<東京怪談ノベル(シングル)>


呼声


 一人で生きてきた。たった一人でも、生きていけるのだと証明をしているようだった。何処に行くのも一人、どうするのも一人。それを孤独と思ったことは無い。
 ただの、一度たりとも。


 ユウ・シュトースツァーンは、ざわりと吹きぬける風に目を細めた。
(今回の依頼は、本当にくだらなかったですね)
 ユウは思い、そして黒の目を光らせる。
(ですが、金にはなりました)
 ティーアと呼ばれる種族であるユウは、黒豹の姿をしている。人型・獣型・半獣人型の三種類の形態を併せ持ち、使い分けることの出来る種族である。今は基本である獣の姿をしている。すらりとした黒の肢体は、見るものをはっと魅了するほどだ。
(意外と早く終わったのも、いいことです)
 プロの傭兵をしているユウは、その日も一つの依頼をこなして家路についていた。道行く人とすれ違うたびに、ほう、と溜息が漏れるのもユウは気にせず歩いていた。
(別に、俺が珍しいわけではないでしょうし)
 この聖獣界ソーンと呼ばれる場所は、自分のような種族であっても許容する不思議な世界であった。どうしてこの世界にやってきたか、ユウは知らない。だが確かなのは、この世界においても生きていかねばならぬという事だ。その為には働き、生計を立てねばならない。
(本当に、いい金になりました)
 こなした依頼は、隣町に行くという行商人の護衛であった。道中には何も無く、ただついて歩いているだけでいいという、なんとも簡単なものであった。しかも何もなかったため、早々に契約を終ええる事まで出来たのだ。
(分からない世界ですが、悪くはないですね)
 それが、ユウの正直な感想だった。特別良い訳でも特別悪い訳でもない。生きていけるし、こうして仕事をする事も出来る。
(別に、何て事は無いですから……)
「にゃあ」
 ユウが考えながら歩いていた、その時だった。道端から、か細い鳴き声が聞こえてきたのだ。
「なんでしょうか……?」
 ユウは呟きながら、声のした方に近付いた。すると、そこには小さくうずくまっている仔猫がいたのだ。茶とら模様のその仔猫は、ただただか細く「にゃあにゃあ」と鳴いているだけだ。ぶるぶると小さく震え、哀しそうに鳴いている。
「迷子、でしょうか?」
 ユウはそう言いながら仔猫を覗き込んだ。すると、仔猫の方も覗き込まれたのに気付き、ぱちりと目を開けてユウを見つめた。澄んだ緑色の、まっすぐな目であった。
「あなたは……」
 ふと、ユウは気付いて呟く。仔猫はただ、じっとユウを見つめながら「にゃあ」と鳴き続けている。
(俺と、同族じゃないですか……!)
 見た目は、普通の仔猫である。だが良く見てみると、自分と同じ感覚があるのだ。いわゆる、獣型だけではない形態を併せ持つ種族だ。
「……おかあしゃん……」
 ふと、仔猫は鳴きながらそう呟いた。
(ああ、そうか……呼んでいたんですね)
 ユウは納得する。この仔猫は、本当に迷子になってしまったのだ。親が何処に行ったかも分からず、自分がどうすればいいのか分からず、ただただ迎えを待ち続けているのだ。まだ幼い為に、自分が探す事も考えつかぬのだろう。母を求め、愛情を求め、自分のいるべき場所に連れてって貰える事を求めているのだ。
(自分のいるべき場所、ですか)
 母を呼びつづける仔猫を見つめ、ユウは小さく溜息をついた。自分のいるべき場所など、はっきりと自覚した事など無い。いつだって自分がいる場所というものは把握できても、いるべき場所というものは自覚した試しが無いのだ。
(生きていけばいいだけの話です。どのような場所でも、自分が生きていけるのならそれでいいじゃないですか)
 鳴き続けている仔猫。仔猫は分かっているのだ。自分がいるべき場所はここではなく、親と一緒にいるのが自分の場所なのだと。
 ユウは頭を振り、そっと仔猫に向かって口を開く。
「母親は、どうしたんですか?」
 ユウが声をかけると、仔猫はにこ、と笑って「おとうしゃん」と呟いた。
「……え?」
「おとうしゃん」
 仔猫は嬉しそうにそう言い、ユウの近くにとてとてと歩み寄る。にこにこと笑い、今にも飛びつかんばかりに。
「……俺と、お父さんは姿が似ているんですか?」
「おとうしゃん、おとうしゃん」
(絶対に、違うと思うんですけど)
 相手は茶とらの仔猫。自分は真っ黒な豹。どこがどう似て自分と血のつながりがあると思うのだろうか。
「違いますよ?」
「おとうしゃん」
「いえ、だから。俺はあなたの父親ではないんですよ?」
「おとうしゃん!」
(埒があきませんね)
 ユウは大きく溜息をつく。相手は仔猫だ。口でいくら違うといっても理解できないのかもしれない。
(作戦変更ですね)
 ユウは逃げ出そうかと思う心をぐっと抑え、再び仔猫に向き合う。
「だから、俺とあなたでは姿が全く違うでしょう?」
 ユウの言葉に、仔猫はきょとんと首を傾げる。
(少しばかり、分かってもらえ始めたようですね)
 確かな手ごたえを感じつつ、再び説明を始める。
「あなたとこんなにも姿が違うんですから、親子という事はありえないんですよ。ほら、あなたのご両親はこんなに大きくは無かったでしょう?」
 何となく、仔猫は理解できたようだった。自分の記憶と目の前にいるユウの姿を照らし合わせているのかもしれない。
 しばらくし、ようやく仔猫はこっくりと頷いた。ユウは一安心し、再び親の所在を聞こうとした瞬間に仔猫は再びにこにこと笑いながら言ったのだ。「おにいしゃん」と。
「お、お兄さん?」
「おにいしゃん」
 ユウが呆然としていると、仔猫は再び嬉しそうににこにこと笑いながら、今度は足元にすりすりと体を摺り寄せ始めた。完璧に懐かれてしまったらしい。
「おにいしゃん、おにいしゃん」
(それは否定が全く出来ないじゃないですか)
 ユウは大きな溜息をつき、擦り寄っている仔猫に顔を向ける。
「迷子、なんですよね?あなたのお母さんはどうしたんです?」
「おかあしゃん……」
「あなたの名前も教えていただかないと」
「……おかあしゃん……」
 母親の事を出した瞬間、再び仔猫の目に涙が溜まり始めた。そして再び「にゃあにゃあ」と泣き始めてしまったのだ。
(お、俺のせいですか?!)
 ユウは思わず固まり、少しだけ動揺する。先ほどまで嬉しそうに自分に懐いていた仔猫が、泣き始めてしまったから。
(ころころと表情が良く変わる……)
 そうユウが思っていると、泣いていた仔猫は再び自分にすりすりと擦り寄ってきた。目に涙が溜まったままではあったけれど。
(ああ、そうですか……)
 ようやくユウは納得する。仔猫は、寂しいのだ。どうしようもなく、寂しいと感じているのだ。だからこそいない親を指摘されると寂しさを実感して泣いてしまう。出会った自分に対して寂しさを解消してくれるのではと期待し、愛情を求めてくる。
(寂しい……)
 ユウはすりよってくる仔猫の目に溜まった涙を、そっと拭ってやった。仔猫の目が、じっとユウを見つめる。
(全く……柄じゃないんですけどね)
 ユウは苦笑し、仔猫をひょいと自らの背に乗せた。仔猫は不思議そうに首を傾げた。
「俺と一緒に来ますか?」
 ユウの言葉に、仔猫は嬉しそうに頷き、ぎゅっとユウの背にしがみ付いた。とくんとくんという仔猫の心臓の音が、ユウの背中に響く。温かな仔猫の体温が、ユウの背中から広がっていく。
(温かいですね……)
 自分とは違う命が背に確かにあることを実感しつつ、ユウは家路へとついた。背中の仔猫は嬉しそうにユウを「おにいしゃん」と呼びつづけている。
(まあ……これはこれでいいのかもしれませんね)
 ユウはそう思い、足を速めた。その時、少しだけ口元が緩んでいたが自分で気付く事は無かった。


 一人で生きてきた。たった一人でも、生きていけるのだと証明をしているようだった。
 だが、一人ではなくなった。だからといって一人で生きていけないという意味になったわけではない。ただ、帰る場所が出来ただけだ。
 ただ、それだけなのだ。

<呼声は確かに心へと響き・了>