<東京怪談ノベル(シングル)>


贄姫と銀色の獅子










たまたま立ち寄った其の村では、村の真ん中に仰々しい御輿が安置されていた。白い花で飾り付けられた其の御輿には、一人の儚げな少女が乗っていた。綺麗な村の装束らしき風変わりな着物を着、頭には豪奢な冠を着けている。俯いた頬に掛かる長い黒い髪は、酷く綺麗だった。
御輿の前には年老いた男性が立っており、長い祝詞らしきものを上げている。御輿と男性から一回り離れた所で彼らを取り囲んでいる群集の一人に、オーマ・シュヴァルツはそっと問うた。

「ちぃと聞きたいんだが、此れは何だ?」

村人であろう其の中年の男は振り返って、村の装束とは全く違う衣装を身に纏っているオーマを見、驚いたように目を見開いた。だが客人らしいことが判ると、声を顰めて質問に応じる。

「此れはこの村で十年に一度在る、『姫送り』の儀式だよ」
「『姫送り』?」

オーマが判らないと言うように眉を顰めると、世話焼きなのか、中年は声を落としたまま掻い摘んで説明をしてくれた。祝詞の声は野太く大きかったものの、至近距離で囁かれる声としては充分な声量だった。

十年に一度、この村の先にある奥深い山の主の妖怪に、生贄として十六の娘を差し出すことが『姫送り』の儀式だということ。娘を送らなければ、次の十年後まで村は酷い災害に見舞われるということ。妖怪を退治しようにも、年々力を付ける山の主に誰も勝てないということ。そして今年選ばれた娘には、恋人が居るということ。

「恋人が居るにしろ居ないにしろ、酷ェ話だなァ」
「仕方無いさ。村の若者は誰も妖怪に勝てん」

渋い声で呟いたオーマに、嘆息して中年の男は言った。群集たちが囲う真ん中では、既に祝詞が終わり、屈強そうな男達が御輿を担ぎ上げていた。祝詞を上げていた男が二言三言呟き、御輿の上の少女が健気にこくりと頷く。既に、全てを諦めきったような顔だった。
其れを見ているのが余りにも辛くて──気付いた時には、オーマは群集を掻き分け、其の真ん中へと踊り出ていたのだった。



「……驚きました。あのような事を言い出す御客人は、初めてでしたから」
「そうかい?でも俺にはちっと聞き逃せねぇような話だったし──」

自分が御輿と共に付いて行き、山主を倒して戻ってくると言い張った様子を思い出しながら、オーマはからからと陽気に笑った。既に御輿と其れを担いできた男達は振り返っても見えない。此処から先は生贄一人で行く場所なのだと説明されてから、既に数分が経過していた。
生贄の姫は、重そうな装束を引き摺りながら、オーマに遅れまいと懸命に歩く。オーマも少しだけ歩く加減を緩めながら、振り返り振り返り、少女の姿を確かめて先へ進む。

「──其れに、御前さんにゃ恋人も居るようだったしなァ」
「……まぁ。どなたがそんなことを……」

頬を赤らめて少女が俯く。──正に、其の時だった。
目の前の藪をがさりと踏み分け、巨大な黒い狼が姿を現した。剥き出した牙からはぼたぼたと涎が垂れ、瞳はぎらぎらと血走っている。遥か先にも思える獣の尾は、二尾だった。
獣はゆっくりと口を広げる。いやに赤い舌が、目に付いた。

『此処には生贄一人しか立ち入る事が出来ぬ。他の者が聖地に入る事決して赦さぬ』
「ハッ、聖地だって?笑わせんじゃァねェよ、此処で何人も食い殺して来たんだろうが、え?」

生贄の少女はがたがたと震え、恋人の名を狂ったオルゴールのように繰り返していた。怯え切って、此れではオーマが言っても逃げる事すら出来なさそうだ。
仕方が無ェ──小さくオーマは呟いて、自分の力を解放する。
一瞬だけオーマの輪郭が歪み、黒髪から銀髪へ色が変貌し、其の瞳の赤色が濃くなる。四十が近い筈の其の身体は、二十歳程の青年の姿になっていた。青年の身体がぐらりと前に傾いだ瞬間──青年の姿は、翼を持つ巨大な銀色の獅子に変化していた。

『────引導渡してやるぜ?』

黒い獣の脳内で、自身たっぷりの声が響いた。
銀色の獅子が其の身体を伸ばし、黒い山の主に飛び掛かったのは、其れとほぼ同時であった。



生贄の少女が目を醒ましたのは、村の診療所だった。年寄りの医者が、此方を満面の笑みで覗き込んでいる。

「……あ、れ。私……」
「気が付いたかい!良かった良かった」

如何して私はこんな所に居るのだろう。確か御輿に乗って山に入り、聖地を歩いて──そうだ、そして出合ったのだ。あの恐ろしい獣に。
がたがたと震えて何も出来なかったばかりか、気を失ってしまっていたらしい。なら、あの人はどうなったのだろう? 私だけ、何故。

「あの人は、あの人は何処ですか?私を助けてくれた──」
「ああ、あの御客人だね。あんたを此処まで運んだ後、風のように去っちまったよ」
「……そう、ですか……」

せめて御礼が言いたかったのに。がっくりと肩を落とした少女の肩を、村医者が励ますようにぽんぽん、と優しく叩いた。

「部屋の外であんたの恋人が待っとるよ。直ぐに逢わせてあげよう」

村医者の言葉に、少女は微笑んで頷いた。
あの風変わりな客人に、精一杯を感謝を捧げながら。




■■ 贄姫と銀色の獅子・了 ■■