<東京怪談ノベル(シングル)>


無限の道の涯に幸いを


【0】


 随分多くの時間が遠く、触れることもできない場所に流れていった。そんな想いがふと脳裏をよぎることがある。それは想い出と呼ぶにはあまりに重く、なんでもない過去だと一蹴することは決してできないオーマ・シュヴァルツにとってひどくかけがえのないもの、そういうものであるのかもしれなかった。
 長き時間を生きてきた。そうした感覚だけが鮮明で、当然のように過ぎ去る時間の一つ一つのなかにあるささいな事象さえも時に無性に愛おしく思うことがある。気付けばいつも独りではなかった。家族がいて、友人がいて、そして自分がいる。自分以外の総てがたとえ不確かなものにすぎなくとも、意識すれば確かにそこにあることを知覚できる。形なきものであったとしても、不思議とその存在を認めている。無意識下に働きかけてくる存在の確かさの理由は一体なんであるというのだろうか。


【1】


「急患ですっ!」
 鋭く叫ぶ声が響いて、オーマは咄嗟に腰を落ち着けていた椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がる。医者としての自分を確かに自覚している。躰が無意識のうちに行動を起こす、それが証拠だ。生死が関わる現場。自分の無力さを突きつけられる。けれどそれと同時に自分にも誰かを救うことができるのだということを教えてもくれる。それが医者という職業だった。
 急患の一言で慌しくなる院内の雰囲気。それを跳ね除けるように急患の前に立つオーマは冷静だ。今、ここで心を乱せば決して助けることはできない。たとえ僅かでも助かる可能性があるのだというのなら、その命を消すことはできないと、そういつからか思っていた。患者として運び込まれる原因がなんであれ、どんな生き方をしてきた者であれ、誰もが失われれば哀しむ人がいる。死によって生じる空白を哀しみ、打ちひしがれ、まるでその死が自分のせいではないとしてもまるで自分のことのように責める者が存在するのだ。もしそれが僅かでも回避できる術が残されているのだというのならば、オーマはそのために全力を尽くすつもりでいた。
 医療技術に関する的確な状況判断。適当な処置。オペの腕を上げたくて上げたわけではなく、生かすために自ずと上げなければならなかった。自分の信条を貫くためには必要なことだっただけのことだ。少しでも多くの人を救いたかった。誰も殺さずにいたかった。不殺主義を貫く理由がそこにある。
 ただ、それは時にいとも容易く自分の意識よりも強大なものによって裏切られる。
 そう、今目の前に在る急患に手の施しようがないように。
 技術だけでは誰一人として完璧には救えない。完璧などという言葉は生の前では無力だ。ささいなことによって揺らぎ、歪められ、完璧な死に至る生の前では脆く果敢ないものでしかない。
 喧騒が密やかに収束していく。オーマの手が滑らかに医療器具を操る音、指示する声、それだけが大きく響く。補佐をする誰もが落胆を隠そうとしながらも、隠し切れずにいる。急患だと叫んだのは一体誰だったのだろうか。今ここにいる者は何を思い、目の前で死者に変わりゆく者を見ているというのだろう。
 わかっていた。
 助けられないということは、一見して明らかだったのだ。
 けれどオーマは総てが手遅れなのだとしても、手の施しようがないとは云いたくはなかった。たとえ僅かにでも生きる意思があるというのならば、生かしてやりたかった。躰がその機能を維持することができなくなっていたとしても、意思があるというのならそれを尊重したかった。たとえ躰のどこかに不具合を残すことになっても、生きていれば不幸ばかりではないと信じたかった。自分がそうであったから。
 どれくらいの時間が過ぎていったのか。
 オーマはゆっくりとその手を止めた。
 刹那の間を置いて静かに紡がれる弔いの言葉と祈り。
 そんなものは一時の気休めにしかすぎない。
「ご家族の方がいらしてます」
 不意に背後からひっそりとした声で告げられて、オーマは振り返る。一体自分はどんな顔をしているのだろうか。助けることができず死を前にした時の自分の顔ほどわからないものはない。
「すぐに行く」
 常とは違う力ない声で答えを返し、処置を施した手を洗う。生の欠片がオーマの手の皮膚から剥がれ落ちていく。
 確かに生きていたというのに、誰が奪ったのだろうか。自分か。それとももっと別の何かなのか。
 原因はいつもわからないままだ。
 ただ死という事実だけが明らかで、それ以外のものは真実の答えを求め、彷徨ったまま不確かであるのに鮮明なものとしてオーマの記憶に焼きついていく。
 手は、綺麗になってしまう。
 誰かの命を消した手だというのに。


【2】



 家族だというその人は、決してオーマを責めることも医者としての無力さをなじることもしなかった。それでも静かに現実を受けて止めようと苦心していることは明白だった。それでも綺麗に死化粧を施された遺体と対面して、ありがとうございます、と果敢なく笑った。泣きはらした目でオーマを捉え、感謝の意を伝えようとするように握手を求めるよう手を差し伸べて。けれどオーマは差し出された手を握り返すことはできなかった。自分の手にはその手を握る資格はないと、不意にそんな風に思ったからだ。謝罪の言葉を告げて、静かに別れた。最後まで家族だというその人はオーマを不快にさせる顔一つ見せることはなかった。とても穏やかな人だった。
 今日の自分はひどく感傷的だ。そんな風に自嘲しながら、人と会うことを避けるようにオーマは僅かに生じた穏やかな時間を過ごすために無人の部屋に篭った。酒を飲もうとも思えなかった。手が、焼けるように痛かった。自分の手が決して奪うだけのものではないことは自分自身がよくわかっている。ソサエティの禁忌がなければあの人にあんな笑顔をさせる必要はなかったのだ。
 けれどそれは決して世の理に適うことではない。生は長くその糸を紡ぎ、死はそれを断ち切るためにある。死に断ち切れられたものを再生することは決してしてはならないことだ。一度失われたものは同じような形でもって新たに再生されることはない。形を再生させ、そこにそれまでの記憶を戻すことができたところで果たしてそれが本当だと云えるのだろうか。どんなに神秘の術でもってしても完璧な再生は不可能。終末を迎えたものを再生させ、まるで何事もなかったように現実に引き戻すことができたとしても死の直前まで培われてきたものと再生後に培われるものとは明らかに何かが違ってしまう。
 死というものはそうした残酷なことを涼やかな顔で生に施す。
 だから生きる自分にとってそれを覆すことはできないのだ。
 たとえ医者だとしても、死に逝く者を救う技術を持ち合わせていたとしても、死した者を再生させることは許されていない。
 医者という職業柄、いくつもの死を見てきた。何もできずに見送ったこともある。無力さを責められ、医者であることをなじられたことも決して一度や二度ではない。けれどオーマにはその心情が痛いほどによくわかる。もし、自分の大切な者が目の前で失われることになったとしたら自分の無力さを直視する事もせずに、誰かを責めることだろう。大切な者でなくとも、無為に殺されていく者がいたならば怒りを覚える筈だ。
 ただ望むことは共存の道。
 ヴァンサーとしての自分がウォズを殺さずにいられるのも、敵意を抱かずにいるのもひとえに誰かを失いたくないから、それだけなのかもしれない。一部では羨望の眼差しを受けながらも、どこかで畏怖の対象である能力を保有する自分。だからといって総ての存在に疎まれてきたわけではない。
 今、この世界には確かに家族がいる。そうしたものを築くことができたのは独りではなかったからであり、オーマ・シュヴァルツという存在を理由や駆け引きを必要とせずにただ愛してくれる存在がいたからだ。薬草店はどんな時も店員として迎え入れてくれる。いつしか自宅に集ってくれる者も増えた。他愛もない幸福な日常は決して独りでは築けなかった。出身も種族も判然としない存在をただ一人の存在、オーマ・シュヴァルツとして受け入れてくれる人々が傍にいてくれる。共存という言葉の意味を考える必要もなく、当然のものとして受け入れることができるようにしてくれたのは紛れもなく周囲にいる人々だった。周囲の人々ばかりではなく、友人からの預かりものである銃器もまたそれに一役買っていることは確かだ。
 だから共存というものを願うようになった。ウォズにさえもそれを願うようになった。できることなら誰一人として傷つけず、争わず、ひっそりと慎ましやかに生きていけたら良かったのだ。
 異端とされる存在である自分を受け入れてくれた世界と人々が確かにここに在るのだから、争いだけが総てではないことをオーマ自身がよくわかっている。世界に存在する総ては多面体のようにとりとめがない。よって何もかもが悪の面だけを所有しているわけではないのだ。見る角度次第では良さを見つけることができる。家族や周囲の人々がオーマにそれを見出してくれたように。
 だからできることなら、命を削るように生きるのではなく与えられた命を慈しむよう生きていけたらとオーマは思う。


【3】


 幸福な喧騒が日々のなかにある。けれどそれらは当然のように過ぎていく。だがその後に残されるものは痛みではなく、苦しみでもない。他愛もない言葉や態度でオーマを癒してくれる。傷口を抉るようなことはせず、敢えて触れないようにすることで患者を死なせてしまったことを悔いる心を癒すのだ。意図的なやさしさではなく、純粋に慈しまれているのだということを感じることができる。笑っていてもらいたいと願っているのはオーマだけではないのだと教えてくれる。共に生きていくことができる人々はいつも掛け値なしにやさしい。そしてオーマは自然にそれを受け入れられるようになっていた。
 だからいつからか周囲に存在してくれる総てが大切になった。存在を疑う必要などどこにもなかった。傍にいてくれるのならそれだけで十分だと、そう思えるようになったのは誰でもない周囲のいてくれる人々のおかげなのだ。
 この感情は独りでは決して知ることができないものだった。
 独りではなかったから知ることができた。
 だから願う。
 総てが共に生きることができる道があるのだということを。
 なにも道は一つではない。
 無限に存在するものだ。
 もし一つしかないのだとしたら、それはその道を選んだ者にとって幸福なものだからだろう。
 自分にとって今がそうであるように、誰もがそれぞれに幸福な一つの道を見つけ、共に生きていけたならいい。
 オーマは思って目の前にある他愛もない日常の風景を決して忘れることがないよう強く記憶に刻むように受け止めた。