<東京怪談ノベル(シングル)>


 □生まれゆき、紡がれて□


 きん、と鼓膜を揺さぶる独特の振動にオーマ・シュヴァルツは顔を上げ、空を見上げる。

「はいよ、全部合わせてお代は金貨一枚の半分ね。……ちょいとオーマ、どうしたんだい?」
「ん。ああ、いや。珍しいもんが飛んでやがるなぁと思ってさ」

 そう言ったオーマの指差した先にあったのは、鳥の数倍はあるだろう黒い点だった。それは見る間に大きくなっていき、広場に集っていた子供などは近づいてきた珍しいものに気付いて歓声をあげる。
 大きな船体にぴんと張られた帆、それに加えて左右に幾つも展開されている可動式の翼は、バランスを取るかのように一定の速さで動きながら優雅とも言える様を見せ付け、やがて聖都より太陽の光を一瞬だけ奪い、去っていった。
 雑貨屋の女主人は曲がった腰を伸ばしながら店先から首だけを出し、上空に広がるその様を見て眉をひそめる。

「道理でやかましいと思ったら飛行艇かい、最近よくここらを飛んでいくんだよ。全く、どうせ飛ぶんなら日を分けずに一気に飛んでけばいいのにねぇ」
「今度はどこの世界からの客人だろうな」 
「どこからでもかまやしないさ、アセシナートに与するような奴らじゃなかったらね」

 オーマから金貨を受け取った女主人は皺だらけの手で釣りを籠から掴み上げ、ふん、という鼻息と共に一回りは大きいであろう男の手のひらに落とす。

「先日もどっかの集落がやられたそうだよ、皆殺しだったって話だ。そこの住人にゃ罪はないだろうに、奴らときたらそりゃもう悪魔もいいとこさ」
「また何かおっぱじめようとしてるのか? 奴ら」
「さあねぇ、でも西がきなくさいっていう話ならこの前やってきた行商人から聞いたよ。東南の神殿、そして南の教会がやられたらしいから、次は西じゃないかって程度の噂話だけどね」
「そうか……。じゃあ婆さん、ありがとな。今度来る時もまた腰にきく薬草取ってきてやるから、端数はまけてくれよ」
「五より下の数ならね。まいどあり」

 雑貨屋を出て広場を歩き、一直線に家路を辿ろうとしてオーマは足を止めた。また、空を見上げる。

「……うぜぇ」

 安っぽい鐘を一定の間隔で鳴らしているかのような音が、オーマの鼓膜を煩く弾いていた。
 最初はどこかの子供が玩具で遊んでいるのだろうと思い気にも留めなかったオーマだったが、しかし数日おきに必ずと言っていいほど鳴るのに加えどこにいても聴こえるのであれば、何かが異常であると認めざるを得ない。
 
「問題は『何が』異常なのかってハナシだ」

 鼻を鳴らし、空気を嗅ぐ。どこかも分からない遠くから微かに、ほんの微かに漂ってくる匂いがあった。
 ウォズが力を行使する際に溢れ出す具現波動。それは匂いとなってオーマの鼻を刺激するが、しかし今風に乗って運ばれてくるそれは、いつも嗅ぎ付ける物とは似て非なるものだ。もっと近くにその具現波動を発している固体がいれば識別は容易だが、しかし匂いのもとはオーマが一朝一夕に辿り着ける場所にはないようだった。

 空を行く、どこの物とも知れない飛行艇。
 そしてこの耳鳴りと、いつもとは違う具現波動の匂い。

「ひと騒動、ありそうだな」

 オーマは雑貨屋へととって返した。
 のん気に欠伸などをしていた女主人はオーマの再度の来訪に、おや、と皺に埋もれそうな目を少しだけ見開く。 

「どうしたんだい、買い忘れでも?」
「ああ。悪ぃが携帯食料一式と、この前異世界から入ったっていう固形燃料くれ。ちっとばかし遠出する羽目になりそうなんでな」
「固形のヤツは高いよ。……ところで、どこに行くのさ。もし近くを商売馬車が通りそうな場所だったら、ついでに仕入れてきてもらいたいもんがあるんだけどねぇ」
「すまねえがそれはまた今度な。それに、俺が行くだろう場所にゃ商売馬車は通らねぇだろうし」
「一体どこに行くんだい?」

 袋に携帯食を詰め込み始めた女主人の背中へと、オーマは言った。

「なぁに。ちょっくら俺を呼んでいる場所へ、さ」





 乗合馬車に揺られながら、オーマは徐々に近くなるウォズの匂いに何度か鼻をひくつかせていた。

 「この時期はただでさえあっちに行きたがらない旅人が多いってのに、よくねぇ噂がはびこってるもんだから尚更に人が少なくなっちまって。まったく商売あがったりだよ」と御者を務める男が言った通り、オーマ以外に馬車に乗っている者はまばらにしかいなかった。
 オーマにはどこからウォズの具現波動が漂ってきているのか、というのは明確には分からない。その為、残ったウォズの匂いと己の勘のみを頼りにここユニコーン地域外へ出てきたのだが、匂いの元に近づくにつれそちらの方向に向かう人々が明らかに減っているという事実に、オーマは顔をしかめる。
 現在馬車が向かっている先は、西に位置する旅業者たちが中継地点として利用している割と大きな街だった。名産である作物の収穫が近いので常ならば人でごった返している時期だというのに、この人の減りようは明らかに異常だった。

「何か手がかりでも得られりゃいいんだが……。それに、この匂いのおかしさも気になる」

 オーマが封印を施し続けているウォズというものは一般に攻撃性が高いと言われているが、ここソーンには住人と共存を図ろうとする者や、相手を屠る事以外の喜びを知った者など、いわゆる独自の進化を遂げたウォズが数多く存在する。
 だが、異世界ではソーンで確認されているようなウォズは確認されてはいない為、ソーンに滞在する事によって何らかの変化が生じたウォズの事を、ヴァンサーたちは他のウォズと区別する為に『異端』と呼んでいた。
 進化が具現波動にも影響を及ぼすのか、『異端』の発する具現波動の残滓と普通のウォズのそれは微妙に違っているが、聖都からずっと嗅ぎ取り続けているものはそれらとは明らかに異なる匂いを発している事に、オーマはいつしか胸騒ぎを覚えていた。嗅ぎ慣れないこの匂いは、胸の奥底からオーマをじりじりと不快にさせるだけの力を持っていた。

 『異端』でもなく、ましてや異世界から入り込んできたウォズでもないとなれば、一体この波動は何だというのか。
 答えが得られないままにいつしか馬車は動きを止め、御者がオーマの名を呼び目的地に到達した事を告げる。そう多くない荷を背負いながら馬車を見送った彼が振り返った先には、街を取り囲む柵があった。
 朝焼けの中、オーマはゆっくりと石づくりの門へと向かって歩き出したが、彼の足は意外な程に早く止められる。
 
「待て」

 早朝にもかかわらず、意思の強そうな黒々とした瞳の兵士は、手にした長槍を倒してオーマの進行を遮った。

「何だ? こちとらとっても怪しそーに見えてもその実とっても怪しくなかったりなんだりする善良な一般人だぜ」
「その物言いと格好だけで十分怪しい!! ……まあいい、旅人ならば持っているだろう。出せ」
「兵士が朝っぱらからカツアゲたぁ凄い街だなオイ」
「ちっ、違う!! 私が言っているのは通行証の事だ!! 旅を行う際に出立する土地ごとに配布されている筈だろうが!!」
「あ? あー、そういやそんなもんあったっけか。ほらよ兄ちゃん。ところでちょっくら聞くけどよ、最近この辺って何かよくねぇ話とか広まってないか」

 オーマがポケットから取り出した、見事にヨレヨレ状態の通行証を確認の係に渡した兵士は、その言葉に兜の下の顔を盛大にしかめた。

「わざわざそんな不穏な話を聞かせて広める手伝いをするほど、我々は暇ではない」
「広めたりしている暇も、こっちにゃないさ。――――で、一体何がありそうなんだ」

 打って変わって真剣な口調になったオーマに一瞬怯みはしたものの、すぐに咳払いをし、兵士はそっと声を落とす。

「独り言、として片付けておいてもらいたい。……実は、ここ数ヶ月前から不穏な噂というものは流れていたのだ。
 武器商人やきなくさい物売りなどが西に向かって流れ始めたのが、噂の始まりだった。我々はてっきりこの近隣の国が戦争の準備をしているものと思ったのだが、それから何ヶ月も経っても何の動きもなく、どうしたものかと危惧していた。もし戦争が起こるのならば起こるで、こちらも民に避難命令を出したり等と色々やるべき事があるからな」
「じゃあお前さんがたがまだここにいるって事は、その噂は結局デマだったのか?」
「いや、デマではなかった。むしろある意味正しかったともいえる。数日前より近隣の国で始まったのは、戦争ではなく内戦だ」
「何だと……」
「もしも戦争だったのなら我々も避難していただろうが、内戦という事ならば話は別だ。あくまでも国の内部の事なのだからな。だから今のところはこうして昼夜問わず兵士を置き、厳戒態勢を敷くにとどめている。だが」

 そこで一度兵士は言いよどみ、背後で通行証の確認がまだ終わっていないのをちらりと確認すると、より一層声のトーンを落として続けた。

「……事態はかなり重いらしい。逃れてきた者の話によれば、市民議会と国王の意見の相違が発端にしては、あまりにも酷い事になっているそうだ。市街地での戦闘がかなり激化し、何でも見たことのないような生物兵器らしきものの姿を見たという奴までいた」
「それで」
「まだ一週間程度しか経ってはいないのだが、離れたこの街にも時折血の匂いが漂ってくる。これだけで大体の想像はつくだろう。下手をすれば住むべき国民が死に絶え、国が滅亡する可能性も十分にあるらしいと聞く。……私が言えるのは、このくらいだ」

 溜め息と共に兵士が言葉を終えると、係が通行証を持って戻ってきた。
 確認印を押されたそれを再びポケットにしまい歩き出すオーマを、今度は何者も遮りはしなかった。





 街の中ほどにある宿場で一眠りすると、オーマは店を巡り食料と薬草、そして布類などをありったけ買い集めた。
 あまりに買いすぎて、最後に寄った店の主人などは「どこの仕入れ業者だい?」と名を聞いてきたほどだったが、それに苦笑で答えると、オーマは巨体の背をすっぽり隠してしまうほどの大荷物を背負い、街を出る。
 ついでのように購入したこのあたりの地図を見れば、兵士が言っていた西の国にはもう既に赤でバツ印がつけられている。地図屋という職は常に新しい土地の情報を外から来た者へと提供するのが生業な為、滅亡間近、という噂をどこからか聞きつけてこの印をつけたのだろう。

「さぁて、この印がホントになるかウソになるか」

 言いながら歩き続けるオーマの耳を、ここしばらく止んでいた筈の耳鳴りが襲う。それは歩を進める度に強くなっているようだった。
 同時に、ウォズに似た具現波動もまた気配を濃くしているのに気付き、オーマはやはり、と唇を噛む。西の国で何かウォズがらみの事が起こっているのは、既に事実のようだった。

 そうして歩き続けること、二日。
 辿り着いた城門はその意味をもはや成してはおらず、瓦礫と化していた。叩きつけられたのか、首や足があちらこちらに曲がっている兵士たちの死体を飛び越え、オーマは駆ける。
 城壁の中は死屍累々、という言葉が相応しい状態だった。死体の山がそこかしこに築かれ、かつては穏やかであっただろう街並みも血と煤で汚れきり、オーマが見ただけでもほとんどの家が損傷している。

 そんな中、道なりに人が倒れ息絶えている姿があちこちにあるという事実が一番オーマの目を引いた。他の様々な場所では引き裂かれたり頭をもがれていたりと、いわゆる『何者か』に殺された形跡が目立つ死体が多かったのに対し、道なりに倒れている死体には目立った損傷というものがなく、不謹慎ではあるが割とまともな状態の死体ばかりだったので余計に際立って見えたのだろう。
 道に転がる死体の中には男のものは少なく、女子供、もしくは老人が大半だった。背中には幾重にも踏みつけられた跡が無残なまでに残っている。おそらく逃げる途中に転倒し、そのまま逃げる者たちに踏まれて息絶えたのだろう。人の密集する地で戦いが起こった場合によくあるともいえる光景だ。
 けれど、とオーマは首を捻る。しかしよくある光景とはいってもこうもまばらに、そして多くの死体が道なりに転がっているのはあまりにも異常だった。兵士や市民議会の代表も、国民の退路を確保しなかったわけではないだろうに、けれど国民はこうやって地に横たわっている。まるで逃げるそばから何かに、そう、何かに追い立てられたかのようだった。

「………………」

 溢れかえる血と煙の匂いに混じってオーマの鼻に警鐘の如く届くのは、むせるほどのウォズの気配だ。
 基本的にウォズは団体行動というものをしない傾向にある。だがこの国の中からはオーマでさえ感知が不可能なほどの、それこそ無数といっていいだろう気配が立ち込めていた。
 
 一体この事実は何を指しているのか。

 考えながら瓦礫と成り果てた家の角を曲がりかけた時、奥からの気配に不自然なものを感じてオーマは足を止めた。嗅ぎ付けた匂いはウォズのものだった。封印するべき者がそこにいる。けれどオーマの身体は戦闘体勢へと移ろうとはしなかった。いや、できなかった。そこにはウォズだけではない、同時にあってはならない別の気配もまた存在していたからだった。
 躊躇い、立ち尽くすオーマの前へと、のそりとそれは現れた。ゆっくり、ゆっくりと身体を前かがみにさせて歩いている。
 だが足があるべき場所にあったのは人間の頭部だった。頭の部分には代わりのようにと、間抜けにも見える足がひょろりと一本だけ立っている。胴体はでっぷりと太り、腹の部分だけが異様なまでに突き出ていた。
 人間の頭をごりごりと地面に押し付けるようにして、それはオーマへと歩いてきた。

「随分とまあ趣味の悪い奴だな。頭はてっぺんについているもんだ――――ぜっ!!」

 オーマは頭蓋へと振り下ろされてきた巨大な手を横っ飛びでかわすと、転がりながら銃を具現化した。
 瞬時に三発特殊な銃弾を撃ち込まれた歪なウォズは、痙攣して身体を仰のかせたが、しかしすぐに反動をつけて体勢を立て直した。オーマもまた起き上がり、回りに住人の姿がないのを確認すると、瓦礫を足場に飛び上がる。

「大人しくしてもらわんと封印もできんからな、悪いがちょーっと静かにしてくれ」

 ウォズが手を倍の長さに伸ばして叩き落そうとするが、オーマが引き金を引く方が速かった。放たれた一発の銃弾は宙で九つに分散し、そのどれもがウォズを確実に捉え、地面へと縫いとめていく。まるで人間のような叫び声をあげて、ウォズは瓦礫の上へと倒れ付した。だが、迸る筈の体液は出ない。
 オーマは普段の対ウォズ用の銃弾ではなく、それより威力の低い弾を込めていた。もし、と彼は思った。もし予想が当たっているとしたならば、対ウォズ用の弾など撃ち込んでしまえばそれこそ取り返しのつかない事態になりかねない。
 しかし予想は予想でしかない。裏付ける確証がない上に今このウォズを野放しにしておく事は、ヴァンサーとしても、そしてオーマ・シュヴァルツとしても許される事ではない。

 オーマは唇を噛み締めながら、最後の仕上げとなる封印をする為にウォズへと近づいていったが、また響いた耳鳴りに顔をしかめる。止めろ、とまるで誰かが叫んでいるかのような、そんな切実な響きが鼓膜を支配していた。
 撃たれた衝撃を引きずっているのか、びく、びくと痙攣を続けるウォズの近くにしゃがみ込み、封印の為に手をかざそうとした矢先、オーマの耳を聞きなれない声が襲う。

「…………?」

 オーマは周囲を見回したが、しかし先程確認した通り付近に住民の影はおろか、気配すら存在してはいない。 
 けれど、様子をうかがうオーマの耳へと、再び声が聞こえた。今度はもっとはっきりと、真下から。

「……お前、か……?」

 問いかけた先には、縦に裂けたウォズの口があった。
 口はオーマの問いに答えるようにヒューヒューと息を吐き出しながら『は、い』と呟くと、銃弾を受けて皮膚が破れた指で自らの胴体を指し示し、続ける。

『わ……私、この、なかに……あ、赤ちゃんが……い、るの……!! だ、だから……おねが、い……。この、子だけ、でも……たす、け……!!』
「赤ん坊、だと?! おい、お前さんは一体何者だ。ウォズじゃねえってのか?!」
『ウォ、……そんな、もの、しらな……い。わ、私、あか、あかちゃん、たすけ――――グッ』

 がちり、と牙が鳴った。歪なウォズが己の口すらも食い千切らん勢いで歯を鳴らし、震える。
 震えは全身にまで到達し、オーマの放った戒めの銃弾は次々にウォズの身体から抜け落ちていく。自由を取り戻したウォズは、突き出た腹を掻き毟りながら粘液に汚れた口から言葉をこぼしていた。


『――――か、カカカカかイせきかンりりりりょう。部分シンか、カイし――――』

 
 



 ここが既に「捨てられた」地区で良かった、とオーマは心から思った。
 
「……っ、くそっ!!」

 背後に現れたウォズを銃身で弾き飛ばしながら、崩れかけた屋根の上に移る。あとほんの少しの衝撃を与えれば容易く崩れそうなその足場へと、けれどウォズは躊躇いもなくオーマを追って昇ってきた。
 ウォズの足である部分についている頭は、今やまるで本物の足のように伸びていた。引き伸ばされた目玉がウォズの動きに合わせるようにこぼれ落ち、ひしゃげ潰れていく様は、異常を見慣れてきたオーマでさえ眉をしかめるほどのおぞましさを放っている。こんな様子をもし市民が目撃していたらどうなっていたかを想像して、オーマは背負っていた袋の口をそっと緩めながら唇を噛んだ。
 人ではない、例えるなら獣を模したウォズであっても恐怖は与えられるだろうが、なまじ自分たちと同じような人型をしているものが歪んだ姿で目の前に現れるというのは、獣を目にした以上の恐怖を与えるものだ。自分もこうなるかもしれないという恐怖感はやがて足へと伝染し、恐慌状態に陥った者たちはひたすらに走り出すだろう。

 そこまで考えて、オーマは息を呑んだ。

 先程の光景がまざまざと脳裏によみがえる。逃げ惑い、踏まれて息絶えただろう者が折り重なるようにして続く道。
 恐慌状態に陥った者は確実に迷走する。たとえ兵士たちが誘導したとしても、指示を聞くだけの余裕がないのでは意味がないのだ。そう、こんな風に何とも知れぬ異質な者を目の前にしたのなら、尚更――――

「……そういう事かよ」

 屋根を踏み付け迫ってくるウォズをギリギリまで引きつけると、オーマは背負ったままだった袋から緑色の物体を取り出し、力を込めて投げつけた。
 べちゃり、という音を立てて貼り付いたそれを払おうとウォズが手を動かしたその一瞬の間を縫ってオーマは屋根の一点を撃ち、すぐさまそこから飛び降りる。ほどなく完全に屋根は崩れ落ち、やがて煙の向こう側からは全身にまとわりついたスライム状の物を引き剥がそうと、狂ったように暴れているウォズの姿が見えた。
 オーマはウォズの側へと歩み寄ると、身動きが取れないながらも暴れ続けるウォズの腹へとそっと触れる。まだ微かに命が息づいている事を知り、オーマはほっと息をついた。奇跡のようだったが、母体が変化してしまってもなお、まだ確かにこの中の命は生きている。

「おい、……おい、暴れんな!! 赤ちゃんはまだどうにか生きてるが、お前さんが暴れればそれだけこの子が生きてこの世に出てくる確率が低くなるんだぞ?! いいから落ち着け、これはお前さんを攻撃する為のもんじゃねえ。ただ動きを制限するだけのモンだ」

 『赤ちゃん』という言葉が出た途端にウォズは反応し、狂ったような動きを止めた。しかしもう言葉は紡げないらしく、ただ嗚咽のような声を牙だらけの口から漏らしている。それはひどく悲しげだった。

「大丈夫だ、諦めんな。俺は医者だ。原因さえ分かりゃあきっとお前さんたちを助けてやれる!! だから、何かヒントをくれねぇか。お前さんたちをこんな風にしやがった奴を知りてぇんだ……!!」

 走り回ってまだ生き残っている者に話を聞くという選択肢もあったが、この国は栄えているだけあって国土が広く、オーマの脚力をもってしても生き残っている者に出会えるかどうかは五分五分といったところだ。それにこの母体の中にいる命は、このままだと確実に潰えてしまうだろう。
 これから走り回って話ができる人間を探して時間を失うよりも、オーマはこの母親の意思に賭けた。

『あた……ま、り、りゅう……』
「頭が、竜……? そりゃあ一体……」
『……あ、あせ、……ーと………っ』

 振り絞るような叫びと共に、母親の言葉は終わった。
 再び機械的な声で『部分シンか、カイし』という言葉が口からもれ、スライム状の物質が触れている部分がまるで刃物のように鋭く変化する。しかしスライムは切れずに、所々から突き出た刃物は分解と再構成を繰り返した。より強靭で鋭い刃へと己を進化させていくウォズだったが、スライムはただ伸び縮みするだけだった。

「それは俺特製の捕獲スライムだからな、引き千切れんのはパワー全開状態のうちの女房ぐらいだ。ま、解析しきれねぇ材料ごた混ぜで作っておいたからしばらくは動けねぇ筈だし、ちょうどいいから安静にしててくれ。さて――――」

 母親ウォズを比較的壊れていない民家まで運び、シーツをかぶせると、オーマは駆け出しながら買っておいた国の案内図を開いた。
 繁華街の片隅にあるごく小さな一軒の店の名をとらえると、その場所を頭に叩き込んで速度を上げる。未だ悲鳴と炎が絶えない街の中を、オーマは全力で駆けた。

 耳鳴りは、まだ続いている。





「クロの爺さん、いるかっ?!」

 開けるまでもなくそこには既に扉というものがなかったので、オーマは文字通り転がるように小さな店の中へと飛び込んだ。
 店の中はこれまで通りすがりに見た店と大して変わらず、破壊された跡が色濃く残っているが、そんな中でひとり瓦礫だらけの床を掃き続けている男の姿がぽつんとある。顔全体にひげをたくわえた上に眉毛までもが長く、目は埋もれ、一見異様ともいえる風体をしているその男は、オーマの姿を見て手にしていたほうきとちり取りを驚いたように持ち上げた。

「おおぅオーマでねえか、ひっさしぶりだなぁ。五十年ぶりってとこかぁ。しっかしこんな時に一体何の用だぁ、危ねぇぞ。下手すっと外のバケモンにびりびりってやられちまうのがオチだぜぇ」
「それを承知でここまで来たんだよ、爺さん。にしても生きてて良かったぜ、さすが悪運だけは強ぇな。……早速で悪いが、ちょっくら教えてほしい事と必要な物がある」

 男はよっこいせ、と声をあげて立ち上がると「難しいもんはどっちも用意できねぇぜ」と腰を叩きながら言い、瓦礫の固まった部屋の片隅へと歩き出す。

「まぁ取り敢えずブツの方から聞くとするかねぇ。で、一体何が入り用だっていうんだい?」
「えーとだな、城に出入りできる奴が持っているっつーか刻まれている……なんつったっけ、あれ」
「許可証みたいなアレかい。ここじゃあ『判別印』って呼ばれてるけどよぉ」
「あぁ、それそれ。それと、何か適当に重要そうな内部文書をひと束頼む。写しでもいいが、なるべく本物がいい」
「本物は高いぜぇ?」
「国家滅亡しちまったら爺さんだっておまんまの食い上げだろーが、ちったぁサービスしやがれ」
「相変わらず乱暴なことを言うなぁ、オーマは」

 楽しそうに笑いながら男は瓦礫を丁寧によけ、その下にあった鉄製の丸い蓋を開く。排水溝を模したそれの下にある独特な封印を解き、判別記号を押す為の印や文書の束を取り出しながら男は背中越しにオーマに問うた。

「んで、欲しい情報ってのは何だってんだい?」
「ここ一ヶ月くらいの間に、飛行艇がやって来なかったか? っていうのがひとつ。そしてもうひとつはもし飛行艇がやってきていたなら、それはどこの国の所属だった?」
「オーマよぉ、最初の質問にゃもう自分で答えを出してるみてぇじゃねえか。まぁお察しの通り飛行艇は来たよ、それも内戦が始まるちょっと前にな。で、二つ目の質問だが……黒、って言やぁ分かるかい? オーマよ」

 黒。その一言を聞き、オーマは長い長い溜め息をついた。

「……やっぱり、アセシナートが介入してるってのか」
「まず間違いないだろうなぁ。東南の神殿と南のでかい教会が奴らに攻撃されたってのは知ってるかい? 何でもその二つの場所では裏であまりよろしくない研究をしていた奴がいたらしくてさ、そいつらは自分たちの技術をアセシナートに売り込んだ上に、神殿と教会を制圧する手引きまでしたそうだ。いやはや、世も末ってなぁこの事だぁ」
「で、その研究ってのは――――」
「この街の惨状を見りゃあ一目瞭然、ってところだろうねぇ。さすがに詳しいところは分からんかったけど、なんでも人を外にいるようなバケモンにしちまうようなことをやってのけるそうだ。それ以上は放った鼠たちからの連絡が途切れて分からなくなっちまったけどなぁ。さぁて、こんなもんでいいかい。オーマよ」

 放られた物を受け取り確認しながら「ああ」と短く答え、金貨の入った袋を無造作に男へと放ると、オーマは踵を返した。

「そんじゃちょっくら行ってくるわ。爺さんも死ぬんじゃねえぞ」
「なぁに、わしはそこまでヤワじゃねえさぁ。ああところでオーマよ、市民議会の代表さんとやらは東の地区に立てこもってるらしいぜぇ。もし何かやらかすんなら知っといて損はねぇだろ」
「珍しくサービスいいじゃねえか、爺さん」
「わしももう年食っちまったからなぁ。今更引越しするのも面倒臭ぇしよ、そんならお前さんに手っ取り早く始末つけてもらった方がいいってこった」
「へっ、よく言うぜ」

 口元に笑いを浮かべながら飛び出していくオーマの背をどこか懐かしそうな目で見送ると、男は再び掃除を始めるのだった。





「……っのやろっ!!」 

 絡み付いて牙をむくウォズに麻酔弾を至近距離から撃ち込み、どうにか逃れると、背中からスライムを放って動きを封じる。
 これで通算何体目だろうか。オーマは六十五体まで数えて、数えるのを止めていた。先程十数体ものウォズに取り囲まれての戦闘の際、もういい加減数えるのも面倒になったからだった。あまりにも多すぎたのだ。
 背中の荷はもう既に軽く、地面から生え出てきたウォズを跳躍して避けながらオーマは舌打ちをする。一体ではないという予感は当たってはいたが、こうも多くてはいずれスライムも尽きてしまう。それに加えて、オーマが通過したのはまだ街の南と西地区だけであり、まだ東と北が残っている上にまだ城がある。一体アセシナートはどれ程のウォズを戦いの為だけに投入したというのか。いや、正確に言えばウォズであってウォズでない者を――――

「急がねぇと……なっ!!」

 目に付く範囲にいた最後のウォズへとスライムをまとわりつかせて再び東地区へと駆け出そうとした矢先、不意に高い男の声が響いた。

「おやおや、随分と平和的な捕獲方法ですね。ちょうどいい、私めにもその緑色をしたねばねばの製造方法をご教授願えませんか?」
「!」
 
 たった今までオーマとウォズたちしか存在していなかった筈の真っ直ぐな通りの中央に、いつの間に現れたのか、ひとつの人影が立っていた。
 いや、人と認識できるのは肩から下だけだった。残る首と頭部は竜のそれであり、黒色の鱗が家々から吹き出た炎に照らされ、ぬらぬらと煌いている。
 竜は大きく裂けた口を開いて、けれど流暢に人間の言葉で語りだした。それは先程オーマに語りかけた、高い男のそれだった。

「おや、驚きですか。くくく、私どもの製作したウォズたちを易々と片付けられる豪胆な神経の持ち主とお見受けしましたが、さすがにこのような姿には肝を冷やしましたかな?」
「着ぐるみみてぇだったから吹き出しそうになっちまっただけだがな。……お前は、何者だ」
「これは失礼」
 
 おどけた調子で肩を竦め、竜頭の男は軽く頭を下げる。

「私はアセシナート公国に忠誠を誓う騎士のひとり、とでも申しておきましょうか。名前は省いておきましょう、貴方には必要のない事でしょうから。オーマ・シュヴァルツ」
「俺の名を知ってるたぁ光栄だね。ところで、アセシナート公国の騎士様がこんな場所に一体何の用だってんだ?」
「おやおや、既にお気付きでしょうに。意地の悪いお人だ」
「やっぱりこういう事は黒幕の口から全貌を聞かねぇとスッキリしねえからな。――――で?」

 口調こそ穏やかだったが、オーマの目には逃げを許さない厳しさの光があった。
 しかし竜頭の男はその眼光に全く臆する事無く、楽しげに語り始める。

「いいですよ、お話しましょう。もとよりそのつもりでしたのでね。……最初に断っておきますが、我々はこの国の土が目的で内戦を引き起こしたわけではありません。ここは街道から外れて森を通らねばならず、それに海が近いわけでも、ましてや戦争の際に砦にもならない場にあるのですから。大多数の軍団を運ぶのにも留まらせるにもこの地は適さない。我々はただ、実験場所が欲しかっただけなのですよ」
「実験場所だと?」
「ええ。某国に攻め入る予定がありましてね、その為に新兵器の導入を考えていたのです。ある程度までは研究が進んでいたのですが行き詰っていたところ、ごく最近新たな協力者の手を借りる事ができまして、取り敢えず実験体を生み出す事には成功しました。けれど、やはり戦場で使うものならば、実戦と同じような状況で使ってみなければその性能のほどは分からないでしょう? まさか実験段階のものをいきなり実戦に投入するなどという事はできませんからね。軍に損失を与える事になりかねない。
 実験内容? ああ、簡単に言えば人を核にしてウォズを構成する物でくるみ、人工的に『ウォズ』を量産しようではないか、というものです。本当は生粋のウォズを捕獲し命令を聞かせられれば良かったのですが、ご存知の通りウォズというのはとても戦闘能力が高いが、手懐けるまではとても大変です。一体一体を捕獲するのも骨ですし、それならばいっそ自分たちの手で『ウォズ』を創ってしまった方が早いと考えたのですよ。
 そうそう、『ウォズ』製作の際、この国の住人はとても役立ってくれましたよ。何せ自分から『核にしてくれ』と言ってきたのですから。それにしても人間という種は面白い。国王などは未知の力を手に入れられると囁けば軽く兵士たちを差し出しましたし、同じく市民議会の代表も、国王に負けじと自分の息子一家を我々の下へとよこしてきました。いや、見繕ってくる手間が省けて本当に助かりました。いえね、これ以上開発が遅延すると私としても色々とまずい事態になりかねなかったので」

 男の口が開き、蒸気のような白濁した息が漏れた。助かった、という言葉の通りに、まるで安堵したかのような吐息だった。
 一方オーマはいっそう酷くなった耳鳴りに顔をしかめていた。 

「まあそういう訳でして、私どもは現在こうして人工の『ウォズ』の動作試験をしているのです。まだ途中ですが、まあ対ヒト用の兵器としてはまあまあな出来になったと恥ずかしながら自負しております。
 しかし知性が著しく低く、殺人衝動のみが特化されてしまうのはねえ……脳に加える命令の精密化が必要でしょうか。殺すのは構いませんが、殺しすぎるのはいけない。無駄なく無駄なモノを殺して、それ以外は回収する方向で行くのが私のやり方でしてね。
 まあ、雑然とした仕事をするのに第五段階の人工ウォズは役に立ちそうですが――――」

 竜頭の男の話はそこで途切れた。
 頬の黒い鱗が一直線に裂けて、じわりと鱗と同色の体液がにじみ出る。男は小さく笑い、改めて前を見た。そこには自分に向かってぴたりと狙いをつける、巨大な銃を構えたオーマの姿があった。

「おや、おや。貴方は本来彼らを狩る側だというのに、怒るとはおかしなお人だ」

 オーマは答えない代わりに男から決して目を離そうとはしなかった。ただ真っ直ぐに視線を向け、銃口もまたそれにならうかのように微動だにしない。
 そんなオーマの姿にひょい、と華奢な肩を竦め、竜頭の男は息をつく。

「私を始末する気ですか?」
「……んな事はしねえさ、竜頭。お前ひとりをどうにかしたって、この国で殺された奴らが戻ってくるわけじゃねえ。だから」

 一発の弾が装填される音が、空気を揺らす。


「――――選ばせてやる。こいつを食らって無限の暗闇をさまようか、それとも俺に核と『ウォズ』の分離方法を教えるか、をな」


 射竦めんとする強烈な視線にも竜頭の男は動じず、炎に照らされた口元をがぱりと開ける。
 次にそこから出てきたのは、楽しそうな笑い声だった。真実、楽しんでいるかのような声だった。

「貴方は大変面白い人だ、オーマ・シュヴァルツ。怒りに身を震わせているというのに、それでも殺気というものが微塵もない!! さすが不殺の道を歩む者だ、貴方にそれほど力がなければ是非にでも実験材料として手元に置いておきたいくらいですよ!!」

 そこまで言うと竜頭の男はようやく笑いをおさめ、懐から取り出した一枚の紙を放った。薄いそれは炎にあおられても飛び去る事はなく意思があるかのようにひらひらと舞い、オーマの構える銃口を覆い隠すように貼り付く。そのせいで一瞬だけ、オーマと男の視線が外れた。
 オーマが視界を遮る紙をよけた時、もう眼前の道には炎の影が落ちるのみだった。

『いいでしょう。もう大体結果も出た事ですし、それにこの『ウォズ』にはまだまだ改良の余地もあるので、現在の合成方法をお教えしても特に支障はありませんから。分離するにはそこに記してある手順を逆に行って下さい。ああ、もう完全に融合してしまった者はその限りではありませんから、その点にだけはご注意を』

 炎の中、ただ高い男の声が響き渡る。

『けれど、この事はくれぐれもご内密に。もし上に伝わってしまったら、私めの首と頭がおさらばしてしまいますのでね。まあこんな身体ですからいっそ分離した方がまともに見えるのでしょうが、私も好きでこのように生まれたわけではありませんので。
 さあて名医シュヴァルツ殿のお手並み拝見といきましょうか。貴方は一体どれ程の人間の命を救えるのでしょうね? はは、はははは……』

 駆け出したオーマの背中を、いつまでも高らかな笑い声が叩いていた。





 その後オーマは事前に得ていた印と書類を手に城内に潜り込み、兵士をなぎ倒すと、玉座でふんぞり返っていた国王の頭を殴りつけて失神させた。動ける兵士はまだいたが、しかしオーマの鬼気迫る気配に誰一人として近づけなかったので、王が引きずられていく様を彼らはただ見ている事しかできなかった。
 東地区で震えていた市民代表たちの頭も同様に殴りつけ、両陣営の頭を適当に縛り上げると、まだ被害の少ない地区へと放り込んでまた彼は走る。今度はウォズの捕獲の為だった。
 
 城から王を運搬する為に連れてきておいた兵士たちにも手伝わせながら、オーマはスライムのせいで身動きのとれないウォズたちを次々に回収していった。兵士の中にはその形状のあまりのおぞましさに失神する者もいたが、そういった者には石を投げて強引に目覚めさせる。人手が足りない上に街全体が危険な状態である今は、どんなに小心でも一応の武装が整い訓練されている兵士である以上、働き手としてはあまりにも貴重だったからだ。
 西と南地区が終わり、生き残っている市民をそこに集結させると、配合を任せていた兵士からできたてのスライムが入った袋を受け取り、再びオーマは未だウォズが暴れている地区へと向かった。背負っている袋はこの国に来る前と比べて大分へこんでいる。この国に来る前に買い込んでおいた食料や布類、そして薬草は全て市民へと配り歩いたからだった。
 別地区へ捕獲に向かう途中に、オーマは先程も寄ったひげだらけの男のもとへ走ったが、男はオーマが口を開くよりも早く

「分かってらぁ、外部への支援要請だろ? もうとっくに飛ばしたさぁ。あと数日待ってくれりゃ同盟国から支援物資が届くはずさぁ」

 と言い、また何事もなかったかのように店の掃除に戻った。
 オーマは五十年前からひとつも変わらない男のその様に苦笑し、また走る。

 



 地下水がわずかに染み込む、湿った地下牢の一室。ひとつのテーブルを挟んで、二人の男がにらみ合っていた。
 一人はかつて豪奢な衣装をまといこの国の頂点に君臨していた男だったが、今は常に羽織っていた長いマントも肩にはない。質のよいそれは今、怪我人を横たえる為の布として有効活用されている。
 一人は市民代表として熱く議論を交わすのが得意な男だったが、今はいつもきちんと整えていた服装ではなく、白いぼろぼろのシャツ一枚という格好だった。

「……よ、まーだあんな調子か?」
「オーマ殿、ご苦労様です!! はい、ここに入れられてから、大体あんな感じです。全く、生きていられるだけでもありがたいと思わなきゃいけないのに、今でもこの中でどちらが偉いかを言い合って……。僕たちはこんな人に仕えていたんだって思うと、何だか情けなくなってしまいます」

 嘆かわしい、と溜め息をついた年若い兵士に、けれどオーマはゆっくりと首を横に振った。

「そんな事言っちゃいけねえよ、少年。確かにこんな惨事を引き起こした事に関してはかなりの馬鹿野郎だとは思うが、それでも今まで国を、そして街を支えてきたのは紛れもなくこいつらだって事実を忘れちゃいけねえ」
「けど、でもこんな姿を見てしまったら僕はもうどうしたって蔑みの目でしか彼らを見られない。いっそ殺してしまえばいいとさえ――――」
「駄目だ。殺してしまえば、そいつは自分のやってしまった事を二度と省みられなくなる」

 より強い声が、若い兵士の頭上へと重く響く。

「……この国は、幾つもの命を死によって失った。その渦中にいたお前なら分かると思うが、死から生まれるものなんてひとつもなかっただろ。こいつらを殺したところで、何の意味がある? 復讐心や憤りを満たす為にそうしたいのならやめとけ、そんな行為は誰も幸せになんてしねえ。殺す奴も、殺される奴も、だ」

 兵士はちらりと牢の中を覗き見て、けれどすぐに顔を伏せて呟いた。

「…………僕は、まだオーマさんみたいには考えられないです」
「いいさ」

 ぽん、と重い空気を弾くかのようにオーマの大きな手のひらが兜のない兵士の頭へと下ろされ、すぐに離される。


「『まだ』考えられないってんなら、お前はいつかきっとそう考えられる時が来るだろうよ。俺が保証するぜ」


 若い兵士が次に顔を上げた時、もうそこにはオーマの姿はなかった。 
 けれど兵士は自らの頭に触れた大きく、そして暖かな感触を一生忘れないだろうと思った。

 



 ――――数週間後、聖都の雑貨屋に顔を出すオーマの姿があった。

「おやまあオーマ、お久しぶり。一体どこ行ってたんだい? 喋り相手がいなくてこっちはずっと退屈してたんだよ」
「まあ色々とぶらついててな。……うぁーあ、眠ぃ、だりぃ」
「一体どこをウロウロしてたんだか。そんなうだつが上がらないんじゃ今に嫁に逃げられちまうよ!!」
「大丈夫だって、うちの女房は海より深く山より高いグローバルハートの持ち主なんだからよ。まあそれはいいとして、ところで俺宛てに何か荷物が来てるって聞いたんだが」
「ああ、うっかり忘れちまうとこだった。そうそう、これさ。受け取る前にここに名前書いておくれよ」
「ん」

 眠そうな顔のまま記入を終えると、オーマは受け取った荷の小ささと軽さに首を傾げた。

「何だこれ」
「あたしが知るかい、送り主の名前でも見な。……おや、いらっしゃい!」

 女主人がいそいそと他の客の面倒を見ている間にオーマは店を出て、広場にある階段へと腰掛けた。送り主の名前はあったが、しかしオーマにはその名前に心当たりがなかった。
 
「……いたずらとか罠とか、はたまた誰かの復讐の一環とかじゃねえだろうなオイ」

 心当たりがあり過ぎる身のせいか必要以上にゆっくりと包装を解き、蓋を開けると、そこには干からびた小さなミミズのような物が、白い綿に大事そうに包まれて横たわっている。
 それの正体が分からないままに同封されていた手紙を読み進めていくと、オーマの顔が徐々に喜びのそれに変わっていった。



『この子を、そして私を救って下さった英雄に、この子が無事生まれた証を贈ります。ありがとう』



「――――そうか、無事に生まれたか!!」

 そういや名前聞いてなかったっけ、と笑い、オーマは改めて綿に守られたへその緒を見た。青空と太陽の真下で見たそれは、今までに見た何よりも眩しくオーマの目を打つ。顔を上げ、彼は高い高い空を仰ぎ見た。
 オーマの頬につたった一粒の透明な雫は音もたてずに、真白い綿へと静かに染み込んでいった。





 END.