<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


こいびとたちの歌う夜

 …ざわざわと、人々が集まり、世間話に興じながら広場に舞台を作り上げている。
 聖夜。
 年に一度の、聖なる夜。
 その夜に決まって催されるコンサートは、エルザードの人のみならず近隣の村からも集う者の多いイベントで、王宮兵士たちによる楽曲や、各地を放浪している大道芸、孤児やシスターたちによるチャリティ演劇などなど一日をかけて楽しむための舞台。その中でも、毎年最後の締めとして行われるのが、聖獣や信仰する神々が住まうと言われる天へ送る歌。
 皆で歌い上げるのだが、この日に長い長い歌を最初から最後まで歌う事が出来た者は、必ず次の年への祝福を受ける事が出来るのだと言い、ある年若い女の子たちの噂によれば、それは素敵な恋人が出来るおまじないなのだと言う。
 そしてまた、その中で最も声の美しい少女には、『歌姫』の称号が与えられ、王宮へ入る事が出来るようになる、と言う名誉までが付いていた。
「お…雪だ」
「聖夜にも降ってくれればいいんだが」
 ちらちらと空を舞う白いものを見上げながら、男たちが作り上げて行く舞台。
 ――それを、暗い目で見守っている1人の男がいる。
「…聖夜なんて無くなってしまえばいい」
 擦れた声で呟くその目には、楽しげに舞台を作る男たちへの憎悪が燃え盛っていた。

*****

 聖夜を直前に控えたある日の事、ひそやかな噂が街を駆け巡って行く。
 今年の聖夜を壊そうとしている者がいると。
 歌姫候補が、次々と声を奪われていると。

 そして――とうとうその噂は、調査を冒険者たちに依頼すると言うところまで、広がっていた。

*****

「どう?出来そう?」
 夜になって、注文する品に酒が増えた頃、白山羊亭の片隅で酒も飲まず、静かにしている一団があった。そこには、お盆を持ったままのルディアがテーブルの側でちょっと不安そうにしている。
 依頼の内容が内容であるのと、聖夜のイベントの妨害にも当たると言う事で、実は王宮の関係者からの依頼だと噂されているこの依頼に興味を示したのは、6人。
 珍しく依頼主の名を明かさないルディアが訊ねて来るのを、
「任せて。ティアラたちがなんとかしちゃうから」
 ほんわかした笑顔を浮かべた少女、ティアラ・リリスがルディアににこりと笑いかける。
「確認しておきたいんですが、僕たちのやる事は犯人探しだけではないんですね?」
 涼しげな目をカバーする眼鏡をくいと持ち上げつつ、アイラス・サーリアスが訊ねると、こくっと頷いたルディアが、
「問題が起きないようにして欲しい、って事みたい。だから、例えば犯人そのものを捕まえなくても…イベントが無事に済めばいいって事じゃないのかしら」
 最後は少し自信なさそうな声に、ふ、と冷徹な笑みを浮かべたのは、来る時も黙ったまま今も静かに話を聞いていた1人の女性。――名を、水野沙有紀と言う。
「それは甘いのではないかしら…犯人は何の罪も無い女の子たちの声を奪ったのでしょう?放置など出来る筈もないわ」
「それはそうだ。あたしも犯人を野放しにはしたくないな」
 何故か、夜だけの参加を希望したレピア・浮桜がその形良い眉を寄せながら呟き、
「同感だが…何も、ティアラまで参加を表明しなくても良いのではないか?襲われたらどうするつもりだ?」
 犯人探しよりも、知人のティアラに危険が及ぶかもしれないと言う事を面白く思っていないらしいラティス・エルシスは、溜息交じりにそんな事を言う。
「まあいいじゃない、ティアラだってそういう悪い人は許せないもん」
 それでも、こうして複数と一緒に何かをするのが嬉しいらしいティアラが無邪気な笑みを浮かべながら、ラティスに向かって手をひらひらと振った。
「それでは、まず…どうしますか?」
「犯人の情報を集めたいわね」
「同じく。でもどうやって集める?あたしは酒場で踊りながら情報収集しようかと思ってたんだけど」
「あ、あの、私が囮になっても構いませんけど」
 ティアがそう言い出すと、沙有紀をはじめとして皆が一斉に見、
「…万一の事があるからな。それは最後の手段だ」
 ラティスが緩やかに首を振りつつ言った。
「ティアラも駄目?」
「駄目」
 きっぱり言われてちょっと頬を膨らませる少女を、「まあまあ」とアイラスがなだめる。
「僕が女装すると言う手も無いでは無いですが…それは、後の事ですよ」
「じゃあやっぱり、最初は声を奪われた人の所に行くのが良さそうですね。襲われた時の状況が分かれば、何かヒントになるかもしれませんし」
 最終的には、ティアのこの発言が採用された。そこには、踊り子として酒場などで踊ろうとしたレピアの姿もあったが、
「襲われたのは歌姫候補でしょ?どんな子か興味あるじゃない」
 それが、まっすぐ踊りに行かず皆と一緒に付いて来た理由だったらしい。

*****

 いくつかの候補の家は、ルディアから既に聞いてあった。
「襲われたって言うのは噂でしかないけど、確かに急に出場を取り消した子が何人もいるの」
 そう言いながら教えてもらった住所を上から順にあたる事にする。
 最初の家で、ノックに応じて出て来た家族に事の次第を説明すると、
「まあ、そんなわざわざありがとうございます。娘もきっと喜びます。今呼びますから、聞いてやって下さい」
 え?と言う表情が、戸口から母親らしき女性が離れた後で皆が浮かべた。
「『声』を奪われたんじゃないの?」
 レピアも不思議そうにそう呟いたが、その理由は、散々泣いたのか目を真赤にした娘と共に室内へ導かれて初めて分かった。
「すみません」
 擦れた声が、ゆっくりと漏れる。それは、とてもではないが『歌姫』の候補と呼ばれるには程遠い、かなりざらついた声だった。
 その言葉を口にしただけでも痛いのか、喉を押え、顔をしかめる少女。
「…喉を痛めてしまって、あまり声が出せないんです」
「あ、ゆっくりでいいからね?喉に負担がかからないように、なんだったら筆談でも大丈夫だよ?」
 ティアが慌てて言うのを「ありがとう」と呟き、自分でも気を付けているのか、ゆっくりと話し出した。
 良く聞けば、彼女の声は元からそうだった訳ではなく、澄んでいれば綺麗な歌声を出せるのだろうと思わせる震えを帯びている。
「風邪でも引いたんですか?」
「いえ、それが…その」
 恥ずかしげに俯き、そして苦笑交じりに顔を上げると、
「…声が綺麗になる水がある、って…教えてもらって、それを飲んだら、中に香辛料がたっぷり入っていて」
 間の悪いことに、その刺激に驚いて激しく咳き込んでしまい、
「冬の間は歌わないように、とお医者様に言われてしまいました」
 ――それは、魔法でも何でもなく。
 だが、それ以上に悪意を感じさせる仕業だった。
 きりり、とラティスの口から歯軋りが漏れる。もし、ティアラが同じ目に合ってしまったら、と考えただけで、殺意に近いものを犯人に抱いてしまったらしい。
「ラティス、大丈夫?」
 何も気付いていないらしいティアラが、心配そうにラティスを見上げ、それでふっと我に返ったラティスが小さく笑って、
「大丈夫」
 力を込めてゆっくりと頷いて見せた。
「大変だったんだね。…よし、お姉さんが約束してあげる。ちゃんとあなたの『声』を取り戻してあげるからね」
「え、ほ、ほんとうですか?…嬉しい。もう歌えないかって思ってたのに」
 再び涙ぐむ少女を、よしよし、と抱き寄せてぽんぽん頭を撫でながらレピアが穏やかな目を見せた。
 ――そして、教えられたのは2種類の方法。
 ひとつは、最初の少女が受けたように直接『薬』と偽って飲ませる方法。そしてもうひとつが、冬の夜に慣れるため、または練習する時間が惜しくて夜外に出て歌っていた時に薬品のようなものを振り掛けられ、その臭気や刺激で咳き込んで喉を傷つけたと言うものだった。
「ほんとうに、碌な事を考えないのね、この犯人」
 沙有紀がやれやれと言うように首を振りながら、「次は?」とアイラスに声を掛ける。
「次は…孤児院ですね。そこで住み込みをしているようです」
 候補の名と住所が書かれている紙を広げたアイラスが読み上げ、
「行きましょうか」
 そう言って、街の外れにあたる孤児院へと歩き出した。
「――わざわざ、すみません。わたしみたいな者のところへ来て下さって」
 けほっ、と咳をして口を押えた少女が、皆へとお茶を出しながら恐縮する。
「何を言うんですか。あなたも被害者なんですから。…犯人の顔は見ていないんですか?」
「ええ」
 やはり擦れた声で答えた少女――レナが、
「わたしは、その液体をかけられましたから。どんな人かもわかりません」
 ほんの少しだけ目を伏せて、そう告げる。
「…でも、これで良かったのかもしれないです」
「何故?歌姫の候補なんだろう?」
 ラティスが訝しがって訊ねると、ほんの少しの躊躇の後で、
「わたし、ここで育ったんです。だから、離れたくないし…歌を評価してもらうのは嬉しいんですけど」
 そう告げる。
 ――『歌姫』と国に認められた者は、王宮に入る決まりなのだとコンテスト前に説明を受けた時から、ずっと迷っていたのだとレナは言った。
「歌ってお給料が貰えるなら、こんなに嬉しい事は無いです。けれど、ここを離れるのは…」
 それに…と言葉を続けながら、レナが複雑な表情を浮かべた
「数年も自由に行き来出来なくなったら、その、…大事な人とも別れなければならないでしょう?彼も大反対していましたから。――そう言えば、数週間前に喧嘩したっきりです。彼も忙しいって分かっているんですけど」
「仕事という言い訳にかこつけて来なくなるのは感心しないわね」
 沙有紀の静かな声にちょっと表情を硬くしつつも、ふるふると首を振るレナ。聞けば、その彼はまだ修行中の薬師だとかで、元々あまり会う事が出来ないらしい。
 そして――歌って、万一歌姫にでもなったらその名は広まり、数年間の努めを経て外に出れば、一流の歌い手としての未来は約束される。だがその代わり、今までの生活は望めない。
 そんな事を考えていた矢先に、襲われたのだと言う。
「襲われた事は、その恋人に話しました?」
「いいえ。…それに、恋人って言う程じゃないんですよ。でも――歌いたかったな、最後まで」
 歌姫になれなかった事よりも、そっちの方が残念、とレナは呟いて、それを最後に押し黙ってしまった。

*****

「こんなので、本当に来るんでしょうか?」
「しー。アイラスさんは静かにしていたほうがいいですよ。声でばれちゃいます。…ティアラちゃん、大丈夫?苦しくない?」
「うん、平気よ。ちょっときゅうくつだけど暖かいから」
 暗がりの中、そんな囁きが辺りへ響いて、そしてぱたりと音が収まる。
 その後でぱたぱたと聞こえた足音は、ばらけて見張りに着いた各々のものだった。
 やがて、
「〜〜〜♪♪〜〜♪」
 夜の闇の中、路地に若々しい歌声が、静かに広がって行った。

 ――その情報を掴んで来たのは、レピアだった。
 噂でしかなかったが、歌姫候補たちが襲われた場所の近くで、不審な人影を見た者が居ると言う話を聞いて来たのだ。それと同時に、沙有紀の方もどういうつてかは知らないが、話を聞く事も出来なかった候補たちも含め、襲われた地点を詳しく調べて、それがほぼ同じ箇所である事を突き止めていた。
 だが残念な事に、犯人の顔を見た者は居ない。薬と称して飲まされた者も、深く被ったフードとくぐもった声で、知っている者なのかどうかさえ分からない状況だったのだから。
「――『薬』ねえ」
 集まった情報を吟味している最中に、ラティスがそう言い顔をしかめた。
「レナ…彼女の知り合いも確か、『薬』の修行中だったと思ったが。これは偶然なのか?」
「どうかしらね。彼女の歌声がどれほどのものか分からないけれど、歌声が消えれば…とのぼせて思いつめたとしても不思議ではないわ。だとすれば、それに巻き込まれた他の子たちがますます不憫ね」
 怒りでか目を細めつつ辛らつな言葉を吐く沙有紀に、反論する者は誰もいなかった。恐らくは皆同じ事を考えていたからだろう。

 そして、結局。
 暗がりで視界が狭まるのを幸い、1人分の人間にしては随分ときっちり裾の広がったローブを身に纏い、顔を見せないのか深くフードを被ったまま、聖夜に歌う曲をのろのろと行きつ戻りつしながら1人の人物が夜に歌を歌うと言う運びになったのだった。
「〜〜♪♪〜♪」
 夜毎に被害にあった場所を練り歩き、今日で3日になる。
 ティアラの声は通りが良く、ほんの少しだけくぐもって聞こえるものの、普通に聞く分にはほとんど違和感が無い。
 そうして…練習しているふりなのか、同じ小節を何度か調子を変えて歌ってみたり、流しつつ最初から最後まで歌ってみたりと熱心に歌い続けている、そんな時。
 たたっ、と今まで聞こえなかった足音が近づいて来ると同時に、
 ばしゃっ!
「きゃあっ」
 かすかな悲鳴が聞こえ、けほこほとくぐもった声で咳き込む人影。それを見て成功と思ったか、だっとその場を逃げ出しかけた黒い影は、しかし目の前にぬうと立っていた人物に突き当たって、
「うわっ」
 やや情けない声を上げつつその場にころん、と転がってしまう。その直後、別の路地からかつん、と足音が響き。
「逃げようなんて甘いわね。聖夜を嫌うならともかく、関係無い歌姫達を巻き込むのは健全な男性として頂けないわね。冬は本当にいい季節……私が何故凍葬の魔女と呼ばれているか見せてあげるわ」
 新たに現れた人物がそう呟いた途端、

 ――びちばちばちばちっっ!!

「痛ッッ!?」
「な、何をするかこらっ!」
「ひぃぃぃぃぃ……っ」
「あいたたた…布越しでも結構来ますね、これは」
「む、せっかくの衣装に傷が付くじゃないか」
「あらら…だ、だいじょうぶですかー、皆さーん?」
 他の場所で見張っていたらしい少女がぱたぱたと駆け寄ってくる。それは、突然の事にびっくりした顔のティアで、
「あら。申し訳ないわね」
 しれっとした顔で、集中的に雹を叩きつけられ、あちこちを真赤にして這いつくばっている男に満足気な表情を浮かべ、巻き添えを食った3人へ涼しげな視線を送る。
「も、申し訳ないじゃ済まないだろうが!…幸い、皆の顔には当たらなかったらしいが…傷でも残ったらどうしてくれる。…ティアラは無事か?」
「大丈夫よ」
 どこからか聞こえる小さな声にほっとしつつ、口調を荒げながらラティスが詰め寄るのを後ずさりする事無く真っ直ぐ見詰め、
「私は悪を討つ者でもあるから致し方無いわ、ご愁傷様」
 にこりともせずに言い切った。
「ま、こっちも顔に当たらなかったしいいけど?衣装に傷でも付けたらただじゃおかなかったけどね」
 レピアがそう言い、それよりも、とローブ姿の『歌姫』と、その下でへたり込む男へ顎をしゃくった。
「…貴方ですか。歌姫たちの『声』を奪ったのは」
 厳重にマスクをし、長いローブを頭から被った姿のアイラスと…その衣装の裾に隠れるようにして歌っていたティアラがひょこんと顔を出す。
「はふ、暑かった…ここまで飛沫が飛んで来たからちょっとびっくりしちゃった」
「かなり効きますね、あれは。マスク越しでも喉がひりひりします」
 人身御供にさせられたアイラスがピンク色に染まったマスクを外しつつ苦笑した。その内側には、液体と分かっているから皮を張っていたのだが、それでも匂いが届いたらしく。上手く避けたのか目にぎりぎり届かない所が少し濡れている。
「…いつまでもそうしていないで、これで拭きなさい」
 す、と近寄った沙有紀がアイラスの目の前に冷たく濡らしたハンカチを差し出した。
「これはどうも」
 にこりと笑いつつ、目の下と口元を拭う間に、仁王立ちをしたラティスらがずいと男を上から見下ろす。
「答えろ」
「……そ…そうだ、よ。全部、俺だ」
 痛そうな顔をしながらも、悲鳴だけは上げるまいと歯を食いしばりながら、口の隙間から声を出す。
「どうして?そんな酷い事をしなくたっていいじゃないですか。彼女たちはあんなに歌う事を楽しみにしていたのに」
「違う…歌う事なんて、二の次だ。結局皆、歌姫になってちやほやされたいだけなんだよ」
 白い息を吐き出しながら、凍りつきそうな石畳に爪を立て、捕まえた皆を睨み付ける。
「一度痛い目を見ないと分からないんだ、そういう連中は……」
「大層な事を言うけれど、それは単なる私怨ではないの?」
 冷ややかな視線を向ける沙有紀に、一瞬言葉を失いながらも、
「ち…違う、そんなんじゃない!」
 かえってむきになって食って掛かろうとし、身体に走った痛みに顔をしかめた。
「ち、畜生…聖夜の集いなんて無ければ良かったんだ!最初っから止めておけば、こんな事せずに済んだんだから!」
「ふうん?」
 レピアがどこか冷めた目で見下ろした後、すぅっとしゃがみこんでその目を覗きこむ。
「そんな言い訳をしてまで引き止めたいのはどこの誰?…あの子たちの喉を痛めてまで。歌えないって泣いていた子もいるのに」
「そ、そうですよ。何でそんな事しちゃったんですか。あんなに楽しみにしてたのに…歌えなかったら、おまじないだって効かないって言ってるんですよ」
「――おまじない?」
 きゅっと悔しげに唇を噛んでいた青年が、その言葉に思い切り動揺してがばと顔を上げた。
「そうよ。聖夜に、最後まで歌い上げた女の子には素敵な恋人が現れるの。ティアラだってちゃんと歌うのよ?」
 嬉しそうに、一片の曇りも無い目で言い、にこりと笑いかけたティアラに、しばし呆然とした顔の青年がゆっくりと下を向いて、
「……嘘、だよ。そんなの」
 まるで自分の喉が潰れてしまったかのように、擦れた声でぽつりと呟いた。

*****

 ――香辛料は、生のレッドペッパーやブラックペッパーなどの品を良くすり潰し、強い酒や酢などと混ぜたもので、声が良くなる等と言いながら配り、または練習中の彼女らに振りかけて直接、もしくは間接的に喉を痛めさせたのだった。
 被害に遭った少女たちはいずれも軽傷で、無理に声を使いさえしなければ酷くなる事は無いと言う所で留まっていたのは幸いだっただろう。本人も聖夜に歌えなければいいと言う気だけでいたようで、その話を聞いてややほっとしたようだった。
 とは言え。
「…………」
 複数の、冷ややかな視線は明らかに青年を責めており、
「…理由がなんであろうと、巻き込まれた子たちの気持ちを考えれば許せるものじゃないって、分かってる?」
 レピアの言葉が、その場の皆の気持ちを代弁していた。
「――いよいよ今夜ですね」
 青年…ミリウスが作った急ごしらえの刺激剤の入れ物をゆるやかに振りながらアイラスが呟く。
「どうする?」
「うーん。このまま放置しててもしょうがないしねえ」
 突き出される事も覚悟の上でのことだったのか、半ば目を閉じながら口を噤んでいるミリウスが、
「どうするも何も、もうそのまま突き出せばいいじゃないか。犯人は捕まったんだ、好きにすればいい」
「…あんたな」
 ラティスがすぅと目を細める。
「治す方法は無いのか?」
「さあな。どうせ暫くしたら治るんだ、放って置いていいじゃないか」
 本心からそう思っているのかどうかは分からない。…ずっと、顔を横に背けながら呟いているせいだろうか。
「あのぅ」
 その時、何か考えていたティアラが、小首を傾げつつ声を上げる。
「結局これって、魔法とかじゃなくて普通の怪我みたいなものだよね?」
「…そうね。こうした香辛料は少々高めだけど、魔力を持っているわけではない普通の品だものね」
 沙有紀がじっとアイラスの手元に視線を注ぎながら答える。
「――だったら、ティアラの魔法で治らないかな?」
 ね?と、ふんわり笑顔を浮かべながらそんな事を言うティアラに、一斉に皆の視線が注がれた。ミリウスまでもが、その言葉に何かを見出したか、ティアラを凝視する。
「…治る、のか?」
「多分ね。……そおだ」
 ぱむ、と手を叩き合わせて、何か思いついたのかにっこりと笑うティアラ。
「いい事思いついちゃった。――ね、ちょっと耳貸して♪」
「――?」
 ミリウスを放ってこしょこしょと内緒話を始めるティアラ。
「え?…でも大丈夫ですか?そんな事して」
 ティアが話の途中でちらと一瞬ミリウスに目をやった。
「こればかりは本人の意思だけど。…うーん。本気でやってくれるかな。どう?」
 突如、レピアから自分に話が振られたのだと気付いたミリウスがきょとんとした顔をするが、
「やってもらいましょうよ。だってあの人のした事なんですから、最後まで責任は持ってもらわないと」
「悪くないんじゃないですか?」
 ティアとアイラスがその後を引き継ぎ、
「どうかな。反省しているとは思えないが」
 ラティスは口を曲げて難色を示し、沙有紀は黙ったまま自分に関係無い事のように脇を向いていた。…尤も、耳は傾けていたようだったから聞き逃す事は無かっただろうが。
「ラティスもそんな事言わないで、やってもらおうよぉ」
 くいくい。
 悲しそうに眉を寄せつつ服の裾を引くティアラに困ったような表情を浮かべるラティス、それを傍目にアイラスが笑顔のままずいとミリウスに近寄り、
「という訳です。そのまま兵舎へお送りしてしまっても良いのですが、それでは完全な解決になりませんのでね。そうですね……聖者の真似事でもしていただきましょうか」
 あくまで穏やかな笑顔でさらりと言い切るアイラス。
 だが、何故か脅迫者を見るような目でミリウスがアイラスを見詰めたのは、その後に起こる何かを感じ取ったからだろうか……。

*****

「…始まりましたね」
 被害にあった少女たち1人1人の家を訪ね歩いて頭を下げ、ティアラ特製の甘い『命の水』を配ってまわったお陰で、この日を諦めていた彼女たちは、1人残らず目を輝かせながら飛び跳ねるようにぱたぱたと広場へ集まって行く。
「自分のしたこととはいえ、少しは堪えていたんじゃないですか?渋い顔をしても無駄ですよ」
「…ふん。まあ、いいさ。あいつらだっていつかは気づくんだ」
 アイラスの言うように、どことなくほっとした顔をしているミリウスがふんと鼻を鳴らして横を向いた。
「あーん、待ってティアラも行くのー」
「が、頑張りましょうね、ティアラさん」
「あ。念のためあたしも行くわ」
 全てを終えて、ステージに少女たち…その中にはティアラとティア、それにレピアも含み、無事送り出した皆がほうと息を付く。
「後は何事も無ければ良いわねえ?」
 逆に何事か起こって欲しいような響きを言外に含ませつつ沙有紀が艶のある笑みを浮かべ、吐く息の白い空を見上げる。周囲には魔法の灯りと暖を取るためのかがり火が大量に焚かれ、上から見下ろせばこの街に星空が降りて来たように見えただろう。
 そして――
 聖夜の夜を彩るのは、大小様々な声。ある者は高く、ある者は低く、年齢もばらばらで…だがそれでも、冷やかし半分に歌いだした者も含め、次第次第に真剣な表情へと変わって行く。
 見上げれば、満天の星空。ぴんと澄み切った冬の夜空は、どこまでも高く高く歌声を拾い上げて行く。
「〜〜〜♪〜〜♪」
 おまじないとして、望みを託しながら歌い上げる少女たちは、興奮でかそれとも寒さ故にか、頬を紅潮させながら、最後まで続けようと喉を張り上げる。
 それは、何とも言えず微笑ましい光景だった。
 …他の少女たちの声を巻き込んで一緒に妙な方向へ流してしまう、ティアの歌声が無ければ、もっと聞きやすかったかもしれない。

 そこに――

 ひときわ高く、滑らかな声が、心を突き通すような清冽さで広がって行く。
 声量も声質も並のレベルではない事が、素人でも分かる、それはそんな声だった。
「……」
 不承不承、縄で繋がれるようにしてラティスに服の裾を掴まれ、渋い顔で、小声で歌っていたミリウス…何故か赤地に白い裾の服を着心地悪そうに身に付けていた青年が、歌うのも忘れ、声の方向を見た。
 ステージの上で、他の少女たちに紛れるように後ろにいながらも、その声の存在感は只者では無く、次第に他の女の子たちの驚きの目に加え、小突かれるようにして前へと出て来る。
 …それは、被害にあった中の1人。飲まされる事無く身体に振り掛けられ、それで喉を痛めながらもこの歌だけは歌いたかったと言っていた少女、レナだった。
 やはり流れるような声で歌い上げるティアラと目を合わせ、少し恥ずかしげに目を伏せてから、誰かを探すように広場をぐるり見渡し。
 その歌声に導かれるように、見物に回っていた人々も、途中で歌うのに疲れ休憩を取っていた者も皆、自然と、いつもよりも滑らかな歌声が口から滑り出し。驚きつつ、または喜びつつ、クライマックスに向け山ほどの歌声が空へと昇って行った。
 ティアラの声もまた、常に無く朗々と響き渡り、ティアの歌声までもが『悪くない』と評価されたのは、彼女の歌声があったからだろうか。

 それは後に、周囲の村々にまで届いたと噂される程見事な歌声。
 わあ……っ、と歌い終えた皆から喜びに満ちたどよめきが上がったのも無理からぬ事だっただろう。
 ――ぱち、ぱちぱち。
 歌い終えた自分に、そして一緒に歌った友人に、唱和した皆に。
 歓喜の声よりも雄弁な拍手が、全ての人を、そして聖なる夜を讃えて小波のように湧き上がる。
 それは――寒さに外に出る事無く、家の窓を開け放していた留守居の人たちからも巻き起こり、
「見て、空が―――――!!!!」
 誰かの興奮した声に皆が一斉に上を向いた。

 それは、晴れ渡った一面の星空から降りてきたような、不思議な光景。
「――夜に虹が出るなんて…初めて見ましたよ」
 皆、白い息を吐きながら。
「珍しい事もあるものだ。普通は昼間の雨上がりに見えるものだが…雨?」
 ラティスがそんな事を呟いて、水や氷を操る魔女と呼ばれる沙有紀をちらと見る。その視線を静かに受け止めながらも、
「聖夜に自分の力を誇示する程無粋ではないわよ。いくらなんでも」
 冷ややかに返そうとしながらも、目線は自然と7色に輝く虹へと惹き付けられていた。
「ラティスーっ、見た?そっちからでも見えた?ねえ、虹だよ?凄いの、綺麗ねーっ」
 コンテストの結果待ちの筈が、空に浮かんだ虹に興奮したティアラがレピアと抱き合いつつ皆の元へ駆け戻って来る。その後を、人ごみを必死に縫いつつティアが追いかけて来た。
「でね、でね?レピアが言うには、あれって幸運の印なんだって!ね、そうでしょ?」
「そう言う事。滅多にあるものじゃないからね、見ることが出来ただけでも幸せになるって言われてるんだ」
 コンテストに出た可愛らしい少女たちで目の保養を楽しんでいたレピアだが、こうして嬉しそうなティアラに抱きつかれているのも満更ではないらしい。さりげなくぎゅーと抱き返したりして実に嬉しそうな笑顔を見せた。

*****

 今年の『歌姫』は、誰の目にも明らかだっただろう。
 ――孤児院で歌う傍ら、自分と同じように親と別れざるを得なかった子供たちの面倒を見ていた、という面も審査員の心をがっちりと掴んだらしく、また、広場に集まった人々にも、ステージで頑張っていた彼女たちにも否やの言葉は無く。
 戸惑いながらも嬉しそうに、ステージの上で王女自らに表彰されたレナが、感極まって目元を潤ませながら何度も何度も感謝の言葉を述べた。
「どうしたの?」
 すっかり落ち込んでしまった様子のミリウスに、レピアが声を掛ける。
 全てのイベントが終わった後、クレモナーラ村の有志が集まっての演奏が開始され、冬の寒さを吹き飛ばすためにそこら中でダンスが始まった時の事。
「辛気臭い顔してないで、踊ろうよ。…せっかくあんたの罪も何とかゼロになったって言うのにさ」
 踊りとあればと喜び勇んで中央で目も綾なダンスを披露していたレピアだったが、全てが済んで更に暗い顔になってしまったミリウスを見るに見かねたらしい。
「そうですよ?せっかくの聖夜なんですから、楽しまないと駄目じゃないですか」
 ラティスとティアラが組んで踊りの輪に入って行ったのを見ながら、ティアがこくこくと頷く。
「そんな事言われても」
 暗い視線を落とすミリウスが、ゆっくりと首を振った。
 そこへ、
「ミリウス。…踊りましょ?」
 おずおずと声がかかり、レピアが「あらっ」と言って目を輝かせる。
 今年の歌姫となったばかりの少女、レナがにこにこと笑いながらそこに立っていたからだ。
「わたしの声、聞こえた?どこで聞いてるのか分からなくて焦っちゃった」
 年よりも随分と幼い笑顔を浮かべながらそんな事を言うレナに、
「何でここにいるんだ?普通なら、もう王女と共に城に行っている筈だろ?」
 不思議――と言うよりは不審そうな声のミリウスが眉を寄せる。
「うん、そのことなんだけど。王女様が、通いでいいって仰って下さったの」
「…お城に上がるんじゃないのか?」
「ううん。あ、でも、行事で呼ばれたらそれを優先する事、って言う約束は済ませたけど。だって、あの子たち、わたしがいないと何をするか分からないんだもの」
 それにね、とレナがにこりと笑みを見せて、
「わたし、将来お店や、広場や、外で歌う人になりたいの。お城に入って特別な時のためだけに練習するのも大事な仕事だとは思うけれど、わたしには向いてないわ」
 屈託なげに言いつつ近寄るレナへ、ミリウスが困った顔をする。
「俺、その――レナだけじゃなくて、他の子にまで迷惑かけた。知ったんだろ?俺が犯人だって事」
「…うん。でもね、いいの。歌えたから、もう、いいの」
 きゅっ、とレナがミリウスの手を取り、
「ほら、踊ろうってば」
 胸にあるわだかまりも何もかも、吹き飛ばそうとするかのように大きな声で言いつつ、青年の手を引いて踊りの輪の中に入って行ってしまった。
「あーあ。残念、取られちゃった。…ティア、一緒に踊らない?手取り足取り教えてあげるよ?」
「わあ、いいんですか?本職の踊り子さんに教えてもらえるなんて嬉しいです」
 ティアがにこにこと笑みを浮かべながら、素直に頷いてもらって満面の笑みになったレピアが差し出すままに手を乗せる。
「……行かないんですか?」
 その様子を見ながら、ぽつりと呟いたのはさっさと壁の花になったアイラス…それに沙有紀。
「行ってどうなると言うの?」
 沙有紀はつまらなさそうにアイラスに答えてから横を向き、
「私を敵と見る者も多い。人ごみの中では不利ね」
 なるほど、とあっさりその主張を受けて頷くアイラス。その言葉を聞いた沙有紀がちらとアイラスを見て、
「見かけによらず、下手なフォローを入れないのね」
 意外と言う割には驚く様子も無くそんな事を言う。
「良く言われますよ」
 アイラスはそれだけ言って、誰もが楽しむ広場から目を離し、虹が消え去った後の夜空をゆっくりと眺め続けた。

*****

 さて、その後。
 レナは言葉通り、早速次の日から王宮へ通い出し、王女のために歌ったり、儀式の歌を練習したりして多忙な日々を送っている。彼女が言うには、来年にはまた新たな『歌姫』が誕生するのだろうから、それまでに出来る限り自分の歌を磨いておきたいのだと…そう言いつつも、歌う事が楽しくてたまらないと毎日幸せそうだった。
 ミリウスはもう一度、今度は誰が言い出すでも無く自分から歌姫候補たちの家々を回って頭を下げ、許しを得てからようやく元の暮らしへと戻って行った。…王宮勤めのレナをフォローしつつ、自分の師匠である薬師の元で勉強し直し、将来師匠と同じ薬の調合師になろうと決意を新たにしたらしい。
 そんな事を、街中ですれ違う時に、照れくさそうに語ったのはほんの先日の事。

 ――そして、聖夜は滞りなく過ぎ、綿花のような柔らかい雪が降り始め。
 街はようやく、新たな年を迎える事になった。


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★   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ★
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/ 19/フィズィクル・アディプト】
【1221/ティア・ナイゼラ  /女性/ 16/珊瑚姫         】
【1926/レピア・浮桜    /女性/ 23/傾国の踊り子      】
【2009/ティアラ・リリス  /女性/ 16/歌姫          】
【2046/ラティス・エルシス /女性/190/魔剣士・傭兵      】
【2434/水野 沙有紀    /女性/ 26/凍葬の魔女       】

NPC
ルディア
レナ
ミリウス

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■         ライター通信          ■
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長々とお待たせいたしました。「こいびとたちの歌う夜」をお届けします。
クリスマスと名付けては居ませんが、ソーン世界…エルザードに伝わる聖夜にまつわるお話を書かせていただきました。皆で集まり、様々な催しを行い、そして最後は歌と踊りで締める、そんな雰囲気が伝われば何よりです。
 メインはこのコンテストのため、その他の催しは割愛させていただきましたが…いつか別の時にまた書いてみたいイベントでした。
最後に、参加いただきありがとうございました。
またこうしたイベントノベルがあれば、参加させていただきたいと思っています。その時にはどうぞ宜しくお願いいたします。
間垣久実