアとアイラスがその魔法を解く為に協力者としてここに居る事。
 少年は自身の飲んだ物に気づくや否や、気絶してうんうん唸っている。それを横目で見ながら、魔女は面白そうに笑んだ。
「馬鹿だね、本当に。さてどうしようね?」
 彼女の持つティーカップには三杯目の紅茶。
「解毒薬、作っていただけませんか……?」
このままでは余りにも不憫で、と殊更哀れむような視線を少年に向けて、アイラスは人の良い顔を苦渋に歪めた。それだけで少年の憐憫度が上がる。
「豚っていうのが可愛そうよ」
「そうか?このガキらしくて笑えるけどねぇ」
くつくつと喉の奥で笑う魔女は、だけどと続ける。
「こんなでも私の弟子だしね。正体バレて恥かかされれるよりいいだろう。今回だけは特別、私が解いてやるよ」
 パッと表情を明るくしたアイラスに魔女が片眉を上げる。
「ま、今までの倍くらい働かせるつもりだがねぇ」
それでも軽いくらいだとは言うまい。そう胸中で思うアイラスの横から、レピアが魔女へと抱きつく。
「そういう人、好きよ」
そうして魔女の紅の唇に軽く口付けを送る。
「なっ!!」
「何してるんですか、レピアさん!!」
「だから、王子様のキスよ?」
 真っ赤になる魔女と、うろたえるアイラスを前に、レピアはいっそう美しく微笑んだ。


◆満月の豚◆
 玩具の黒馬に運ばれて、奇妙な箱が道を下ってくる。背後には不気味な黒い尖塔が見える。深い闇の中、馬車の中から漏れてくる声は二つ。
 いずれもまだ若く、どこか清涼さを持った美しいものだった。

「まったく。魔女さんびっくりしてましたよ……」
「もう来るなって酷いわよね」
「当然ですよ。――何でキスなんてしたんですか……」
「だって、古今東西のお約束じゃない」
「……は?」
「王子様のキスで呪いは解けて、姫は幸せに暮らしました」

 納得がいったと小さく声が言って、次いで和やかな笑い声がこだまする。

 魔女は弟子にかかった魔法を解くだろう。けれど性格の悪い魔女の事、ただ解いてやるだけで終わらない。満月になった弟子豚の写真を、嬉々として撮ってから。その紅玉の瞳を邪悪に歪めて言った魔女。
 そうしてレピアとアイラスが、失念していた一つの現実。
 白い肌の赤目の魔女と、麻黒い肌の黒目の少年。姿形のかけ離れた……二人。
 
 そして次の日の夜。
 空には冴え冴えとした丸い月が浮かんでいた。
 世界をすべからく照らすその光の下、浜辺である者は見たという。聞いたという。
 波間をさ迷う筏の上で、豚が物悲しく鳴いている姿を。
 その豚が白色でなく黒かったのを。
 
 その後、満月の豚を見た者は誰一人居なかった。



END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 / 種族】

【1926 / レピア・浮桜 / 女性 / 23歳 / 傾国の踊り子 / 咎人】
【1649 / アイラス・サーリアス / 男性 / 19歳 / フィズィクル・アディプト&腹黒同盟の2番 / 人】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございました!!ライターのなちです。
 またレピア様にお会いできてとても嬉しく思っております。そして遅くなりまして大変申し訳ありません。
 今回行動としては薄いかもしれません。ギャグになりきれなかったものという感もあるかも……です。それでも書いている方は何やらノリノリでおりました。
 少しでもお楽しみ頂けますように。

これからも精進しますゆえ、またどこかでお会い出来る事を祈って。
ご不満等ございましたら訴えて頂けると幸いです。