<バレンタイン・恋人達の物語2005>


『小さな小さな恋の物語』

「なんぢゃ? 先ほどから誰かの泣き声が聞こえるのぢゃが…」
 それはとても哀しい誰かの声を押し殺して泣く…まるで悲鳴のような哀しい声でした。
 あやかし荘に住む座敷わらし嬉璃はそっと押入れの襖を開けました。しかしそこには誰も居ません。
 眉根を寄せる嬉璃。確かに声が聞こえるのに。
 いや、待て。声は……
「恵美の雛人形が閉まってある箱から聞こえているのぢゃな?」
 そう想い、嬉璃がえっちらほっちらと箱を開けると、さらに泣き声が大きくなり、そして大きな箱から、泣いている人形がしまわれている小さな箱を取り出しました。
「泣いておるのは誰ぢゃ?」
 箱を開けて人形を取り出すと、それは女雛でした。
 女雛はしくしく泣いています。とてもとても哀しそうに。
「おんし、何で泣いておるのぢゃ? わしに話してみろ。ひょっとしたらわしがおんしの力になってやれるかもしれん」
 女雛は着物の袖で涙を拭いつつ、しゃくり声で説明し出しました。
「じ、実は男雛様が三人官女のひとり、三宝を持つ娘と駆け落ちをしてしまったのです」
「な、なんと……」
 嬉璃はちょっと…いや、だいぶショックを受けた。
「お、おのれ、これぢゃから男という奴は…」
 だんだんと地団駄を踏むように畳を踏みつける嬉璃。この瞬間に、またあやかし荘における女尊男卑が強まったのです。きっと今頃あやかし荘に住む男性陣は身震いしたでしょう。まあ、それは今は関係ありません。
 嬉璃は哀れむように泣いている女雛を見つめました。
「もう直に今年も恵美様に飾ってもらえるというのに、なのにこのような事になるなんて。わたくしはとても口惜しくって口惜しくって」
「うむうむ。ならばおんしも新たな男を見つけてはどうぢゃ?」
「え?」
「おんしほどの美貌の持ち主ならば男などいちころぢゃろうて」
「そ、そんな」
 先ほどまで泣いていた女雛は恥ずかしそうに顔を両手で覆いました。
「どうぢゃ、同じ雛人形の中で男雛以外に気になる男はおらんのか? 例えば左大臣などはどうぢゃ?」
「い、いえ、殿方は若い方が……すみません」
「お、おんし…」
 実は結構乗り気かもしれない女雛に嬉璃はほんの少し呆れたが、こほんと咳をすると右手の人差し指の先を女雛の顔に突きつけた。
「ならば右大臣ぢゃな」
「はい」
「偶然にも近々バレンタイン、などというイベントもある。その日に右大臣に告白ぢゃ」
「はい。あの、でも嬉璃さま」
「なんぢゃ?」
「わたくしはばついち。右大臣に相手をしてもらえますでしょうか?」
 しゅんとする女雛に嬉璃は憐れむような表情をしたが、しかしそれもほんの一瞬。次の瞬間に嬉璃はどんと胸を叩いて、請け負ってみせました。
「わしに任せておけ。おんしのために右大臣への最高のバレンタインプレゼントを用意してやるのぢゃ!!!」
 そして嬉璃は時空をも飛び越える翼を持つ鳩の足に事の詳細を書いた手紙を付けて、飛ばしたのでした。


 というわけで、女雛のためにおんしらの考える最高のプレゼントを用意して欲しいのぢゃ。おんしらの作ったプレゼントとか、珍しい秘宝とか。それと女雛へのメッセージも付けてやってくれなのぢゃ。


 嬉璃



 ――――――――――――――――――
【1】


 さぁーっと風が小さな鈴のような形をした花の園を吹きぬけた。
 刻は、夜。
 まるで深海かのような深い藍色の空を飾るのはやはり深海に降る雪、マリンスノーを想わせるような幾億もの星々。
 その星の真ん中にあるのはそっと指で触れれば切れてしまうかのような鋭い下弦の月。
 冬の冷たく澄んだ空気の清浄さをまるでその下弦の月の美しさが代弁しているようだった。
 きっとこんな静かで美しい夜は世界は幸せなのだと想う。
 誰も泣いている者はおらず、誰か愛おしい者を想いながら温かな温もりに包まれて寝ているのだろう、とオーマ・シュヴァルツは想った。
 ではそう想うオーマはと言えば?
 絶大なる力と揺るがぬ信念の化身、翼在りし銀の獅子は風を起こしながら翼を羽ばたかせ、世界を駆けていたが、成層圏に近い場所から眼下の世界にその白き可憐な花々が咲く園を見つけると、わずかに両目を細め、一声、雄叫びをあげ、その花の園に舞い降りた。
 百花繚乱。
 幾億もの、幾億もの、幾億もの…数の概念を超えた花びらが巻き起こった風に虚空を激しく踊る。
 まるで銀の獅子の降臨に喜ぶように。
 そして無限の花びら舞う夢幻の光景、銀の獅子を出迎える花びらの舞いが収まった時、スズランにも似た花が咲き乱れるそこに立っていたのは精悍な黒髪の男だった。それがオーマ・シュヴァルツ。では、あの巨大な翼在りし銀の獅子は?
「参ったね、こりゃあ」
 風に揺れる黒髪を無造作に掻きあげながらオーマは赤い瞳を柔らかに細め、笑った。その顔はとても懐かしそうで、柔らかな…そうまるで数十年ぶりにばったりと道で大切な友人と出会った時かのようなそんな表情。
 オーマの瞳は確かに静かな風に揺れる花々に向けられているが、でもきっと彼が見ているのはもっと別な…そう、遠い遠い場所、
 ―――大切で愛おしい想い出。
 鈴のような形をした花々は風に揺れて、音色を奏でる。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 音色は運ぶ。オーマを遠い記憶の世界へと。



 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 ―――風に揺れる花々が静かな音色を世界に奏でていた。
 その美しき音色はさしもの【ウォズ】ですらも純粋無垢な気持ちにさせるのであろうか、そこに【ウォズ】が現れる事は無く、人々は癒しと休息を求めて、その花園を訪れていた。
 【ウォズ】に苦しむ人々達にとって数少ない幸せを約束された場所。
 天使の音色の丘。それがそこの呼び名。
 そこにオーマの姿もあった。
「何だよ、こんな場所に呼び出して?」
 止まぬ風に好きなように赤い髪を虚空に躍らせている彼女の背にオーマはちょっとぶっきらぼうな声をかけた。
 国際防衛特務機関ヴァンサーソサエティ所属ヴァンサーのオーマ・シュヴァルツと言えば実力も人柄も皆に認められる特級のヴァンサーであるが、同時に女たらしとしても有名であった。どんな女にもちょっかいをかけるし、女性ならばオーマの半径1メートル以内に近寄っただけで妊娠するとか何とか……
 ――そんな噂が立つほどに。
 しかそのオーマですらも仔猫のように扱う女性がいた。情熱的で真っ赤な髪と色香漂う容姿、何よりもオーマと肩を並べるほどに常に男勝りで勝気且つ大胆豪快破滅的な性格、そうかと想えば包み込むような強い母性を持つ有能な女ヴァンサー。その信頼度はともすればオーマをも超えているかもしれなかった。
「ようやく来た。どうせどこかでナンパでもして寄り道をしていたんでしょう?」
 オーマの声に後ろを振り返り、顔にかかる髪を無造作に掻きあげる彼女。まるでどのように甘えれば自分の毛をそっと主が撫でてくれるかちゃーんと理解している小生意気そうな仔猫のような表情で彼女は笑った。
「ようやくって、俺様はちゃんと指定された時間に来てるぜ?」
「あら、そう?」そう言いながら彼女は時間を確認し、「本当だ」と両目を細めて悪戯っぽく舌を出した。
 オーマは「ほれ、見やがれ」と不服そうな顔をするが、しかしやっぱりどうにも他の女性にするように彼女には強くは出られない。
「ん? どうしたのオーマ。随分と大人しいじゃない。半径1メートル以内に入った女性を妊娠させる女たらしのオーマ・シュヴァルツが。まさか照れてるとか? あたしに」
「そんな事はねーよ」
 ふい、っとそっぽを向く。
 ――クソ。なんか知らねーが、今日はやけにかわいいじゃねーか!!!
「で、何だ、用件って」
「ええ。実はね、異界カイオロスで活動している【ウォズ】討伐隊に志願したわ」
 オーマは口をわずかに開けた。
「おまえ、それは危険度SS級の任務じゃねーか」
「そうね。生きて帰れる確率は10パーセント未満かしら? だからこそ、志願したのだけど。むざむざ仲間を殺させるのが我慢できなくってね」
 小首を傾げ、さらりと額の上で揺れた髪を右手の人差し指で掻き上げながら彼女は肩を竦めた。まるで他人事のように。
 それを見たオーマはもちろん、ぎゅっと拳を握り締めた。その彼の怒気に世界が震えたかのように強い風が吹き、一斉に花々が花びらを散らした。
 だがそれは哀れむべき光景では無く、心憧れるような息も出来ないほどの美しく心欲するとても幻想的な世界。
 舞い飛ぶ幾億もの花びらに包まれながらオーマと彼女は見つめあった。
 そして彼女はオーマの右の手首を掴んで、ひらりとオーマの巨体を宙に舞わせる。
 花の園の上に落ちたオーマの体の上に彼女はしなやかな曲線を描く身体を重ねた。
「俺は女を押し倒すのは好きだが、女に押し倒されるのは趣味じゃねー」
「だったら今度はあなたがあたしを押し倒してみなさいな。ちゃんとあたしが次の任務から生きて帰ってこれたら」
 オーマは真っ直ぐに自分の顔の直ぐ上にある飛びっきりの魅力溢れた悪戯っぽい表情が浮んだ彼女の美貌を見つめた。
 そして何かを言おうと口を開けようとして、だけど彼女の右手の人差し指がオーマの唇に当てられる。
「だからね、オーマ。任務に出る前にあなたにこれを渡しておきたかったの」
 そう言って彼女はルナリアの花をオーマへと渡した。
「おま、これはルナリアの花。え?」
 ぽかーんとした表情をするオーマ。彼女の方も赤い髪に縁取られた美貌を紅潮させながら目を逸らす。
「あたしは前からちゃんと意思表示をしていたわ。どっかの誰かさんはナンパで忙しそうで気付いてる暇は無さそうだったけどね」
「え、いや、あ………すまねー」
「バカ」
 風に揺れる彼女の髪がオーマの頬に触れて、くすぐったい。
 そんなオーマの気持ちがわかっているみたいに彼女は女性特有の深い母性を感じさせる笑みを浮かべながらオーマの頬にそっと手を触れさせて、そして彼の唇に自分の唇を重ねた。
 柔らかな彼女の唇の感触と、伝わる温もりにオーマは目を見開いた。
 そして見開いた瞳の端から一滴の涙を零した。
 彼女は唇を離し、オーマの広い胸に顔を埋める。
「帰ってくるから、あたしは必ず次の任務から生きて帰ってくるから、だからその時はあなたの答えを聞かせてちょうだい、オーマ」
 それで彼女はいつものオーマが見慣れた快活な笑みを風に踊る赤い髪を掻きあげながら浮かべ、立ち上がり、颯爽とその場を立ち去っていった。
 一度もオーマを振り返る事無く、凛とした後ろ姿だけをオーマに見せて。
 ただひとり風に揺れる花々の園に残されたオーマは額を覆う前髪をくしゃっと掻きあげる。思春期の少年のように真っ赤な顔で。
 もう片方の手に大切そうに握られたルナリアの花は彼女の想いをとても愛おしげ秘めて、風に揺れていた。
 ただ優しく周りの花々は風に揺れて優しい音色を奏でて――
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン―――


 幾億もの花びらが舞う世界にまるで図ったように何かが空より舞い降りてきた。
 想い出の世界に馳せていた意識を外界に向けて、オーマはその何かに両目を細めた。
「あいつは、鳩?」
 左腕を差し出すと人馴れしたその鳩はオーマの左腕にとまった。
 オーマを真っ直ぐに見つめる鳩の足には小さな筒がつけられている。
「伝書鳩か」
 くすりとオーマは笑いながら上手に鳩が差し出した足の筒から手紙を取り出した。
 どうやら誰か個人に向けたモノではなく、無差別に飛ばした手紙のようだ。誰かが助けを求めている?
 それとも友達を求める子どもの手紙だろうか? 例えば病気で部屋から出られぬ……。
 オーマはそんな事を想いながら開いた手紙に視線を走らせた。
 そして軽く肩を竦めると、周りの花々に視線をやる。
「これも縁という奴かね、なあ、おまえら。おまえらはそうなんだろう? 人や動物が世界を渡るように植物の種も世界を越える。おまえらはあの丘の……」



『ねえ、オーマ。この花の花言葉って、どんな言葉だか知ってる? この花の花言葉はね――――』



 風が静かに花の園を渡る。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 静かな静かな夜の花園。
 空にある細すぎる下弦の月がある世界に満ちるのは冷たく澄んだ空気。
 その空気に浸透していくのは厳かな気配。
 夜気に濃密に孕まれた緊張が一気に高まり、そして爆発した。
 再び花園の中心に翼在りし銀の獅子が居る。
 そしてそれはとても優しい瞳で周りの花々を愛でるように眺めた後に翼を大きくはばたかせて、強靭な四肢で大地を蹴った。
 翼が起こした風に舞い上がる無数の花びら。
 花霞みの中で飛び上がった白き鳩は翼在りし銀の獅子を導く。
 異次元への道をその翼で開いて。
 激しく激しく舞っていた花びらの全てが舞い落ちた時、ただ細すぎる下弦の月の下、花たちは愛の唄を歌うように静かに風に揺れてその音色を奏でていた。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。



 その夜、東京に住む人々の何人かがこう証言をしていた。
 鈴や鐘とも違う、とても澄んだ美しい音色が夜の帳が降りた東京に静かに広がった瞬間があった、と。
 そしてあやかし荘の前の道。
 その上空に夜だというのに一羽の白き鳩がまるで夜闇から浮き上がるようにして現れて、
 夜のあやかし荘の前を走る道に佇んでいたひとりの少女の手に舞い降りて、光となって、消えた。
 そして彼女は突如舞い起こった強い風になびく長い黒髪とスカートの裾はそのままにどこか不敵なまでの悪戯っぽい表情が浮んだ顔を前方に向けた。
 風が止んだ時、その時には転瞬前までは確かに誰も居なかったはずなのにしかし、ひとりの男が居た。
 少女は髪を掻きあげながら男に言う。
「ようこそ、地球に。あたしは嬉璃さんに言われて、あなたを待っていた綾瀬まあやです」
 そして男もにこりと笑ってまあやに右手を差し出した。
「出迎えありがとよ、お嬢ちゃん。俺様はオーマ・シュヴァルツ。異世界ソーンからやってきた腹黒イロモノ親父よ」
 悪戯っ子のような笑みを浮かべながらウインクしたオーマの目の前にひらひらと夜空から舞い落ちてくるひとひらの花びら。
 まあやはその見慣れぬ花の花びらに小首を傾げ、オーマは穏やかに微笑んだ。
「そいつは異世界の花の花びらだよ」
 そう、故郷の世界の懐かしい場所からソーンへと種が飛ばされ、咲き誇っていた花たちの花びら。
 その花の花言葉は――――
 ―――私の愛を受け入れてください。


 こうしてオーマ・シュヴァルツは女雛のために異世界地球へとやってきた。



 ――――――――――――――――――
【2】


「オーマさん。お着替え、ここに置いておきますね」
「おうよ、悪いね、嬢ちゃん」
 脱衣所の方から聞こえてきたのはこのあやかし荘の管理人だという恵美の声だった。
 オーマはあやかし荘にある露天風呂で朝一番の湯を頂いているのだ。
 あやかし荘、そこは古めかしく、また冗談のように巨大な建物であった。しかしオーマは案外ここが嫌いでは無かった。毎日温泉に入れるのも悪くはないし、また人と妖怪とが一緒に暮らすこのあやかし荘はオーマの理想でもあったのだから。
「あの、それからオーマさん」
 脱衣所の方からひそめた恵美の声。
「ん、どうしたよ、嬢ちゃん」
「えっと、嬉璃さんに見つかる前に温泉からは出てくださいね。ここは女風呂ですから」
「あん? ああ、そうだな。誰かが入って来ちゃったら大変だもんなー」
 と、言った所で、オーマはふと小首を傾げた。だったらどうして恵美はこちらの女風呂に自分を案内したのだろうか?
 こっちが男風呂なんじゃねーのかい、嬢ちゃん? と確かに訊いたはずなのに。そういえばその時に恵美の顔に浮んでいたのは苦笑だった。
 あの表情の意味は何だったのであろうか? そこに答えがある?
 オーマがばしゃりとお湯を顔にかけて頭をすっきりさせようとしたら、その時ちょうど隣の露天風呂(男湯)から温泉が高く噴きあがった。男たちの断末魔のような悲鳴と共に。
 ………間欠泉だ。
「おいおい、マジかよ?」
 苦笑を浮かべるオーマ。そのオーマにも実は悲劇が迫っていた。
「てりゃぁー。ここは女湯ぢゃ!」
 ぱしこーんとハリセンが濡れたオーマの頭に直撃する。
「うぉっと」
 突然、頭を叩かれた事でつるっと湯船の中で滑ってお湯の中に潜ってしまう。
 ばしゃぁーっと勢いよく湯船から立ち上がったオーマ。でもその後に悲鳴をあげたのはあやかし荘のボスで女尊男卑の元凶たる嬉璃と恵美であった。
「あ、悪りーな、嬢ちゃんたち」
 オーマはタオルで下を隠しながら悪びれの無い笑顔を浮かべた。
                   *
 ぷんすかと怒る嬉璃とまだ恥かしさで顔を赤くする恵美に案内されたのは三下忠夫の部屋だった。
「ほれ、入るのぢゃ」
「わーたっよ。わかったから、んな邪険に扱うなよ」
「ふん」
 何やら朝から機嫌の悪い嬉璃に三下は怯え竦み、そしてその隣の男は苦笑した。
 三下は昨夜紹介されているから知っていた。でもその男は?
「俺は草間武彦だ」
 三下の隣の男、草間武彦が自己紹介をした。
「おう、俺様はオーマ・シュヴァルツだ」
 武彦の前にあぐらをかいてオーマは座った。
 そしてオーマは恵美が用意してくれた朝食(ごはん、豆腐と揚げ、ワカメの味噌汁に焼き鮭、タクワン)を食べながら嬉璃、武彦と共にプランを話しあった。
 オーマからの申し出に嬉璃はおお、と声をあげた。
「なるほど。それは面白いのぢゃ。良し、その事に免じて先ほどの無礼は許してやるのぢゃ」
「先ほどの無礼?」
 小首を傾げた三下に恵美は顔を真っ赤にし、そして嬉璃は三下を睨みつけた。たまらずに三下はオーマの後ろに隠れて、タクワンを口の中に放り込みながらオーマと武彦は見合わせあった顔を苦笑させた。
「それでオーマ。おんしは既に女雛へのプレゼントは用意しているのか?」
「ん、おう。最高のプレゼントを用意してるぜ」
 得意げに言ったオーマに嬉璃はうむと満足そうに頷き、それから嬉璃はちょっと悪戯めいた笑みを浮かべながら言った。
「では、オーマよ。おんし、そしておんしと同じようにわしの手紙を受け取った者たちには次なる仕事をやってもらうぞ」
「ああ?」
 オーマが小首を傾げた瞬間、まるで図ったように彼の背後に異質な気配がし、振り返った彼の視線の先には古めかしい重厚な扉があって、その扉の前にひとりの銀髪の門番が立っていた。
「その者は冥府。おんしを次なる場所に導いてくれる者じゃ。女雛の物語を幸せな物語にするためにな」
 オーマはにやりととっておきの面白い悪戯を思いついた悪戯っ子のように微笑んだ。



 ――――――――――――――――――
【3】


 冥府の守る扉をくぐるとそこはうず高く積まれた本に四方を囲まれた書斎であった。
 本の塔の向こうからは何かを書き綴る音が聞こえてくるが、しかし気配を感じる訳ではない。
「こいつは驚いたな。ここはどこなんだ?」
 オーマ・シュヴァルツは頭を掻きながら身長227センチの自分よりも高い本の塔を見回す。
「ここはカウナーツ氏の書斎。異界の東京を縛る物語の内容を書き換える能力を持つ方たちが居る場所です。ここも異界、という事になるのでしょうね」
 流れるような銀の髪を掻きあげながらそう言ったのはセレスティ・カーニンガム。
 二人の男は顔を見合わせあって微笑みあうと握手をした。
「俺様はオーマ・シュヴァルツ。オーマでいいぜ。ソーンという世界から来た」
「私はセレスティ・カーニンガム。呼び名はご自由に。それで……何と言えばいいのでしょうか、私が居た世界は?」
 小首を傾げたセレスティにオーマはにぃっと悪戯っ子の表情で笑う。
「地球、っていう名前で俺らはその世界を呼んでいる。ソーンにも地球から来た奴らは大勢居るし、俺様もつい今さっきまではそこに居た。あやかし荘にな」
 オーマがそう言うと、セレスティが意外そうな表情をした。
「ほお、あやかし荘に。それで大丈夫でしたか、あそこに居て。あそこは何と言うか嬉璃嬢によって男性の尊厳は無いですから」
 苦笑混じりにセレスティがそう言うと、オーマが愉快そうに笑った。
「ああ、らしいな。三下って兄ちゃんは相当にやられてそうで見ててちぃーっと哀れだったよ」
「ああ、彼は本当に」
 男二人で笑っていると、
「ソーンっていう世界はさすがに僕らも行った事はありません。どんな世界なんですか、オーマさん?」
 如月縁樹がにこりと笑いながらオーマに訊く。
「ああ、いい世界だぜ。空気も美味いし、自然も豊かだ。もちろん、飯もな」
『へぇー、それは是非に行ってみたいもんだね。ね、縁樹』
「うん。あ、順番が逆になりました。僕は如月縁樹と言います、オーマさん」
『ボクはノイ。よろしくね』
「おう、よろしくな」
 オーマは大きな右手の指でノイの頭を撫でた。
 そして縁樹の右隣にシュライン・エマ。
 左隣に初瀬日和が立った。
「私はシュライン・エマよ」
「私は初瀬日和です」
「おう。俺様はオーマ・シュヴァルツ。どうやら俺様以外は皆、地球の住人みたいだな」
「みたいですね」
 日和が全員を見回して、それから初顔合わせの縁樹にぺこりと頭を下げる。
「よろしくお願いします、縁樹さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします、日和さん」
 縁樹がぺこりと頭を下げた。
 そして縁樹と日和が飼っているイヅナの千早と末葉が勝手に飛び出てきて、イヅナ同士の旧交を温める。
 お互いの匂いを嗅ぎ合って、何かを喋りあっているような二匹に日和も縁樹もくすっと笑いあった。
「さてと、それで私たちはここで何をすればいいのかしら? 女雛さんの物語を幸せな物語にするために来て欲しい、とかって言われたのだけど…」
 シュラインは小首を傾げた。
 このうず高く本が積まれた書斎で何をしろ、というのだ?
「それは彼女が説明してくれますよ、シュライン嬢」
 セレスティが静かにそう言った瞬間、ふわりと五人の真ん中にひとりの少女が現れた。半透明のふわふわと宙に浮いている彼女は――
「こんにちは、白亜」
 そうセレスティが穏やかに言う。
 白亜はにこりと微笑み、そして五人を見回した。
「ここにも嬉璃さんの手紙が届きました。そしてやはりわたしも女雛さんに幸せになってもらいたいと想います。だから皆さんをここに呼びました」
「あの、でも白亜さん。あなたとカウナーツさんの能力は物語に支配された異界の東京にのみ有効なんじゃないの?」
 日和は小首を傾げる。
 白亜は静かに微笑みながら頷いた。
「はい。ですからこれは祈りにも似た賭けです。わたしは皆さんの想う力を集めて、それをカウナーツさんに送ります。それをカウナーツさんがいつものように書き綴ります。今回は書き換えるのではなく、書く、という事に。もちろん、それが引き起こすトラブルは予測ができませんし、世界の修正能力も働くかもしれません。それでもよろしかったらわたしたちにもお手伝いをさせてください。あなた方の想いをわたしたちは形にします」
 シュラインはくすりと笑いながら白亜の頭を撫でた。半透明の彼女の体には意外にも触れられた。
「もちろんよ。それで私たちはどうすればいいの?」
「はい。想像してください、あなた方が女雛さんにしてあげたい事を。そうすれば、それが物語となります」
「わかったわ」
 言われた通りにシュラインは想像する。彼女が女雛に伝えたい事を。女雛の幸せを。するとその彼女の前の空間に想像した事が文字となって書き綴られるではないか。
 それは皆も同じで、そしてそれは白亜の両の手の平の上に集まり、蝶となって、本の塔の向こうで何かを書き綴っているカウナーツの方へと飛んでいった。
 そして再び冥府の扉がそこに現れたのだった。



 ――――――――――――――――――
【4】


「こいつは驚いたぜ。ここはソーンじゃねーか」
 オーマが驚いた声をあげた。
 その言葉にオーマ以外の全員が目を見開く。
「すごい。すごい。ここがソーンなんですね。想像していた通りのすごい綺麗な世界ですね」
 嬉しさを隠せないように縁樹が周りを何度も見回した。そんな縁樹が嬉しいようにノイもにこにこと微笑んでいる。
『ついにボクら、次元をも超える旅をしちゃったね、縁樹』
「空気がすごく違うわね。ここの空気はすごく澄んでいて美味しいわ」
 シュラインは大きくソーンの世界に満ちる空気を吸い込んだ。
「まるで物語の中に入り込んでしまったみたいですね」
 日和も感慨深げに呟いた。
「ここソーンにおいて私たちが願う女雛の幸福な物語が綴られる、そういう訳ですね。しかし確かにここには観光か何かで来てみたかったものですね。まあ、こう言うと女雛には失礼になってしまいますかもしれませんが」
 肩を竦めるセレスティに、女性陣も苦笑した。同じ事を考えていたのだ。
「まあ、何はともあれようこそ、聖獣に守護されし神秘の世界ソーンへ。歓迎するぜ」
 優雅に一礼をしたオーマに皆はにこりと微笑んだ。
『にしても、お腹が空いたよ、ボク』
「も、もう、ノイ!」
 恥かしそうにノイを注意する縁樹。
 オーマはけたけたと笑った。
「んじゃ、飯でも食いながら作戦会議と行くか? 旅の醍醐味は観光と食事。最高に飯が美味い店に連れて行ってやるからよ」
「まあ、それは楽しみね」
 シュラインが嬉しそうに微笑んだ。
 そしてオーマによって案内されたのは白山羊亭という店であった。
「ほぉー、これはまた何とも素敵なお店ですね。日和嬢が先ほど言っていた通りにまるで物語に出てくるようなお店だ」
 セレスティは白山羊亭のルディアに案内された席に腰を下ろし、興味深そうに店内を見回して、それから自分の向かいの席に座った日和に微笑んだ。
 日和も嬉しそうに頷く。
「なんだかすごく不思議な気分ですね。そういえばオーマさんは私たちの世界に来た時はどういう風に感じられたのですか?」
 全員がオーマの顔を見た。
「ん? ああ、とっても愉快だったぜ、やっぱり。昨夜の…あちらで言う午後8時に向こうに到着してよ、それからまあやと三下にあちらの世界を案内してもらったんだ。電車、自動車、バイク、それに自転車、どれも面白くってな、まるで子どもね、ってまあやに言われちまうぐらいに楽しんだよ。それにこちらの世界とは比べ物にならない夜の世界に溢れる人工の光。あれも東京タワーから見下ろしたんだが、まるで光りの川のように車のヘッドライトが見えて、それは綺麗だったもんだぜ。もちろん、飯もな。ああ、だけど飯は夜に食い倒れそうになるまで食べた品々(東京にある飲食店すべてを回るような勢いで色んな店に訪れて食べていた。)よりも恵美の作ってくれた朝飯の方が美味かったな。それにあやかし荘の露天風呂での朝風呂も気持ち良かったしな。ありゃあ、本当に最高だったぜ」
 にぃっと笑いながらオーマが言うと、あやかし荘の現状……悲惨な男風呂を知っているセレスティたちは苦笑を浮かべた。
「間欠泉は大丈夫でしたか?」
「いんや、俺様は恵美のおかげで女風呂で湯をもらったから気持ち良く安全に入れたよ」
 そして何を思い出したのかオーマはいきなりけたけたと笑い出した。
「随分と楽しそうね、オーマ」
「おう、ルディア。じゃんじゃんと料理を運んできてくれ。この店の美味い物を片っ端からな」
「あら、このお店のお料理はどれも美味しいわよ」
 にこりとルディアは微笑んで、それからあらためて皆を見る。
「こちらは新顔さんね。すぐに美味しいお料理を持ってきますから、お待ちくださいね」
「ええ、お願いするわね、ルディアちゃん」
 シュラインは穏やかな笑顔でルディアを見送ると皆を見回した。
「じゃあ、お料理が来る前に作戦会議と行きましょうか」
「そうですね。時間は有効に扱わねば」
 セレスティもこくりと頷く。
「まずは皆はあのカウナーツさんの書斎で何を願ったのかしら?」
 シュラインの問いにひとりひとりが想像した事を述べ、次に女雛に用意するプレゼントが議題に上った。
「俺様はこのルベリアの花だ」
 そう言ってオーマが見せた花は偏光色に輝く美しい花であった。
「これもソーンの花なんですか?」
 すっかりと旅人の顔になっている縁樹が興味深そうに訊いた。ノイも目を輝かせてオーマの顔を見ている。
「いや、こいつは俺様の友人の故郷で採取した花だ。このルベリアの花はな、想いを映し見るとされる異世界の偏光色に輝く花で、希少で薬等に用いるが想い人に贈ると永久の想いという絆で結ばれると言われている」
「なるほど。女雛へのプレゼントとしては最適ですね」
 テーブルの上で手を組み合わせてセレスティは頷いた。
「おう。あとはこの花と俺様の能力とを組み合わせたプレゼント。その二つだ」
「あの、私は匂い袋を」
 日和はテーブルの上に型紙と親友の家から貰ってきた布を出した。
「あとはお香を手に入れて小袋を完成させれば良いんですけど、肝心のお香が見つからなくって」
「私も似たような現状ですね」
 セレスティはテーブルの上に人形サイズの扇を置いた。
「うわぁー、すごく可愛いですね」
 喜ぶ縁樹にくすりと微笑み、セレスティは扇を指差す。
「この扇に合う飾りの組紐を作りたいのですが、良い素材が無くってね」
 シュラインと縁樹は顔を見合わせた。
「あの、僕らは二対の杯を。これに桃の花を描いて贈ろうと想ったんです」
「私もこのミニ酒樽に白酒を入れて贈ろうかな、って。ほら、お雛様の歌にもあるでしょう。白酒を飲んでる歌詞。チョコボンボン風もいいかなって思ってるんだけど、まずは白酒を作りたいと想ってるの。それで酒屋さんで縁樹ちゃんと出会ったって訳」
 そしてシュラインは日和を見る。
 小首を傾げる日和。
「あとは私も橘モチーフの香水を使って香り袋を作ろうと想っているから、日和ちゃん。一緒に小袋を作りましょうか?」
「あ、はい」
 日和は嬉しそうに頷いた。
 テーブルの上でノイは舞台俳優のように大きく両手を開いて、肩を竦める。
『んー、でもさ。縁樹にも言ったんだけど、だからアンタがプレゼントでいいじゃんって想わない?』
「わ、わわ。だからノイ!!!」
 慌てる縁樹。かわいそうにアッシュグレイの髪に縁取られた美貌は真っ赤になっていた。
 毒舌人形ノイに腹黒イロモノ親父なオーマはけたけたと笑って頷く。
「だよな。最高のプレゼントは女雛の嬢ちゃんだよなー」
『お、わかるねー、オーマさん。だよね♪ 首にリボンでも巻いてさ、わたくしがプレゼントです、って』
「綺麗にラッピングした箱に入って、渡してもらうとかな」
 握手しあうオーマとノイに縁樹は顔を片手で覆って天井を見上げ、シュラインは笑顔で日和の両耳を押さえている。
 和やかな空気の中、セレスティは笑みを消すと口許に手をやって考え込んだ。
「しかし、と、言う事はここソーンに私たちの足りない物があるという事でしょうかね?」
「確かにこの世界ならあちらでは手に入らないような物も入りそうよね」
 シュラインが窓の向こうの青空、そこを飛ぶユニコーンを見つめながら呟いた。
「まあ、何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。それから考えようぜ」
 オーマが手をパンパンと叩いた。
 運ばれてきた料理の数々に皆も顔を見合わせてこくりと頷く。
「うわぁ、美味しそうなお料理ですね。実は僕、お腹が空いていたので嬉しいです」
『何だ。やっぱり縁樹もお腹が空いてたんじゃないか』
「ごめんね、ノイ」
 縁樹は顔の前で両手を合わせた。腰に両手をやっていたノイはくすっと笑いながら肩を竦めて、運ばれてきた料理を指差して縁樹に早く食べようと言う。
 日和はスプーンですくったスープを口に入れて、とても幸せそうに微笑んだ。
「音楽は人の心を癒すから大好きなんですけど、美味しいお料理も人を幸せにしてくれるから大好きです」
                   *
 それぞれ食後のデザートや食後の飲み物を口にしている中、白山羊亭にひとりの少女が飛び込んできた。
 そしてその彼女は店内を見回してオーマを見つけるとほっとしたような笑みを浮かべた。
「ようやく見つけた、オーマさん」
「ん、おう、ペティじゃねーか。どうした?」
 チョコレートパフェに乗っかっていたりんごを口に持っていこうとした手をオーマは止めた。
「エルファリアさまがお呼びなの。すぐにお城に来て」
 彼女の言葉に皆が顔を見合わせた。
「どうやら物語が進み始めたようですね」
 ナプキンで口を拭って、セレスティは立ち上がり、彼の言葉に頷いた皆も席を立ち上がった。
 エルザード城、謁見の間。そこで一同はエルファリアと会った。
 そしてエルファリアから命じられたのはヤマタイコクという小さな島国で何やら不穏な動きがあるのでそれを調査して欲しいとの事であった。
 一同はエルザード城のユニコーンを借りて、その国へと旅立った。



 ――――――――――――――――――
【5】


 オーマ、縁樹&ノイ、日和、シュライン、セレスティ、という個々の戦闘能力を考慮した順でユニコーンを走らせていたが、その一同の前にヤマタイコクの軍が現れた。
 オーマはエルファリアからの手紙をその部隊の隊長に見せ、ヤマタイコクの長との謁見を申し出て、そしてそれは認められた。
 皆はヤマタイコクの長、女王イヨとの謁見をしていた。
「よくぞ参られた、皆々様。私がこのヤマタイコクの女王イヨです。何分、まだ先代の女王ヒミコ様より代替わりしたばかりで不手際が多く、そのせいでエルファリア様にご心配をおかけしたようですね」
「いや、それはかまわねー。しかし、女王ヒミコは何故にご逝去された?」
 部屋の隅に控えていた兵たちがざわめく。
 女王イヨはわずかながらに顔を曇らせたが小さく溜息を吐いた。
「静まりなさい」
 腰の太刀に手をかけていた兵たちはその言葉に手を離し、縁樹もノイのチャックを開けた背中から抜きかけていたコルトトルーパーから手を離した。ちなみにノイはセレスティの案によってもしもの時の保険としてただの人形のふりをしている。
「お互いに無駄な怪我人を出さずとも済んだようですね、縁樹嬢」
「はい、セレスティさん。でもどうやらヒミコさんの死には何か都合の悪い秘密があるようですね」
「ええ。そのようです」
 セレスティと縁樹は女王イヨが口を開くのを見守った。
「このヤマタイコクは今、八竜という八つの頭を持つ竜の脅威にさらされています。女王ヒミコ様もこの八竜に戦いを挑まれて……」
 イヨは沈痛な面持ちで口を閉じた。
「それであなた方はその八竜に対して何らかの対処はしているの?」
 シュラインがそう問うと、イヨは哀しそうな顔をした。
 そしてその彼女の隣に立つ顔を仮面で隠した女性が代わりに答えた。
「八竜が言ったのです。一ヶ月に一度、娘を人身御供として差し出せば何もしないと」
「それで、あなた方は娘を差し出しているのね?」
「先代女王ヒミコ様は優れた戦巫女でした。ですがそのヒミコ様の力ですら八竜には敵わなかったのです。このヤマタイコクはもう八竜に逆らう術は無かった」
「ですから人身御供を、ですか」
 セレスティは冷静に呟き、そして自分を睨みながら太刀を抜きかけた兵を横目で見据え、指をぱちんと鳴らした。
 転瞬、その太刀が根元でぱきんと澄んだ音を奏でて折れた。
 どよめきが起こる中、セレスティは女王イヨを見る。
「ご覧の通り、私には力がある。だから八竜の事は私たちにお任せくださいませんか?」
「あの、私たちは地球という世界から来ました。その世界で私たちは多くの事件を解決してきたんです。それにオーマさんもいらっしゃいます。ですから、どうか私たちを信じてください」
 日和が訴える。
 そしてオーマは女王イヨに力強く頷いた。
「俺様たちに任せておきな。ここに居るのは間違いなく最強のメンバーだぜ」
                   *
「作戦はこうよ。昔話にあるようにまずは酒を用意して、その酒で八竜を酔わせて、酔って弱った所を仕留める」
 優秀な女教師のようにシュラインは立てた人差し指を振った。
「では人身御供役は僕がやりましょうか? 僕ならもしもの時にはコルトが使えますし」
 ただの人形のふりをしているノイはだけど大きく目を見開いた。そして約束も忘れて、縁樹に意見をしようとした。
 しかし結果で言えばノイは人形のふりをそのまましていれば良かった。
「いえ、縁樹嬢、キミはシュライン嬢、日和嬢と共に人質としてここに残ってください。二人を守って欲しい。人身御供役は私が請け負います」
「セレスティさん」
 心配そうな顔をする縁樹にセレスティは優しく頷いた。
「では、日和ちゃん。あなたはセレスティさんにお化粧なんかをして、綺麗な女の人にしてくれるかしら?」
「はい、わかりました。シュラインさん」
「お願いしますね、日和嬢」
「では、私と縁樹ちゃん、オーマさんとで白酒を用意しましょうか」
「はい、シュラインさん」
「おうよ。わかったぜ」
 そして皆は自分のやるべき事をやるために立ち上がった。



 ――――――――――――――――――
【6】


「では、あなた方にはこの座敷牢に入っていただきます。もしもあの二人が八竜に負けた時、あなた方には人身御供となってもらうべく」
 顔を面で隠した女性によってシュライン、縁樹、日和は座敷牢に入れられた。
「まあ、扱いとしては座敷牢に入れられるだけマシな方なのかしら?」
 おどけたように肩を大きく竦めるシュラインに日和も縁樹もくすりと笑いあう。
「牢屋はごめんですよね」
 そして座布団の上に座って、縁樹はノイの中からシュラインと日和から預かっていた布と針、糸を取り出した。本来なら人質のために取り上げられていた物だ。
「ノイ君って本当に便利よね」
「お菓子もありますよ」
 そう言いながら縁樹は皆の真ん中にポテトチップス塩味、それと1,5リットルのペットボトルのオレンジジュースと紙コップ3つを出した。
「何かセレスティさんやオーマさんに悪いですね」
 日和はくすりと笑った。
「ねえ、縁樹ちゃん。縁樹ちゃんも作る? 布なら私、余分に持ってるから大丈夫よ」
「本当ですか?」
「ええ」
 縁樹はとても嬉しそうにシュラインから布と針、糸を受け取って、ちくちくと縫い始めた。
「日和ちゃんもお香が見つかって大万歳よね」
「はい」
 嬉しそうに頷く日和。そう、セレスティのために用意されたお香の中に日和の気にいるモノがあったのだ。
 シュラインも嬉しそうに極上の白酒が入った酒樽を見つめる。
「あとは八竜を倒すだけですね。それとセレスティさんの組紐の材料。桃の花」
 日和が言った言葉にシュラインはうーんと小首を傾げた。
 その態度に日和も小首を傾げる。どうかしたのだろうか?
「やっぱりシュラインさんも不審に想いましたか?」
 縁樹がひそめた声で言った。
「ええ。だけどまあ、それは小袋を作ってからにしましょうか?」
「はい」
「?」
 三人でちくちくと小袋を縫いながら女子高のようにお喋りに花を咲かせる。
 そしてシュラインが先に小袋を仕上げて、苦戦している縁樹や日和に優しく指導した。
「できました」
 日和が嬉しそうに言い、
「僕もできました」
 縁樹もふぅーっと安堵の溜息を吐きながら満足そうに出来上がった小袋に微笑んだ。
 紙コップの中のオレンジジュースを飲み干したシュラインはうん、と頷くとノイを見た。
「では、ノイ君。そろそろとこちらも行動を起こしましょうか?」
『了解! にしてもようやく体が動かせる。あー、肩が凝った』
 ぶんぶんと両腕を回すノイに皆はくすりと微笑んだ。
「じゃあ、私たちをここに連れてきたあの女を気絶させて、彼女の服と仮面を持ってきてくれるかしら。クールに出来て?」
『任せてよ。万事つつがなくやってみせるよ』
 親指を立ててノイはそう言い、コタンコロカムイの羽根に乗って、とても高い場所にある窓から出て行った。
 縁樹と日和は頷きあうと、千早と末葉をノイの後に続かせた。
 そして日和はシュラインと縁樹の顔を見て、小首を傾げる。
「でも、あの、いいのですか?」
「ええ。どうにもあの女王イヨは疑わしいわ」
 日和は大きく目を見開いた。
「それって」
 縁樹も頷く。
「女王イヨは女王ヒミコが八竜に倒された時点でもう手が無いような事を言っていたけど、でも国のために民を犠牲にするような手段をとるぐらいなら、他の国に助けを求めてもいいんじゃないかな?」
「そう。それが国の面子のために嫌だったのなら、それならどうして私たちを介入させたのかしら? おかしくない、それ?」
「確かに…。私は深く考えてませんでした。そういえばそうですよね?」
 ヤマタイコク、という国の面子のために民に犠牲になってもらう?
 ならばそのような方法を選びながら今になって自分たちに頼ったイヨ。
 いや、心変わりをしたのかもしれない。だけどならばこの時点で他の国に今からでも助けを求めれば……。
 しかしそうする事も無く、イヨは自分たちを人身御供とするべく捕らえた。
 ……何かが腑に落ちない。まるで八竜と戦う意志は無いかのような………。
 頑丈な座敷牢。先ほどまでは窓と戸の向こうの格子を無視してさえいれば高級旅館のようなこの座敷にとても満足できていた日和はしかし、なぜかこの座敷牢にぞっとした。ひょっとしたらここは最初から人身御供に選ばれた者たちの部屋だったのかもしれない。
 何人の人たちがここから八竜の下へと――――
 明り取りの窓から何かが飛び込んできた。
 まさか浮ばれぬ魂が!!!
「きゃぁ」
 日和は悲鳴をあげた。
 頭を両手で抱えた日和の背中がぽんぽんと優しく叩かれる。
「大丈夫よ、日和ちゃん。あれはノイ君たちよ」
「へぇ?」
 縁樹の肩でノイがピースをした。
「じゃあ、動きますか、シュラインさん」
 笑顔で言いながらノイの両目を手で目隠しして縁樹が言い、シュラインは着ている服を脱いでノイが調達してきた服に着替えて、顔には面をつけた。
「ノイ」
『OK』
 ノイはコタンコロカムイの羽根を剣へと変えて、格子を切り倒して道を作り上げた。
「では、行きましょうか」
 お得意の声帯模写でシュラインは面の女性の声真似をして、座敷牢から脱出した。



 ――――――――――――――――――
【7】


 まるで御伽噺に出てくるような不気味な湖であった。
 水は濁り果て腐る寸前のように想えた。
 周りの木々も八竜の瘴気にやられたのか枯れ果ててしまっている。
 その地獄絵図のような光景の中に美しい衣を纏ったひとりの女性がいた。
 彼女は祭壇の上に静かに座っていた。
 ぼこぼこ、と湖から気泡があがる。
 そして水面を突き破って現れたのは八竜であった。
 八竜の目が鋭く細められて女を見据える。
 俯く女の瞳から零れ落ちた涙に八竜は笑ったようだった。
 しかしそんな八竜たちの気は香りよく漂う祭壇の周りに置かれた酒樽に行った。
 美しい女性の身体から香る香り良いお香の香りにも食欲がそそられるが、しかし周りの酒樽から香る白酒の芳香がまた八竜を誘うのだ。
 八竜はその欲望のままに酒樽に口を入れて、白酒を飲み干した。
 極上の白酒は味が良いだけでなく酔いのまわりも早かった。
 そして酔っ払った八竜が我が先にと女性に襲い掛かる。
 だがしかしその八竜に巨大な翼在りし銀の獅子が踊りかかった。そう、もうひとつの姿となったオーマ・シュヴァルツが。
 獅子と竜、熾烈な戦いが始まる。
 獅子の爪が八竜の頭の一つを潰せば、他の竜の牙が獅子の身体を穿つし、
 獅子の牙が八竜の身体を穿てば、八つの竜の口から放たれた瘴気が獅子を襲い、その瘴気が獅子の身体の傷を腐らせた。
「なるほど。確かに強力な竜ですね。オーマによって潰された頭もいつの間にか再生している」
 女性が呟いた。
 そして彼女は杖をついて立ち上がると、頭から被っていた布を放り捨てて舞台役者の早変わりのように女物の衣装を剥ぎ取った。
 顔をハンカチで拭い、いつもの美貌を取り戻したセレスティ・カーニンガムは不敵に微笑んだ。
「では、これならばどうですか?」
 セレスティがぱちんと指を鳴らした。
 転瞬、湖から数の概念を越える水弾が八竜を襲った。一瞬のうちに八つの頭が同時に潰れる。
 誇る事無くセレスティは肩を竦めながら呟いた。
「同時に八つの頭を潰された場合はどうですか?」
 オーマに縛りついていた八竜たちが力無く崩れるように湖に沈んだ。
 それで終わった? いや、まだだ。
 湖の水が爆発したように跳ね上がって、そして八竜が飛び出る。
 八つの頭が牙を剥き出しにしてオーマとセレスティに襲い掛かる。
 オーマは四肢で大地を蹴って、鋭い爪で四つの首を切り落とし、同時にセレスティも水弾で残り四つの頭を落とした。
 だがそれでも竜の首八つが再生する。
「セレスティ、八竜の頭の動きを封じられるか?」
「やってみましょう」
 セレスティがまるでオーケストラの指揮者かのように両手を優雅に華麗に振った。
 湖の水が八つの頭を持つ蛇となって八竜に襲い掛かり、大きく口を開け広げた水蛇に八竜の頭それぞれが飲み込まれて、八竜が水蛇の中で溺れる。
 そして翼在りし銀の獅子は天高く舞い上がると、そこから弾丸のように八竜に体当たりして、それの体を完全に粉砕したのだった。
「やれやれ。これでも無理ですか?」
 セレスティが呟く。
 そのセレスティを囲むどろりとしたスライム状の物体。それが彼を襲わんとしたその時、間一髪でオーマがセレスティを救った。
 セレスティを背に乗せてオーマは天高く舞い上がる。さすがのそれらもここまでは来れなかったようだ。いや、待て。セレスティが両目を細めて、静かに微笑した。
「つまりはそういう事ですか……」
「どうした、セレス?」
「いえ、なんでもありません。それよりも一度、ヤマタイコクに戻りましょう」
「そうだな。おそらくは嬢ちゃんたちも何かしらの行動を起こしているはずだ」
「でしょうね」
 そしてオーマは翼を羽ばたかせて空を駆けんとするが、しかしそのオーマとセレスティの前に巨大な鳥を駆るヤマタイコクの兵たちが立ちはだかった。



 ――――――――――――――――――
【8】


 シュラインの声帯模写は完璧であった。
「その者たちは確か…」
「うむ。イヨ様の命令で、場所を移す事になった」
 通りで会う者たちにその都度説明して三人は渡り廊下を歩いていく。
 そして皆が向った先は女王イヨの間であった。
 間の扉の前に立つ兵士たちは不思議そうにシュラインたちを見てくる。
「どうしたのですか、オト様? その者たちは座敷牢に」
「うむ。イヨ様の命にてここに連れて来た」
「イヨ様の?」
 兵士は胡乱気にシュラインを見据えた。
「確認を取ってまいります。いま少しここでお待ちを」
 ひとりが扉の鍵を開けたその瞬間、縁樹が素早くその兵士の後ろに立って、延髄にコルトのグリップを叩き込んだ。
 そして腰の太刀に手をかけたもうひとりにノイが襲い掛かる。コタンコロカムイの羽根を一閃させて巻き起こした風でその兵士を吹き飛ばして、壁に背中から叩きつけて気絶させたのだ。
「お見事」
 面を外したシュラインはにこりと微笑み、そして日和もぱちぱちと手を叩いた。
 部屋の中に入ると、そこは漆黒の闇に包まれていた。
 そしてその闇にとても苦しそうな息遣いが響いていた。
「はあはぁはぁ、誰か、誰か助けて」
 助けを求める声に三人は顔を見合わせて、そして声の方に走った。
 御簾をノイが投げナイフで落とす。
 そして一同の視界に胸を掻き毟りながら苦しむ女王イヨの姿が映る。
「イヨさん」
 慌てて近づこうとした日和の手首をシュラインが掴んで、後ろに引いた。
 シュライン、日和を守るようにコルトを構えて縁樹が二人の前に陣取る。
 イヨのはだけた胸元には奇怪な女の顔があった。それはどこかイヨに似ていた。
「あれは何ですか?」
『うぇー、気持ち悪い』
 日和とノイが感想を漏らす。
 縁樹は銃口の先にあるその光景に哀れむように両目を細めた。
「寄生されている?」
「おそらくね。そして多分あれは、先代女王ヒミコ」
 シュラインの言葉に顔が奇怪な笑い声をあげた。
「大人しく我の餌になればよかったモノを。愚か者どもめが」
 ヒミコは嗜虐的な笑みを浮かべた。
 イヨはそんなヒミコの顔を両手で押さえつけながら訴えた。
「お願いします。私を助けてください。この許されざる者をお討ちください。私ごとでいいですから」
「どうしてこんな事になったんですか? イヨさん」
 縁樹が叫んだ。
「ヒミコ様は老いを恐れていました。故に魔に魂を売って、魔に転生されたのです」
「馬鹿な事を」
 シュラインは首を横に振った。
「ヒミコ様は私に取り憑き、そして私の体を完全に乗っ取るための力を得るために八竜に娘たちを食わせていたのです。私はこれまでヒミコ様に意識を封じられていましたが」
「なるほど。八竜が倒された事で、ヒミコの力が弱ったのね」
「ふん、馬鹿な事を。あいつらはこちらに逃げ帰ってくるわ。その前に貴様らまとめて食ろうてやるわぁー」
 ヒミコの顔はイヨの身体に溶け込んで、そしてイヨ…いや、ヒミコが老獪な顔で叫んだ。
 意味不明な言葉。「********」
 その言葉に女王の間に兵たちが入ってくる。その顔は全てが正気を無くしていた。
『あー、もう。冗談じゃない』
 ノイは風を巻き起こして兵たちを吹き飛ばして外へと続く道を作り、そこから全員が逃げるが、しかし庭で囲まれる。
「*******」ヒミコの命令のままに兵たちは三人に弓を構える。
「くぅ」
 シュラインは下唇を噛んだ。
「あともう少しなのに」
 その言葉の意味は?
 そして弓が!!!
「私に任せてください」
 日和が叫び、能力を発動させる。
 瞬間、空気中の水分子が寄り集まって、水の防御壁が展開されて、三人を包み込んだ。
『ふぅー』
 ノイが大きく溜息を吐く。
「大丈夫ですか、日和さん?」
 縁樹が問う。
 疲労で蒼白な顔をしている日和はそれでも頷いた。
「ふん、しかしそれもいつまでも続くわけではなかろうが小娘ぇー」
「*****」ヒミコが命令をする。
 その命令通りに弓が射られ、だけど―――
「させません」
 弓が日和の水の防御壁で弾かれる中でシュラインはにこりと優美に微笑んで見せた。
 そして彼女は歌うような声で言うのだ。
「*******」
 瞬間、ヒミコ以外のすべての三人を取り囲んでいた者たちがその場に倒れた。
 その理由はわかっていた。戦慄に歪む顔でヒミコがシュラインを睨んだ。
 シュラインは前髪を右手の人差し指で掻きあげながらさらりと言う。
「理解させてもらったのよ、あなたの使っていた言葉を。あとはあなたの声帯模写をすればそれであなたが言霊で操っていた人たちを私でも操れる」
 それでもヒミコの顔からは笑みは消えなかった。まだ自分の方が優位だと。
 しかし、屋敷を潰して舞い降りる翼在りし銀の獅子。
 その土煙が収まった時、そこから銀髪赤目の青年とセレスティが現れる。
「どうやら間にあったみたいだな、嬢ちゃんたち」
 銀髪赤目の青年、オーマ・シュヴァルツがにやりと微笑んだ。
 そしてセレスティが指をぱちんと鳴らして、日和の水の防御壁を請け負う。
「あとは私にお任せを。日和嬢」
「はい」
 小さく微笑みながら日和はそう呟くと、気絶した。
 彼女を抱きとめたシュラインがにこりと笑う。
「あなたの負けよ、ヒミコ」
 ヒミコはぎりっと歯軋りした。そして叫ぶ。
「負け? 負けだと、私の。ふざけるなよ、ひ弱な人間どもが。私にはまだ八竜がいる」
 そうヒミコが叫んだ時、そこに大量のスライムが現れ、それが八竜となった。
 だが、それにセレスティが肩を竦める。
 そして誇る訳ではなく、ただ私は鉛筆を指で折れますよ? と言うぐらいの気安い感じで言った。
「すみませんが。もはや八竜は私にとって脅威ではありません」
 セレスティが指を鳴らす。
 瞬間、八竜の体は大地から噴き出した水によって天高く舞い上げられて、そしてあっさりと蒸発した。
 空には美しい虹だけがかかる。
「オーマが空を飛んだ時、私の体に付着して、私の命を狙っていたスライムはしかし気化した。凄まじく強い再生力を持つこれも気圧の変化には弱かった。なるほど、あなたが呪術によって作り上げたモノだったのでしょうが、どこかに強い能力を持たせれば、そのツケがどこかに出るのもまた呪術の特性です。相手が悪すぎたのですよ」
「お、おのれぇー」
 ヒミコは腰の太刀を抜いて、斬りかかってくるが、しかしその彼女に縁樹が銃口を向ける。
 彼女の愛銃コルトトルーパーMkV6インチの弾倉に装填されているのはコタンコロカムイの羽根が変化した弾丸だ。
「残念ですね。僕らは協力という事ができるんです。それがたった独りのあなたとの決定的な違いです」
 そう囁くように言いながら縁樹はトリガーを引き、
 そして弾丸はイヨの体を穿った。
 彼女の体を貫通した弾丸。しかしイヨの体には傷は無く、
「ぐぅぎゃぁ――――」
 イヨの体から追い出されたヒミコが悲鳴をあげる。
 その彼女の前にオーマは立つ。
「俺様は確かに言ったはずだよな、あんたに? ここに居るのは間違いなく最強のメンバーだぜ、ってよ。縁樹の言うように俺たちの絆の力がおめえさんの能力を遥かに超えてんのさ」
 そして最後の力を振り絞り、オーマの体を乗っ取らんと襲い掛かって来た醜い老婆をオーマは具現化能力で作り上げた瓶の中に封じ込めた。



 ――――――――――――――――――
【9】


 東京、あやかし荘。
 管理人室に皆の姿があった。
 女雛は不安そうに皆の姿を見つめている。
「女雛よ、おんしのためにここにいる全員ががんばってくれたのぢゃ。さあ、お礼を言うがよい」
「あの、ありがとうございました。ですがわたくしは……」
 しゅんとして俯く女雛。
 あの嬉璃も言葉を探すように口を閉じてしまう。
 皆は顔を見合わせあって、頷きあった。
 まずはシュラインが前に出て、女雛に酒樽と香り袋を贈った。
「この酒樽には白酒が入ってるわ。二人で飲んで。味は保証するから。それとこの香り袋はあなた自身に」
「わたくしに、ですか?」
 小首を傾げる女雛にシュラインは優しく頷いた。
「ええ。どんな時でも女の子は美しくいたいじゃない。ね」
「はい」
「それとね、人の心は其々だから答えが是か非かも分からないけれど、真摯に伝えれば逃げた男雛と違いを相応の誠意で対応して下さると思うから頑張って。大丈夫。あなたは充分に魅力的よ」
「はい」
 後ろに下がったシュラインと交代で縁樹とノイが前に出る。
「これは僕とノイからです。この二対の杯はね、とても心をこめて作られたモノですから、だからきっと女雛さんの想いを助けてくれると想います。どうかこの杯でお二人でシュラインさんから贈られた白酒を飲んでくださいね。ちなみにこの杯に描かれた桃の花は僕が描いたんですよ。桃の花はね、何でも邪なる者を追い払う力があるらしいんです。だからきっとこの桃の花の絵が女雛さんの不幸を今後は追い払ってくれるはずです。ソーンっていう聖獣に守られた世界の桃の花の絵ですから、ご利益は万全のはずですよ」
 くすりと笑う縁樹。
『そうそう。ってか、だからアンタが』
「もう、それはいいの、ノイ」
 縁樹はノイの口を両手で押さえて、そして女雛に言う。
「頑張ってくださいね。女雛さん、魅力的な方なんですからもっと堂々として大丈夫だと思います。一生懸命、好きだってことを伝えられればきっと上手くいきますよ。それとね、白さんに聞いたんですけど、桃の花の花言葉って、私はあなたに夢中、っていうのもあるんですって」
 恥かしそうに俯く女雛。
 その女雛にノイが言う。
『心配ばかりしてても始まらないじゃん? あたって砕けたら…マズイけど。まぁ、頑張ってみてよ』
「僕たち応援してますから!」
 そして日和が進み出る。
「これを右大臣さんにあげてください。あなたと一緒に春を、これから先の季節を迎えていきたいです、という気持ちを込めて四季の花を刺繍した匂い袋です。中のお香もソーンの物ですから。とても香り良いんですよ」
 女雛はこくりと頷く。
「前よりもっといい笑顔になれて、もっと幸せになることが一番だと思います。どうかしっかり顔をあげて、いいお顔を見せてくださいね。応援しています、頑張って」
 セレスティが穏やかに微笑みながら女雛にプレゼントをそっと差し出した。
「私はこの扇と扇の飾りの組紐を。扇も組紐も私の手作りです。組紐はソーンの世界に住まう竜族の方や大蜘蛛に分けてもらった物をヤマタイコクの伝統技術を使って作った、この世界に一つのモノです」
「まあ、とても綺麗」
 皆の心に触れて女雛はとうとう笑みを浮かべる。
「告白するのはとても勇気がいりますが、でもきっとその勇気は報われますから、どうかその想いを素直に言葉に紡いで、がんばってください」
 そしてオーマはルベリアの花を女雛に贈った。
「昔、ひとりの女が世界一の男に惚れてこの花を贈った。その女はそいつと結ばれて、とても幸せに暮しているぜ。これはな、そういう花なんだ」
 ルベリアの花は女雛の想いを映している。
 オーマは女雛が両手で持つルベリアの花にそっと両手をかざし、そして能力を発動させる。
 ルベリアの花が映す女雛の想いはオーマの能力によって具現化同調されて、二つの輝石となった。
 とても綺麗に輝く輝石に皆は笑みを浮かべた。それが女雛の想いだから。
「女雛の嬢ちゃんも旦那をガッツリ腹黒筋肉ホールドしてカカア天下万歳地獄の番犬様ロードへGO…じゃねぇ。まぁ何だな、想いっつーのはどんな形でも本当にラブキュンな奴にゃぁ、必ずどっかで想い見て繋ぎ行くモンだってかね? だから自分の想いに素直になりな」
 そして恵美が小さな箱から右大臣を取り出した。
 右大臣はぱちりと目を見開く。
「ひゃぁ」
 女雛は逃げようとするがしかし、そこで足を止めて、皆を見回した。
 シュライン、縁樹、日和、セレスティ、オーマは優しく微笑みながら頷いた。
 そうして女雛は右大臣の前に緊張した足取りで歩いていく。
「女雛様、いかがいたしましたか?」
 小首を傾げる右大臣に女雛は言う。
 皆が見守る中で。
「右大臣殿、お慕い申しております。ですからなにとぞわたくしと結婚してください」
 女雛は頂いた数々の品を右大臣に渡し、必死に想いを紡ぐ。
「どうか、わたくしを」
「お、お待ちください。男雛様は? あなたは男雛様を慕っているのではないのですか?」
「そ、それは」女雛は首を横に振った。「勝手のいい話かもしれません。でもわたくしはあなたを今は慕っております。誰よりも。ですから、どうかわたくしを。わたくし、ばついちですけど、それでもよろしかったら…」
 しゅんと俯く女雛を右大臣は抱きしめた。
「女雛様、ずっと私もあなたをお慕い申しておりました」
 そうして管理人室に盛大な拍手があがった。



 2月14日。
 あやかし荘では男雛となった右大臣と女雛の結婚式が行われていた。
 それはオーマの意見で、オーマたちがソーンに旅立った日から嬉璃たちが用意していたモノであった。
「皆様、今日は本当にありがとうございました。わたくしたちのためにこのような」
 シュライン手作りのウエディングドレスを着た女雛はとても感激したように言いながら頭を下げた。
 からあげを口に放り込みながらオーマが肩を竦める。
「はん。それは言いっこ無しだぜ、女雛の嬢ちゃん。皆、おめえさんたちのためにがんばったんだからよ」
「そうそう。料理を作るのも、結婚式の準備をするのもとても楽しかったんだから」
 シュラインは優しく微笑みながら女雛にウインクした。
 そのシュラインの横でセレスティがくすりと笑いながら言う。
「そうですよ。美しい花嫁さんを見られてこちらも楽しませていただいているのですから」
「ええ。こんなにも可愛くって綺麗な花嫁さんは初めて見ましたよ、僕。ね、ノイ」
『う、うん』
 何やら珍しく反応が鈍いノイに縁樹はくすりと笑う。
「いやだ、ノイったら、照れてるの?」
『違うよ、縁樹。ボクは縁樹一筋!』
「はいはい」
 くすくすとその場に笑いが起こる。
「男雛さんもこんなにも綺麗な女雛さんを見れて幸せですよね」
 そう言う日和に男雛も照れてぎくしゃくとした動きで頷いた。
 そしてやっぱりそんな男雛に笑いがあがって、女雛と男雛も顔を見合わせあって、幸せそうに笑いあった。
「さてと、んじゃ、俺様からの最後のプレゼントだ」
 オーマはウインクして、そして窓の向こうに顎をしゃくる。
 外に出た皆の目の前でオーマは巨大な翼在りし銀の獅子へと変化する。
 そして優しい眼差しでオーマは女雛と男雛を見つめながら言った。
「さあ、スカイウェディングだ」
 女雛と男雛、そしてセレスティ、縁樹、シュライン、日和、嬉璃、恵美、皆を乗せてオーマは世界を駆け巡ったのだった。
 それはとても楽しく優しい幸せな時間だった。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


 シュヴァルツ総合病院の前に冥府の扉は繋がった。
 オーマは冥府の髪をくしゃっと撫でた。
「んじゃ、おめえさんも元気でな、冥府。いつかまた会えるといいよな」
 冥府はにこりと微笑み、そして扉が消えるまで見送ると、オーマは颯爽と身を翻して、病院の中へと入っていった。
 そして中に居た妻を見つけると、にぃっと微笑む。
 妻は胡乱気に眉根を寄せた。
「なに、オーマ、その表情は? 何かあたしにやましい事でもあるの?」
 オーマはおどけて両手を上げて見せる。
「おいおい、そんなんじゃねーよ。ちぃーっとばかし俺についてきてくれるか?」
 そう言ってオーマは妻の手を握って悪ガキのような顔で走り出した。
「ちょ、ちょっとオーマ」
 彼女もつられて走り出して、それからオーマの後ろ姿を見つめながらくすりと笑った。
 ――きっと昔を思い出したのだろう。
 それからオーマは外に出ると、翼在りし銀の獅子となった。
「オーマ。あんた、一体何を…」とそこまで言いかけて、彼女は溜息を吐いた。そしてオーマの背にひらりと乗る。
「なに、夜のデートに誘ってくれるの? どこに連れて行ってくれるのかしら?」
 オーマは翼を羽ばたかせて夜の世界を駆け、そしてあの花園に舞い降りる。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 あの晩よりも花たちは美しく咲き乱れ、舞い上がった花びらは人型に戻ったオーマと彼女を包み込んだ。優しく優しく抱きしめるように。
「オーマ、ここは?」
 そう言う彼女の声はどこか心あらずという風で、そしてその横顔はあどけない少女のような物だった。
「驚いただろう? 俺も初めて見つけた時はびっくりしたぜ」
 オーマは虚空を舞う花びらと共に風に踊る妻の髪を優しく掻きあげながら微笑んだ。
 そして彼女はそんなオーマの顔を飛びっきりの悪戯っぽく魅力的な横目で見ると共に自分の髪を撫でるオーマの手の手首を掴んだと想ったら、ひらりと虚空を舞台に美しく舞いを踊る舞姫かのような花びら舞い漂う空間にオーマの巨体を舞わせて、オーマを花園の上に押し倒したのだ。
 そして彼女はオーマの上に乗る。あの時と同じように。
「だから俺は女を押し倒すのは好きだが、女に押し倒されるのは趣味じゃねーって」
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 優しく花たちが音色を奏でる中で彼女はオーマの口にチョコを放り込んだ。そして哀れなネズミを弄ぶ悪戯好きの仔猫かのような微笑を両目を細めてオーマに形作ってみせる。
「どこであたし以外の女を押し倒してんのよ?」
 オーマはチョコレートを噛み砕いて、飲み込むと、にやりと微笑んだ。
 そして妻の後頭部と背中に優しく手をまわして、ごろんと回って妻を下にするとオーマは、
「バーカ。おめえ以外の女なんてもうおめえにバレた時の事を考えると恐ろしくて押し倒せるかよ」
 吐息で彼女の顔をそっとくすぐるようにそう囁いて、そしてオーマは幾億もの花びらが舞い降るように虚空で踊る中で妻に優しくキスをした。
 美しく咲き誇る花々はシュヴァルツ夫妻を祝福するように優しい音色を奏で続けた。そう、あの日、無事にミッションを終えて戻ってきた彼女にオーマが愛の告白をした時のように。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
「愛してるぜ」
「当たり前よ、オーマ」



 ― fin ―



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【1953 / オーマ・シュヴァルツ / 男性 / 39歳 / 医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】


【3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生】


【1431 / 如月・縁樹 / 女性 / 19歳 / 旅人】
 &ノイ

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛


こんにちは、オーマ・シュヴァルツさま。
いつもありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。


このたびはソーンと怪談の世界を行き来するお話を書きたい、と想い募集した依頼に参加していただけてとても嬉しく想っております。^^
最初はバレンタインなのにお雛様が出てくるし、オープニングが怪談だしで、ソーンのPLさんは参加し辛いかな? と不安に想っていたのですが、とても嬉しい事にオーマさんが参加してくださって、
無事に最初の計画通りに二つの世界を行き来できるお話を書けて嬉しかったです。
そ、それから三宝を持っている三人官女さんって、結婚なされているんですね。;
全然知りませんでした。ですから、既婚者同士で駆け落ちしたみたいです。;
こうやってお雛様、一体いったいにも物語があるのですね。^^
教えていただいた時はびっくりとしたのと同時に面白いなーと想いました。
今度調べてみたいと想います。^^



今回も本当に皆様、ものすごく素敵なプレイングを用意してくださって、とても楽しく書けました。^^
詰る事無く皆様のプレイングもまとめる事ができましたし。
ひとつひとつのプレイングをリンクさせて、集合して行くシーンがとても書いていて楽しかったです。


結婚式とスカイウエディングはオーマPLさんがプレイングで提案してくださり、最初に考えていた案よりも僕自身もすごく納得できるラストを書く事ができて、とても嬉しく想います。
怪談のPCさまはソーンに、ソーンのPCさまは東京に、いつもとは違う世界で動くPCさんたちを書けたのは本当にすごく新鮮でした。^^
また機会がありましたら、今度はソーンで事件が起こって、それでソーンのPCさんと怪談のPCさんとが協力するお話を書きたいと想います。^^
本当にありがとうございました。^^




オーマさま。
今回は本当に参加ありがとうございます。^^
ルベリアの花の設定もそうですが、それ以上にそれを奥さんからプレゼントされた、っていう設定がすごく素敵で。^^
その想い故のラストだったりします。
どうでしょうか? PLさまのイメージしていたシュヴァルツ夫妻の想い出に添う事ができていましたら幸いです。
過去、そして現在の二人を書く事が出来て幸せでした。^^
それと本当に物語を書く上で嬉しいお申し出、ありがとうございました。スカイウェディング、本当に嬉しかったですし、助かりました。



それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、ありがとうございました。
失礼します。