<東京怪談ノベル(シングル)>
「それは、昔の話‥‥」
【七つの石と風の夢異聞第五章】
白山羊亭は酒場であり、また冒険者が旅と‥‥仲間と出会う場でもある。
「じゃあルディア、また旅に出てくる。お土産を、期待してろよな!」
若い青年が指で軽くサインを切った。だが、いつもなら明るく返してくれる筈の返事が‥‥無い。
「おい、ルディア。どうしたんだ? おいってば!」
目の前でぶんぶんぶん、と振られた手が生んだ風が前髪をさらりと揺らし、呼ばれた相手は呼んだ相手を見た。
初めて声をかけられた事に気付いたようだ。
「あ‥‥ごめんなさい。ボーっとしていて。また、旅に出られるんですよね?」
「だから、そう言ってるだろ。どうしたんだよ? 一体? なんか変だぞ」
彼はそう言うと拗ねた顔で馴染みの酒場の看板娘の顔を覗き込んだ。
「な、何でもないですよ。どうか‥‥気をつけて行ってきて下さいね」
「ああ、行ってくる。‥‥ルディア‥‥」
「何です?」
バックパックを担いで扉を開ける。肩の向こうから振り返る顔。かけた声はルディアの返事を待たずに手と一緒に弾けて笑う。
「俺が戻ってくるまでに、掃除して置けよ。店も、気持ちもな!」
「!」
扉が閉じた音と同時に彼女の視線は床に落ちた。心も揺れて‥‥聞こえてくる扉の音には気付かない。
「どうして‥‥皆さん、冒険に行かれるのかしら‥‥危険で、辛くて、悲しいこともあるのに‥‥」
「それは‥‥きっと、知っているからよ。彼らが‥‥」
「! レピアさん!」
くるり、カウンターに背を向け、厨房に逃げ込みそうになったルディアの白い手をほっそりとした長い指を持つ手が掴んだ。
踊り子の握力は強い。抵抗を止め、留まったルディアにレピア・浮桜は安堵の息をついた。
「捕まえた♪ 近頃、話もしてくれないんだもの。あたしのこと、避けていたでしょ」
「‥‥避けていた‥‥わけじゃあ‥‥でも、すみません。ウエイトレスらしからぬことでしたよね‥‥」
そう言って俯いたルディアの顔は相変わらず冴えない。やはり、これは大掃除が必要なようだ。
「謝らなくていいわ。でもね、もし、悪いと思ってくれるなら。お願いがあるのよ。貴女に‥‥」
「お願い? なんですか?」
ルディアが逃げないと解った時点で、レピアは手をとうに放している。開いた右手で椅子を二つ自分のそばに引いた。
一つをルディアに勧め‥‥その後自分も腰を降ろした。
瞳と、瞳が真っ直ぐに、向き合う。
「ねえ、ルディア‥‥貴女には、貴女にしかできないことがあるの‥‥知っている?」
「えっ? 私にしか‥‥できないこと?」
「そう、とっても大事なことよ。できれば、私は貴女に気付いて欲しいの。人に言われて命令されるのではなく‥‥」
それだけ言うとレピアは、ゆっくりと語り始めた。
この話はルディアの心の滓を晴らすことにはならないだろう。だが‥‥聞いて欲しい。
自分自身も忘れていた、遠い昔の話。物語が開く‥‥。
『夜の風は優しく、夜の光は淡く、甘い。光の昼と、闇の夜。
そう言ったのは遥か昔の吟遊詩人。でも、その甘い夜を感じることが出来ない少女がいました‥‥』
街道の道筋から少し離れた所に、馬車は止まっていた。
森の木陰から伸びる長い影が今日の終わりを告げてやがて夜へと溶け始める。
横で上がるのは白い煙。火にかけられた鍋から甘い匂いは野菜の煮える香りだろうか?
冒険者の、休息の一時。
だが、悲鳴にも似た声と早足の足音がそれを切り裂いていく。
「し、しまったあ! お・遅れちゃった。ひ・姫様は?」
息を切らしながら走りこんできた女魔法使いに、エプロンの戦士はおたまで馬車を指した。
「良かった。あ、これ頼まれた買出し」
ドサッと荷物を地面に置くと、彼女は馬車に足をかけて幌の中へと身体を滑らせた。
「姫さ‥‥‥‥ま」
中には人は、誰もいなかった。そう、人は‥‥
「‥‥ねえ、そんなにレピアが憎い?」
呟く魔法使いの言葉に返事は無かった。馬車の中にあるのは生活用の荷物がいくらかと人の手足の形をした石版が4つ。
そして‥‥少女の姿をした石像が一つだけだった。
その石像はきっとどこかに飾られたら間違いなく注目を集めるであろう。まるで今にも動き出しそうな出来だった。
だが、人をきっと幸せにはしないだろう。何故なら石像は怒りを目に、手を振り上げ魔のような形相で何かを睨んでいるからだ。
美しい少女の像であるが故に‥‥悲しいまでに人の心を抉っていた。
魔法使いは毛布で少女の像を包むとそっと横たえた。静かに馬車を出た彼女を心配そうな仲間達が出迎える。
「大丈夫。彼女は寝たわ。さ、食事にしましょうか?」
精一杯の笑顔に、誰も拒絶の意志を表したりはしなかった。
「しかし‥‥レピアもだったがあのお姫さんも、つくづく災難体質だよな」
器によそったシチューをかき回すが、戦士の食は進んではいない。
「災難体質‥‥っていうのとも少し違う気がしますけどね」
ため息をついた吟遊詩人の言葉に魔法使いは少し、暗い目をした。
「そうね。彼女はまだ冒険者じゃ無いのよ、能力的にも‥‥気持ち的にも‥‥」
ここ数日魔法使いは彼女のフォローに追われていた。
村でお風呂に入れば桶を持ったまま石化する。服を脱ぎかけたポーズのままで石になった時もある。
彼女は精霊によってかけられた呪いで夜になると石になってしまうのだ。
だが、彼女はそのことを理解しようとしない。好き勝手に動き‥‥ところ構わず石化するのだ。
(「彼女はお城に戻った方がいいのかもしれない‥‥」)
言葉にならない思いをずっと、魔法使いは抱えていた。
「‥‥決めるのは、彼女だ。このまま堕ちるか‥‥それとも、変われるのか‥‥」
心を読んだような戦士の言葉を一番聞かせたい相手は魔法の眠りの中。
魔法使いと吟遊詩人は失われた仲間と、失われつつある仲間を思い食事が喉を通らなかった。
一点のシミも無いそこは純白の神殿。
「真っ白‥‥何よ、これ‥‥」
魔法使いの背に隠れるように彼女は声を上げた。
「‥‥確かに、少し怖いですね。でも、大丈夫ですよ。心強く持って下さい」
「白は自分の心を映す。迷うな!」
自分たちを庇うように前を歩いていく戦士も背後を守る吟遊詩人も、言葉どおり強い眼差しで白を見つめている。
だが、彼女にはそれができなかった。
(「自分の心を‥‥映す‥‥」)
ふと、戦士の足元に一点の黒いシミが見えた。靴についていた土が落ちたのだろうか。
(「あ、汚れてる‥‥。まるで‥‥まるで‥‥」)
心に落ちた一滴の墨。それが‥‥どんどん、どんどん広がっていく。
(『ふふふ、まるで貴女のようよね‥‥』)
頭の中に聞こえる声に抗えず、目に見える闇に逆らえない。彼女は‥‥堕ちていった。
心の闇に‥‥
『お姫さま、ありがとう。私の為に働いてくれて♪』
「あ、貴女は‥‥」
そこに立っていたのは美しい女性だった。同じ衣装を身に纏い。でもずっと、ずっと美しい‥‥。
「‥‥レピア‥‥さん」
『そう、私がレピア、私こそがレピア。偽物のお姫さま。私は帰ってきたわ。私の場所を返して頂戴』
挑むような笑顔が、伸びた指が彼女の顎に伸びる。ざわり、背中がそそけだつ‥‥。
「‥‥さ、触らないで!」
パシン!
「あっ‥‥」
思わず払ってしまった手と自分自身を嫌悪しながらも、彼女は思いを止められなかった。
(「自分の身代わりになった彼女を助けたい」)
冒険に旅立ったとき思ったその気持ちに嘘は無い。
だが‥‥温室育ちで大事に育てられてきた王女にとって物語の中とは違う現実の冒険はあまりにも過酷過ぎた。
(「私は‥‥どうしたらいいの?」)
胸の中にドロドロとこみ上げてくるものがある。必死で押えてももう止めきれない。
彼女の前で言ってはいけない。言ったら今の自分を否定してしまう言葉がある。
目の前の女性が微笑みかけてくる。近づいてくる青い髪が絡みつくように自分を捉える。
『返してもらうわ。私の全てを。そして頂くわ。貴女の全てを‥‥』
その時、彼女には見えた。
全ての欠片を取り戻しレピアが元に戻る。今まで仲間だった冒険者達が、去っていく。
城に戻った自分の代わりにそこにもレピアがいて、美しい姫と民にかしづかれている。
自分は魔王に呪われた女。純潔を奪われ汚れた娘として人々に指を指され‥‥
「いやっ! 止めて!!」
心のどこかで解っていた。それが幻影であることを。でも、こみ上げ溢れ出す思いの方が強い。そして最後の堰が切られた。
『さあ、貴女はもう必要ではないの。帰ってきた私に全てを返しなさい‥‥』
目の前の存在を彼女は突き飛ばした。それは自分が守るべきものだった筈だ。でも、そんなことはもうどうでもいい。
怒りが憎しみが、彼女の心を支配し、むき出しにした。
「イヤよ! 貴女こそ消えなさい。私の苦しみの全ては貴女のせいよ! 貴女なんていなければ良かったのに!」
キン!
甲高い音が彼女の耳に届く。何かが粉々に砕け散った音だった。それが何であったのか‥‥彼女には解っていたのだろうか。
『‥‥フフフ‥‥捕まえた。貴女の裸の心』
突き飛ばした白い肢体が黒い影となる、青い髪は闇色の蛇となって彼女に絡みつく。
「な、何? これは‥止めて! 放して!」
抵抗は全て絡めとられる。彼女を守るものは何も無い。
『‥‥もう貴女は、いや、お前は我々のもの‥‥』
恐怖、絶望、トラウマ‥‥縛りつけられた闇は彼女を逃がしてはくれない。ズルズルと彼女を引き込んでいく。
逃れられない‥‥悪夢の世界へ。
「ダメ、私は‥‥私は‥‥イヤ!!」
(「闇に囚われたくない。あの人達を‥‥傷つけたくは‥‥! 誰か、お願い、誰か助けて!」)
闇の檻に閉じ込められる瞬間、一筋の光が彼女に差した。
細い絹糸よりも細いそれを彼女は掴めたのか、掴めなかったのか、彼女は闇の泉に堕ちていった。
「しっかりしろ! しっかりするんだ。レピア!」
純白の神殿の中で、突然倒れた少女の肩を戦士は強く揺すった。
「何が起きたの? 一体?」
うなされるように時折、身体を腕の中でくねらせる仲間を抱きしめたままの魔法使いの声も届かないまま‥‥。
「どいて下さい。二人とも!」
ポロン〜♪
場違いに思える仕草で吟遊詩人は竪琴をかき鳴らした。場違いにも思える音楽が‥‥高く低く神殿に響き始める。
「これは、心への攻撃です。今、なんとか彼女に助けを‥‥」
心に語りかけるメロディ、それが吟遊詩人の魔法。もう遅いかもしれないが‥‥そんな思いを懸命に払いながら彼は音を紡いだ。
ふわり、感じる懐かしい小さな光。
(「貴女は‥‥力を貸して下さい!」)
見えない何かに助けられ、詩人は音を高めた。一気に強められた光と力に
バチン!
音を立てて何かが飛び出した。白く、だが禍々しいそれは徐々に姿を現していく。
人と良く似た姿に‥‥。
「精霊? 五人目、いえ六人目の精霊ね!」
魔法使いの言葉には答えなかったが、かきあげた髪と見下す視線がその疑問に是と答えるだろう。
『私の邪魔をして下さったのは貴方達? 人間の勇者‥‥噂どおり邪魔な者たちね‥‥』
「レピアに、何をした?」
言葉より早く抜き放った戦士の剣が人型になった精霊に襲い掛かる。
魔法の防御で攻撃を弾くと、精霊は勇者達の背後を見て、フッと笑った。
『彼女とお話をしただけよ。あの子はもう戦うのはイヤだそうよ。石版を取り戻すよりももっと楽な方法を教えてあげたわ‥‥さあ、お姫さま‥‥目覚めなさい』
むくっ‥‥。
背後で動いた気配に冒険者達は振り返った。仲間が、レピアが立ち上がる。だが‥‥その顔は白く、目は虚ろで‥‥何も見えていないようにさえ見えた。
「レピア!」
『さあ、お姫さま。貴方のお友達を殺しなさい‥‥』
「はい、ご主人様‥‥」
彼女の手にシュン! 音を立てて銀色のナイフが握られる。ゆっくりと、ゆっくりとナイフを握ったまま近づいてくる仲間に冒険者達は一歩、また一歩と後ずさった。
「しっかりするんだ! 俺達を忘れたのか?」
『無駄よ、彼女はもう私達の従順なメイドなの。命令に従うメイドになれば心はいらない。楽だからね。さあ、人間の勇者達‥‥仲間を貴方達は殺せる?』
甲高い声が勝利を確信して笑う。唇の端を噛みながら後ずさり続ける仲間の中で、一人、スックと前に影が立ったのだ。
「おい!」
「私は、信じてる。彼女は私達を殺したりしない。止めて! レピア!」
『無駄よ。彼女はもう‥‥何?』
無駄なこと、愚かなこと、精霊は勝ち誇ったように笑った筈だった。だが一瞬の後その表情は凍りついた。
「はい、ご主人様」
ナイフを捨て、膝を付いた彼女に精霊は声を失った。
『何故? ダメよ。そいつらを殺‥‥うっ!』
驚きで失われていた声は、今、二重の意味で消えうせた。驚く隙を見て戦士と吟遊詩人、それぞれの剣が精霊を貫いたのだ。
『この‥‥聖の精霊の呪縛が‥‥何‥‥故』
「俺達は、仲間で‥‥冒険者なんだ。お前達の呪縛に‥‥負けるものか!」
溶けていく体と意識の中、戦士の投げつけた言葉に精霊は薄く笑うとそうか‥‥と呟いた。
『ここは‥‥消えましょう。‥‥ですが、私が死んだとしてもお姫さまにかけられた精神支配は‥‥消えませんわ。偉大なる‥‥魔王様を倒さない‥‥限り。貴方達にそれが、できますかしら‥‥」
そういい残すとかき消すように姿も残さず、五番目の精霊は消えうせた。
同時に純白の神殿も消え去り、後には五番目、下腹部の石版と虚ろな目をしたメイドの娘が取り残されていた。
「ご命令を、ご主人様」
「レピア‥‥お姫さま!」
魔法使いは細い少女の肩を強く抱きしめた。涙がこぼれそうになる。
従順なメイドの精一杯の抵抗。それは、きっと彼女の冒険者の心なのだ
「行くぞ。皆。取り返さなければならないものが増えた」
石版を拾い、戦士は剣を鞘に戻した。
仲間達も付き従う。
「はい、ご主人様」
命令に従う従順なメイド。だが、その頬には笑顔がかすかに浮かんでいた。
「辛い‥‥話ですね」
ルディアは喉からやっとそれだけ吐き出した。本当は泣き出しそうになるほど辛い。
冒険の悲しさ、辛さ。それを思い知らされる。
自分が安全な所にいることに罪悪感さえ覚えるほどに。
でも‥‥同時に思ったことがあった。
罪悪感を感じ、表情を硬くしたら、それほど辛い冒険の後、彼らは安らぐことができるのだろうか? と‥‥。
(「レピアさんは‥‥きっと私に笑っていて欲しい、笑って皆さんを送り、迎えて欲しいって思っているんだわ。‥‥きっと」)
口で言われた言葉だけではない。冒険の真実を知って感じた、レピアから受け止めた、それは強い、強い思いだった。
まだ話は続く。最終章まであとわずか。
先がどうなるのかまだ見えない。
でも、ルディアはもう‥‥逃げようとはしなかった。
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