<東京怪談ノベル(シングル)>


『メイド服姿の踊り子』


 レピア・浮桜は泣いているメイドを見つけて、小首を傾げた。
「どうかしたの?」
 質問する。
 彼女はレピアの顔を見て、慌てて涙を拭う。
「あ、いえ、何でも無いの。気にしないで、レピア」
 気にしないで、と言われても、
「気にしちゃうんだけど?」
 悪戯っぽく微笑んでウインクするレピアに、彼女はくしゃくしゃに丸めた花束のような笑みを浮かべた。
 そして彼女はぽつりぽつりとどうして自分が泣いていたのかを語った。
「母が病気で倒れたの。流行り風邪で。だけど、今はメイドたちもほとんど流行り風邪で寝込んでいて、私までもメイドの仕事から離れてしまったら、エルファリア様のお世話をするメイドがいなくなってしまうの」
「それは、困ったわね」
 レピアは両腕を組んで考え込んで、そしてぱちりと手を打った。
「だったらあなたが帰って来るまであたしがメイドとなるわ。そうよ。そうしましょう」
 嬉しそうに言うレピアにメイドは涙の跡が残る顔に驚きの表情を浮かべた。
「って、だけどレピアにそんな迷惑は」
 だけどレピアは顔を横に振る。
「いつもあたしが時間を忘れて黒山羊亭で踊りまくって、そのままそこで石造になってしまう度にあなたたちがここまで運んでくれる。そうやってあたしだってあなたたちに迷惑をかけているんですもの。だからそれを少しでも返させてくれないかしら?」
 んー、でも……
 メイドは小首を傾げた。
「どうしたの?」
 レピアは目をパチパチと瞬かせる。
 メイドは上目遣いでレピアを見ながらもじもじと言った。
「だってレピア、あなたは夜しか活動できないでしょう? その貴重な時間をメイドとして過ごすのよ? いいの?」
「ええ、もちろん。でも、ちょっと考えちゃう事があるの」
「なに?」
 やっぱり動ける時間すべてをメイドとして過ごすのは無理、とかと言うのだろうか?
「あのね、あたしの性格からして、やっぱり動ける時間すべてをメイドとして過ごすのは無理、だと想うの」
 メイドはがくりと肩を落とした。
 そんな彼女にレピアは慌てて手を振る。
「違う。違う。勘違いしないで。えっと、あたしは踊りが好きなのよ。だから踊れないのは辛いし、踊りに行きたいっていう誘惑にかられちゃわないかな、って……」
 ああ、とメイドも納得した。
「それはありうるのかしら」
「ええ、ものすごい確率でね」
「やっぱりレピアには無理よ」
「そう、このままでは。でも打開策はあるわ」
 そう言ってレピアはしゅんとするメイドにウインクした。
 メイドは彼女が言っている意味がよくわからなくって、それで小首を傾げるが、レピアは構わず彼女の手を引っ張って、図書館に二人して行った。
「図書館なんかに来てどうするの?」
 そう問う彼女にレピアはにこりと微笑み、そして所蔵されている図書館の目録を調べ出した。
 そのレピアの横顔をじっとメイドは見ていたが、ふとレピアの動いていた目が止まって、横顔に嬉しそうな表情が浮かんだので、メイドもその目録を覗き込んだ。
 メイドにわかるようにレピアの細い人差し指が一冊の本の名前を指差す。
「催眠術の本?」
 不思議そうな声で本の名前を呟いて目を瞬かせる彼女にレピアは頷いた。
「ええ、催眠術の本。あたしはね、どうにも催眠術にかかりやすいの。だからそれであたしを従順なメイドにしてくれるかしら?」
 レピアは驚いたように両手で口を隠す彼女に悪戯っぽくウインクした。
「え、でも私には催眠術なんてできないわよ」
「大丈夫よ。あたしは催眠術にかかりやすいんだから」
「そういう問題なの?」
「まあ、ダメ元でやってみましょう」
 そしてメイドとレピアは部屋の明かりを消した。
 光源は窓から差し込む月の明かりだけ。
 そんな薄暗い部屋にまた新たな光源が生まれる。火を灯した蝋燭の灯り。
「では、まずはレピア。その蝋燭の灯りを見つめて」
「ん」
 そしてメイドは本に書いてある文章をゆっくりと言葉に紡ぎ、レピアに催眠術をかけていく。
 最後の一文を静かな声で威厳を持って呟くメイド。
 レピアは静かに頷き、
 メイドはふぅーっと吐息をかけて、蝋燭の灯りを消して、
 レピアは……
「あたしは従順なるメイドです」
 と、呟いた。



 +++


 父である王が他国へと赴いているために城にて彼の代わりに公務に就いていたエルファリアであったが、その父が戻ってきたので、エルファリアは晴れて自分の別荘に戻ってきた。
 レピアとは数日振りに出会うが彼女は元気だろうか?
 まずはエルファリアは別荘の一室にある石造となったレピアが飾られている場所に赴いた。
 しかしそのレピアの姿を見てエルファリアは驚いたのだ。何故ならレピアの恰好が普段の踊り子の衣装ではなくこの別荘のメイドの衣装になっていたから。
「どうしたのかしら?」
 何かの余興だろうか? 例えばふざけてメイドの服を着ていたら夜明けになってしまったとか。
 エルファリアは小首を傾げる。
 しかし今ここで考えていてもしょうがない。太陽が沈めば答えはわかるのだから。
 そうしてエルファリアは朝風呂に入って、朝食を摂った。
「ごちそうさま」
「はい、エルファリア様」
 笑顔で食器を片付けるメイドにエルファリアは気遣わしげに目を細める。
「顔色が悪いようだけど、大丈夫?」
「はい」
 メイドはこくりと頷いた。
「今は流行り風邪で半分以上のメイドが休んでいるので、ちょっと疲れているようです」
「そう。大丈夫? ちゃんと休みはとってるの?」
「はい。夜には彼女もがんばってくれますから」
 そう嬉しそうに笑うメイドにエルファリアは不思議そうに小首を傾げた。
 この時、メイドは想ってもいなかった。
 まさかエルファリアが自らレピアが言い出して、催眠術で従順なメイドになっている事を知らないなんて。
 部屋には確かにレピアに催眠術をかけたメイドからのエルファリアへの手紙があったが、しかし部屋を片付けておいて、と言われたレピアがそれを捨ててしまっていたのだ。
 そしてそのままその事に誰も気付かずに、時刻は夜を迎えた。



 +++


 窓の向こう、空は鮮やかな夕暮れ色。美しいすみれ色のグラデーションは少しずつ夜の色に塗り染められていって、夜となった。
 夜の気配は空にだけではなく、部屋にも満ち、そしてレピアの石化の呪いが解かれる。
「こんばんは、エルファリア様。あたしはメイド。メイドのレピア・浮桜です」
 驚くエルファリアにレピアは小首を傾げる。
「どういたしました、エルファリア様?」
「どういたしました? って、あなたの方こそどうしたの、レピア?」
 しかしレピアはにこにこと笑うばかり。
 そしてレピアは甲斐甲斐しく働くのだ。
 エルファリアの夕飯の準備。そしてその片付け。
「あ、あの、レピア?」
「どういたしました?」
 食器を片付けながら小首を傾げるレピアにエルファリアは小さく微笑むだけで、口を閉じた。
「さあ、エルファリア様。この食器を片付けたらお風呂に入りましょう」
「え、あ、はい」
 エルファリアはこくこくと頷いた。
 そして、エルファリアは部屋で髪を結い上げながらレピアが呼びに来るのを待ち、呼びに来たレピアと一緒にお風呂に入った。
 それはいつも通り。しかし、いつもと違っていたのはレピアもエルファリアと一緒に湯船に浸かるのに、今日はレピアは体にバスタオルを巻いて浴室の隅に控えている事だった。
 本当にレピアはどうしたのだろうか?
 エルファリアは小首を傾げた。
 そしてレピアに背中を流してもらって、しっかりと湯で体を温めたエルファリアはそのまま寝室へと行った。
 ふかふかの太陽の香りがする布団にエルファリアはひとりで入り、そしてレピアは彼女に「おやすみなさい」と言って、部屋を後にした。
 エルファリアは真っ暗な天井を見つめる。
 朝、メイド姿のレピアを見た時から胸にはざわめきがあった。
 そして夜になって出会ったレピアはその恰好のままメイドであった。
 とても従順で優秀なメイド。
 踊りはしないの? と訊いたら、彼女は自分はメイドだと小さく笑った。
 自分はメイド…
 自分はメイド…
 自分はメイド…


 もうあなたは私に踊りを見せてくれないの?


 エルファリアの目から涙が零れた。
 エルファリアが好きなのは踊り子のレピア。とても嬉しそうに踊っている彼女が好きなのだ。
 レピアだって、レピアだって、あたしは踊っていられれば幸せなんだけどね、って言ってたじゃない……
 エルファリアはぐぅっと握り締めた拳で涙を拭うと、布団から出て、レピアを探した。
 レピアはどこに居るの?
 別荘中を走り回って、そして捕まえたメイドのひとりにレピアがお風呂場のお掃除をしている事を聞きつけると、お風呂場に行った。
「エルファリア様」
 驚いたように言うレピアにエルファリアはにこりと微笑むと、踊りだした。
 そう、いつもレピアが彼女に見せてくれる踊りを、彼女が踊っているように。
 彼女はいつも踊りが大好き、という笑みを浮かべて踊っている。
 踊りを踊れている自分がとても幸せだ、という笑顔を浮かべている。
 そんな風にエルファリアは踊っている。
 いつものレピアのように自分が見えればいいと想いながら。
「エルファリア様、すごくお上手」
 しかしぱちぱちと手を叩くレピアはそんな事を言って……。
 その途端にエルファリアの瞳から涙が零れて、そしてエルファリアは幼い子どものように顔を横に振った。
「違うわ。あなたの方が上手よ」
 そしてエルファリアはレピアに踊って、とお願いした。
 レピアはふるふると顔を横に振るが、しかしエルファリアがぽろぽろと涙を流しながらお願いするから、だからレピアは踊り出した。
 最初は、レピアは戸惑っていた。
 だけど踊るうちに、胸が騒ぎ出した。
 とても心が喜んだ。
 そうだ。ずっと自分は息苦しさを感じていたのだ。
 ずっとそう感じていたレピアだったが、しかし踊り始めた瞬間に閉めきられた部屋から外に出た瞬間かのように、そんな息苦しさが払拭された。
 レピアは踊る。
 エルファリアに頼まれたからではなく、嬉しいから。楽しいから。幸せだから。
 踊り終えたレピアはいつも通りにパチパチと手を叩くエルファリアに一礼をして、そしてレピアはエルファリアに手を伸ばす。
「さっきの踊りもものすごく素敵だったけど、でもまだまだな部分があるから、あたしが教えてあげるわ、エルファリア」
 エルファリア様ではなく、エルファリア。
 それにエルファリアは涙を流しながら喜んで、そして差し出されたレピアの手を握った。
「はい、レピア」



 ― fin ―


 ++ライターより++


 こんにちは、レピア・浮桜さま。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回は催眠術でレピアさんがメイドになるお話と言う事で、催眠術にかかりやすいレピアさんも面白いですが、その催眠術から解けるきっかけがエルファリアさんの想い、というのが素敵だなーと想いました。


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼本当にありがとうございました。
 失礼します。