<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


炎禍(前編)

■オープニング

 話の始めに示されたのは、破片だった。
 濃緑の、元は球状だったのだろうと思わせる石の破片。
「これは…?」
 カウンター越しのエスメラルダの問いかけに、宮廷魔導師のメルカは小さな笑みと共に短く答えた。
「魔源石――の、破片さね」
 魔源石とは、高位の魔導師が己の魔力を凝縮して作る事の出来る、結晶のような物だ。
 この石を埋め込めば、どんな物でも魔物として使役出来、石を通して追加の魔力を魔物に送り込む事も可能だ。
「こいつは先日、南部の村を襲ったのを皆に退治してもらった魔物に埋め込まれていた分さ。砕けちゃいるけど魔力はまだ残ってるから、触るなら気を付けとくれよ」
 上目遣いにエスメラルダや周囲に集う者達を見回し、それからメルカは真顔になる。
 そして彼女は本題を切り出した。
「北の港で、同じように魔源石で造られた魔物による事件が連続してる。明け方、出港直前の船や漁師が襲われるんだ――昼間は静かなんだけどね。出港を邪魔されるから漁が出来ない。長引けば、港どころか都全体が死活問題だ」
 勿論、魔物が港以外の場所を襲い始める可能性もあるだろう。
 何事か、悩むような戸惑うような目で、メルカは緑の破片を見下ろした。
「実はさ…二十年前に失踪したウチの団員にも、魔源石を作る事の出来た奴が居たんだよ。今回の騒動の黒幕が誰でどんな目的があるのかわからないけど、もしかしたら……なんてね」
 苦笑とも、溜息ともつかぬ呼吸の音。
「もしも……だとしたら、魔導師団の人間は面が割れてるから動きにくい。だから頼まれてもらいたいんだけど――どうかな?」


■聴取

 開店間際の黒山羊亭――
 片隅のテーブルには、息の詰まるような緊張がひそやかに漂っていた。
 座しているのは、葉子・S・ミルノルソルンとメイのふたり。
 悪魔と天使――対極の存在の両者はしかし、同一の疑問を抱いた眼差しをメルカへと向けていた。
「ソモソモ、魔源石ってのはドウヤッテ作る物ナンダイ?」
「設備や場所を必要とする物であれば、そこから魔物の作り主の所在を割り出せると思うのですが…」
 魔物への対処は勿論ながら、作り主の存在も考慮に入れて行動すべき――彼らの問いかけには、そうした意図があるのだろう。
 いらえには、微かな溜息が織り交ぜられていた。
「細かい話は端折るけど…道具や場所は殆ど要らないよ。自分の血を一滴用意してそこに魔力を送り込むだけだから、何処ででも製造可能さね」
 すると、作り主は一箇所に留まっていると限らないわけか。
 メイの白い面差しに、わずかに落胆の色が浮かぶ。
「一滴の血を石に変えてそれなりの大きさに育て上げるには、相応の時間はかかるけど」
「じゃあ、ソンナニ量産できるモンじゃナイわけネ?」
「そこはひとそれぞれ。通常は十年二十年って世界だけど、力のある奴なら短期間でも作れるよ」
「前に南部の村ガ魔物に襲ワレタのは、何ヶ月前ダッケ。ソレと今回のが同一犯ナラ、ツマリ相当の力を持ってル相手かもシレナイわけだ?」
 葉子の問いかけ。
「まぁ…そうなるね」
 直後、彼の瞳が射抜くような鋭さを帯びた。
「そーなるト、失踪した元団員サンとやらハ、ソートー強力な魔導師ダッタんダネー」
 ぴたり。
 視線の鋭さにそぐわぬ軽い口調の言葉に、一瞬メルカの表情が凍る。
「……その方以外に、魔源石を作る事が出来てこのような事を起こしそうな方の心当たりは無いのですか?」
 メイが尋ねるが、答えはすぐには返ってこなかった。
 深い溜息の後にやや考え込むような間を置いてから、メルカはようやく口を開く。
「全く知らない人物の中に犯人が居る可能性は勿論あるし、私だって昔の仲間を疑いたいわけじゃないんだけど…」
 その割には、声音が重い。
「それでも心当たりに浮かぶという事は…魔源石を短期間で作れる力がある以外にも、その方にはそうした行動に出そうな何かがあるのですね?」
「……」
 沈黙は、この場合肯定と受け止めて良いのだろう。
「ソイツについて、モウ少し詳シク聞かせてクレナイカナ〜?」
 葉子と、そしてメイの視線が集中する。
 幾度目かの溜息でそれらを受け止めると、メルカは失踪した団員についての話を語り始めた。
「私の前の副団長だった男でね――」

 名前はグラファ。
 白銀の髪を持つダークエルフだそうである。
 当時から国境付近を脅かしていたアセシナートの情勢を探るため、しばしばかの国への侵入任務を担当していたのだが――

「ミイラ取りがミイラになったってヤツ?」
「まぁそんなトコかな。何でもござれなこの国でも、辺境あたりじゃダークエルフは迫害される事が多かったし……王宮に仕えながらも不満はあったみたいでね」
「そうした鬱屈が、その方をアセシナートへ走らせた…と」
「王宮を去った後の足取りは掴めてないから、実際のところはわからないけど多分…」
 メイと葉子の視線が見交わされた。
 無言のまま、他に確認しておく事はあるかと互いを伺い合う。
 その時、傍らから別の声がかけられた。
「どうかしたの?」
 不思議そうな女の声。
 三人がそちらへ目を向けると、そこにはレピア・浮桜の姿があった。昼間は石となり身動きの叶わぬ彼女がここに居るという事は、いつの間にか日没となっていたらしい。
「そろそろ港へ向かいましょうか」
 ゆっくりと、メイが席を立つ。
「あたしも行っていいかな?」
 メルカから手短に事情を聞かされたレピアも、それに続こうとした。
「相手は魔物サンダヨ?」
 踊り子の彼女に、魔物と戦う力があるようには見受けられない。薄笑み混じりの葉子の声にもわずかな驚きが浮かぶが、しかしレピアは前言を翻そうとはしなかった。
「聞いた以上、黙って見てるのは嫌なの」
 見返す瞳に断固とした光を宿しながら、むしろきっぱりと云い放つ。
「それにね…」
 直後、瞳の表情が変化した。穏やかな、そして微かに照れ臭そうな笑みが三人を見回し、そしてゆっくりとステージの方へ流れる。
「好きだから、護りたいの――この街と、ここで暮らす人の事を」
 その視線の先には、黒いドレスを揺らし踊るエスメラルダの姿があった。


■対策

 一方、港では――
「そりゃ、危険だってのはわかってるが…船を出さなきゃ商売になんねぇしなぁ」
「今夜だけでいいんです。今夜だけ、港に近付かないようにしてくれませんか?」
 魔物の襲撃を懸念しながら、それでも生活のためには漁に出る事をやめるわけに行かない――渋り気味な漁師達を、星祈師・叶がひとりひとり説得して回っていた。
「今夜中に、魔物を退治するってのか?」
「ええ、そうです」
 波の上で鍛えられた漁師と比すれば、小柄で華奢な叶は年齢以上に幼く見える。断言しても、頼り無いと思われるのは当然だろう。
 しかし、
「僕だけじゃありません。他にも、魔物退治の為に動いてる人がいます。だから任せて頂けませんか? 明日からは安心して漁に出られる事は、お約束しますから」
 正面から向けられる叶の緑の瞳には、穏やかだがしかし真摯な光がこもっており、それが言葉に説得力を与え、漁師達の不安を和らげてゆく。
「…今夜だけでいいんだな?」
「はいっ。それ以上のご迷惑は絶対にかけません」
 日の沈む頃には、叶は全ての漁師の説得に成功していた。
 それから港の入り口で、周辺の宿屋で聞き込みをしていた葵と合流する。
「僕は口下手だからな――任せちゃってごめんよ」
「僕の方こそ、葵さんが居てくれて良かったです」
 これまで叶が行動する時は、いつも親しい仲間と共にだった。今回はひとりでこの依頼を受けたため、実は多少心細い思いがあったのである。それだけに、知人の家で何度か見かけた事のあった葵が居てくれた事は、彼にしてみれば本当に有難かった。
「それで…そちらはどうでしたか?」
「事件の起こり始めた頃から泊まってるっていう客が何人か居たよ。その中で、夜になると出かけていくって客がひとり――僕が行った時には外出中って事で会えなかったけど、今回の事件との関連は一応疑ってみるべきかも」
 漁師の安全確保を最優先し、早めに港へ向かった彼らだったが、魔源石の作り主についてはやはり気になっていたのである。
 そのため、それと思しき人物の捜索を、葵が担当していたのだ。
「やはりメルカさんのお知り合いの方なんでしょうか…」
「宿帳を預かってきたから、後でメルカに見てもらおう。犯人ならば偽名で泊まってると思うけど、筆跡を見れば知り合いかどうかはわかるだろうしね」
 預かった宿帳をパラパラとめくりながら、葵は何故か唸り声を洩らす。
 何か気になる所でもあるのだろうか。
「どうしたんです?」
「この客なんだけど…宿の外で誰かと会ってるらしいんだ。近くの酒場や路地裏で、黒いフードを被った男達と話してるのを、宿屋の女中が何度か見かけたって」
「男達、ですか……つまり相手は複数なんですね」
 現時点では、この宿泊客が今回の事件に関係しているとは断言できない。だが、関連の有無は別にしても不審な行動である事は確かだ。
 仮に関連ありとして、ならばその男達は何者なのか――言葉少なに考え込みながら、叶と葵は桟橋へ向かう。
 既に闇に包まれた岸壁へたどり着くと――
「……あれ?」
 構内に停泊する船は、どれも明かりを灯していた。
 今夜は港に近付かぬ事を、漁師達は約束してくれた筈である。
 なのに何故、港の灯は消えていないのか。
「どうして……」
 説得に当たった叶のみならず、葵もまた狐につままれた心地だ。
 すると――
「ア〜、驚かせチマッタみたいダネェ」
 うひゃひゃと、一種独特の笑い声が背後からふたりに浴びせられた。
「――っ!?」
 虚を突かれた格好になり、思わず飛び上がってしまったふたりの様子に、またうひゃひゃ。
 心臓が破裂しそうな程の動悸を抑えながら振り返ると、そこには笑い声の主の葉子と、それからメイとレピアの三人が立っていた。
「驚かせてしまって申し訳ありません…」
 相変わらずニヤニヤ笑い続ける葉子を横目で睨み上げ、メイが代わってふたりに頭を下げる。
 事情の説明はレピアからだった。
「港に人の気配が無かったら、逆に魔物の方が怪しいと警戒しかねないでしょ? だから人が居るように細工してみたの。船は無人」
「漁師サンなら、今頃ミ〜ンナお家ダヨ☆」
 つまり、説得が失敗したわけではなかったのか――叶が胸を撫で下ろす。
「じゃあ、後は魔物を待つだけだね。どうやって戦うか、皆は大体考えてるのかな?」
 葵が一同を見回した。「火には水ダネ」と、葉子が即答する。
「建物への被害も減らしたいしね」
「水の豊富な場所であれば、葵様も力を使い易いのではないでしょうか…」
 レピアやメイも、方針は似通っているらしい。
 海に面したこの場所で迎撃――わざわざ口に出さずとも、この方向で確定のようだ。
「では、魔物が来るまで時間がありますし、もう少し細かい段取りを打ち合わせましょうか」
 狙うはより確実な行動。
 叶の提案に、異を唱える者は居なかった。


■対峙

 劫火に包まれた剣が、横薙ぎに迫る。
「熱いカラ来ナイデってば!」
 しかし葉子は、その斬撃を紙一重で後方へかわした。
 叶の召喚した蛍の明かりが飛び交う中、回避する葉子の残像が、魔物の視覚を瞬間惑わす。
 標的を捉え直そうと動きを止めたところへ、素早く間合いに飛び込み一撃を加えたのはメイだった。


 手順の確認を終え、漁師の扮装をして港内を見回りながら待つ事数時間――魔物は、港の入り口の方角からやって来た。
 逃げるを装い岸壁へ誘導し、そこで囲む――ここまでの所、一切は五人の計画の通りに進んでいる。
 だが――問題が全く無いわけでもなかった。
「魔源石は何処でしょう…?」
 呪縛の力を込めた符を放ち、間合いの外から魔物の足止めを試みながら、叶の声にはわずかな当惑と焦りが含まれている。
「前の魔物は額に埋め込まれてたんだけど…」
 過去にも魔源石で作られた魔物と対した事のある葵もまた、読みが外れたといった表情だ。
 人造の魔物。
 魔源石は、云うなればその「核」とも呼べる物である。
 ならばその石を取り除けば、魔物はその力を失うのではなかろうか――五人はそう考え、攻撃においては魔源石の破壊を最優先させるつもりだったのだが……
 どうやら、いつでも同じ場所に埋め込まれるというわけではないらしい。
「見付からないなら探すだけでしょ」
 すい――と、葉子の隣で影が動いた。
 これまで猛る炎をかわすばかりだったレピアが、魔物の方へと一歩踏み出す。
「レピア様!?」
 武器ひとつ身に帯びず、また、攻める術はおろか守る術もあるようには見えぬのに、どうするつもりか――メイでなくとも色を失うところだ。
「注意逸らすから――皆は石を探して」
 しかし、当のレピアは落ち着き払った目を魔物へと向けている。

 タン――!

 不意に、その白い足先が高らかに地面を打ち鳴らした。
 ひとたび舞えば国を傾け、神をも惑わすと謳われた踊り子は、巌の如き体躯に敵意と殺意を漲らせた魔人を前に、妖麗なる舞踏を始めたのである。
 無謀とも取れる行動だが、指先ひとつ、目線ひとつにまで意識を傾けた、神憑り的な踊りの持つ効果は絶大だった。
 自我を持たぬ筈の魔物が、魅入られたかのように陶然と動きを止める。
「今だ!」
 海水を操り作り上げた盾をかざし、葵が魔物へと迫った。もう一方の手で作り上げた水の球を弾丸の如く放ち、その隙に魔物の体を探り見る。
 厚い胸板、
 丸太の如き二本の腕、
 そこに緑の結晶は見当たらない。
「前がダメなら後ろカナ?」
 間髪入れず、背後に回りこんだ葉子が真空波を放った。
「振り向いちゃイヤン☆」
 背、後頭部、そして足元――それこそ手当たり次第の勢いで。
 一撃一撃のダメージは軽いものだが、こうも連続で浴びせられては、いかに巨漢の魔物でも振り向く事すらままならない。
 そこに大きく踏み込んだメイが、イノセントグレイスを振り下ろすと共に魔物の背部を窺う。だが、目差す物はそこにも無い。
(ならば何処に…?)
 即座にメイは間合いから離脱した。魔物と彼女とでは明らかに体格差がありすぎる。長く相手の間合いに留まれば、力押しで潰される危険があるからだ。
 故に、一撃離脱を繰り返すしか無い。
「あ…っ!!」
 その動きに追いすがるように、火球が飛来した。
 背の翼で上空へかわそうとするが、わずかの差で避けきれず、右足に焼け付くような痛みが走る。
 だが、それは一瞬だけの事だった。
 更に続けて、また別の何かが足元に貼りついた感触がしたかと思うと、見る間に痛みは引いてゆく。
「大丈夫ですか!?」
 治癒の力を宿した符を、メイの傷口に放ったのは叶だ。
 そして彼の手元から、梟の姿をした式神が現れる。一羽、二羽、三羽――
「援護しますから頑張って下さい!」
「――はいっ!」
 次々に召喚される式神に周囲を守られながら、連携しての攻撃が再開された。
 正面からは葵が水の力で炎の剣と対し、
 背後から葉子が真空波で釘付ける。
 上空或いは側面から、メイが機動力を活かして不意を突き、
「何処見てるの――こっちよ!」
 レピアの舞いが魔物を惹き付け、反撃の危険を封じてゆく。
 それでも与えられた傷に対しては、叶が素早い治療を行った。
 そうして、どれ程の時が過ぎた頃だろうか――

「やった!」
 ついに葵が、隠された金脈を発見した。

 水の鞭でしたたかに腕を打たれた魔物が、思わず握った剣を左手に持ち替えた瞬間。
 剣から離れた右手――
 その掌で、蛍の明かりにキラリと光った物があったのだ。
「右手だ!」
 葵の叫びに、もうひとつ別の叫びが重なる。
「レピアさん!?」
 驚愕に支配されたそれは、叶の声だ。
 大きく目を見開いた彼が凝視しているのは、さいぜんまで踊り子だった筈の女の石像と、うっすらと白み始めた水平線――レピアを呪縛の虜へと戻す朝が来ていたのだ。
 この事態に対しては、魔物の方が反応は早かった。
 体格からは意外な程の機敏な動きでレピアに迫り、己を惑わし続けたその石像を、岸壁から海面へと突き落とす。
 派手な水音が辺りに響くが、レピアの安否を気遣う余裕は無かった。そのまま魔物は反転し、葵めがけて突進して来たのである。
「うわ…っ!?」
 迫り来る影と、灼熱の剣。
 炎は水の盾で防ぐ事が出来たものの、突進の勢いまでは殺しきれず、彼は大きく後ろへ弾き飛ばされる事となった。
「葵様!?」
 そちらを振り返ろうとしたメイにも、炎と豪腕が迫る。
「させませんッ!!」
 叶が符を放った。
 あらん限りの気迫を乗せたそれは、無数の、恐ろしい形相をした式神に姿を変えて魔物に喰らい付くと、そのままその体を海へと引きずり込む。
 再びの、水音。
 よろけつつも立ち上がった葵が、そこに追撃を加えた。
「二度と岸に上がれると思うな!」
 鋭い一喝と共に海水を操り、魔物の巨体を絡め取る。その間に、叶の式神が炎の剣を奪い取った。
「今だ! とどめをっ!」
「はい!!」
 メイがイノセントグレイスを構え直す。
 純白の翼を広げ、海面でもがき続ける魔物へと迫り、そして聖なる力を宿した大鎌の先端で貫いたのは、勿論、魔源石の埋め込まれた右手だった。

 パァァァァ……ンンン!!

 乾いた音を響かせながら、魔物の体が跡形も無く砕けて散り、濃緑の破片だけが波の上へと残される。
「終わり…でしょうか」
 それを見下ろし、叶が大きく息を吐き出そうとした刹那――
「マダ終わってナイヨ!」
 葉子の叫びが、耳を打った。


■顛末

 いつの間に、この場を離れていたのだろう。
 日頃ありえぬ程に真剣な叫びは、背後にそびえる倉庫の横合いから聞こえてくる。
 魔源石の回収を式神に任せ三人がそちらへと駆け寄ると、木箱や漁具が積み上げられた路地の奥で、葉子は何者か黒い人影ともみ合っていた。
「その方は!?」
「ワカンネー!」
 長身のその人物は、体格から恐らく男だろうと推測できたが、黒いフードを被っており、顔までは識別できない。
(黒いフード…?)
 葵の脳裏を、宿屋で聞いた話が掠めて過ぎた。
 その間も、もみ合いは続いている。
「声かけタラ逃ゲヨウトシタのさコイツ! ボーっとシテナイデ手伝ってヨ!」
 急かすような葉子の声。
「わかりましたっ!」
 叶が蛍を放ち明かりを確保し、メイと葵がそちらへ駆け寄ろうとする。
 ところが――
「きゃっ!?」
「なっ…何!?」
 突如、背後から激しい衝撃に見舞われ、三人の体が転倒した。
 彼らの行動を阻んだのは、新たに場へと現れた一団である。数は五人――全員が、黒いフードで顔を隠していた。
「他ニモ居たのカヨ!」
 追い詰めたつもりが、これで形勢逆転――動揺でわずかに力の緩んだ葉子の腕が、強引に振りほどかれる。そのまま黒い人影は、加勢の集団と共にこの場から駆け去ろうとするが、黙ってそれを見送ってやるなど、勿論できよう筈が無かった。
「逃がしません!」
 呪縛を狙い、叶が集団へと符を投げる。相手の動きが早く大半の符が標的を外したが、葵の水の縄の追撃もあり、ひとりの足止めには成功した。
「お待ちナサイヨこんチクショー!」
 己の腕を振りほどいた男へと、葉子が手を伸ばす。
 しかし、既に間合いを取られてしまっていたため掴み止める事は叶わず、被っていたフードを剥ぎ取る事が精一杯だった。
 呪縛を受けた仲間を置き去りにして、五つの黒い影が遠ざかってゆく。
「こちらも消耗していますし…深追いは、しない方がいいのでしょうね」
「ひとりは捕縛できたんだ。やれるだけはやったと思うよ」
 残念そうに息をつくメイの肩を、葵が労うようにそっと叩いたその時、朝の陽射しが港を明るく照らし始めた。


「――で。レピアはまだ海ン中なんだね?」
 日が昇りきった頃、何故か子ぺんぎん連れで駆けつけたメルカに顛末を報告すると、まず最初に戻ってきた言葉がそれだった。
「引き上げたくても手段が無くてさ…」
「マァ、石化シテカラ落ちたンデ、呼吸の心配トカは無いダロウケドネー」
「…そういう問題では、無いと思います」
「港の方にお手伝いをお願いした方がいいですかね?」
 一同の困り果てた視線が海面へ注がれる。
「ま――そのあたりは私が何とかするよ」
 それにしても世話の焼ける――溜息と共に肩をすくめながらも、メルカの顔には苦笑が浮かんでいた。海中に没した、人騒がせな友人に対する笑みだろう。
「ところで…相手の顔を見たんだって?」
「うん。僕はちらっとしか見えなかったけど、銀髪だったね」
 飼い主である叶の手の中に戻り、すやすやと安堵の寝息をたて始めた子ぺんぎんを見下ろしながら、葵が最後の記憶をなぞり返す。
「銀髪…?」
 メルカの頬が、わずかに動いた。
「暗いし一瞬の事でしたけど…」
 自信無さげに口ごもりつつ、メイがそっと葉子の方を見る。フードを剥ぎ取られた瞬間の男の顔を、最も近くで目撃したのは彼だ。そしてメイの見間違いでなければ、あの顔は……
「ダークエルフ――だったネ」
 確認を求めるような視線を受け、葉子ははっきりと云い切った。メルカの白皙を見据えたまま。
 そして更に核心を突く。
「メルりんのオトモダチも、確か銀髪ダークエルフだったヨネ? 何ナラ似顔絵描いてもイイケド――多分予想通りダト思うヨ?」
「……どうやらそんな感じっぽいね」
 押し殺した吐息がひとつ、潮風に乗せられた。


■対笑

 陽が沈み、レピアが目覚めの時を迎えたのは、いつもの別荘のいつもの部屋だった。
「え…?」
 港で魔物と戦っていたところで、記憶は止まっている。いつどうやってこの部屋へと戻ったのだろうか…
「そのまま石になって海に落とされたんだよ」
 状況が把握できず暫し目を瞬かせるばかりだった彼女に、傍らから溜息混じりの言葉が掛けられる。そちらを見ると、口をへの字に曲げたメルカの苦笑いがあった。
「じゃあ、わざわざ運んでくれたの?」
「私と、それから海女のオバちゃん有志一同でね」
「そう…迷惑、かけちゃったみたいね」
「迷惑って云うか、どうしようかと思ったよ」
 苦笑。
 それからレピアを見返す目に、気遣うようなたしなめるような、どちらとも取れる表情が浮かぶ。
「魔物は退治されたし、今回は無事だったからいいけど…本当、無茶は程々にしてくれよ? 送り出した方としちゃ、何かあったら王女にも顔向けできないし」
「――ごめん」
 ふたりだけの気安さか、レピアは素直に頭を下げた。それからバツが悪そうに小さく笑う。
「でも、この都や皆の為に、あたしも役に立ちたかったの。大事な人達だから出来る限りをしたくて――それだけは、わかってほしいな」
「そう来られちゃ、怒るに怒れんやね」
 ひょいと、黒衣の魔導師の肩が竦められた。「その気持ちは嬉しいし」と言葉が続く。
 それから、メルカの視線は横へと流れた。
「でも、もしまた心配かけたりしたら……」
 含みのある間。
「……かけたりしたら?」
「一年分の飲み代肩代わりしてもらうって事で☆」
 ――宵闇の室内に、ふたつの笑い声が響き渡った。


■エンディング

 その夜、黒山羊亭の片隅のテーブルに、再び五人とメルカが顔を揃えた。
「まだ調査が続いてるんで、現時点で判明してる事の報告のみだけど――お前さん達が捕まえてくれたあの男は、アセシナート軍の人間だったよ」
 メルカのその言葉に、五人の視線が見交わされる。
「そうなると、今回の事件はどういう事になるのかな」
「都を混乱させ付け入る隙を作るのが目的――そうとしか考えられないわね」
 葵の疑問に対するレピアの仮説。
 メルカはそれに頷いた。
「私もそんなところだと思うよ」
「それで…例のダークエルフについては?」
 膝の上で眠る子ぺんぎんを起こさぬように気遣いつつ、叶が身を乗り出す。
「……」
 溜息を洩らすメルカの代わりに、口を開いたのは葉子だった。
「俺様が見た特徴ト、メルりんのオトモダチの特徴、比べレバ比べるホド一致してた――コレダケ云えバ、充分ダヨネ?」
「……葵が見せてくれた宿帳の文字も、グラファの筆跡に似てたしね」
 つまり、今回の魔物を操っていた人物と、魔導師団から失踪したグラファとは、同一人物という事か。
「下世話な云い方をすれば寝返ってしまわれた……という事になるのですね」
 悲しげに目を伏せ、メイが小さな溜息を落とす。
 かつての仲間と袂を分かつ事になったという事実や、それに対する思いを極力意識の内から追いやろうとするかの如く、殊更に早口の事務的な言葉で、メルカは報告を締め括りにかかった。
「今度はこちらから先手が打てるよう、現在足取りの追跡中だ。所在が判明した際には、状況によってはまた皆に協力を求める事があるかも知れない――その時は、宜しく頼むよ」


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1063 / メイ / 女 / 13 / 戦天使見習い】
【1353 / 葉子・S・ミルノルソルン / 男 / 156 / 悪魔業+紅茶屋バイト】
【1354 / 星祈師・叶 / 男 / 17 / 陰陽師】
【1720 / 葵 / 男 / 23 / 暗躍者(水使い)】
【1926 / レピア・浮桜 / 女 / 23 / 傾国の踊り子】

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■         ライター通信          ■
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明けましておめでとうございます。
こうして新年の挨拶の出来る事が嬉しい一方で、越年納品となってしまい非常に恐縮している朝倉経也です。
この度は長々とお待たせしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

さて、後編ではグラファとの対決になります。
これまでの一連の事件が彼単独でのものではない事が判明しましたので、次回の戦いも楽ではないかも知れません。
ですが、また皆様のお力をお借りできればと思います。
ちなみに今回、普通に魔物を倒す事だけを遂行していたならば、グラファの事も彼の背後にある存在の事も、一切判明しない予定だった事をご報告させて頂きます。
早期にこれらの情報が得られた分、状況は有利に傾いている……かも知れませんね。

レピア・浮桜様
いつもお世話になっております。この度は戦闘依頼という事で、能力的に少々厳しかったかも知れませんが、ご参加ありがとうございます(礼)。
まさかこうした作戦に出られるとは…吃驚しました(苦笑)。
拙い筆で、レピアさんの踊りの持つ力を表現しきれたか不安ですが、少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。

またお会いできる機会がある事を、心より願っております。