<東京怪談ノベル(シングル)>


親父愛の約束



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「おう、オーマのアニキじゃないっすか! こんなトコで何やってんすかぁ?」
「ああ、ちょっくら親父をな」
 木陰にて。オーマ・シュヴァルツはムキムキングな体勢はそのままに愛臭(註:誤字に非ず)漂うハードボイルド調の台詞を吐きながら、その視線だけでどんなアニキもイチコロ(はぁと)と名高いその瞳で、声をかけてきた彼をちらと一瞥した。当然イチコロ(はぁと)な彼はすぐさま瞳を薄い筋肉色――この薄さは彼の筋肉が薄いからに他ならない――に輝かせながら、アニキの言葉に身を震わせた。
「親父っすか! それはそれはがんばりマッチョ!」
 彼は瞳の輝きはそのままに口調だけはパワフルチックにそう叫ぶと、両腕にぐっと力を込めて込めすぎのあまりプルプル震わせながら命からがら決めポーズを取った。それはオーマに言わせるとまったくもってマッチョが足りん! 決めポーズであったのだが。
 ちなみに「『がんばりマッチョ!』を標準語に訳すとあら不思議。なんと『がんばりましょう!』『がんばってください!』の意になるんですヨ! さあ良い筋肉のみんな、わかったかナー?」という注釈はこの書物に目を通してくださるような賢明な読者の皆様にとっては蛇足であろうか。
 と。それは一先ず置いといて。オーマは自慢の大胸筋をピクピク言わせることを彼への返事に変えたと同時に彼への威圧感とし、そのマソー魂に満ちた動きを存分に見せつけた。
 ちなみに「『マソー魂』を標準語に訳すと(中略)『マッスル魂』の意に(後略)」という注釈は(中略)蛇足であろうか。
 と。それはまたもや置いといて。オーマはそれだけに留まることなく、畳み掛けるようにこれまた自慢の上腕二頭筋をこんもり言わせることを彼への(中略)、マソー魂に満ちた膨らみを存分に見せつけた。そしてとどめは。
「ああ。ムンムンの親父愛でやってやるさ」
 愛臭を漂わせた台詞と共にアニキ殺しの視線を彼に惜しみなく放つと、彼はあまりに強力なそれにすっかり胸キュンヤバヤバ状態に陥り、フニャフニャとした足取りでその場から去っていった。



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 舎弟というより寧ろ下僕にあたる彼――何故なら奴にはムクムクに溢れんばかりのマソー魂がしおしお不足している――の後姿を見送った後、オーマはふと手元に視線をおとした。
 彼の横に無造作に置かれているのは桃色の毛糸の玉。手に握られているのは細い編み針。そしてそこから伸びているのは、さんさんたる編み目のマフラー。
 勿論彼自身のために編んでいるわけではない。オーマにはこの鍛え上げられた肉体からほとばしる絶対無敵の親父ファイヤーがある。そのむさ苦しさムンムンの熱気の前では冬の寒さなんてものは養殖もやし男の広背筋のようなものだ。つまり相手にならぬ。
 では誰のために?
 ……それは、愛しい娘のため。
 可愛い娘がドッキンコ心配な親父ズセンシティヴハートというのは古今東西変わらぬものなのだ。
 だからオーマはマフラーを編んでいる。本日の装備は以前仲間から貰った『おピンクフリル苺模様リボン付きエプロン』に、小さくアニキエムブレムが刻まれた編み針、そしてうっふん要素満載の桃色の毛糸。準備は万端であった。
 しかし。オーマの手はマッチョすぎた。いや、マッチョすぎるのは悪いことではない。親父道を極めるためには必要不可欠であるし、普通にヴァンサーとしての能力にだって関わってくる。ゆえにマッチョは決して罪ではない。罪と言う奴が罪だ。まあ、そんなことを言うようなチキン野郎はオーマのむせかえるような親父臭の直撃を食らったならスリーセカンドももたずにノックアウトすることは必死であるが。
 と。話が逸れてしまったようだ。とにかくマッチョは罪ではない、これ定説、なのだが……ただ一点のみ、困ることがあった。
 それは、裁縫。
 オーマの下僕主夫スキルは極めて高い。何せ彼のカミさんは色香ムンムンカカア天下スマイルによりオーマを一瞬にして奈落の底まで突き落とすことができるようなチャーミングな女性なのだから。そんなカミさんの桃色うっふん要素満載なご指導の賜物により、オーマの下僕主夫スキルは日々上がる一方である。
 しかし。そんなカミさんですら、オーマのマッチョすぎる手だけはどうすることもできない。そしてマッチョすぎる手は細かい作業に支障をきたす。ゆえに「オーマ、イコール裁縫が苦手」となる。オーマ的にはここだけの話「裁縫なんてモヤシ男のすることだ! ビバ・マッチョ! モヤシなんざクソ喰らえ! デストロォォォォォイ」なのだが、やはり下僕主夫道を極めるためには裁縫は必須、これもまた定説、なのだ。
 おお、何という不条理であろうか!
 しかし全てはキューティープリティースウィートスウィートスウィートドーターの為。自分の親父愛が本物(モノホン)ならばそのようなへちょい不条理など何の障害にもならない筈。そう自分の肉体に言い聞かせながら、オーマは親父愛全開上機嫌モードで「むっふふ〜ん」とおピンクな鼻歌を響かせながらマフラーを編み続けた。



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 そして編むこと数時間。ようやくうっふん桃色のマフラーが程良い長さになったので、オーマは早速それを自分の僧帽筋周辺に巻きつけてみた。首から肩にかけてのムキムキラインがすっぽり包まれる。素肌に触れる微妙にごわついた、それでいて親父愛に溢れた感触がたまらなく心地良い。オーマはそんな自分の姿を鏡に映してみたくなり、木陰から出ようと立ち上が――ろうとしたのだが、その動きは首が絞まる感触とともに中断されることとなった。
 マフラーの端が、地面に固定されている?
 オーマは喉の息苦しさを、鍛え上げられた肉体からほとばしるマソー魂で跳ね除けようとしたが、精魂込めて編んだ桃色マフラーに何かあってはショック死しかねないのでマッチョ度をセーブ、お色気をその代わりとしつつ何とか元の位置へと座りなおすことに成功した。これも普段のカリスマソー(カリスマ・マッスル)の賜物である。マフラーが緩んで首が楽になり、桃色パラダイスを通り越して紫色エマージェンシーゾーンに突入していたと思しき顔色も元に戻ったようである。まあ今のような苦しさなどカミさんの絶対零度のズキューンな視線に比べたらこれまた養殖もやし男の大腿四頭筋のようなものだ。つまりへでもねえのよ!

 さて。しかしどうしてマフラーが固定されているのか。桃色マフラーのうっふん要素に翻弄されたオーマが木陰の雑草まで編みこんでしまったのだろうか。いや違う。だとしたらそのの中にさらに若草モエモエ要素が混じっていてもおかしくない筈なのだから。
 オーマはその、地面から動かないマフラーの端を熱気溢れる親父視線でジュワァァァァァッ! と観察してみた。オーマの放つ親父臭が一気に高まる。
 エナジーオブオヤジー! おお、何ということであろうか! 
 なんとオーマの親父愛の結晶であるうっふんマフラーを地面に固定していたのは、まるでもやし男の前脛骨筋のようにしおしお頼りなさそうな一対の編み針であったのだ。
 そしてその正体は……ウォズ。強い思念を具現化せしもの。

 そう、マフラーの端は地面に固定されていたわけではなく、ウォズが具現化した編み針がマフラーの端に何かを編みつける強い力――もやし男のような編み針からは想像できないほど強力であった――によりその場に留まっていたのである。
 こんなひょろい編み針に邪魔をされたとなっては腹黒同盟総帥の名がすたる。オーマはそのマッチョな手を思う存分例の編み針に見せつけるかの如く突きつけてやると、それまで溜まっていたウップン(はぁと)を一切の手加減もせずに編み針へとぶつけだした。
「おいおいそこのもやし針! オレ様がマイハートフルスウィートドーターの為に親父愛をむさ苦しいほど込めて込め尽くして編んだ親父愛の結晶、桃色うっふんマフラーに何してやがる! 場合によっちゃただじゃおかねぇぜ? いいか? てめぇなんざオレ様のマソー魂に溢れた上腕二頭筋にかかりゃあっという間にオダブツなんだからな? そこんとこワキマッチョ得てる(わきまえている)んだろうな?」
 すると、オーマの親父愛アンド腹黒爆裂ボマーのコンビネーションプレイに圧倒されたらしきウォズ――もやし針は、ブルブル身を竦ませながらもすぐさまマフラーから針を抜き、そして一心不乱に針の先で地面に字を書き始めた。



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『母さんが、夜なべをして、てぶくろ、編んでくれた』
「夜なべだと? そりゃあまさかお色気むっふんの夜這いのことか!?」
 オーマの勘違いはもやし針に完全にスルーされた。そのもやし針は続けてまた字を書いている。
『その唄に ボクは 母の愛を 感じた』
「カカアの愛……成る程なぁ」
 オーマは彼のカミさんの、メデューサも三秒で石化させるであろうエンジェルスマイルを思い出し、自分はカリスマ下僕主夫の名を汚さぬようマソー魂で一層の精進をせねばと心に誓った。一方のもやし針は、そんなオーマの様子など全く気にする様子も見せず、淡々と字を書いている。
『そして 今日 ボクは あなたを 見て 同じだと 思った』
「同じ?」
『あなたから 感じられた 父の愛と その唄の 母の愛が 同じだと』
「そりゃあもしかして、オレ様から親父愛を感じ取ったってことか……?」
 オーマが嬉々として全身から親父臭を撒き散らしつつもやし針に尋ねると、
『そうかもしれない』
 もやし針はそう書いて一旦針を地面に置こうとしたが、また元の体勢に戻り、そして動きを止めた。
 オーマは彼がそのとき見せた『間』に何か深いものを感じ取り、彼を黙って見ていた。
 もやし男は暫くの間ためらうように黙っていたが、やがて意を決したかのようにまた字を綴りはじめた。



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『ボクには 子供が いなかった』
『いや いたんだ いたんだと 思う』
『もう 記憶も おぼろで 思い出せないが』
『ちいさな ちいさな 子供が いたんだ 幸せだった』
『でも ボクは 子供に 何もして あげられなかった』
『少しずつ 思い出してきた 気がする』
『そう 子供は 死んだ ちいさな ちいさな 子供は 死んでしまった』
『ボクは あの唄の 母さんのように 子供に 愛情を 与えたかった』
『だけど 子供は もう いない ボクの 子供は もう いない』
『それが ボクは 無念で 無念で 無念で 無念で 無念で』



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「もういい」
 もやし針の独白を、オーマが遮った。
 辛かったのだ。彼の言葉が。もうこれ以上、聞いていられなかったのだ。最愛の妻と、その間にできた愛しい娘。そんな家族に囲まれて幸せに過ごしている自分には。とても。
 オーマはそっと視線をマフラーの端におとすと、もやし針に言った。
「お前さんは、オレ様の親父愛の後押しをしてくれようとしたんだな……」
 オーマの見ている先には、マフラーの端の角部分にそれぞれ一本ずつ、編みこまれていた長い長いフリンジがあった。オーマはまだフリンジをつけるところまで進んでいなかったから、それはもやし針が編んだものなのだ。
 もやし針は少し戸惑うように動いていたが、やがて小さめの字でこう綴った。

『あなたを 手伝いたかった わけじゃない』
『ただ ボクが 成し遂げることの かなわなかった 夢を』
『かなえて ほしいと』
『それだけしか ボクの思念には なかった』
『だから その近道に なれたならと 思って』

 もやし針はそこまで書くと、地面に伏せるようにその身を置いた。
 もやし針は今、泣いている。きっと、数々の無念と数々の愛の狭間で戸惑って。
 オーマはそんなもやし針を驚くほど優しい瞳で見つめていたが、やがて笑って言った。
「ありがとよ。お前の親父愛、このオレ様が確かに受け継いだぜ?」
 もやし針がオーマを見上げるようにくるりと回る。
「お前の無念さも、お前の親父愛も、ひっくるめて全部オレ様が受け継いでやる。そしてオレ様が、お前の無念を晴らしてやるんだ。この世界の誰にも負けない親父愛で、娘を幸せにすることで……それが、お前の言った『ボクが成し遂げることのかなわなかった夢を叶える』ってことになるんじゃねえかな」
 もやし針とオーマの目が――いや、ハートが合った。
「俺は約束は絶対に破らねえ男だ。腹黒同盟総帥の名にかけてな。だから後は俺に任せて、お前はお前の新たな想いを見つけに行くといい……お前らにだって、未来はあるんだからな」
『みらい……』
 ふと、聞きなれぬ声が耳に飛び込んできて、オーマはそちらを見遣った。
 編み針を持った、透けた上半身だけの男が、宙に浮いている。
『ありがとう……さいこうの、おやじ』
 もやし針を持ったその男が、そう言うなりすうと消えていく。
「テメーの親父愛だって、モノホンだったぜ?」
 オーマは消えゆく彼に最大の賛辞を贈ることで、彼への餞別とした。



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 翌朝。オーマは娘の部屋へと向かい、ドアをマッチョ控えめにノックしていた。レディの部屋――娘のものとなると尚更である――には気を遣わなければならない。それでこそ真の親父道なのだ。
 やがて娘がドアを開けた。うむ、今日はまた一段とチャーミングだ。カミさんとはまた違う初々しいチャーミングさがたまらない。オーマはすっかりオヤジ・ザ・ファンキーモードに突入していた。
「オーマ、何か用」
 オーマがつい妄想に励んでいたところ、娘は痺れを切らしたらしく淡々とした口調でそれだけ告げてきた。このクールキューティーなところがまたたまらない。
「ああ、これをな」
 オーマはハードボイルド調にそう言うと――娘の前なので肉体を見せ付けるのは遠慮しておくことにした――、後ろ手に隠し持っていた桃色のマフラーを無言で娘の前へと差し出し、そして少し驚いた表情であとずさる娘の細い首にそっと巻いてやった。そのマフラーは屈強な肉体のオーマにも申し分ないほどのサイズを持っていたので、娘にとっては顔を覆ってしまいそうなほどに大きいようだった。
「最近寒いだろう。風邪ひかねぇようにと思ってな。ま、気に入ったら使ってやってくれや」
 オーマは顔をマフラーに埋めている娘の頭をそっと撫でると、もう一度マフラーを巻いた娘の姿を親父愛に溢れる瞳で見つめた。桃色うっふんマフラーの端は、昨日もやし針を見送った後オーマが必死になってつけたフリンジで飾られていて、その柔らかい雰囲気は娘に良く似合っていた。
 オーマはその姿を認めると、踵を返し、娘の部屋から出ていった。
 ドアが閉じられる瞬間、
「ありがとう」
 小さな小さな声で娘がそう言ったのが聞こえて、オーマは思わず親父泣きしてしまいそうになった。
「オレ様としたことが……親父ってやつは、涙もろいもんなのか……」
 オーマが感慨にふけりながら自分の部屋へと戻ろうとした、その瞬間。
 突然背中にたいした衝撃ではないが、何かがぶつけられた感覚が伝わってきた。
 振り向くと、そこには据わった目をした娘が。そしてオーマの足元には、先程渡したばかりのマフラーが。
「んー? おいどうした、スウィートドーターも反抗期かぁ? あ、もしかして照れ照れテヘッ、てか?」
 オーマが茶化すようにそう言うと、娘は絶対零度の声で「バッカじゃないの」と一蹴、そしてつかつかと自室へと戻っていき、乱暴にドアを閉めてしまった。



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「……やっぱ、ガールに漢要素入りマフラーはまずかったかぁ」
 オーマは独り言のように呟きながら、愛臭漂う視線で遠くを見つめた。ややあって、足元に投げ出されていたマフラーを拾いあげる。
 実はこのマフラー、少々特殊な形状をしている。端の片方はオーマが親父愛を限界まで注ぎ込んでつけたうっふんフリフリなフリンジなのだが、もう片方はもやし針が勝手に編みこんでいたもので、端の角部分にそれぞれ一本ずつ長い長いフリンジが伸びているという――まるで褌状態なのである。
 オーマがそこを普通のフリンジに直せば何の問題もなかったのであろうが、しかしオーマはもやし針から熱い熱い親父愛を感じ取っていた。お互いがお互いを認め合い、わかりあっていた。奴は朋友と呼ぶに相応しい男だった。
 そんな男が、思念になってなお消えぬ夢のために自らを編み針に具現化し、編みあげたもの。それを無下に排除することなどできようか。いや、できるわけがない。
 それに、奴との約束もある。「お前の親父愛は、俺が全て受け継ぐ」という、誓い。
 だからオーマは、遭えてそのままの形で、娘にこのマフラーを渡すことにしたのである。
 そう。ときに漢同士の友情は、娘という存在を上回ることすらあるものなのだ。

 その後。愛娘に徹底拒否された桃色うっふん要素満載且つ親父愛にあふれたマフラーは、オーマの冬用褌として愛用されているとかいないとか。



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2005.01.07 祥野名生