<PCシチュエーションノベル(グループ3)>
alea jacta est U
きっと。
答えは聞く前から解っているのだと、思う。
+
リラが目が醒めてから暫くして「再検査をするから」と、羽月は席を外していた。
起きてから、まだ、何の言葉も聞いていない。
頷いた声を聞いたような気がするけれど、言葉ではなくて。
何か、一言でも良いから言葉を聞きたい。
でも……、
(こんな事が、これからも……無いとは言い切れないんだから)
今後も倒れない保証がないわけではない。何時、如何なる時でさえどうなるか解らないのだ。
慣れなくてはいけない、と思う。
こうして、検査がある度に、離れてしまう時間があると言う事に。
僅かばかりの寂しさを抱えながらリラは、
「ねえ、アオイ」
と、漸く逢えた懐かしい人物へ再び、呼びかける。
いつもの癖の様なもの。
「……何だ?」
葵はリラへ接続されていた、数多のコードを外す手を止め、視線を合わせた。
元々、抜けるような白い肌を持っていたリラだったが、起き抜けの所為か一層、白くなっていったように葵は思う。
「あのね……」
「ああ……。ん?」
ふと、伸ばされた掌に葵は目を止める。
「傷が、増えたな」
小さな傷が幾つもある。
リラの血液は、人とは違う色をしている為、紅い傷などはないが、それでも数回包丁か何かで切ってしまったのだろう走り傷が幾つもあって。
――それは、何の為の傷なのか。
聞くのも躊躇われる、けれど、リラは迷う事無く答えを口にした。
「料理を、始めたの。……今まで、私……何も知らなかったんですよね」
「料理が出来ない、と言うことは別段大した問題じゃない」
第一、作らなくたって生きるのに困る事は無いからな。
そう、言いたいが上手く言えない。
「うん……でも、知らなかったって言う事は変わらないの……。ごめんなさい」
「どうして謝る?」
「私が知らないで動けてたのは、アオイや周囲の人たちが気付かないように動いていたからでしょう? きっと、凄く凄く、困る事があったと思うんです……」
解らなかったから。
知らなかったから。
気付く事など、無かったから。
幾つ、私は「知らない」と言う罪を犯したんだろう?
そして、その間、幾つの傷を――誰につけたのだろう?
知らないと言う事は、また知るということがある赦しの様だと思っていた。
なのに――知った今では、知らなかったと言う事が物凄い罪のようにも思えるのだ。
何故、知らないで居られたのだろう?と。
寝台の上、横たわるリラの額に、葵はそっと手を置き、撫でる。
「知らない事が解るに変わると、困る事より、楽しい事の方が多いって知ってるか?」
「うん……いっぱい、いっぱい、覚えたんですよ」
料理の作り方。
具の刻み方を失敗しても美味しく出来るサンドイッチの作り方。
どうやったら、くっつけずに切れるのかや、洗濯物の皺になりにくい干し方や、畳みかた。
綺麗にどうやったら繕い物が出来るのか、また、どうやって掃除に使う雑巾を作っていくのか、掃除のやり方の全て。
これらを教わったのは一緒に孤児院や教会で遊ぶシスターや子供達。
宿のおかみさんに作り方を教わった事さえある。
夕暮れ時のパン屋。
一人で、買い物に行く時の楽しさ――値引きしてくれる商店街の人たちや、優しい笑顔で毛糸を売ってくれた行商のお婆さん。
瞳を向ければ世界は色鮮やかにリラを迎え入れてくれていた。
その中でも一番に大切なものを見つける事が出来た、嬉しさ。
沢山の友達と、大好きな親友とそして。
――何よりも大切な人
誰かと比べる事も、置き換える事もできない。
何より大切で、星よりも、何よりも……ううん、きっとそれ以上に。
(まるで、空気……みたいな)
隣に居るのが当たり前で自然な、人。
「……羽月か」
「そう。私ね……アオイ以外で私の話を聞いてくれる人なんて居ないと思ってたのに……」
誰もが苦笑を浮かべるばかりで、「何を言ってるのだろう、この子は」と憐れみの目線を向けられるばかりで、言葉が、言えなくなっていったのに。
彼は違った。
言葉を言い終わるまで、待っていてくれて。
ゆっくり、話を聞いてくれて。
言葉が時につむげなくなる私を待って、先を促さない人。
そう言う所は凄く、アオイと似ているって思うの。
「俺は、あそこまで真っ直ぐじゃない」
笑いながら葵はリラの額に置いた手を離すと、リラは「ううん」と頭を振った。
長い、緩やかな髪が揺れる。
「アオイは――、優しいもの」
+
優しい、と言われる度に戸惑いと同時に浮かぶ映像がある。
それは――居た筈の、世界。
其処で見ていた空の色だ。
その場所では空の色は、いつも黒い。
朝だろうと夜だろうとお構いナシに、黒一色で染め上げられているのはあらゆる所で爆発が起こり、そうして、幾千、幾万もの死体が築かれていくからだ。
消える事の無い煤の色が、空にまで届いているのだと錯覚を起すほどに、何時までも切れ間を見せる事もないまま何もかもが壊れてゆく。
空の色が昔は青かったのだと言われても信じられる筈もなく。
見渡す限り、砂漠と化した世界では「海」と言う物も、無く。
青々とした世界が。
緑織り成す大地が、最早世界の何処を探しても無いのに、記録物には残っている。
――不思議なものだ。
そんな中で、いつもリラが言っていた言葉は。
『海が見たい』――と言う言葉で。
海を見るには、沢山歩かなければならないのだと。
無理だと、もう見ることなど出来ない、等とは言えなかった。
夢だ、と笑う事さえ。
リラは、この世界に来て、もう、海を見ただろうか。
優しいと久しぶりに言われた事に、くすぐったさを覚えながら、
「海は、見たか?」
「うん……凄く凄く、大きくて……でね」
「ん?」
「砂の城を作ったの……アオイは知ってますか? ……海の近くに砂の城を作ると波に攫われるって」
「いや……俺はそう言う遊びは、あまり、した事がない」
「そう…、折角作ったのに崩れちゃって落ち込んでたんだけど、直ぐに羽月さんが"作り直そう"って言ってくれて……同じ物は出来なかったけど一緒に、また作れて……其処でまた、色々覚える事が出来たんです」
今度、アオイも海に行きましょう。
「ああ。しかし――覚える事が本当に沢山だな」
葵の言葉に、リラは「本当に」と微笑う。
今まで、小さな世界でしか生きられなかったリラが、様々な事を吸収していってるのを見、もし……もし、リラの父親が、今のリラを見たら、どう思うだろう?
娘の成長を喜ぶだろうか。
それとも、逆に、嘆くだろうか。
籠の中に入れ、何も醜いものなど見せずに育てた「娘」の前を向く様を?
(……どう、だろうな)
彼の心は、葵には解らない。
いいや、誰かが誰かの心を解ろうとする事自体が無理な話なのだ。
だからこそ、変わり行く様を、心と体の変化を、嬉しく思うと同時に戸惑いを覚えるのだから。
――だが、それを理解できない人種が居るのも確かな話で。
こうして、考えてみると人の変化、と言うのは貴重なものなのかもしれないとも思う。
自分自身に、それらを当てはめる事は出来ないけれど――葵は、話の続きを促すべく、リラへ「で?」と問い掛けた。
+
階下の一室。
良く家主が、座っている椅子へと羽月は腰掛け、足元で丸くなり眠る、白い猫を見た。
良い夢でも見てるのだろうか、髭をぴくぴくと震わせ、笑っているかのような表情を作っている。
(……好物の夢を見てるのかも知れんな)
再検査をするから、と言われ部屋から追い出され、随分立つ。
何か、時間を潰した方が良いだろうか――と、考え周囲を見回しても、羽月に理解できる本は少なく、あったとしても、専門書の様な類だけで捲っては閉じ、捲っては閉じを繰り返すまま、時計の針が一刻、一刻と動くのを、ただ、聞いていた。
(異常が無ければ良いのだが……)
目を覚まさない事が、動けなくなる事が、これからは無ければいい。
今後も無いとは言い切れない、そう、葵は言っていたし、リラも以前その様なことを言っていた。
だが、それでも――
消えてしまうかもしれない、動かなくなってしまうかもしれない、と言う事は出来るだけ考えたくは無かった。
いつものように、リラの名を呼んで。
"はい?"と、振り返るその姿にこそ、この世界の日常全てが詰まっていたのだと気づかされたから。
+
大切な言葉があるの。
自分の身体全部が煩わしいと思っていた筈なのに、その言葉を聞いたら今ある全てが、私が生かされてきて本当に良かったと思える言葉が。
凄く凄く、大切で、多分――アオイには笑われるのかも知れないね。
でもね――、機械でも構わないと言ってくれた、その言葉は私にとって。
(何よりも大切で捨てたくない、言葉)
リラは、起き上がるべく、身体に力を込める。
葵は、漸く検査のコードを、しまいこみ、両手を組む。
少しだけ、長い話になっているのかもしれない。
階下に居るだろう人物をお互い、気遣いながらも、二人は再び話を始めた。
「…で?って、聞かれると可笑しい」
「とは言え、聞き返すときにいい言葉が思いつかない」
「そう言うところ、アオイらしいね」
「褒め言葉として取って置く……で、其処から何時、羽月とは逢ったんだ?」
「ええと……確か、誰かを探してる時に」
あの時は――目の前の人物の名前さえ思い出せていなかったのだ、と瞳を伏せながらリラは謝罪の言葉を言いたくなるのを堪えた。
彼も、そうだ。
未だに逢えない人物を探し続け、今に至っている。
どれだけの時間が、皆の中で流れていただろう?
(きっと……凄く、凄く、長い時間が流れていたに違いなくて)
けれど、皆、その時間の事は口にしない。
自らの心の中で留めておくだけだ。
葵の組んだ両手が僅かに動く。
「その話は俺も聞いた事がある……そっか、まだ奴の方は逢えてないか……」
「そうみたい……其処から知り合って、黒山羊亭でお仕事貰って一緒に行ったり……休日に買い物行くの、手伝ってもらったり……」
「ああ、菫色のリボンやアヒルの置物とか?」
「……何で知ってるの?」
「初めて羽月が買ったものがそれだって言う話だろ? 羽月から、聞いた覚えがあるんだが……」
まあ、その時は一緒に住み始めた彼女がリラだとは知らなかったけど。
組んだ手を解き、顎に手を置きながら葵は微笑う。
「…アオイも色々な話を羽月さんとしたのね」
「そうなるかな……あいつは中々、遊び甲斐があって面白い。時折、困る行動もあるが……、嫌いでは、ないな」
「―――良かった」
「何が?」
「アオイが羽月さんを嫌いじゃなくて」
「俺は嫌いな奴と長話をするほど酔狂じゃない」
「ふふ……ねえ、アオイは――」
「ああ」
「私が羽月さんに逢ったみたいに……、変わった事があった?」
変わる何かが。
此処に。
この、地に来て――何か、変化が。
そう、リラは問いたいのだろうか。
が、思い返してみても自分自身に変わった様な事があるとは思えない。
前、居た場所とはかなり違うが店を構え、仕事をし――友人と共に探索へと出かけ、サンプルの収集作業をしたりする、そう言う日々の繰り返しで。
苦笑とも微笑とも付かぬ顔をしながら葵は「いいや」と呟く事にした。
(特には何の変化もない)
驚くほどに。
リラほどではなくても何らかの変化はあるかと思っていただけに、意外で、複雑な気持ちのまま葵は言葉を続ける。
「俺の日常は前に居た所と大差ない。ただ――そうだな」
「うん」
「修理屋に持ちこまれる品が予想もつかない物だったりするのが、面白い。此処は本当に色々なものが混ざり合ってるんだと、つくづく、思う」
「そうね……今までなら逢えないだろう人も此処には居るもの」
「ああ。所で、リラ」
「なあに?」
「羽月にも言ったが……今後、リラの身体の機能が何時どうなるかは俺にも解らない」
「………」
「設備の整っていない、この場所では充分な対処が出来るとも言えない……解るだろ?」
「はい……解ってる、つもりです」
「解ってるなら話は早い……羽月にも話してはみるが……此処で暮らす気はないか?」
それなら、直ぐに調整が出来る分、時間のロスもない。
今回のように来られては、手遅れになる時さえあるかも知れないのだから。
葵の言葉にリラは何度となく頷く。
解っているのに。
「……私……私は――――」
瞬きをする事無く、リラは葵の瞳を見、手を上から包むように触れる。
(次に来る、言葉は解っている)
知っている。
今まで共に居た。だからこそ、解っているのだ。
次に来る言葉がどう言うものであるのかは。
+
ぴくぴくっ。
猫の髭が震え、次に「にゃ♪」と起き上がる。
一体何が起こったのかと、羽月は、耳を澄ませた。
だが、特に何も聞こえず、どうしてウォッカが鳴いたのか解らないまま首を傾げそうになる、その時。
扉が開いたかと思うと、
「お待たせ。ちょっと話し込んでたもんでな」
ひょっこり、葵が顔を覗かせた。
室内へと入ってこないのは、また、後に横たわるリラへ逢わせてくれるためだろうか?
足音がしなかったのに解ったウォッカを抱きかかえ撫でながら、羽月は「どうだった?」と問い掛ける。
「取り敢えずは大丈夫だ。……まあ、現状で大丈夫ってだけで……調整が少しずつ必要になるかもしれない。以前は月一で調整してたくらいだし…その点も含めてな」
「そうか……」
「で、な」
「?」
「俺としちゃリラの体調が心配だったんで、修理屋で暮らさないかと勧めてみた」
「え……?」
「誤解するなよ? 何も離そうって訳じゃない……心配なだけだ」
「ああ……。だが、私は」
出来るなら離れずに共に暮らしたい。
そう、葵へ告げると深く、静かに葵は頷いた。
「…だとさ、良かったなリラ」
「え……?」
葵の背後から、姿を見せるとリラは嬉しそうに羽月へと飛びつく。
「嬉しい……羽月さん、私、嬉しいです……!!」
「リ、リラさん? 何処から……」
戸惑いながらも抱き返す羽月に葵もやれやれと肩を竦めた。
「そりゃ、勿論降りてくる時から。って言うか、君たち仲良すぎ……本当に」
もう、お兄サンにはついていけまセン。
おどけた言葉を言いながらも、先ほど、リラから言われた言葉を思い出す。
『ごめんね、アオイ』
どうしても、一緒に居たいの。
どうなろうと構わない、なんて言わないけれど……私は羽月さんの傍に居たい。
だから――、一緒には暮らせない……ごめんなさい。
(解っていた答えだったんだけどな)
どう言う答えが出るかなんて話を聞いている内に気づいていた。
ただ、聞かなくては動き出せない答えがある。
賽の目でさえ、振らなければ変わる事無く現状のまま。
何も変わらず、何も生み出せず。
だからこそ、聞かずには居られなかったのだから。
そうして、リラは抱きしめていた手を緩め、再び羽月を抱きしめる。
(私は、羽月さんの傍に居る事を選びたいんです)
どの様な時であろうと。
喩え、自分の時が止まってしまうだろう瞬間であろうとも。
離れずに。
―End―
+ライター通信+
こんにちは、いつもお世話になっております(^^)
ライターの秋月 奏です。
今回は前回のグループノベルの続編と言う事で、こう言う形で書かせて頂きました。
リラさんと葵さんの会話も楽しかったですし、あまり出てこないとは言え
羽月さんの存在の大きさと言うのも発注文を読んでいてしみじみと、感じていまして。
そう言うノベルに出来たら良いなあと思って書いたのですが……
上手く行っていましたら、本当に嬉しく思いますv
それとタイトルですが、続きと言う事で2と打っておりますが
何となく意味の様なものもノベル中に書けて良かったなあと♪
何処か一つの部分でも楽しんでいただけたら幸いです(^^)
では、今回はこの辺にて失礼致します。
また何処かで逢えますことを祈りつつ……
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