<東京怪談ノベル(シングル)>
□■□■ 月光決闘 ■□■□
「ッ、つぅ……」
睡眠中無意識に身体が楽な姿勢になろうとする動作を取る――と言うか単純に寝返りを打つと、枕の縁取りをしている飾り紐の結び目が彼女の後頭部の一箇所に触れる。何故か妙な鈍痛が酷く頭に響いてぼんやりと眼を開けると、そこには見慣れない天井があった。小さな、だけど豪奢なシャンデリアがぶら下がっているのも確認できる。昨日はそんな宿に泊まったのだったか? 考えながらぼんやりしながら身体を起こす、ベッドに手を付いて軽く奥歯を噛むとまた頭の鈍痛が響く。
……どうしたのだった、かしら。
んぅー、小さく声を漏らして彼女――天井麻里は頭を振る。いつもはリボンで留められているはずの横髪が垂れて少し煩わく、見れば、サイドボードに綺麗に畳まれたリボンがおいてあった。いつも結ばれっぱなしで少し皺が目立って来ていたはずのそれは、アイロンでもかけたのかピンッと綺麗に張っている。
手にとって、ぼんやりとする時間が数秒。指先に優しいシルクの手触りを楽しみながら眼を閉じ、記憶の整理をする。
えぇと、昨日は、何が――
ハッと気付いてベッドから飛び降りる。脇に揃えてあったブーツを蹴り飛ばしてしまうが、彼女はまるで構わず、スリッパを突っ掛けてドアに向かう。
とその瞬間、赤い化粧板のそれが開いて、相手の身体に飛び込んでしまう。
「ッひや」
「っと。あら、意識が戻りったのですね、良かった」
「ディ、ディアナっ……」
「でもまだ眠っていた方が良いと思いますわ。すぐに何かお持ちしますから、少し待っていて下さいな」
にっこりと、ディアナ・ガルガンドは微笑んだ。
■□■□■
「勝負よ、ディアナ・ガルガンドっ!!」
びしッ!
指差した麻里と静かな図書室に響くその声に、ディアナは口元に扇を当てて少し眼を丸くした。図書館という性質上客の来訪には慣れていたし、この図書館には様々な本がある。ある者は故郷の懐かしさを求め、あるものは異世界を求め、本当に様々の客がこの館を訪れたものだが――自分に勝負を求めてくる客は、そういない。中々珍しいと、彼女は麻里の姿を眺めて微笑する。
麻里は細い身体を張るように腕を組み、ディアナを見上げた。真紅のヒールの高さを計算に入れずとも、二人の間には少々の身長差がある。
「わたくし、このソーンでは一番に強いという自信があるの。様々な怪物や無頼の相手もして来たのだし、この矜持、間違ってはいないはずよ」
「あら、それは素晴らしいことですね」
「でも、噂によれば貴女のそれなりの強さを持っているらしいじゃない。是非手合わせしてもらいたいものだわ、断る理由はおありかしら? 『紫炎の貴婦人』さん」
名の通り、紫の双眸と髪を持つ身体を紅色のドレスで包んだディアナは、困ったように微笑んだ。どうしたものかと思案しているような様子に、麻里はふふんっと小さく声を漏らす。
自分の格闘術に対する自負は、並以上にある。元居た世界でも自分に敵うものなどいなかったし、このソーンに来てからも、様々な冒険をこなしてきた。怪物や人間、あらゆる相手に対峙し、その都度勝利を収めて来たのだ。美少女格闘家として世間からの認知もある程度に受けている、向かうところに、敵などあろうはずもない。六本足とか八本足のアレは考慮に入れないが。
それでも勝負は求める、格等家としての性質はある。だが半端な相手などただ興醒めするだけだ、求めるのは、強い相手――それも格闘などとは無縁そうでいるこの貴婦人が、それほどまでの能力を有しているというのならば、尚更に興味はそそられる。
少しの時間躊躇うようにしながら、結局、ディアナは苦笑のままに麻里を見る。
「困りましたね、これといって断る理由が見付からないのですもの」
「それじゃあ戦いましょう?」
「そうですね、それでは庭に出ましょうか」
ドレスを翻し、ディアナは扉に向かう。麻里はその後ろに続いた。
館の持つ重厚なイメージと裏腹に、庭はひどく可愛らしく纏められていた。花も咲き乱れ、散策にはもってこいといった風情である。誰が手入れしているものかは判らないが、剪定後の見える気も幾本か。色付き始めている葉が、はらりと落ちる――と同時に、麻里はスゥと息を溜めた。
ゴシックロリータの装束を好んでいるのは何も趣味だけの問題ではない、彼女にとって。パニエが空気を含んで広がるのを視界に入れながら、彼女は一歩を踏み込む。ごてごてとしたレースや重ねられた生地は、呼吸のタイミングを隠すのに丁度良いのだ。格闘技に置いて呼吸を読まれるのは、技のタイミングや威力を見切られるだけでなく、弱点にもなる。息を吐いたところを狙われれば、そのダメージは倍にまで膨れ上がるのだから。
三歩目を踏み込んだところで地面を強く蹴り、麻里は高く脚を上げる。ドロワーズを着けているので下着の心配は別にない、的確に顔面を狙ったその攻撃に、だがディアナは苦笑の表情を消すことなくただ身体を軽く引かせるだけで避けた。蹴りとは直線の動作だけに、避けるのも容易い――だがそんな事は麻里も重々に承知していた。
避けられることを予期していた一撃目の遠心力を殺さないまま、身体を折り曲げで地面に手を付く。逆立ちの要領でもう片足を上げれば、それは連撃になった。流石にこのタイミングで連続攻撃を受ければ、避けたとしても姿勢が崩れるだろう――だがディアナは、またひょいっとそれを避ける。
野外、しかも庭という柔らかい土のむき出しにされた場所では、彼女のようにヒールを履いていると移動や踏み込みが甘くなるだろう。その点はブーツの方が有利だと踏んでいた麻里は、その動きのなめらかな様子に少しだけ瞠目しながら体勢を直す。応用の効かない蹴りでは駄目かと体重を乗せて肘を打ち込むが、それもひらりと避けられた。曲げていた腕を伸ばしてそのままに薙ぎ払おうとするも、やはり、すぅっと移動される――当たらない上に反撃もない、チッと麻里は舌を鳴らす。
「反撃ぐらいッしたら、どうなのよ!?」
「あら、だってその可愛い衣装が汚れてしまったら申し訳ないもの。この通り、庭は土がむき出しなものだから」
「余裕ぶって!」
「そうでもないのですけれどね」
「これじゃ、ただ――空気相手に! 型の練習をしているだけ、みたいじゃないッ!」
「いえ、込められている気配が違いますよ」
「ッのぉお!!」
ひゅぅッと何度目にか薙いだ腕、指先に風を集めて真空波を産み出す。指の角度や風の様子を見ることで繰り出すカマイタチ現象だが、それでもドレスすら破れない。ディアナは軽く腕を組んだ形のまま、時々手に持った扇をぱちんと鳴らすばかりである。
攻防――否、一方的な未遂の攻撃が続けば、体力も消耗される。とにかく相手を動かさなければ埒が開かない、麻里は一旦距離を取って細く息を吐き出した。それとなく呼吸を整える姿に、やはりディアナは飛び掛ってくる気配がない。避けているだけで終わらせようとしているのかもしれないが――勝負が着かないのでは、終わりなど見えるはずもない。
浮かんだ汗で頬に張り付いた髪が鬱陶しい、軽くそれを指先で払うという隙を見せてみてもディアナはただ苦笑を浮かべたまま。
噂は嘘ではない、確かに、ディアナはただ館を管理している貴婦人というだけの人間ではない。
だが、本当なのか? 本当に、強さを保持しているのか。ただ避けるのが上手いだけという可能性も捨てきれない、そんなものは――そんなものは、強さではない。
果たして真偽は。
このソーンで一番に、強いのは。
「――わたくし、負けるまでは引かないわ」
「負ける、と言いますと?」
「貴女に力で屈服されるまで、ということ。夜になってもそれが明けても、このまま続けるわ」
「それは――困ります。本の整理もまだ途中ですから」
「それじゃあ、反撃を見せて御覧なさいな!」
言い様、麻里は踏み込んで廻し蹴りを繰り出す。
ディアナは小さく溜息を吐いて――
手に持った扇を、優雅に、上げた。
「ぁ。ぐ?」
頭を、強打される。
崩れたバランス、身体が傾ぐ。
そして、受け止められる。
そんな、たったの、一撃で。
「ああ、汚れなくて良かったわ。見るからにお洗濯が大変そうですものね」
■□■□■
負けた挙句に手当てまでされた。リボンにアイロンまで。
どうも釈然としない気分のままにリボンを結びながら、麻里は館の玄関を潜った。
暗い影の下りた館、真正面に設えられてある大時計は静かに時間を刻んでいる。分針が丁度動く、かちりとぎこちなく針が震える。向こう側には、三日月が浮かんでいた。
月光が、彼女の顔を照らす。
「――負ける、もんですか」
一番に強い。
そうなるために。
「負けるもんですか、ディアナ・ガルガンド!」
彼女は宣言し、夜を駆けた。
窓からその様子を眺めていたディアナは、ただ微笑を浮かべ、ドレスを翻す。
そしていつものように、図書室に向かった。
<<" Moonlight delight fight" over>>
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