<東京怪談ノベル(シングル)>


君の名は――

 ドタドタドタ。
 板張りの廊下を遠慮なく歩くのは、家主である刀伯・塵(とうはく・じん)。朝の起き抜けの顔で、大きな欠伸を繰り返している。
「ふわぁ〜、久し振りによく寝たなあ」
 しみじみと呟く科白。
 無理もない。この庵において、常に誰かが何らかの騒動を起こす。或いは、その言動に切れた塵自身が怒りに震え、結果として騒動となるのだ。
 つい先日の新年会においても、集まったメンバーがメンバーだったので、最終的にはかなりのどんちゃん騒ぎだったと‥‥塵は記憶している。思い出せば溜息しか出なくなるので、普段は頭の奥底に無理矢理封印しているが。
「さて、と。今日はなにを‥‥」
 廊下を歩く塵。
 そして、視界の端に見える存在。あえてそれを無視して通り過ぎようとした彼の耳に、ドンと響いてきた大きな物音。
 たらり、冷や汗が背筋を流れる。
 止まった足を無理矢理動かそうとするが、もはやのっぴきならないところまで『それ』は存在を主張している。
「‥‥く、やっぱりか」
 呟きは、盛大な溜息とともに。キッと鋭い目で横を向く。凝視する視線の先にあるものは――作った覚えのない怪談、もとい階段。
 塵自身は最近気付いたのだが、他の住人に聞けば「えー随分前からあったよー」「塵さんが増築したんじゃないの?」などの答えが返ってきて以来、彼はその存在を徹底して無視していたのだ。
「こ、これ以上怪物件を増やしてたまるかっ!」
 そう望んでいた塵だったが、どうやらそれは虚しい願いだったようで。
 先程の振動を聞いてしまった今となっては、もはや無視することも出来ず、ようやく塵は重い腰を上げる決意を決めた。



「お、二階が出来てるじゃん」
「部屋が増えましたね」
 無邪気に喜ぶ住人の声を背後に、塵自身はどんよりとした雰囲気を背負っていた。他の連中のようにとてもじゃないが善意の解釈は出来ず、見上げる階段がどこへ繋がっているのかが不安でしょうがなかった。
「‥‥はあああぁぁぁ〜」
 溜息をつきつつ、腰に携えた愛刀『霊虎伯』の改めて握り直す。そして肩に掛けるのは、朱房の数珠。戦闘準備は万全だ。
 何故、自宅を捜索するのにフル装備なのか。
 些か疑問が湧きつつも、何しろここは人外魔境の空間歪曲地。何が待ち受けていても不思議ではない。つうか、むしろ何かある嫌な予感がビシバシと塵に訴える。
「増築なんかしてねえこの家で、なんだって階段なんか生えやがったんだか‥‥」
 すうっと見上げる階段の先。
 そこにあるべき二階のフロアが‥‥まるで見えない遥か彼方。それだけで異常事態だというのは明らかだ。
「塵さん、新しい部屋があったら使ってもいいですか〜?」
 呑気な声が肩越しにかかる。
 瞬間。
 彼の中で何かがブチ切れた。
「――使えるモンなら使ってみやがれぇぇっ!!」
 絶叫に、住人達はキャーっと悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように四散していく。その様はどこか楽しそうで、それがよけいに塵の神経を逆撫でするのだ、が。
 なんとかその場は、それ以上癇癪を起こさずにいた。
「‥‥‥‥じゃあ、行ってくるぜ」
 一歩、階段に足をかける。
 また一歩。
 そして、もう一歩。
 ズンズンと踏み締めるように階段を上っていく。住人達が遠巻きに見守る中、塵の姿は階段の向こうへと消えていった。



 ――壁にぶつけた小さな身体をなんとか起こす。既に大人達は退出して、後に残されたのは少年のみ。
 年の頃は十二ぐらいだろうか。手にしているのは、小さな体に不釣り合いな長い木刀。小さいながらも引き締まった肉体と、全身に付いた傷を見れば、少年がどれだけ自分を鍛えようとしているのかが見て取れる。
「痛ッ‥‥」
 起き上がった拍子に、腕の傷が引きつったような痛みを生む。
 とはいえ、泣き言など言ってられない。世界に蔓延する禍々しいヤツらの恐怖に抵抗するには、まだまだこの程度の実力では歯が立たない。『最強』を目指す為に――誰よりも強くなり、一族を救うために。
 それだけを理由に、大人達から戦いの術を叩き込んでもらっているのだ。
「‥‥これぐらいで音を上げてられねえしな」
 ぼそりと呟き、少年も退出しようとした瞬間。
 思わぬ気配を察して、彼は咄嗟に身構えた。見据える先は出ようとした扉とは違う、別の入り口。その襖の向こうから感じる命の気配。
 殺気とはまた違う、なんとも奇妙な感覚。
 まさか連中が、と一瞬脳裏を過ぎるが、それにしては気配の色が違う。連中はどちらかというと赤や黒といったものだが、今襖の向こうから感じるのは‥‥大気に近い存在。
 震える手で木刀を構え、一部の隙もなく相手の出方を、少年は沈黙の中の緊張で待った。



「‥‥ゼェゼェ‥‥なんだってこんな長えんだよ」
 どれぐらい歩いたのか。
 階段を上るという坂道な分、普通に歩くには労力がいる。常人よりは体力がある塵ですら、その距離には呆れるを通り越して辟易していた。
 そうして、ようやく見えた階段の終わり。廊下も何もなく、ただ一つの襖が目の前に現れた。
「やれやれ。やっと終点か‥‥ッ!」
 襖に手をかけようとした塵だったが、咄嗟に感じた向こうの気配にバッと後退る。腰にある愛刀に手を伸ばし、冷静に身構える。
 ここに上ってくるまでは、特になんら危険はなかった。
 いや、ところどころ変に空間が歪んでいたので、思いっきりそれに引きずり込まれそうになったのだが、まあそんなものはいつものこと(?)だ。
 が、最後の最後で感じた気配。
 殺気‥‥とは少し違う。
 だが、敵意があるのは明らかだ。剣を身構えたままじりじりと襖に近付き、ゆっくりと手を掛ける。
 はたして鬼が出るか、蛇が出るか。

 ――――来る!

 勢い付けて襖をバタンと開く。
 と、同時に。
「でやぁっ!!」
 宙を飛ぶ小柄な影。振り下ろされた鋭い切っ先。
 その相手の行動に、塵は殆ど反射的に手足を動かした。ギリギリ紙一重の位置でそれをかわし、同時に腰から抜いた剣をそのまま胴払いのように振り抜く。
 が、その刃を小さな影が手にした木刀で、縦に構えるようにして受け止めた。
 ガッ、と交錯の音が響く。
「?!」
「!!」
 刹那。
 互いに視線を交わしたのはほんの一瞬。
 相手の真っ直ぐな視線が塵を見る。どこまでも澄み切った瞳。体中が傷だらけの、だがその気迫に追いつかないような小柄な肉体。見覚えがあると感じたのは何故なのか。
(――まさかっ?)
 そして、次の瞬間。
 受け止めきれなかった衝撃のまま、小さな少年の体は吹き飛ばされて壁に激突した。
「ぐっ!」
 軽い呻きを上げて地面に倒れた少年は、なんとか這い上がろうと試みるが、塵の見ている前でそのまま意識を失った。ゴクリ、と唾を飲む塵。
「‥‥‥‥う、そ‥‥だろ‥‥」
 おそるおそる倒れた少年に近付こうとする。震える手をそうっと伸ばし、その髪に触れようとした直前。
「――なんだ今の音は?」
「向こうの道場の方からだぞ」
 がやがやと聞こえてきた声。
 ハッと顔を上げる塵。耳に届いたそれは‥‥まさかと思えるような懐かしい声、に思える。そのままココにいたい衝動に駆られてしまう。
「‥‥やべぇ」
 が、すぐに気を取り直して、彼は慌てて今入ってトコから出ようとした。
 そして。
 襖を閉める直前。ふと振り向いた視線の先に映るのは、倒れている少年の姿。苦悩とも悲愴とも判別つかない程に顔を顰めてから、塵は襖を勢いよく閉めた――。



 殆ど死にものぐるいで走った。決して後ろを振り向かずに。
 まるで何かを振り払うかのように。
 そして、ようやく階段を降りきったところで、塵はどっと冷や汗をかいていた。ゼェハァと息を整えながら、彼はおそるおそる背後を振り返る。そこには、相変わらず先の見えない階段がずっと上まで伸びている。
 ぼんやりとその先を見上げながら、塵がポツリと洩らした一言は、
「‥‥あれは‥‥昔の、俺‥‥か‥‥?」
 静かに重くのしかかる。
 果たして、あれが現実だったのかどうかは分からない。或いは夢だったのかも、と思いたい。
 ただ、一つ言えるのは。
「と、とにかく、この階段は封印だ!」
 少年時代の自分。そんなものが住人達にばれたりした日には、はたして何を言われる事か。
 そんな未来を想像して、塵は別の意味で寒気を覚えた。

 階段の謎が解明されるのは、まだ当分先のこととなる――――。

【END】


●ライター通信
いつもお世話になっております。ライターの葉月です。
またしてもかなり遅くなってしまい、本当に申し訳ありませんでした。
オチをどうするか色々と吟味した結果、多少趣味が入ってしまいましたが如何だったでしょうか? 結局階段の謎はいまだ不明のまま、という事になってしまいましたが‥‥

それではまた、ご縁がありましたらよろしくお願いします。

葉月十一 拝