<東京怪談ノベル(シングル)>


オレンジの海



 クリアホワイトの小さなケースを机の上に置き、じーっと見つめる。
 ちょんちょんと触ってみては、じーっと見て、ちょんちょんと・・・。

 ミスゲシュタルト ジェイドは、机の上に置かれた小さなケースをそっと手に取ると・・これを手に入れた経緯を思い出していた。
 それは本当に偶然の出来事で・・まぁ、簡単に言ってしまえば“サイコロ”が“マス”に止まったからだ。
 それ以外の何物でもない。
 先日白山羊亭を訪れた時にたまたまやっていた、双六と言う名のゲーム。
 その中でたまたまミスゲシュタルトのコマがたまたまケースを手に入れるマスに止まったのだ。
 たまたま・・それを人は偶然と呼ぶ。
 「すごろく、ちょっと疲れたし何かよく解んなかったけど楽しかった♪ 新しく友達・・・?も出来たし。」
 ちょんちょんとケースを突付く。
 その中で眠っているだろう、真っ白な精霊を思い描きながら・・。
 「オレもいろんな妖精とか精霊知ってるけど、ケースに入ってるのは初めて見たよ〜。あの鉢植えが無くても大丈夫なのかなぁ?」
 枯れかけていた鉢植え。
 あれは一体何処に行ってしまったのだろうか?
 「別に呼び出す用事とかは無いけど、折角だし仲良くなれたら嬉しいなっ。みんなとも仲良くして欲しーし。」
 ミスゲシュタルトはそう言うと、胸に提げ持った召喚石をそっと手に取った。
 そして・・中から相棒・・・魚型の精霊を呼び出す。
 「リュー」
 「よしよし。今から新しい友達を紹介するからねっ!」
 ミスゲシュタルトは、そっとケースを手に取ると・・カチリとフタを開いた。
 弱い白色の光が部屋を柔らかく包み・・中から可愛らしいドレスに身を包んだ精霊が飛び出てくる。
 『お呼びで御座いましょうか?ご主人様。』
 「ご主人様じゃないってばー!」
 『・・そうでしたわ。ミスゲシュタルト様・・。』
 「ねぇ、ミスゲシュタルトって呼びにくいからさ、ティートって呼んでよ。そっちの方がしっくり来るし・・ね?」
 『仰せのままに、ティート様。』
 腰まである猫毛のブロンドの髪を柔らかく揺らすと、カスミソウの精はそっとミスゲシュタルトの肩に乗った。
 「ねぇ、カスミソウの精。こっちはね、俺の友達なんだー!」
 「リュー!」
 ミスゲシュタルトに紹介されて、嬉しそうにその場をクルクルと回る。
 『初めまして。わたくしと同じ精霊様・・でしょうか?』
 「そーだよ。ねぇ、カスミソウの精さぁ、ずっと聞きたかったんだけど・・。」
 『何で御座いましょうか?』
 「名前ってないの??」
 素朴な疑問だった。
 ミスゲシュタルトの問いに、カスミソウの精は不思議な微笑をたたえると・・背に生えた4枚のクリアブルーの羽を羽ばたかせた。
 『わたくし達は、個と言う概念が御座いません。無論、存在自体は個ですが・・。』
 「どう言う事なの?」
 『カスミソウの精は、わたくし以外にも沢山おります。その一人一人が個の意識を持ち、独立してはおりますが・・誰も個を見ようとはしないのです。』
 「う〜ん・・難しいよ・・。」
 『ふふ、そうですわねぇ。物と同じでしょうか。わたくし達は、一人一人が大切なのではなく、カスミソウの精と言う団体が大切なわけであって・・』
 「でも、俺はカスミソウの精・・大切な友達だと思ってるよ?」
 真っ直ぐに見詰める先で、カスミソウの精が少しだけ驚いたような顔をして・・嬉しそうに、パっと輝いた。
 『ティート様・・。わたくしの、マスター。』
 ふわりとミスゲシュタルトの肩におり、そっと頬に口付けをした。
 「わっ、なに??」
 『ふふ。誓いの口付けですわ。』
 「それは結婚する人が・・」
 『結婚よりも絆は深く、切れはしない。わたくし達と、マスターとの関係はそのようなものです。』
 「ふ〜ん・・。」
 ミスゲシュタルトが、僅かばかり小首をかしげながら頷く。
 解かっているのか・・解かっていないのか・・。
 『わたくしはカスミソウの精。それは・・物の名。ティート様が付けてくださるのであれば、どんな名前でも。』
 「う〜ん・・そうだなぁ。」
 名前・・名前・・。
 どうしても浮かんでくるのは“カスミソウの精”と言う、物の名前。
 この愛らしいカスミソウの精に、似合いそうな名前はなんだろうか・・。
 「う〜ん・・・う〜ん・・・。」
 『焦らないで、ゆっくり考えてくださいまし。』
 クスリと小さく微笑むと、カスミソウの精は宙を泳いでいるカレの元へと飛んで行った。
 何事かを話して楽しそうに一緒に泳ぐ。
 それは日差しの中での出来事だった。
 窓から差し込む日の光が一直線に床に刺さり、一筋の光の道を作り出す。
 オレンジ色に染まりながら楽しそうに泳ぐ2人の精霊。
 「・・海みたいだ・・。」
 ミスゲシュタルトはポツリと思ったままを口に出した。
 確かに、オレンジの光りは陽の光以外の何物でもないかもしれない。
 けれどミスゲシュタルトの瞳には、そこは深い海のように映った。
 何処までも続く広い海を泳ぐ・・カレの相棒。
 それに寄り添うようにして一緒に泳ぐカスミソウの精の姿。
 世界にたった一つだけの、オレンジ色に光る海・・・。
 ゆっくりと瞳を閉じる。
 楽しそうに囁く2人の声に混じって、どこからか波の音が・・・。
 『ティート様?いかがいたしまして?』
 目を開くと、心配そうなカスミソウの精の顔があった。
 眉がひそめられ、口が僅かに開き、そして・・なによりも瞳は不安そうな色をたたえている。
 「ん、なんでもない。ちょっと・・カスミソウの精の名前を考えてて・・。そうだなぁ、なにが良いだろう。」
 『ふふ。本当にティート様は珍しい方。わたくしを・・見て下さる・・本当に、珍しい方。』
 「え?」
 カスミソウの精は、不敵な笑顔をたたえたまま・・再び宙に舞いあがった。
 ミスゲシュタルトはそれをじっと見つめると、窓から差し込む日差しを見つめた。
 キラキラと輝く光は、水面で輝く水しぶきに似ていた。
 穏やかに凪ぐオレンジ色の海は、ミスゲシュタルトの相棒と友達を抱いたまま、穏やかな光を振りまいていた。 
 優しい光景。
 ミスゲシュタルトはふとそう思った。
 別段珍しくもない風景だったが、それでも・・どこか心休まる風景。
 もし、カスミソウの精の名前をつけるとしたら・・優しい名前が良い。
 穏やかで、優しくて、それでいて心を落ち着かせてくれるような・・・。
 「・・あっ・・。」
 ミスゲシュタルトはある一つの“名前”を思い出すと、小さく声を上げた。
 『いかがいたしまして・・?』
 「名前、思いついたよ。多分、素敵な名前。」
 『お聞かせ願えますか?』
 恭しく頭を下げるカスミソウの精に柔らかい微笑を返すと、ミスゲシュタルトは彼女の新しい“名前”を呼んだ。
 物の名ではなく“彼女のたった一つの名前を”。
 彼女はゆっくりと瞳を閉じて、胸の前で腕を組み何かを祈るような仕草をした後で、満面の笑みでミスゲシュタルトの顔へと飛んできた。
 「わわっ・・!危ないよっ・・??」
 『ありがとう御座います。マイマスター、ティート様。』
 「気に入ってくれた?」
 彼女は返事の代わりに、ミスゲシュタルトの頬にそっと口付けをした・・・。

     〈END〉