<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


□■□■ 片翼の友 ■□■□


 控え目なノックにドアを開けたエスメラルダを見上げたのは、二人の子供だった。
 一人は十四、五歳と言った所だろうか。金髪を黒いローブに垂らした、まだあどけなさの残る少女である。その傍らには、まだ十歳にも満たないような少年が付いていた。こちらは濃紫の短髪を、白い外套に散らせている。裾が長いのか地面を擦ってしまって、それは随分汚れていた。
 姉弟という風情ではないし、その雰囲気は酒場に似つかわしくない。ほんの少しだけ不安そうに、少女が、エスメラルダを見る。

「こちらで冒険者を募って頂けると――お願い出来るでしょうか」

 少女の幼い声が響く。酒場の談笑はいつの間にか途切れ、彼らの声だけが響いていた。エスメラルダは苦笑して、二人をJウンターの席へと招く。少年はスツールに腰掛けられないのかよじよじとしていたが、少女が手を貸す気配は無い。ただ、それを見ている。

 エスメラルダが二人の上着を預かろうと手を伸ばすと、二人は外套の紐を解く。
 中からは、翼が伸びていた。
 少女の背には黒い、蝙蝠のようなそれ――悪魔。
 少年の背からは、純白の翼――天使。
 だが二人のそれは片方ずつしかない、二人そろってやっと一人前という様子だった。

「……見ての通り、私達は片翼です。飛ぶことも出来ないので一族に捨てられ、流浪していた所を出会いました。神と魔に分かれる性質なので互いに触れることも出来ませんが、一緒に――過ごして、います」
「俺達は、それでも良いと思って旅をしてきた。だけど噂を聞いたんだ、神と魔と、相反する二つの性質を中和出来るアイテムがあるらしいってな。『歌の欠片』っていう腕輪らしい。それがあれば俺達は触れることが出来るんだ――もしかしたら、一緒に飛ぶことだって出来るかもしれない」
「ですからそれを手に入れて頂きたく、参りました」

「ちょっと――待って」

 エスメラルダが二人を遮る、その顔は引き攣っていた。

「貴方達、知ってるの? 『歌の欠片』っていう腕輪の噂はあたしも聞いたことがあるわ、だけど、それを手に入れるのは半端じゃなく難しいと言って良い。合法でも非合法でも、暴力でも奸計でも、殆ど無理と言って良いわ。判っているの、それがあるのは」

 彼女の言葉を引き継いだのは、少年だった。

「エルザード城宝物殿」

■□■□■

「神と魔では相反すると聞いていましたが、触れることも出来ないほど相性が悪いとは思っていませんでしたね……一部だけとはいえ、それは少し辛そうです」

 黒山羊亭のカウンター、話を聞いたアイラス・サーリアスはふぅっと溜息を吐いた。手の中のコーヒーは砂糖もミルクも無く苦いが、眠気覚ましには丁度良い。客は殆ど引けて、店内に残っているのは、眠りこけた酔っ払いと数名の冒険者だけだった。
 流石に城に入り込む度胸が無かったのか、客は殆どがそそくさと会計を済ませて出て行った。彼らも一端の冒険者でありプロなのだから今夜のことを口外する事は無いだろうが、それでも懸念は残る。傍らに佇むエヴァーリーンを見上げ、アイラスは苦笑を向ける。

「僕は行ってみるつもりですけれど、エヴァさんはどうしますか? 残っているということは期待が出来そうだと思っているのですが」
「そう、ね……正直、面白いとは思うわ……。城の宝物殿なんて、リスクが高すぎて誰も依頼してこない場所……ですもの、ね」
「それは、そうですが」

 リスクを遊ぶのが危険だとは、充分に判っている。それでもたまには良いだろう。彼女は奥の部屋へと通じるドアを眺め、二人の様子を思い出す。
 次々と客が消えて行く店内で、二人は笑っていた。仕方なさそうに苦笑を浮かべて、判っていたとでも言いたげに。やっと見つけた可能性で、それでも無理だと殆ど諦め掛けていて、でも一縷の望みに縋ってここにやって来て――でも、それは、無理だった。諦めたような疲れたような表情を浮かべた二人を、エスメラルダは置くの部屋へと通した。休むようにと促して。
 諦めている。無理なのだと。それでも、きっと心の底では望んでいるのだろう。少し割には合わない仕事かもしれないが、簡単すぎる仕事よりは余程興味はそそられる。酔っ払いが片隅のテーブルを支配している高いびきを聞きながら、エヴァーリーンはエスメラルダを見る。

「取り敢えずは、情報収集からね……エスメラルダ、あなた確かその腕輪のことを聞いたことがある……とか?」
「ええ、噂程度ならね。元はどこかの遺跡から発見された古代装飾品の一種だとか……それをつけている間は、あらゆる種族の壁を越えられる。触れる事は勿論、言葉も統一されるとか」
「ソロモンの指輪みたいですね」
「…………?」

 アイラスの言葉に、エヴァーリーンが小首を傾げてみせる。

「ああ、僕のいた世界の御伽噺……ですね。賢者ソロモン王が持つ指輪はあらゆる動物との会話を可能とし、彼に力を貸したという。ですが、となると一度借りてまた返して、と言う事は無理ですか」
「そうね、ずっとつけていなくてはならない類だわ。ねぇ……まだ二人には正式に依頼を受けると言っているわけじゃないんだから、今からでも下りるのは遅くないわよ、二人とも」

 流石に、ソーンを納める国王の城に不逞の目的を持って忍び込むのはあまり賢い生き方ではないだろう。エスメラルダの言葉にアイラスは苦笑をして、エヴァーリーンは視線を逸らす。判ってはいる、それでも、ちょっとした危険を愛してしまう性質――そして、なんとなく放っておけない心地があるのも事実なのだ。心配はありがたいが、それでももう腹は括っている。
 二人は殆ど同時に立ち上がり、カウンターのスツールに腰掛けているエスメラルダに視線を向ける。

「噂が広がる前にことを起こしたほうが良いのは確かですね。明夜、決行としましょうか。僕はその間にちょっと打診して、なんとか貰い受けることが出来ないか調べてみます」
「私、は……城の内部構造を、調べておくわ。色々とトラップは警戒するべき、だし……何か抜け道の類があるのなら、利用する……とにかくばれないようにの細工は、必至ね」
「ああ、城の構内図なら僕が覚えていますよ。後で書き写しておきます、それと兵の見回り時間も」
「なら、助かる……わ」

 ぱたん、とドアが閉じる音。エスメラルダはふぅっと溜息を吐いて、空になった店を見回した。そして、巨大なイビキを掻きながらテーブルに突っ伏している一人の酔っ払いの頭を、ぺしっと軽く叩く。

「……オーマ。起きているでしょう?」

 青い髪の巨漢、オーマ・シュヴァルツはイビキを続ける。
 エスメラルダは、ふぅっと溜息を吐いた。

「気が向いたら手伝ってあげなさいな、あの二人のこと。アイラスはエヴァじゃなくて、あの子達のことよ。貴方好みの愛情一本でしょう?」
「んーぁ、もう食べられません親父マッスル精神人面草アニキ魂ー……」
「とぼけきるつもりなら構わないけれどね」
「眼鏡なんてものは飾りです、偉い人にはそれが分からんのですー……アニキハートは時空を超えてそして時は動き出す……」

 寝言だけが、響いていた。

■□■□■

「っと。危ない危ない」

 相棒の飛竜、ルドラの背に乗って、レニアラは黒山羊亭の上を飛んでいた。
 いつものように情報収集がてらに黒山羊亭へ向かおうとベルファ通りを歩いていた所で、酔漢達の言葉に耳を傾けたのは偶然である。城に泥棒なんて冗談じゃない――黒山羊亭の中でよく見かける男達だったので、出所の予想は簡単についた。ドアの閉じられた店の前、常よりも随分と静かな店内。窓の近くに身体を寄せて耳を傾けていれば、どうやら目的が宝物殿らしいと知れる。

 出て来た二人と鉢合わせないように、急いでルドラの背に身体を預けて空へと逃げたのだが――まだ肌寒い夜気が身体を冷やす夜空で、レニアラはくくっと喉で笑って見せた。

 情報収集も確かに目的ではあったが、今日はそれが本分と言うわけでもなかった。昨今は国境付近が少々喧しくなっている。城の兵達も腕は悪くないのだが、いかんせん実戦経験の不足は否めないのだ。ここは場慣れしている連中を送り込む方が効率的では、ある。例えば冒険を生業としている連中のような。
 飛竜の背を撫で、彼女はその首を月光に聳え立つ城へと向ける。出て来たのは先程の事だが、気にはしない。まだ家人も王も眠ってはいないだろう。善は急げと言うのだし。

「レーヴェもさぞ腕が鳴るだろうな……ふふふ、さて、明夜が楽しみだ」

 口元に浮かんだ幾分意地悪い笑みを手袋に包まれた指先で覆い、レニアラはまばらな明かりを保っているエルザード城へと向かった。

■□■□■

「ああ、話は聞いておる」
「んぁえ?」
「ええ、すっかり聞き及んでおりますわ。今夜、アイラスさんとエヴァさんが城に忍んで来られるとか。警備はいつも通りにしておきますから、どうぞご自由になさって下さいな」
「あ、いや、そう、なら、良いんだが――」

 にこにこにこ。
 待ち時間を厨房の手伝いで過ごしていたオーマは、謁見の間で話を切り出した途端にそう告げた聖獣王とエルファリアの笑顔に、妙な違和感を覚えていた。

 宝物殿に仕舞われているぐらいなのだから、件の腕輪はそれなりに価値のあるものであるはずだろう。それを容易く持ち出し、否、譲渡するとは少々考え難いものがある。彼の腹黒センサーにビンビンと引っ掛かるその心地はどうも落ち着かないが、王族二人の笑顔には追及を許さない空気が纏われていた。聖なるオーラは腹黒オーラを微妙に曲げる。王族恐るべし、ううむ。

 黒山羊亭で酔い潰れることはままあることで、その振りをして話に耳を傾けることも、彼にはよくあることだった。困っている人を放っておくなんてできない、それが素敵なラブハート。親父の愛は銀河を駆ける一千万年。それでもただ人を傷付けるような依頼には関わり合いたくないから、眠っている振りで様子を吟味する。
 昨夜の話題にしても、依頼の行き先が宝物殿と言うことで暫く様子を見ることとしてはいたが――やはり、放っておけるタイプの依頼ではなかった。引き離される二人には充分同情の余地があったし、それに、触れられなくても共に居ることを選択している二人が、眩しくもあった。誰もが愛で繋がることが出来るのならばそれは素晴らしいことなのだと、彼は思う。それが親父の愛精神。

 余り表立つことなく、こっそりひっそりマッチョに手助けをするつもりではあったのだが、この王と王女のオーラに一抹の腹黒を感じるのは一体どうしたことなのか。腑に落ちない心地のもと、頭を掻く彼に、エルファリアがにっこりと笑い掛ける。

「こちらが容認しているとばれるのは事ですので、オーマさんには少しだけ邪魔……を、して頂きたいのですわ。致命的なものではなく、あくまで形だけですが、誘導の意味も込めてトラップでも。お願い出来ますでしょうか?」
「あ、ああ、判った、けど――」
「けど?」
「いや、なんでもねーわ。うーむ、じゃあ迷惑掛けるついでにちょっくら厨房の手伝いでもしてきマッスルかね? 本日のランチは腹黒スパイラルで捩れる愛☆コースだから、張り切って腹を減らしといてくれ、二人とも」
「ええ、それではお願い致しますわ」

 ……やっぱりなんか腑に落ちない。
 オーマはふわふわと頭の上に疑問符を具現化させながら、厨房に向かっていく。
 柱の影からその様子を見ていたレニアラが、くっくと喉で笑っていた。

■□■□■

「……妙に、静か……ね。いつも、こんなもの……なのかしら」

 ぽつりと呟かれたエヴァーリーンの言葉に、アイラスも回廊を見渡す。城には勿論夜通し警護の人間がいるのだが、それも巡回時間は定められていて、誰も居ない『穴』の時間帯も確かにあることはあるのだが――今夜の静けさは、どうにも妙な気配が漂っていた。警戒心が働いてしまっているだけなのかもしれないが、それにしても違和感はある。
 忍び込むのが容易いのは有り難いが、嵐の前の静けさという言葉もあるのだし――あまり油断をしていては痛い目をみるかもしれない。ヒゥン、と鋼糸で周囲の気配や罠を探りながら進んで行く彼女の後ろで、アイラスは釵を持つ手に力を込める。

 城への出入りは、比較的多い。兵達の訓練の仕事もしているし、依頼を通して城の人間たちと知り合ったことも多々ある。信頼されているからこそ、本当は穏便にことを運びたかったのだが――流石に宝を貰い受けるのは不可能だった。買い取るにしても国宝の額では少々つらいものがある。元々の予定通りや韻に乗じて忍び込んだは良いが、それでも警戒心は強かった。
 何と言うか、落ち着かない。一体どうしてなのか、まるで誰かに見られているような、見張られているような心地があった。首筋に走る嫌な汗には少し覚えがある。ちらり、辺りを見回すが、見付からない。黒山羊亭で飲んだくれていたあの姿は本当に眠っていたのだろうか? 脳裏に浮かぶマッスルな姿を振り切る――

「…………」
「………………」
「……………………」
「アイラス。私……ひどく妙な幻覚が見える、わ」
「ええ僕も出来れば幻覚と思いたいんですが、えぇと、そう見えません」
「あの存在感、は……幻覚として片付けられない。わね」
「はい。無理って言うか不可能の聖域に入っています」

 ひよーん、ひよーん。
 あははうふふ。
 わさわさわさわさわさ。

 回廊の角を曲がると、そこには未知の世界が広がっていた。

 にこやかな笑顔を浮かべる人面草、そして漂うマッスルアニキの亡霊。ポージング合戦をしながら宴会をしている霊魂軍団、巡回で通り掛ったのだろう、泡を吹いて倒れている兵士達。城の中にこれでもかと言うほど展開されている、馴染みたくない心地がありながらも馴染んでいるその光景に、アイラスはがっくりと項垂れた。エヴァーリーンは、彼女にしては珍しく、硬直している。眼を見開いて、展開されている世界のイロモノさを凝視している。

 何、これ。何事ですか。

「…………ねぇ。何、かしら……これ。聞いていない、わ」
「僕も……僕も聞いていません」
「はーっははははは!! 驚いたかバッキュン若人達め!!」

 カッ! カッカッカッ!!
 どこからともなくサーチライトが展開される、否、現在その存在意義はサーチライトではない、スポットライトだった。くるくると装飾的に回る光の円が、たまに階段の踊り場に佇む『彼』の影を掠める。何故か黒いマントを羽織り、その背中には金色のラメで『腹黒』の文字が躍っていた。
 何も見たくない、何も考えたくない。思わずエヴァーリーンの背中に隠れるアイラスの様子など気にすることも無く、ライトはその人物に当てられる。シルエットがくっきりと照らされる様子に、エヴァーリーンは、ひたすら硬直していた。

「城に忍び込むとは不届き千万、正面突破でドッキリスッキリムッキリと来るのが世の常人の常平たく言えばお約束と言うもの! それを無視して抜き足差し足にしようとするから腹黒に道をふさがれるのだ! 今宵の腹黒仮面はお前らに試練というものを派手にムキムキと――」
「……………………悪いけれど急いでいるし隠密行動の真っ最中だからちょっと黙っていて」
「げふ!!」

 ヒゥン、と飛ばされた鋼糸がダイレクトに腹黒マント……もとい、オーマにヒットする。豪快に血を吐いて倒れる姿を無視して、エヴァーリーンはイロモノ世界に脚を一歩進めた。
 と同時に、床が抜ける。

「ッと!!」
「…………」
「イロモノに惑わされてはいけませんよ。気をしっかり持たなくては相手の思う壺ですから」
「……それは、癪に触るわね」
「そういうことです」

 落ち掛けた彼女の腕を掴み、アイラスが苦笑した。

■□■□■

 仕掛けられた数々のイロモノトラップに道を阻まれながらも、二人はその脚を確実に宝物殿へ向けていた。立ちはだかる人面草を薙ぎ払い、マッチョを刺し、進んで行く。楽に行けるとは思っていなかったがここまで派手な歓迎だとは聞いていない、心身ともに疲れる道の中、ふぅっと二人は息を吐く。

「……正直、勘弁して欲しいのだけれど、こう言うのは……気付かれないように、行動するはずだったのに…………筒抜けになっている、じゃない」
「単純なトラップだけだということは、本気で僕達の邪魔をしているわけではないのでしょうけれど……何だか嫌な気配は感じられます、ね。いや霊魂で無しに」
「いやいやまったくだぜ、こんな疲れるハードナイト☆ になるだなんて聞いてねぇっつの」
「…………!」
「げふん!!」

 いつの間にか背後に寄っていた気配を逆さ吊りにして、エヴァーリーンは脚を進めて行く。少々意地になってきているのかもしれない――予定通りに事が進むと高を括っていたわけではないが、ここまで見事に予想外なのは珍しい。飛ばした鋼糸が床のすれすれを走り、トラップの仕掛けを悉くに粉砕した。そんな彼女の様子に消えない苦笑を浮かべながら、アイラスは吊るされているオーマを見上げる。

「しかし珍しいですね。オーマさん好みでしょう、こういう依頼は。愛とか関わってますし」
「ぶらーんぶらーん……はっはっは、何を言うアイラス、当たり前に好みに決まってる。ラブマッチョを愛する精神はどこにあっても変わらない、燃える上腕二等筋はいつでも震える若人の前に立ちはだかる障害を薙ぎ倒すためにピクピクと震えているのだ」
「じゃあどうして、こんな風に僕達の敵側に周っているんでしょうね。騒ぎにも拘らず誰も出てこないということは、示し合わされているようにも感じられますよ。皆さんの信頼を裏切らずに済むのは良いことですが……踊らされるのも、癪ですから」

 つんつくつんッと釵に突かれて仰け反りながら、オーマは蓑虫の身体を捩る。にこにこと笑うアイラスの視線に圧力を掛けられながら、彼は胸を張って開き直った。

「愛には試練が付き物だからな! ラブ親父は時として厳しさを持ち、人生の先輩として障害にならねばならない宿命を背負っているのだ!」
「…………」
「お前達にも☆」
「いや僕達は違いますから」

 アイラスの眼鏡が光り、ざくッと釵が刺さった。

「そこの漫才コンビ、いい加減に雑談を止めて頂戴…………」

 冷ややかな声に視線を向ければ、エヴァーリーンは廊下一面に鋼糸を張り巡らせていた。蜘蛛の巣を連想させるそれに眼をすがめ、アイラスは小首を傾げる。どうやら対人結界の類ではなく、均一な可視の糸を使用したもののようだが、どうするつもりなのか。長い廊下の向こうには巨大な扉が構えられている、目的の宝物殿は近い。だが辺りにはまだイロモノの気配が濃く漂っていた。彼女はピンッと糸を弾き、二人を振り向く。

「トラップとは言っても、物理的なものが主だったようだし、ね…………鋼糸を伝って空中を渡れば、回避は出来る、でしょう……? 邪魔をする気が無いと言うことは、捕縛などの危険性も無い……魔法を警戒していたのだけれど、それも平気そう……だから、ね」

 糸を引き、鳴らし、彼女は音の響きを見る。振動に反応する類の罠がないことも確認してから、二人を一瞥した。蓑虫のオーマはよじよじと身体をうねらせ、苦笑を浮かべるアイラスは、肩を竦めている。

「僕は出口のルートを確保しておきますね。この辺りなら、隠しの非常口があったはずですから……そこに何も罠が無いか、確認しておきます。オーマさんは暫く吊るされて置いてください」
「待てアイラス! カムバック腹黒、頭に血が上るとお父さんはとても辛い!」
「じゃあ、お願いするわね……私はさっさと腕輪を取ってきて、黒山羊亭に戻りたい、から。その前にこの人をなます切りにしておきたい所だけれど、『今回は』勘弁してあげる……」
「人を無視するな若人達! 年長者は敬って下さいお願いします!!」
「それじゃあ頑張って下さいね」
「お互いね」
「こらぁあぁぁ!!」

■□■□■

「そう言う訳で、証人は山ほど居るわけなのだが」

 にこり、浮かべられた微笑の冷たさに寒気を憶えながら、アイラスは口元を引き攣らせていた。
 一晩の明けた黒山羊亭。腕輪を渡して二人を手早く逃がし、司直の手が届かないようにしたのは対先程のこと。腹黒オーラの疲れを癒すために少しのんびりとした気分でカウンターに腰掛けていたところで、隣に腰掛けてきたレニアラに彼は脅迫されていた。

「昨夜の城の騒ぎは凄いものでな……何せ廊下一面に謎の人面草の胞子がばら撒かれているわ、妙な筋肉男の幽霊が迷子になっているわ。あげく宝物殿の鍵が破られて、宝が一つ無くなっていた。表立った騒動になっていないのは、そもそも、王がそれを見逃していた所為なのだが」
「取り敢えず城に残されている様々な残滓は僕に関係の無いところなので、追求は是非腹黒同盟本部に行って頂きたいのですが、そして僕は少し用事を思い出したので失礼したい気分なのですが」
「まあそう急くな人生を」

 がし。
 立ち上がろうとしたアイラスの肩はグッと強い力で掴まれた。逃げられない。腹が立つから、と言ってさっさと去って行ったエヴァーリーンに倣っていれば良かったと、彼は切実に思っている。にこにこと浮かべられているレニアラの微笑の邪悪さが、心底から嫌な予感を掻き立てていた。

「王に事の次第を伝えたのは私でな。最近はアセシナートとの国境付近が少々煩いし、ここは一つ恩でも売って少しばかり働いてもらうことにしてはどうかと……なぁ?」
「…………そんな取引がされていたなんて初耳なんですが」
「ちなみにオーマ殿は既に捕獲されている。今朝蓑虫になっているのが発見されたからな、丁度良かったぞ。何、そう無理難題を押し付けるつもりはない。代金として少しばかり仕事をしてもらいたいと、合法的に持ち掛けているだけだ」

 断ればどうなるか、むしろ断るという選択が用意されていないことに、アイラスは深い溜息を吐いてみせる。どうも厄日が続いているようだが、諦めるしかないのだろうか。逆らえば法の裁きが待っているのだろうし、後ろめたさも幾分手伝ってはいる。選べる道などどこにも用意されていない。

「何、心配することは無い。将軍の首ぐらいで許してやる」
「ッて激しく戦わせるつもり満々じゃありませんか!?」
「はっはっはっはっは。お尋ね者より英雄を選ぶが良い」
「どっちもイヤですよ!!」



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

1953 / オーマ・シュヴァルツ /  三十九歳 / 男性 / 医者兼ヴァンサー腹黒副業有
1649 / アイラス・サーリアス /   十九歳 / 男性 / フィズィクル・アディプト
2403 / レニアラ       /   二十歳 / 女性 / 竜騎士
2087 / エヴァーリーン    /   十九歳 / 女性 / ジェノサイド
<受付順>


■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 こんにちは、またはお久し振りです、最近のろりと怠け癖が付いて中々即日仕上げに扱ぎ付けられない状態になって来つつあるらしいライターの哉色です。この度はエルザード城イロモノツアー・裏の裏まで騙し切れ!シナリオにご参加頂きありがとうございました、早速納品させて頂きますっ(何事ですか何事)。くるくる騙し合戦になっておりますが、少しでもお楽しみ頂けて居れば幸いです。それでは失礼致しますっ。