<東京怪談ノベル(シングル)>


『シンデレラのお茶 〜オーマ・シュヴァルツ編〜 』

「シンデレラ・ティーポットって。以前おまえさんの孫が、黒山羊亭に持ち込んだオモチャかい。封印したって聞いたが」
 魔女の家で家具の移動を手伝ったオーマ・シュヴァルツだった。仕事が終わり、魔女に「お茶は何がいいかい?」と尋ねられ、リーフやティーセットを物色していて藍色のポットを見つけた。顔を近づけて眺め、その後大きな掌でさすってみる。蓋を取って片目で中も覗く。外見は普通の茶器である。
 だが、シンデレラ・ティーポットは、葉を蒸らした時間で年齢を変更できるマジック・アイテムだ。熱湯で5分蒸らすと5歳加齢できる。水から煎れると20分で20歳若返る。効果は、飲んだ当日の夜中0時まで。
「孫はまだ11歳なんでね。悪用すると困るので、封印したことにしてある。大人が有意義に使う分には構わんのじゃが」
 魔女は、掃除や水汲みの仕事をこなす為に、時々若返っているそうだ。
「・・・俺でも効くかね?」
 オーマ八千年の歴史。もう何年生きているのか自分でもはっきりしないオーマは、意識が存在した時には成人だった。子供時代は無いし、この先老けることも無い。
「ダメ元で飲んでみたらどうじゃい?少年気分でも味わってみたいかい?ほっほっほ」
 老婆は、オーマを見透かすように上目使いで眺めると、口許に倍の皺を作って笑った。
「水出し紅茶で30分」
 オーマは、口を尖らせ、魔女の目を見ずに答えた。経験したことの無い『少年時代』に憧れていることを、魔女に察知されたことが照れくさかったのだ。ソーンでは世間的には39歳ということにしてある。30歳若返ると9歳だ。
「孫が運動する時に着る服を貸してやろう」
 老婆は母親のように微笑んだ。孫は11歳。女の子だが、スポーツウェアならオーマ少年でも着られるだろう。

* * * * *
 天使の広場。太陽が高く感じられるのは、背が小さくなったせいだろうか。
 今まで2メートルを軽く越す長身だったせいで、たいていの人間を見下ろして歩いていた。だが、顎の線や喉の隆起、一人一人違う鼻の穴の形。下から見上げる構図もなかなか面白いものだ。
 噴水の吹き出す水はこんな高くまで上がっていたのか。道に敷かれた石畳のパーツ。踵を潰して履いた運動靴で、両足を揃えて踏んでも全部を隠すことができないなんて。
 建物の窓もドアも大きく感じられる。ふと、元いた世界とはまた違う、聳える塔のような高層ビル群がよぎる。夢で見たのか現実で見たのか。長く生き過ぎて記憶が曖昧になっている。苦しくて悲しくて、でも忘れたくない何か。自分はその街を空母の窓から見下ろしている。巨大戦艦の内部。何故自分はそれが戦艦だと知っているのか?
 わからぬままに、頭を振る。今は、子供で居ることに集中しよう。

 9歳になったオーマ。獅子に変身する直前に見せる20歳頃の姿は銀髪だが、少年のオーマは黒髪のままだった。そして胸のタトゥが、全身に出現した。長袖長ズボンを借りたが、頬や、赤いカットソーの衿から覗く首筋、手の甲までは隠すことはできない。少年時代が無かったオーマだが、何故かこの小さい自分が懐かしくいとおしく、全身のタトゥにも既視感があった。
 巨躯のオーマは9歳でも少し大柄で、借りた運動靴も踵が入らない。自分のサイズに合わせて靴を具現化しようと掌を上に向け、念じたが、できなかった。少年の姿では、具現能力は失われてしまうようだ。

 広場では、子供達が鬼ごっこをして遊んでいた。オーマは遠巻きにそれを眺める。少年達には、見たことの無い子・・・よそ者が、仲間に入れて貰いたいような、でも少しもったいぶって躊躇しているような、そんな風に見えたかもしれない。あちらも、オーマをちらちら見ながら牽制している。まあ、頬に刺青のある目付きの鋭い少年が、リボンをしたウサギの絵の赤い服を着て立っていたら、たいていの者は怪しいと思うだろう。
「ちょっと待ってろ」
 皆に言い含め、リーダー格らしい一番大きな子供がオーマに近づいて来た。
「入りたいなら入れてやるけど、おまえ、どこの子だ」
 ちょっと考えて、「その先の家の、魔女のばあさんところに遊びに来たんだ」と、嘘では無い曖昧なところを答えておく。
「ああ、あそこか」「あのばあさんか」と、子供たちに笑顔が覗く。受け入れ体制はOKのようだ。ソーンは色々な民族が暮らしている。顔の刺青など、ここの子供達は気にしない。
 リーダーが「色鬼やってんだ。今は『黒』。今の鬼は、あの眼鏡のヤツ」と、参入を許可する。オーマは入れて欲しいとは一言も言っていないのだが。だが、せっかく子供になったのだし、『鬼ごっこ』をやらずして何の為の子供だ。と、中身はマッスル親父であるオーマは頷いて、鬼がいるのと反対方向へと走り出した。『黒い色のモノ』を求めて。
「おうっし。色鬼なんぞ、色者の俺にはピッタリのゲームだぜ。普段地獄の番犬様から逃げ回っている、グレイトなエスケイプ魂を見せてやる。鬼でもオウガでも妖獣でもエブリバディ、何でも来やがれ」

 建物の壁、門の色、ランプを吊るす街灯の柱。街には黒っぽい色はたくさんあるが、厳密な『黒』は結構少ない。鬼は、指定の色に触れている間は捕まえることはできない。みんな、安全地帯を探して走りまわる。オーマは八分の力で走りつつ、視線をせわしなく動かして目当てのものを探す。
「お、あいつの髪、黒じゃねえか!」
 リーダーの黒髪に気づき、向かいから走って来る少年の髪を掴もうと手を伸ばす。と同時に、向こうも止まってオーマの髪を掴んだ。そういえばオーマも黒髪だった。
「それ、一族のアカシかなんか?」
 気軽に刺青のことを尋ねて来る。彼にしてみれば、珍しくて、そして少し羨ましいのかもしれない。
「まあな。詳しいことは俺も知らん。気づいたらコレだし」
 これも嘘では無い。
「おまえの喋り方、変わってるな。それも一族のルールか?」
 うーむ。
 返事に窮していると、鬼が追いついて、髪を握り合う二人の前で、テンカウントを数え始めた。10を数え終わったら、その安全地帯の効果は消滅する。次の安全地帯へと移動せねばならない。
「7、8、9・・・」
「おっと!」
 リーダーが、オーマの頬にタッチした。頬のタトゥが黒だ。
「おお、そうか」と、オーマも、リーダーの髪から、自分の手の甲へと片手を移動させる。
「そんなのズルいよ〜」と鬼が文句を言い、「だったら、もう色を変えるよ〜」とむくれた。
「次は・・・次は、ピンク!」
 他の少年達も、新たな安全地帯を求めて、わっと走り出した。

 広場を走り回り、商店の前の小さな庭にピンクの花が咲く花壇を見つけた。花びらを散らさぬよう、静かに花に指を触れる。ふと脳裏を、別の花の記憶が過った。白いルベリア。齢数百年と思われる、神のように腕を広げた巨樹、その下の質素な墓に添えられた一輪。よく夢に見る無人の空中庭園。オーマは目を細める。あれは、だれの墓なのか。
「タッチ!」
 眼鏡の少年が、オーマの背に触れた。
「あん?俺はピンクの花に触れてるぜ」
「それはピンクじゃないよ。紫だよ!」鬼も強固に言い張る。
「むらさきー?おいおい、これのどこが紫だよ。どの方向から見ても、むんむん桃色のラブパワー満載カラーじゃねえか」
「じゃ、多数決だよ。・・・ねえねえ、みんなーー!」
 そこで、せっかく安全地帯を見つけていた子供達は、ぞろぞろ集まることになる。
 多数決で、オーマの抗議は却下。花の色などどうでもよくて、単に、新しい仲間に鬼をやらせてみたいという、子供達の好奇心だ。『コイツ、どれぐらい早いんだろう?』、『どんな鬼のやり方だろう?』という、興味だ。
「おうっし。じゃあ行くぞ。『どどめ色』でどうだー!」
「えー?」
 どんな色かわからないまま、とにかく走り出す子供達。とまどって顔を見合わす者達もいる。
「早く行かないと、捕まえるぞー!今から予告しておくが、次は『おうど色』だぞー!」

 夕焼けが広場を赤く染め、石畳に子供達の影を長く細く映し出す。夕飯の匂いに誘われ、一人また一人、みんな家へと帰って行く。
 一人に戻り、オーマは『さて』と顎を擦る。子供姿のまま帰宅すると、家族にどんな玩具にされるかわからない。女性陣に下着まで剥かれ、体をチェックされたりしたらたまらん(やりかねない)。妻や娘に「かーわい〜。小海老みたい〜」などと言われたら立場が無くなる(言いかねない)。
「0時まで、魔女のばあさんの所に居させてもらうか。肩叩きでもしてやろう」
 オーマは、元来た方向へ歩き出した。
 少年はたぶん幾度も考えるのだろう。どんな大人になるのだろうか。自分はどう生きるべきか。自分は何なのか。そんな時間を積み重ねながら、少年は大人になっていく。
『自分は何なのか』
 何千年生きて来ても、オーマにも確かなことはわからない。
 ただ、自分は自分で。それでしかない。
 長身の影が大人に似た姿を映し出していたが、ズボンの裾から覗く少年の足首はしなやかに動き、運動靴が石畳を踏みしめて行った。

< END >