<東京怪談ノベル(シングル)>
いつかの鎮魂歌
あれは、うつくしいけものだ。
オーマは自身を見上げている獣の姿をした小さなウォズに視線を落とした。
つい先ほど己の身の内に封じた獣型のウォズは、何人ものヴァンサーたちをてこずらせ、凶悪にして狂暴というレッテルを張られているウォズだった。
なるべくなら穏便に済ませようと、脅し半分でそのウォズの何倍もの大きさである翼在る銀の獅子になったオーマにも怯むことなく立ち向かい、僅かに傷を負わせるほどだ。噂通りかなり高位のウォズであるのは確かだが、獅子になったオーマに匹敵するほどではない。
しかし相手は一歩も引こうとせず、このままではじりじりとこのウォズを弱らせて封じるしか道が無かった。気の重くなる話にオーマは溜め息を吐いた瞬間、ウォズが何かに気付いたように注意を逸らす。今までピンッと張った糸のように張り詰めていたものが僅かに緩む。
その小さな隙を見て、己の中にウォズを封じの手を伸ばした。不意をつかれたウォズは最後に僅かに抵抗を見せたものの、あっけなくオーマの体内へと封じられていく。
しばらくすると、獣型のウォズが注意を払った方からひょこりひょこりと、先ほど封じたウォズをそのまま小さくしたようなウォズが現われたのだ。
どうやら先ほどのウォズの子供らしい。そのウォズの子はきょろきょろと辺りを見回し、オーマに気付くと不思議と感嘆が入り交じった瞳で見上げた。
おおきなはねとぎんのたてがみ。
ふるえるほどの、そんざいかん。
言葉と情緒が未発達なウォズの子の感情は、獅子の姿のオーマの精神感応によって止まることなく溢れて来る。
封じたウォズは己の子供を守ろうとしていたのだ。
母ウォズが命を張って助けたウォズの子を、オーマは再び見下ろした。
まだ、何も分かっていない無垢な瞳がオーマを見上げている。母親の力を思い出せば、今ここで封じてしまうのが一番なのかもしれない。
こんなけものになりたい。
だが。
銀の獅子の姿が人へと変容していく。獅子と同じ、銀の髪を持つ青年の姿へと。
赤い瞳を伏せ、オーマは子供のウォズから背を向けた。後ろで不思議そうに首を傾げる気配がした。
おかあさんは、どこにいったんだろう。
それは随分と昔の話だった。
オーマは割れた花瓶に目を細めた。イイ笑顔を振り撒くマッスルアニキの頭から花が咲くという絶妙な作品が、今は見るも無残な姿で砕け床に散っていた。
手も触れずに落ちた花瓶に、オーマは顔を顰めた。
嫌な予感を的中させるかのような、足音が近づいて来る。
「オーマさん…大変です…っ」
倒れ込むようにしてドアを開けたのは、若いヴァンサーの一人でオーマを慕いよく店にも尋ねてきていた。普段と大きく違うのは、その額から生々しく血が溢れていることだった。
「大変ってのはその頭のことか?どっかで転んだのか?」
茶化した言葉に青年は大きく頭を振った。
普段なら人の良い笑顔を浮かべ、気の利いた言葉が返って来るのだが、今日はそれもなく青年の表情も変らない。
「違うんです…、ウォズが…」
息も絶え絶えに青年が言葉を発した。しかし、いくつかの言葉は声になることなく消えていく。
「いい、分かった。どこだ?」
なんとか言葉を続けようとする青年を制し、オーマは尋ねた。掠れた声が告げた場所は、記憶の奥底からあるウォズの存在を思い起こさせる。
嫌な予感が少しづつ確信に変わっていく。
青年の手当てを店の奥から騒ぎを聞きつけて出てきた者に頼むと、オーマは過去獣型のウォズを封じた場所へと向かった。
辿り着いた先にいたのは、左右で長さの違う不格好な翼が生えた銀というよりは灰色に近い色をした獣だった。以前とは姿が異なるものの、気配はオーマの予想通りあの時見逃したウォズの子のものだ。
「とうとうこの日が来ちまったか…」
口の中で苦いものが潰れたように不味い味が広がっていく。
獣のウォズは口に自身を封じに来たのであろうヴァンサーを咥え、何かを探すように辺りを見回していた。
「おい、おまえ。そいつを離しな」
牙の間に力無く咥えられたヴァンサーを見つけ、オーマはウォズに呼びかけた。しかし、ウォズは気付かずにどこか別の場所を見ている。
「聞いているのか?」
更に近づき問い掛けて見たが、ウォズはようやくオーマに気付き警戒するものの、返事もせずにじっと動かなかった。
このウォズがまだ、オーマの記憶にある通りの性質を持っているとしたら。
意志はあるものの人語を理解せず、また己の意志を伝える術も持っていないことになる。
オーマは覚悟をするように目を閉じた。
髪は黒から銀へ、瞳はより一層強い赤へと変容すると体の造りそのもの輪郭が失われ、膨張していく。
天を突き刺すかのような二枚の翼が開かれ、細く美しい銀の毛が光を弾き風に靡いた。
眼前にいるウォズの母親を封じた、翼在る獅子の姿がそこにあった。
オーマに気付いたウォズは驚いたような表情を浮かべ、その拍子に口にからヴァンサーを取り落とした。地に落ちたヴァンサーは痛みにうめくものの、大きな外傷は無く命に別状はないようだ。
うつくしい、けものだ。
唐突にウォズの感情が、溢れてオーマの元へと届く。それは歓びにも似た色をなしており、オーマが予想していたものとは大きく外れていた。
咄嗟に喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、更にウォズの反応を待った。
もしかせずとも、オーマは大きな誤解をしていたのかもしれない。
おかあさんは、どこ。
そこには敵意など欠片も無く、ただ純粋な疑問だった。ウォズはきょろきょろと辺りを見回し、しゅんと項垂れる。
うつくしいけものがいれば、おかあさんはかえってくるとおもったのに。
『そうかおまえ…』
ようやくオーマは気付いた。
このウォズの子は、母親が封じられた事を理解しておらず、ただ単純に母親を求めてこの場所へと戻ってきただけなのだということに。
『すまねぇな』
精神感応によって伝えられたオーマの言葉に、ウォズの子は首を傾げた。
すまねぇ?
きょとんとして自身より大きなオーマを不思議そうに見つめていた。
一度ヴァンサーソサエティに封じられた母親のウォズが帰って来ることはまずないだろう。
ゆっくりとオーマは口を開いた。
『母親に会いたいか?』
おかあさん、あいたい。
うつくしいけものが、おかあさんをつれていった。
だから、うつくしいけものになれば、おかあさんはかえってくるとおもったのに。
『そうか…』
ウォズの不揃いな翼と灰色の体毛は、どことなくオーマのそれを思い起こさせる。このウォズが母親を思った精一杯の証が、この姿なのだ。
『じゃぁ、しばらく目を閉じてられるか?』
め、とじてられる。
ウォズの子がオーマの言葉にゆっくりと目を閉じていった。
オーマはそれを確認すると、小さな子供のように体を丸めたウォズを己の中へと封じていく。
この後ヴァンサーソサエティに送った後、このウォズが母ウォズと再会出来る確立は僅かだ。しかし、ここで母ウォズを探して彷徨い続けるよりも、幾分かましなことの様に思えた。
元の人型に戻りながら、オーマはもう一度小さく、すまねぇなと呟きウォズに地に落とされたヴァンサーを抱えて家路につく。
店へと帰ったオーマは、砕け散った筈の花瓶を額に怪我を負っていた青年が四苦八苦して直している姿に遭遇し、僅かに表情を緩めた。
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