<東京怪談ノベル(シングル)>


春告げる鳥はまだ遠く


 天使の広場の薬草店の客層は、季節を反映して変化する。
 本日の店内をざっと見回すと。
 遠出前の準備に余念のない旅人や冒険者の姿あり、少し温かくなったと油断して風邪をひいた者が薬を求める姿あり、特製の薬草茶で身体を温めに来た者がテーブルで目を細める姿もあり。
 風はまだ冷たいけれど、日差しの色は春の近さを感じさせる、今はそんな季節。
 あれやこれやと申し付けてくる客たちを店長と店員が捌き切ったのは、ちょうど太陽が天の真中にさしかかろうとする頃のことだった。
「やれやれ。午前中はこんなもんかぁ?」
 医者にしてヴァンサー、かつ、この薬草店のアルバイト店員、オーマ・シュヴァルツは、やれやれとばかりに息を吐いた。
 昼時でちょうど客が引いた店内には、今は店長と彼の二人だけ。かといってヒマになったのかというとそうではなく、午前中に出きってしまった汎用の薬品を調合しておく必要があるし、午後からは薬草茶を所望する客がどっと増えることが予想される。休息できる時間など、短いものなのだった。
 おかげで、昼食はパンに具材を挟んだ、片手で食べられるような簡単メニューということになってしまうことが多い。今日は塩漬け肉と萵苣(ちしゃ)の葉を挟んだやつだ。客が居ないのをいいことに、店内のテーブルにどっかりと居座り、大口を開けてそれを齧りながら、オーマは午後からの仕事を指折り数えている。
「風邪薬だろ。あと、傷用の軟膏と……」
「それから、そろそろ“あれ”も調剤しておかないといけませんね」
 カウンターの向こうから店長の声がした。一足先に休憩を取っていた彼は、早々と昼食を終えて、午後の分の薬草の用意にかかっている。
「“あれ”? …………」
 壁に貼られた暦をちらと見て、おお、とオーマは呟いた。
「確かに、季節だな、そろそろ」
 最後に残ったパンの尻尾を口の中に放り込んで、オーマが立ち上がった、その時だ。
 表から、高らかなさえずりが聞こえた。
 清んだ、愛らしい響きのあるその声は、秋から冬にかけては高地に棲む小鳥のもの。
「おや。春告げ鳥が、もう山から降りて来ましたか?」
 店長が、調剤用の天秤に薬種を乗せる手を止める。
「いやいやいや、いくら何でも早すぎだぜ」
 オーマが立ち上がって扉に向かう間にも、外からは可憐なさえずりがもう一声。
 どうやら、店の出入り口の軒先で鳴いている。扉を開けて、オーマは上を見上げた。
 店の看板の上に、ちょこんと、小鳥が止まっている。その姿に、オーマは目を瞬いた。
「何だぁこりゃあ」
 陽光を弾く羽根は絹金糸の細工、目に輝くのは黒い宝石。比喩ではなく、本当にそうなのだ。
 オーマの耳が、その金色の体から、かすかな螺子と歯車の音を耳に捉えた。 
「自動人形……。こりゃまた、アホらしいくらい良く出来てやがるぜ」
 どこの金持ちがどういう道楽で作ったのか知らないが、呆れんばかりの精巧さだ。金細工の嘴が開き、ピィチチチ、とさえずりが迸る。首を傾げ、細い脚で小さく跳ねる姿は小鳥そのもの。
 無機物に命を吹き込もうとした、不気味なまでの職人の情熱がそこにあった。命在りしものの具現を禁忌として知るオーマの身からすれば、人の欲望の深さを感じさせられてしまうほど。
「すみません! それ! それを、捕まえてください!!」
 広場の向こうから、悲鳴のような声が聞こえてきた。
 見れば、小間使いのエプロンをつけた少女が、息を切らしてかけてくるところ。手には、金色の鳥篭を下げている。
 長身のオーマは、手を伸ばして軽々と小鳥を捕まえた。
「ほらよ、嬢ちゃん。もう逃がすんじゃねぇぜ」
「ありがとうございます!」
 よほど長い間、走って追いかけていたのか、頬を真っ赤に紅潮させた少女は、目に涙を溜めながらオーマに頭を下げた。
「よかった……! お掃除の途中で籠を倒してしまって。もう少しで旦那様にお暇を頂いてしまうところでした」
 金の小鳥と同じ職人の手によるものだと見て取れる、優美なデザインの籠の中に放たれて、小鳥は何事もなかったようにとまり木にとまった。
 何度も何度も振り返って礼をする小間使いの少女を見送って、店の中に戻ると、顛末を見ていた店長が苦笑している。
「今年は春が特別早いのかと思いましたよ。ちょっと、残念でしたね」
「まあな。……っと、午後一番の客が来たぜ」
 オーマがカウンターに着いたのと同時に、哀れな姿の若い男が入ってきた。
「ずびばぜん、こどじもぎばぢだ」
 ハンカチで鼻と口を覆いながらのセリフは、可哀相なくらいの鼻声だ(念のため翻訳すると、すみません今年も来ました、と言っている)。
 目は充血して真っ赤。滝のような涙と鼻水。この彼は、去年も同じ症状でこの店を訪れている。
「……おい。今年の第一号だぜ」
 店長と顔を見合わせ、オーマはにやりと、ちょっぴり人の悪そうな顔で笑った。
「いいタイミングでしたね。右の棚に入ってますよ」
 さっき言っていた“あれ”。調剤で手の離せない店長にかわって、オーマはその薬を棚から出すと、適量を紙袋に入れて、男の前に差し出してやる。
「食後に毎回、煎じて一服だ。忘れんなよ」
 クシャミを連発しながら勘定を済まし、鼻をすすりながら店を出てゆく客を、お大事にと見送って、オーマは一息吐いた。
 この店で処方される、花粉症軽減の薬湯はよく効くので有名だ。
「毎年、あの薬が出るようになると、春が来るんだよなあ」
 他人様の症状で季節を実感するという、少々医者としてあるまじき発言を咎めるでもなく、店長も頷いた。
「ですねえ。もうすぐ、温かくなりますよ」
 そして今日から、目を真っ赤にして滝のような涙と鼻水に苦しめられる客達がわんさかやってくる日々が訪れるのだ。
 それもまた春の風物詩。
 開け放たれた入り口の扉の向こう、広場に降り注ぐ午後の日差しは、気のせいか午前中よりも一層暖かな色をしているような気がした。


                                 END
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<ライターより>
 はじめまして。担当させていただきました、階アトリです。
 完全お任せということで……季節ネタなどを、と思い、書かせていただきました。
 薬草店のアルバイト、という設定が楽しそうだったので、使わせていただきました。ソーンに花粉症があるかどうかは不明なのですが。……すみません。
 また、所有されている作品をいくつか拝見してから書き始めたのですが、PC様のイメージにそぐわない部分などありましたら申し訳ありません。
 
 楽しんでいただけましたら幸いです。ありがとうございました!
 またの機会がありましたら、よろしくおねがいします。