<東京怪談ノベル(シングル)>
【空の彼方へ】
ジュドー・リュヴァインはひとり、飽くことなく刀を振るっている。厳寒の中で闘気を研ぎ澄ましている。
空を焼くほどの刃風と刃音は精妙という言葉には遠く、ただただ剛である。彼女の斬撃を食らったものは、まさしく摩擦熱さえ感じて身悶えるに違いなかった。
周囲は彼女の心象を具現したかのような無人の荒野と曇り空。見物客といえば、たまに上空を通りすがる鳥のくらいのものである。誰にも邪魔されない鍛錬は心地よい。白い息を吐き散らし、汗をしたたらせ、金髪を舞わせ、一心不乱に斬る、斬る、斬る、斬る斬る斬る。
先日行ったあの腐れ縁との真剣勝負を回想する。辛くも勝ったとはいえ、その勝利に浮かれている場合ではない。相も変わらず侮れない相手だった。
視認すらできない指弾、宙を滑るような鮮やかな体術、変幻自在の鋼糸の攻撃。いずれもジュドーには生涯を費やそうと真似のできぬ代物。それが、さらに磨きがかかっているのだから、恐ろしい手練を知り合いに持ったものだと今さらながら思う。同時にその腕前には、同じ戦士として惚れ惚れする。
もし。もしも彼女ほどの細やかな技と動きを併せ持っていれば。私はあの時――守れたのではないだろうか。
頭を振った。あまりにもつまらない考えだ。ないものねだりなど贅肉にも劣る無駄ではないか。
歯を食いしばり、手ごろな岩を――闘気を乗せて叩き斬った。爆音がこだまし煙が上がる。欠片がジュドーの顔と体を撃った。
粉々に砕けた岩に背を向け、腰を下ろした。ゆっくりと力を抜いて、体の熱を追い出すように息を吐く。
幾度となく共に死線を越えてきた愛刀蒼破を見つめる。友、分身、いや、自身の一部といった方がいいだろう。数え切れない敵を斬り伏せたこの刃はきっと、ジュドーと同等以上に戦場を記憶している。
そう、戦場。――過去を振り返る。
強くあろうと願い、邁進した日々だった。でも結局は何もできなかった。何も守れなかった。ことごとく奪われ、蹂躙され、滅亡していった人々と国。あらゆるものが燃え尽きて、灰塵と帰した。それを目の前で見るより他なかった。力及ばなかったでは到底済まされぬ。この世でもっとも呪うべきは己の無力さだ。怒りが渦巻いて脳味噌が焼き切れるほどの絶望感はいつまでも忘れることができない。
――このソーンという地に飛ばされ、自分は死を免れた。でもいっそのこと、自分も死んだ方が楽だったのかもしれない。たったひとりだけ生き長らえたところで、いったい何の意味があるだろう。守るべきを守れず、何が武士か。救い難い恥知らずではないか。心底からそう思う。
「ああ、それで前、あいつに説教されたんだったな」
後悔とは後から悔いること。総じてそれは、露ほどの役にも立たない。そんなことも一瞬失念していた。
「――」
すべてを失った自分がすべきことは何であろうと自問する。もう幾度も繰り返してきたようにも思えるし、今日この日が初めての試みであるようにも感じる。
いずれでも瑣末な問題だ。その答えは、意外にもすんなりと心の中に入り込んできた。
「生きること、か」
生きることが償いというのではない。そもそもそんなことで償えるはずもない。
――もう少し生きてみよう。生きて強さを求める。口にするのはたやすく、為し得るのは難しいだろう。それでも生きる。理屈ではなくて、魂に刻まれている意思なのだと認識した。その意味など、今は必要ではない。
天を仰ぐ。いつしか天気は回復の兆しを見せていた。灰色の一部に切れ目が生じて、青空がかすかに覗く。
ふいに白い鳥が降りてきた。餌でも見つけたらしく、地面に嘴を突き入れている。たったそれだけの姿が無性に輝かしかった。
こんな小さな者ですら、生きているではないか。思えば、『生きる』とは何と強い言葉なのだろう。
ジュドーは立ち上がり、刀の柄を握り締める。休憩はいいかげんに終わりだ。
「私はあの雲と同じようなものか。……停滞などありえない」
だから強さに上限はない。
鳥が再び羽ばたいてゆく。間もなく見えなくなった。
さあ、私も彼方へと飛翔していこう。目指すべきは青空。遠くまで、どこまでも遠くまで。
【了】
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