<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
夢の後先
気が付けば旅を始めて絡もう三月経ったある日。
運良くその前日空きのあった宿で久しぶりにゆっくりとした次の朝のことだった。
そう寝起きの良い方ではないシャナ・ルースティン(しゃな・るーすてぃん)が目を覚ましたのはもう随分と陽が高い位置まで昇ってしまった、そんな時間だった。
いつもは優しい声で起されるのがシャナの日課だったのだが、その日はいつまでたってもその優しい声が聞こえなかった。
ゆっくりと宿の寝台から起き上がったシャナの目に映ったのは、凭れ掛かるように椅子に座っている妻、ユシア・ルースティン(ゆしあ・るーすてぃん)の姿だった。
暖かな陽気に誘われたのか珍しくうたた寝しているようなユシアにシャナは近寄って彼女の肩にそっと毛布を掛けようとした時、
「……ん」
とゆっくりと目を開いた。
「おはよう」
身体を起したユシアにシャナはそう言って口を綻ばせた。
表情の変化に乏しいシャナのその表情が笑顔だと判る人間は少ない。ユシアはそのシャナの顔を見て答えるように少し微笑んで見せる。
しかし、シャナのその口元はすぐに引き締まり、怪訝な顔でユシアの顔を凝視した。
「ユシア」
名を呼ばれて小さく首を傾げるシャナの異変を感じ取って、
「大丈夫か? きつそうだが」
とユシアの額に掌を当てた。
普段よりも幾分か頬の赤みが濃く、ぼんやりとした様子のユシアの額はシャナの予想通り少し熱いように感じる。
「熱があるんじゃないか?」
そんなシャナの問いにユシアは、
「少し、頭痛がするだけですわ」
と答えた。
2人きりで当てもなく旅を続けてもう三月ほどになる。
その日暮らしのような生活に疲れも溜まっているのだろう。
「今日はゆっくり寝ていた方が良い」
幸いな事にまだ数日はこの宿に滞在する予定である。その後はまた野宿にならないとも限らない。
「大丈夫。必要品の買出しくらい俺1人でも行って来れる……だから、あんまり無理はしない方がいい」
吶々とだが何よりも真摯な表情で説き伏せられてユシアは寝台へと戻った。
濡らした手拭をユシアの額に乗せてシャナは手早く自分の身繕いを済ませる。
「何か食べたい物があるなら買って来るが……」
「……林檎が食べたいです」
控えめにそう言ったユシアに微笑み、
「わかった。買ってくる。……なるべく早く帰るから、大人しく寝ておけよ」
シャナは2、3度ユシアの頭を優しく撫で、それじゃあ行って来る―――とシャナは街へと向かった。
■■■■■
商業で栄えているこの街の市場。
石畳の道の両脇に布張りのテントがずらっと並んでいる。
常に人が行きかい呼び込みの声が途絶える事はない。
戯れるように走る子供たちの笑い声。
家々の間には日差しに掲げられたシーツがはためいている。
買い物をしながらその街中を歩いていたシャナはその活気ある風景に既視感を感じていた。
おにいちゃーん待ってぇ―――と言う幼い子供の声がゆっくりとシャナの中の時間を遡らせる。
そういえば、自分もあんな風に兄の名前を呼んでよく必死にその背中を追いかけていた。
―――昔はよく兄上と城を抜け出して街を散策したものだな
シャナが少し大きくなってからは家庭教師や侍従達の目を盗んで2人コッソリと城を抜け出しこうした市場や少し郊外にある公園などを見て周った。
見世物小屋をコッソリと覗いてみたり、原っぱで2人で寝転んでみたり……
しばらく昔の思い出にひたっていたシャナだったが、それを振り切るかのように1人ゆっくりと首を横に振る。
そしてすぐ側にあった果物を並べている店先に寄って赤く熟した林檎を手に取った。
■■■■■
シャナを見送り、パタン……と静かにドアの閉まる音を聞いたことは覚えていた。
だが、思ったより熱が高かったのかユシアはすぐにうつらうつらとしてしまっていた。
その間に色々な夢を見た。
幼い日の事、故郷の事、旅を始めた頃の事。そしてシャナと初めて出会った日の事―――
幾つもの夢を経て目を覚ますと、ユシアの枕元にシャナが居た。
「起してしまったか?」
シャナに少し支えられながら静かに上半身を起し、いいえ、とユシアは首を振り、
「おかえりなさい」
と微笑んだ。
「丁度良かった」
見ると寝台脇の棚の上には小刀と林檎の皮、おろし金が置いてある。
そして、シャナの手元の椀にはスプーンとすり下ろされた林檎が入っている。
「食べられるか?」
「はい」
「そうか」
そう言うとシャナはスプーンをユシアの口元に近づける。
「もう自分で食べられますわ……」
なんだかくすぐったくて、ユシアは少し頬を染めてそう言ったが、
「偶にはいいだろう」
と、シャナは頑として譲らなかった。
そこでユシアは諦めて頬を染めたまま小さく口を開いた。
口の中で広がる果実の甘さ。
咽喉を潤す果汁に自分が思っているよりも咽喉が渇いていたのを感じる。
「美味しい……。ありがとうございます」
微笑むユシアにシャナはただ頷く。
それが照れ隠しだという事はユシアにはすぐ判った。
「あぁ、そう言えば寝ている間に色々な夢を見ました……」
林檎を食べさせてもらいながら、ユシアは覚えている夢を一つ一つシャナに話して聞かせた。
「貴方と義兄様がどこか広い草原を走っている夢を見ました」
幼い2人が戯れるように走る姿を見たと。
もしかしたら自分が街で感じた既視感がユシアにそんな夢を見せたのかもしれないとシャナは思ったが、ただ、
「そうか」
と言うに留めた。
夢よりも思い出よりも、何よりも大切なものはまだシャナの腕の中にあるのだ。
腕の中で微笑む彼女さえ居ればこんなにも自分は満ち足りた気持ちになれるのだから。
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