<東京怪談ノベル(シングル)>
□■□■ 今宵不夜城に向けて ■□■□
「ふうん……案外変わるものよね、髪型一つでも。眼鏡も特徴的だったから、外すだけで随分印象が変わるみたい」
「そうですね。一つの特徴的なパーツを用意していると、いざと言うときに便利です」
「あら、考えての事だったの?」
「さてどうでしょう」
「髪なんかも、長いと色々アレンジが出来て印象を変えるには便利だし……と、こんな感じかしらね。それじゃあ行ってらっしゃい、アイラス」
黒山羊亭のドアを開け、アイラス・サーリアスはふぅっと息を吐き、空を見上げた。
依頼を受けてその報酬で生活をしている身では、二つの大通りにある冒険者の店にも馴染みは深い。そのうちの片方から特殊な依頼が舞い込んだのは、昨夜の事だった。曰く、少々いつもとは毛色の違う、遣いのようなものらしい。しかも、出来れば正体のばれない格好で――とのこと。
正体が知れると危険な仕事なのだとしたら、それはそれで一興だった。何か危険があるのも、まあそれなりに退屈しない。元々冒険者として依頼を受けているのが日常なのだから恨みも買っていないことは無いだろうし、それに、修羅場には慣れている。昔から、今も、心は。
それでも気を遣ってか、それとも興味本位か遊びなのか――アイラスは殆どの店が閉まっているベルファ通りを歩く。足音がいつもより大きいのは、靴が違う所為だ。歩く度にしゃらしゃらと音が鳴るのは、服が違う所為だ。
女性と言うのは、遊ぶのが好きだ。人形遊びは女の子の特権だった、この世界でも、元いた世界でも。着せ替えたり髪をいじったり、それが発展して自分を飾り付けていく。男にはあまり判らない感覚、かもしれない――アイラスは、暗いショウウィンドウに写る自分の姿を見て苦笑した。
眼鏡を掛けていない自分の顔は、それなりに新鮮かもしれない。実用よりも伊達眼鏡としての傾向が強いいつものそれは、ボンテージ風にベルトが重ねられた赤いコートの内ポケットに入れられている。いつもは首の後ろで緩く束ねている髪も、今日はポニーテールにされていた。ぺしぺしと揺れるのは少し鬱陶しいが、新鮮ではある。
「写真でも見せられたら、自分でも判らないかもしれませんね……」
くすくすと笑みを漏らしながら、アイラスは聖都の西門に脚を向けていた。
■□■□■
西門の近くにあるのは、所謂貧民街というものだった。生活に困ったものや没落したものが寄り合って暮らしている、ささやかで質素な街。彼が知るスラムよりは幾分マシではあるが、それでも痛ましい心地には変わりが無い。
足早に通り過ぎれば、自然と服に付いている装飾品が乱暴に鳴らされた。足取りが重いのはブーツを穿いている所為でも慣れない服を着ている所為でもない、慣れない装備をしている所為でもない。絡み付いてくる視線の圧力によるものだろう。落ち着こうと深呼吸をしても、淀んだ空気が肺腑にねっとりと絡みつく感覚が増すばかりだった。
歩き続けてようやく視線を振り切れば、途端に極彩色が視界に入る。まだ遠いその門も向こう側は、歓楽街。非合法の組織が幅を利かせる、一角。
どんな世界でもどんな時代でも、そんな場所は存在する。判ってはいるし、自分もたまにそういった世界に関わる依頼を受けることはある――だが、こうして真正面からそこに入り込んで行くのは、流石にあまり無いことだった。ゲートにはガラの悪い男が二人、並んで立っている。煙草をふかしながら雑談していた彼らはアイラスに気付き、その身体を張った。
「よう兄ちゃん。なんか用かい」
「ああ、ちょっとばかし飲みにね」
「へぇん。初めてかい?」
「そうだな。エルザードに着いたのがさっきでね、旅の疲れを取りたいんだ」
「そーかい。余計疲れないようになぁ」
下卑た笑みで男達は道を開ける。第一関門突破と、アイラスは息を吐いた。正直、なれない言葉遣いは何時襤褸が出るか判らない綱渡り感があっていけない――下手な戦闘よりも緊張感が高まる、ような気もする。
光の多い場所では、夜空が幾分濁って見えた。顔を上げれば向こう側にはエルザード城の影が見える。城に向かってこんな通りを立てるのだから、中々に不敬で、不遜だ。
黒山羊亭や白山羊亭とはまた趣の異なる酒場が、通りの両脇に並んでいた。そして、女達が絶えず通り掛る連中に笑みと媚びで固まった言葉を投げ掛けている。今更赤面するほど初心ではないが、やはりあまり慣れないし、慣れたいとも思わない。懐から出したメモ用紙を確認して、アイラスは、通りの真ん中にある時計台を目指した。
ある女性を、ここから連れ出して欲しい。
黒山羊亭で馴染みの女性が依頼したのは、そんなことだった。
何でも、彼女が黒山羊亭に流れ着く前に居た店の同僚らしい。ある時から行方知れずになっていて探していたが、どうやら繁華街にいるらしいと突き止めたのが先日の事だったと。
この一角は非合法の連中が顔を利かせていて、店の経営もそちらに任せられている。もちろん、いざこざ専用の店員も控えているだろう――だから、そういった連中と渡り合いながら、どうにか連れ出して欲しい。後に禍根を残さないためにも変装をして、正体がばれないようにと。
しかし得物まで変えさせられるとは思わなかった。銃を持つのは随分久し振りの事かもしれない、昔は色々扱ったものだが、こちらに来てからは釵を基本にしていたし。髪形を変えて衣装を変えて、化粧も軽くさせられている。顔立ちや輪郭を誤魔化すには丁度良いとか――女性のそういう方面の知識には、ごくたまに脱帽する。
細工の施された四角い柱、その四面に時計が向いている。この下で待っていれば声を掛けてくる、そういう仕事をしているらしいが、とアイラスは辺りを見回した。該当しそうな女性が、周りに満ちている。苦笑して暫く待ってみることにするが、彼の気分は、あまり軽くは無かった。
こういう場所に立っていると、何処にいるのかが判らなくなってくる感覚がある。同じような空気の場所にかつて馴染んでいた所為なのか、どうも嫌なことを思い出しそうになってしまう。単純に雰囲気が苦手なのかもしれないが、それでも、頭をかすめて行くのは、あまり良い思い出ではない。
あの頃は仲間がいて。
そして、自分の手で。
暗い街を走って。
銃の反動に腕を揺らした。
それでも良かったけれど。
歓迎は、していなかった。
「あら、猫を探しているの?」
声に視線を巡らす。時間を彷徨っていた視線が、一人の女性を捕らえた。少し疲れた表情で笑みを浮かべている、二十代後半と思しき女性。黒いレースのワンピースをまとって、細長い脚は露出している。金髪が零れかかる肌は、病的に白い。
「ええ、ネズミを待っているので」
意味の通じない会話はただの合言葉。女性は笑い歩き出す、アイラスはその後ろを黙って付いて行く。髪が鬱陶しく背中を叩き、鎖は重く音を鳴らした。いつもと違う格好をしている所為だ、憂鬱なことなんて。普段より霞んだ視界の中、女性の背中を眺めながら、彼は溜息を吐いた。
■□■□■
「ああ、お帰りアイラス。それで、彼女は?」
閉店時間をとうに過ぎた黒山羊亭の中、グラスを傾けることもせずにただカウンターに腰掛けながら待っていた女性の言葉に、アイラスは苦笑する。キョロキョロと見回す仕種の後で、不安げに、見詰めてくる様子――常の彼女らしくないそれに、彼は黙ってスツールに腰掛ける。彼女の隣から一つ分、スペースを上げて。
「彼女には会えました。でも、断られてしまいましたよ」
「断る、ッて……どうして」
「彼女があそこで娼婦をしているのは、彼女自身の望みだそうです」
アイラスは、視線を天井に向ける。
「聞きましたよ。彼女、行方知れずになったんじゃなくて、無理矢理連れ去られたそうですね。貴女と彼女が昔働いていた店に、妙な組織の連中がやって来て。あそこに店を開くから女を寄越せと、最初は貴女の腕を掴んだとか」
「…………」
「それを彼女が庇って、あそこに行った」
「……そう、よ。ッ聞いたなら! 聞いたならどうして連れて来てくれなかったの、どうして助けてくれなかったの!? あの人いつも私のこと、後輩だって可愛がってくれて、だから助けたかったのに、なのにッ!!」
「彼女がそれを望まなかったからです」
弟や妹を人質に取られている。だけど、前までよりずっと良い暮らしを出来ている。スラムでは金持ちも、蔑む人間もいない。食べ物は貰えるし、お金だってそう。逃げたってどうしようもない、あの子が助けてくれると言っても、環境は変えられっこない。それに、余計な荷物なんか背負わせたくない。黒山羊亭でやっていけてるのなら、過去なんて、忘れて欲しい。あの子にも、貴方にも、迷惑は掛けられない。
彼女はそう言って寂しげに笑い、嘘を教えた。
「給料も桁違いに良いし、丁度お金が入用だったから、渡りに船だったそうですよ。笑われてしまいました。ずっと良い暮らしを出来ているんだから、気にしなくて良いと。自分のやりたい方に頑張っているのなら、こちらに余計な世話など焼くなと。ですから、連れ出すことは出来ませんでした」
部屋を借りますね、と呟き、アイラスは立ち上がる。カウンターに伏せて、彼女は肩を震わせていた。それをなるべく見ないように、奥へのドアに向かう。
「アイラス」
「何でしょう」
「ありがとう。元気なのね、彼女。相変わらず嘘吐くのは下手くさいけど」
「…………」
「それだけ」
変身。変装。
変わりたくて変わった、仕方なく、余儀なくされて変わった。
そんな姿を見られるのは嫌だったのだろう。
何も見られたくなかったのだろう。
彼は部屋の中、閉じたドアに背中を預けながら、自分の姿を見下ろす。いつもとはまるで違う自分の姿、まるで別人のような姿。鏡の中には眼鏡もなく、役者のように化粧をして、輪郭すらも誤魔化された顔。普段は付けないイヤリング。ボンテージ風味の赤いコート。垂れ下がる鎖、背中を叩くのはポニーテールの髪。
それはまるで道化のように偽物の姿。
着替えていつものように眼鏡を掛けて、髪も戻して化粧も取って。それでもあの頃とは違う、あの頃とはまったく変わってしまった自分がいるのなら。
きっと『過去』になど、見せられない。
「……っと」
苦笑して、溜息を吐く。
「関係ないことですけれどね」
沈みそうになった心を誤魔化して、彼はコートを脱いだ。
|
|