<東京怪談ノベル(シングル)>
Victory or Defeat
アイラス サーリアスはゆっくりと眼鏡を取ると、手渡された服に身を包んだ。
普段とはおよそかけ離れた格好に、目の前の女性がクスリと小さく微笑む。
「・・この場面で笑いますか・・?」
「えぇ。だって、そんな貴方・・初めてみるもの。」
「貴方が用意された服でしょう?」
「けれど・・そこまで似合っているとは思わなくって。」
「似合っていないの間違いじゃないですか?」
「まさか。」
女性はそう言うと、オーバーリアクション気味に肩をすくめた。
黒のシンプルなドレスに身を包んだ女性は、左腕の金のブレスレッドを鳴らしながら、すっと一枚の紙を差し出した。
「その場所へ行って。」
アイラスが無言で受け取り、中を確認する。
「良い?チャンスは1回。もし・・成功すれば誰も悲しまないわ。けれど失敗すれば・・」
「全てが終わり・・ですね?」
「よく分かってるじゃない。貴方は死ぬかもしれないし、依頼主は悲しむし、あのお嬢ちゃんも命が危険になる。」
「そして、貴方は責任を問われる。・・でしょう?」
女性はゆったりと微笑むと、髪を肩から払った。
「髪の毛・・やって差し上げましょうか?」
そう言って、アイラスの髪にそっと触れる。
「結構です。自分で出来ますから。」
アイラスはやんわりと断ると、頭の高い位置で髪の毛を一つに束ねた。
青の髪が揺れ、鮮やかな弧を描いて背中へと戻る。
「そうしてると、まるで女の子ね。」
「そうですか?女性に褒めていただけるなんて、光栄です。」
「口が上手いのね。」
「貴方ほどでは。」
アイラスの一言に満足したのか、女性は赤いルージュをひいた唇を薄く開いて微笑んだ。
「そうでなくちゃ。・・それにしても、赤を選んで良かったわ。青に映える。もちろん、夜にも・・ね。」
女性はそう言って不思議な笑みを浮かべると、すっとアイラスの手から眼鏡を取った。
「これは預かっておくわ。それと・・そっちの紙もね。うっかり落としたりしたら大変だわ。」
「そんなに抜けているように思いますか?」
「思わない。でも、念には念をって、よく言うでしょう?」
「賢明ですね。」
アイラスは手に持った紙を渡すと、空に浮かぶ月を見つめた。
淡く滲む月は、今宵一体何を与えてくれるのか・・・。
「勝利だと良いわね。」
「心を読まないで下さい。」
「読んでないわ。ただ・・貴方が分かりやすかっただけよ。」
「・・・気をつけます。」
「気をつけて。月が敗北を与えないためにも。」
「えぇ。それでは行って来ます。」
「行ってらっしゃい。その前に、これは私からの餞別。」
女性はそう言うと、掌サイズほどの銃をアイラスに差し出した。
「物騒ですね。」
「そう?保身のためよ。自分の身は自分で守らないとね。・・・あぁ、もちろん、その術を持っている人は・・だけどね。」
「持っていない人は?」
「攻撃に屈するか、もしくは・・術を持っている人に頼るか。そうじゃない?」
「利口ですね。」
アイラスはそう呟いて銃を受け取ると、そっとそれをしまった。
「幸運を。」
「貴方にも。」
短いやり取りの後、アイラスは女性に背を向けて歩き出した。
アイラスは1軒の豪邸の前に立つと、すっと歩を止めた。
行き交う人々の姿をしばし目で追い・・一つだけ自分に言い聞かせると、その中へと入って行った。
さて、何故こんなことになってしまったのか・・話せば長いようで短かった。
普段どおり、行きつけの店に入り・・ゆっくりとお茶をしていた時の事だった。
「隣、良いかしら?」
そう言って近づいてきたのが先ほどの女性だった。
今日と同じような格好で、どれが本意だか分からない笑顔で、“この仕事”を持って来たのだ。
『誘拐された女の子を助けてほしいのよ。もちろん、暴力じゃないやり方でね。』
つまりは話し合いでの解決を、先方は望んでいるようだった。
どういう経緯で女の子が誘拐されたのか、どんな女の子が誘拐されたのか・・全ては謎のままだった。
詳しくきこうとすると彼女は不敵に微笑んで、ただ一言言うのだった。
『私も知らないのよ』
と、全てを知っている瞳で・・・。
無論断るつもりでいた。
こんなに真実が見えない依頼は受けるべきではないと、アイラス自身が警告を発していたからだ。
しかしそれはたった一人の女性によって打ち砕かれた。
誘拐された少女の家に仕えていると言う女性は、酷く疲れきった顔でアイラスに助けを求めてきたのだ。
『お嬢様を助けてください』
そう、涙ながらに・・・。
アイラスは思わず首を縦に振ってしまったのだ。
困っている人を放っておくことは、自身の“心”に反していたから・・。
けれど、ここにきてアイラスはそれが軽率な行動であったと反省し始めていた。
アイラスは机をはさんで目の前に座る男の瞳をすっと見つめた。
濁りきった瞳は悪戯っぽく、一筋縄ではいかない事を知らされる。
「今日は随分と可愛らしい坊ちゃんじゃねぇか。んで、なんだ?その格好は。」
「もっと正装したほうが良かったですか?貴方のように。」
アイラスは穏やかな笑みで男の服装を見つめた。
だらけきった服装は、机の上に足を乗っけて行儀悪く座る男に妙に合っていた。
服のセンスは最悪だったが、自分に似合う服選びと言う点では最高だ。
「はっ、面白い事を言う坊ちゃんじゃねぇか。」
「お褒めいただき、光栄です。」
「それで・・なんだ?こちらで預かった嬢ちゃんを返してほしいんだって?」
「人も物も、本来あるべき場所にないと・・少し不自然ではないですか?」
「つまりなんだ?ここには本来いるべきではないと?」
「そこまで極論を言うつもりはありません。しかし、彼女は本来はここにいた人ではないでしょう?」
「まぁな。こっちがわざわざ出向いて連れてきたんだからな。・・・そりゃそうと、そんならそっちもあるべき場所に戻してもらいましょうか。」
男はそう言って立ち上がると、アイラスの直ぐ隣に腰掛けた。
アイラスは別段身体をずらすといった事はしなかった。
男がグイと顔を寄せ、アイラスは視線だけを男と合わせた。
「坊の雇い主がうちから持ってった絵を、返してもらいましょうか。」
「絵・・ですか?」
眉根を寄せて、アイラスは小首をかしげた。
何を言われているのかさっぱり分からないのはアイラスだけのようで、直ぐ隣に座る男も、周りで見つめる男達も、物知り顔で下卑た笑いを浮かべている。
「そんな事も知らないようじゃ、話にならねぇな。さぁ、帰んな。」
「それは本来何処にかかっていたものですか?」
「・・それは何の質問だ?」
「ただ純粋な疑問です。相当高価な絵画なのでしょう?」
男は口の端を大げさにあげると、親指で部屋の角を指差した。
小さな戸棚が置かれ、その上には一輪挿しの・・そう、それはこの部屋には凄く不自然な・・・美しい花瓶が置かれていた。
桃色の花が上からの淡い光に照らされて、可憐に揺れる。
その上には真っ白な壁が広がっていた・・・。
「その絵はどのくらい前からあそこにかけられていたのですか?」
「もう、ずっと前だ。・・坊、なんでそんな事きくんだ?」
アイラスはそれに小さな微笑で答えた。
『貴方は彼女ほど手ごわくはないですね。』
そんな意味を込めての微笑だったが、どうやら相手には届かなかったらしい。
しかし、それで良いのだ。
アイラスはすっと立ち上がると、直ぐ真横にかけられていた絵をマジマジと見つめた。
「坊も絵に興味があるのか?・・・その絵も、坊の雇い主が持ってった絵と同じくらい前からそこにある。」
「そうなんですか。」
一つだけ頷くと、アイラスはその絵をはずした。
ガタリと大きな音を立てながら・・・。
「坊、お前・・」
「それで、そろそろ本当の事を言っていただけませんか?あそこに絵なんて始めからかかっていなかったのでしょう?」
絵をはずした壁は、真っ白だった。
しかし、絵がかかっていた場所は純白だった。
周りの白は上からの淡い灯りに照らされて少々焼けてしまっている、純白には程遠い白だった。
「ふうん、坊。なかなかやるじゃねぇか。」
ニヤリと微笑むと、男はアイラスの腕を掴んでソファーに座らせた。
自分は机をはさんだ向かいの椅子に座る。
「坊、ゲームをしねぇか?簡単なゲームだ。」
「なんでしょうか。」
「見た所、坊の懐には銃がある。違うか?」
アイラスは黙って銃を取り出し、目の前の机に出した。
「この形だと・・装弾数は6発。察するに、雇い主に護身用として持たされた。違うか?」
「御察しの通り。」
「思うに、坊の銃の腕前はただものじゃぁねぇ。こんな銃一丁でここに送り出されるくらいだからな。」
「それほどでもないと思いますが?」
「謙遜とは、利口だな。ルールは簡単。ようは運試しってワケだ。」
男はそう言うと、銃を後に控えている部下に放り投げた。
「坊、銃弾を避けてみな。」
「え?」
背後に控えた部下がすっとアイラスの銃を構えた。
その銃口は確実にアイラスを捕らえている。
「・・・これは、運試しとは言いませんよ。」
「瞬発力勝負か?」
「瞬発力で避けられるような代物ですか?この距離で。」
「避けてみせな。もしくは、万が一の奇跡を信じな。」
アイラスはじっと銃を持つ男を見つめた。
男とアイラスの距離はほんの数メートル。
この距離で被弾した場合、無事である可能性は少ない。
男の持った銃は正確にアイラスの左胸を狙っている・・・。
普通に考えて、アイラスに勝ち目は無かった。
絶体絶命の大ピンチ・・・!
しかし、アイラスはふっと表情を崩すと静かに言った。
「どうぞ。」
「潔いじゃねぇか。」
男の合図で引き金がしぼられ・・・。
アイラスは大きなため息を一つだけつくと、先ほどの女性の元へと歩み寄った。
壁に寄りかかるようにして立っている女性は月明かりにてらされて艶かしい色香を漂わせていた。
「おかえりなさい。それで、あのお嬢ちゃんはいつかえしてくれるの?」
「明日の昼です。・・それより、よく成功したって分かりますね。」
「失敗してたら貴方は今ここにいないわ。」
アイラスは小さく息を吐き出すと、銃を手渡した。
「役に立ったかしら?」
「死にかけましたよ。」
女性は薄く微笑むと、銃を懐にしまった。
「弾が入っていないなんて・・・」
「知っていたくせに。」
アイラスはくしゃりと髪の毛をつかんだ。
最初から、暴力での解決は望まないと聞かされていたため、銃を手渡された時小さな違和感を感じていたのだ。
それにしたってアレは賭博以外の何物でもなかった。
銃を向けられた時、アイラスは微動だにしなかった。
乾いた音が室内に響き、微塵も動かないで柔らかく微笑んでいたアイラスは、確かにあの時勝者になっていた。
「それじゃぁ、私はもう行くわ。その服は差し上げる。似合ってるしね。」
「・・・光栄ですね。」
「お嬢ちゃんが帰って来次第、貴方にそれなりの報酬は行くはずよ。差出人不明で・・だけどね。」
「ところで・・・絵って、なんですか?」
「絵?」
「絵を返してもらいましょうかと言われたのですが・・・。貴方なら知っているのでしょう?」
女性の瞳が怪しく光る。
それは全てを知っていると物語る瞳だった。
けれど彼女は決してYesとは言わない。それは、容易に想像できた。
「私は何も知らないのよ。それじゃぁね、素敵な交渉人さん。」
不敵に微笑みながら、手を振って人込みにもまれていく彼女。
「・・・なんだかなぁ・・。」
アイラスは盛大なため息をつくと、夜空を見上げた。
滲む月が示すのは・・Victory or Defeat?
〈END〉
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