<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


『キャンドルは何本?』

<オープニング>
「あれ〜。店長、この依頼、締め切りが明日ですよ!」
 白山羊亭の元気印のウエイトレス・ルディアは、ボードに貼られた冒険者依頼のメモを日付順に並び替えながら声を上げた。
 それは、ケーキ店『グレープ』からの依頼で、バースディ・ケーキをハデス氏の屋敷に届けるというものだった。ケーキは、妻・ペルセポネの為のもの。彼女の誕生日は明日である。
「報酬は一人に金貨一枚だって。豪勢〜!
 今、店に居る人で、やりたい人!手を挙げて!」
 ルディアはお客を煽る。ハデスは冥界の王の名だ。スティクス川・忘却の川・号泣の川を渡り、タルタロスの谷を越え、ケルベロスを手なずけて玄関のベルを鳴らす困難さも、彼女にとっては他人ごとである。

 何人かが、勢いよく、あるいはのろのろと、手を挙げた。

< 1 >
 可愛らしい白い扉を、ごつい女の手が押す。ソーンで一番ケーキの似合わなそうな女、傭兵のジル・ハウは黒眼帯の残りの瞳を鋭く店内に走らせた。
「おう」と、先客の侍が片手を挙げた。長身のジルを見下ろすほどに大きな男は、侍のラモン・ゲンスイ。ジルの良き相棒であり、密かに惚れた相手でもあった。
 彼が紋付袴なのは、冥界の王に会いに行くという礼儀からなのだろうか。律儀な男だ。
 ジルの後ろからドアを開けたのは、オーマ・シュヴァルツだ。手には白い花を握っている。職業は医者らしいが、その他にも色々と怪しげな肩書を持つ親父で、こいつもでかい男だった。
「あら、オーマも依頼を受けてくれたのね。その花は、もしかしてハデスの奥方へ?オーマったら、なんて優しいの!それに、白山羊のルディアちゃんから聞いたわ。ハデス夫妻の為になれば嬉しいからって、報酬を断ったって!うーん、男前!!」
 彼女ががしっ!とオーマを抱擁する。まるで格闘技のような光景だった。
 白のコック服を纏う『グレープ』の女店長は金髪碧眼の美中年で、背はオーマと変わらぬくらい大きい。白い服に不自然な皺が寄るほどマッチョである。楓のようなツケマツゲと、『触るな!ペンキ塗り立て』と貼り紙したいほどの赤い口紅。前言撤回。ジルで無く、この店長こそが、ソーン一ケーキの似合わぬ女だろう。
「モンブランはあるかしら?」
 近所の主婦らしき女性がドアを開け、そびえ立つ4人を見て、「・・・後で来るわ」とそのままドアを閉めた。『グレープ』は、喫茶スペースもあるが、販売が主の狭いケーキ屋であった。普段から店長一人でも邪魔なのだが、他にも3人。客が逃げるのも無理は無い。
「頼まれたケーキはコレ。大きいから気をつけてね」
 奥から店長が持ち出したケーキの入った箱は、扉をかろうじて通るかという大きさだった。
「棒を貸すから、神輿のように担ぐといいわ。ハデスさんちの地図はこれよ」
 メモを受け取ったオーマが怪訝な顔をした。ジルが覗き込むと、川と谷と目的の家だけ描いてある略図のようで、地図とは言い難い。
「ダイジョウブ、他に何も無い一本道だし。あ、裏のドアから出てね。ちょっと待って、ええと、『冥界』、『冥界』と・・・」
 店長は、小物入れから何枚ものプレートを取り出して、目当てのものを探した。覗き見たら、他のプレートには、『未来』『ネバーランド』『火星』などと書いてある。『東京怪談』というのもあった。
 店長は『冥界』プレートを見つけ出すと、ドアにぺたりと貼り付けた。
「では、皆さんよろしくね」

< 2 >
 店長の言う通り、道は一本だった。左右は切り立った崖。崖の隙間から覗く細い空は血のように紅い。苔と泥で陰影を作る岩たちは、人が悲鳴をあげる顔にも見えた。
 身長2メートルを越すオーマとラモンがケーキの輿を担ぐ。ケーキ自体はそう重いものでは無いようだ。背後を行くジルが、キャンドルやチョコプレートなどの荷物を持った。ペルセポネは女神の娘なので人間では無いだろう。いったいキャンドルは何本入っているのか。珈琲豆の布袋はかなり重く、抱えたジルの腕に網目模様を作っていた。
「奥さんって、ハデスと一年の三分の一しか暮らせないんだよなあ。寂しくないのかなあ」
 ジルは、ぎゅっと荷物を抱きしめる。自分なら、きっと寂しくて耐えられない。好きな人とはいつも一緒にいたい。
 輿の後ろを担ぐラモンは微かに笑ったようだった。ジルの言動が子供っぽかったからだろうか。
「その分、一緒に居る時に、ダブル・トリプルでラブパワー炸裂桃色ときめきルンルンすればいいわけさ。愛は、一緒にいる時間じゃ計れないモンだ」
 大人のオーマが言う。相愛で無ければ理解できぬ想い。ジルは難しい詩の朗読でもされたように、言葉が耳をすり抜けていくのを感じた。

 冥府へと渡るスティクス川には渡し守・カロンがいる。彼に銅貨を渡せば舟を出してくれるしくみだ。だから死者を葬る時に唇にコインを乗せる。
「はいはいはい、3名様乗船ですかい?こんな強そうな旦那達が揃いでやられるとは、戦争でも始まりましたかい?」
 カロンは禿げた頭をぽんぽん叩いてにやりと笑った。咬合の悪そうな出っ歯が覗く。戦争があるとカロンは大儲けできるのだ。
「残念だが、違うよ」と、ジルが唇の端を上げて微笑み返した。
「・・・なんだ、あんたら生身じゃねえか。ハデス様に届けもの?おう、それじゃ金を貰うわけにゃいかねえな」
「三途の川に仏というわけか」と、ラモンがとぼけたことを言う。皆、銅貨は用意していたのだが、カロンの心意気を受けることにした。
「ハートがマグマ・ボンバーな男だ、気に入ったぜ、一杯どうだ」
 オーマは舟に乗り込みケーキの箱を置くと、ラム酒の瓶を取り出した。
「長い道中になると思ったんでな。ケーキ屋から失敬してきた」
「おお、オーマ殿。俺は店長からこれを与った」と、ラモンがブランデーのボトルを取り出す。
「なんだよ〜。あたしは家から持参だぜ」
 ジルは地酒の陶器の入れ物を、荷物の袋から引っ張り出した。
「いやあ、酒酔い運転は・・・。同乗者も罪に・・・。そ、そうですかい?じゃあ、一口だけ!」
 というわけで、舟の上は酒盛りとなった。カロンもほろ酔いになり、3人の歌と手拍子に低く声を合わせながら、竿を操った。
 憎悪を色にしたように、河の水は闇を溶かし、ただただ黒い。小さなランプが舟の先でゆらり揺れる。光の輪も水面でたよりなげに揺れていた。
 闇など怖くは無い。
 だが、闇に慣れると何かが見えて来ることがある。闇の中でわずかに優しく光る明るいもの。それが、少し怖かった。手を伸ばしたら消えてしまう気がするから。
 オーマが船底の砂利を拾い、水に投げた。軽い水音にそちらを見ると、黒い水冠が崩れ、水面に溶けて消えていくところだった。石はどこまでも堕ちて行く。

 岸に付く頃には、どの酒瓶も半分以下に減っていた。オーマがラム酒のボトルをカロンの手に握らせた。
「ありがたい。暇で、酒を飲んで過ごせる方がよほどいい」と、カロンはボトルを頭上にかかげて再びにやりと笑う。
「じゃあ、『また今度』」とジルも笑う。自分が死して訪れるのは、天上ではなく冥府であろう。ジルはそれを疑うことはなかった。

< 3 >
 雑草一本生えぬ荒野を、大きな男達が輿を担いで行く。オーマの錦の着流しにはだけた胸には、タトゥーとケバいアクセサリーが踊る。ラモンは背筋を伸ばし、ひたすら草履を前へ進める。時々見せる穏やかな笑顔の、その口許には牙に似た犬歯が光る。その少し後ろから付いて来るのは、隻眼の白髪のジルだ。虎が竹藪で獲物を狙うようなしなやかな足取りで、地獄の土埃の道を踏みしめる。
 視界を遮る物は無く、眼前に広がる空は真紅に染まり、薄墨の雲がゆっくりと動く。荒れ野には埋まった髑髏が所々顔を出す。
 オーマが誰にともなく呟いた。
「ケーキで無く、棺桶でも運んでいるようだな」
 聞いて、ラモンは朗らかな笑い声をたてた。
「おっと、ケーキを傾げるとまずいか。・・・俺たちの外見では、そりゃあ、そう見えるだろう」
 ラモンの笑い声に、ジルもつられて左右の口角を上げた。彼は、正装なのは店長に騙されたからだと、愉快そうに又笑う。
「王、つまり『殿』にお目通りするのだから紋付袴だろうと言われてな。俺の国では、閻魔大王に失礼をすると舌を抜かれると云う伝承がある。舌を抜かれて、美味いものが食えなくなったら困る。慌てて調達したのだが・・・二人が普段着なので、騙されたと知ったわけさ」
『・・・。』
 ジルは呆れた。だが、そのボケっぷりを愛らしくも思う。オーマはにやにやと笑っていたが。

 次に行く手を阻む『忘却の川』は、丸木橋が掛かる浅い泥川だった。男共の太股程度の水深のようだが、記憶を無くすのも不便なので、綱渡りよろしく丸木を渡る。
 器用なオーマが頭上に箱を掲げて、数メートルの橋を渡り切り、次に荷物を抱えたジルが通る。ふとその澱みに目が釘付けになり、ジルは一瞬足を止めた。茶色い濁りをじっと見下ろす。
 もし足でも滑らせ、あそこへ落ちれば。落ちることができれば。
 ジルは、指でそっと眼帯に触れた。
 岸へ着いた時には全てを忘れ、あたしは産まれ変わったように生きることができるのだろうか?
「ラブリィー・レディ、渡るのが怖いなら俺が抱きかかえて渡ってやるよん。親父のマッスルボディに頼ってみるかい?」
 突然、オーマがおちゃらけて親指を立てた。
「だ、誰が怖い・・・」
 ジルが普段の剣幕で言い返そうとすると、背後のラモンが、「怖いのか?手を引いてやろうか?」などとのたまう。
 かっと目の奥が熱くなり、ジルは慌てて怒鳴り返す。オーマで無くラモンに。
「誰が怖いか!」
 そして急いで橋を駆け抜けた。降り口にいたオーマを「邪魔だ、どけ」と突き飛ばし、先へ行く。誰にも今のうろたえた表情を見られたくなかった。
・・・そう。自分には、忘れたくないことがある。忘れたくない人がいる。あんな汚れた水に、体を浸すわけにはいかない。
「おいおい〜、ケーキを持ったオーマ殿を突き飛ばしてはいかん」
 ラモンののんびりした声が、遠く後ろから聞こえていた。
 
 凍った号泣の川は、体格のいい三人は恐る恐る一人ずつ通った。通る場所もそれぞれ変える。厚い氷の下には、何かを裏切った為に氷漬けにされた死びとが埋もれていた。水面へと手を伸ばす幾万もの掌が、何も握ることができず、虚しく開いて空を切ったまま停止している。
 最後のオーマが、氷に亀裂を作りながら走って岸へ辿り着いた。 
「こりゃ、ハデスの旦那に叱られるかな」と心配するオーマに、「ワカサギ釣りができそうだ」と氷を指で叩きながらラモンが言う。
『どうよ、このボケぶり?』と、ジルはオーマに目で訴えかける。
 渡り切った場所は、一面に朱色の花が咲き乱れる野原だった。この花がアスポデロスだろう。曼珠沙華に似た、細い花びらが風に揺れている。その先、タロタロス谷の吊り橋も、風に煽られたが全員事無く渡り切った。
 丘の上に邸宅が見えた。ハデスの家はもうすぐのようだ。

< 3 >
「でかっ・・・」
 ハデスの屋敷の門で寝そべる黒いビロードの毛並み。三つの犬の頭を持つ妖獣ケルベロスだ。エルザード城一つ分はあろうかという巨大さだ。眠っていた三つの頭の一つが、人の気配を感じてピクリと動く。真ん中の一頭が目を開いた。視線が合い、武者震いとも違う震えで、ジルはただ立ち尽くす。
欠伸で開いた鋭い牙の口は、ギロチンの刃のようにジルの頭上に振り上げられた。
「ジル!」
 ラモンがジルの前に立ち、犬から庇う体制で柄に手をかけた。
「待て待て」と、オーマがラモンの肩に手を置く。
「地獄の番犬様は、行きは良い良い帰りは怖い。襲うのは帰りの者だけ、今は危害はくわえないぞ」
 ああ、そうだったと、ジルは肩の力を抜く。
「ケルベロスのことなら、あたいも知ってるよ。甘いモンが好物なんだろ。店長から、はちみつカステラを貰って来た。これでおとなしくなるそうだ」
「ソーンにいるケルベロスは、ペット用に小型化したものなのか。こんなに本物が大きいとはな」と、ラモンが犬の喉を見上げながら言った。

 黒い翼の悪魔を模ったノッカーを鳴らす。
「ご苦労様でございます。ハデス様がお待ちです」
 執事に食堂へと通された。何でも、王は最上階からジル達が来るのを見守っていたそうだ。
 長テーブルの王の席で、ティーカップが宙に浮いていた。カップが動くと、黒のマントも揺れる。軍服に似た立衿の黒の上着には、光る金具や飾りは皆無だ。まるで喪服のような服の、袖が肘辺りで折れて、その先にカップの持ち手が浮く。カップが動く付近から、「座りたまえ」という低い声が発せられた。
「ハデス・・・。“目に見えぬもの”か」
 椅子に着きながら、オーマが納得したように頷いた。
「執事、皆にもお茶を。
 これがバースディ・ケーキか。大きなサイズなので、持つのに苦労したことだろう。ありがとう」
「ハデスさんよ。お前さんのスィート・ハート様へだ」と、オーマは胸に差していた白い花を差し出した。
「おお、かたじけない。妻が帰ったら必ず渡そう」
「帰ったら?閻魔殿の女房殿は御不在なのか?」とラモンが不思議そうに眉根を寄せた。いや、だから、閻魔でなくハデスだ。いい加減覚えろ。
「妻は、母親のところに帰っているのだ。なにせ、一年の三分の二は地上の実母と暮らす約束でな」
 え?とジルは顔を起こす。
「奥さんが居ないのに、誕生日にケーキを頼んだのか?そしてそれを、わざわざあたいたちに運ばせただと?」
 ジルは怒りで立ち上がりかけたが、ラモンに腕で制された。瞳が『まあ落ち着け』と笑っている。
 王は静かな声で続ける。
「ここに居なくても、今日は愛するペルセポネの生まれた日だ。それを祝いたかった。何かおかしいか?」
「いいや。当然だろ」
 妻帯者であるオーマも、大いに頷いていた。
「・・・。」
 隣に居なくてもそのひとを想う。それは、意識するわけで無く、湧き出て抑えきれない想いだ。それならば、ジルにも理解出来る。だが、やはりそれは寂しいと思うジルだった。

「誕生日を祝う晩餐にも出席せんかね?」
 ここで判事として働くミノスやラダマンティスなども参加すると言う。だが、3人はその誘いを断った。冥界の食べ物を口にすると現世に戻れぬという噂もあったし、早く帰らないと、妻が不在で退屈していそうなハデスがずっと3人を引き止めそうだったからだ。

 ジルは、帰りの為に番犬懐柔カステラを三等分しようと、テーブルの上で四苦八苦した。ナイフで切るとボロボロと溢れて量がわけわからなくなるのだ。そして三つの皿に取り分けてみるも、どうも一頭分がジルの握り拳ほどしか無い。ケルベロスにその量で効果があるとはとても思えない。
「帰路でそんな苦労はさせまいぞ」と、ハデスがジルの苦労を見かねて言った。マントの丈が伸び、王が立ち上がった。ジル達も後に続いた。
 広い廊下に、左右に幾つもの扉が並んでいた。マントは、右から3番目の扉の前で止まった。そこには『ケーキ店・グレープ』と書かれたプレートが貼ってあった。
「もしかして、最初にお前さんがここを開けてくれさえすれば、俺たちゃ、ハート爆裂ハラハラ・アドベンチャー無しで、ここへ届けられたんじゃないのか?」
「・・・。」
 オーマの突っ込みに、ハデスは絶句した。今初めてそれに気づいたようだった。

 ラモンがノブを捻り、ケーキ屋店内へ戻って行った。ジルも続いて片足を入れる。
 冥界と云う痣のような暗さに、心惹かれぬこともない。だが、目の前の空間からは、甘いチョコレートや苺が優しく香る。そこにはラモンが居る。
 ゆっくりと、ジルは後ろ足を冥界から引き抜く。
 焦ることは無い。どうせまた世話になるのだ。
 左の瞳が、現世の馬鹿明るいケーキ店の照明の眩しさに、穏やかに細められた。こっちだって悪くない。悪いことばかりじゃない。
 光に飛んだ輪郭が、徐々にしっかりした影を結ぶ。たぶん、ラモンは笑顔だ。

< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り
2269/ラモン・ゲンスイ/男性/24/侍、鎧侍
2361/ジル・ハウ/女性/22/傭兵

NPC 
ケーキ店『グレープ』店長
カロン
ハデス

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
ライターの福娘紅子です。
ラモンさんとご一緒でしたので、少し可愛く描くよう意識してみました。
でも、女の子を可愛く描くのが苦手なので(苦手ばっかりですね・・・)。
いかがでしたでしょうか。