＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
哀しき愛
□月の光
ゆったりとした空気の流れる黒山羊亭の中で、エスメラルダは微笑みながら座っていた。
店内にいる客はまばらで、時折囁くような話し声がし、グラス同士が乾いた音を立ててぶつかる。
落ち着いた大人の雰囲気をかもし出す店内。
エスメラルダが視線を店内から自分の持っていたグラスに移した時、突如ドアをノックする音が響いた。
エスメラルダが駆け寄り、扉を開ける。
そこにいたのは一人の少女だった。金髪の巻き毛が美しく、エメラルドグリーンの瞳は愛らしい。
17か18か・・そのぐらいだろう。
着ている服は高価そうなのに、服の裾が汚れている。
「あなた・・どうしたの・・？こんな遅くに・・。」
「・・たしを・・。」
「え？」
「私を愛して。」
「え・・？」
「歌って。ねぇ言って、誓いの言葉を。愛して、誰よりも強く・・。そして・・・。」
少女はその瞳を濡らした。
とめどなく溢れてくる涙が、頬に筋を作り、服に落ちる。
「ちょっと待って・・？詳しく説明してくれないかしら？」
エスメラルダはそっと少女の肩に手を触れると、店内へと引き入れた。
少女の名前はジャスティー。とある国の姫君だそうだ。
「驚いたわぁ。入ってきていきなり“私を愛して”だなんて、何事かと思ったわ。」
エスメラルダはそう言うと、息を吐いた。
「ごめんなさい。慌てていたもので・・思わず・・。」
ジャスティーはそう言うと、下を向いて頬を染めた。
「それにしても・・魔女にねぇ。」
「はい。私の17の誕生日の日に、夢の中で魔女と名乗る老婆が私に封印の呪をかけたんです。その時、身体と精神が分離してしまって・・。」
ジャスティーは大きくため息をついた。
精神の方は思わず近くにあった人形の中に入った。身体の方は・・。
「ここのどこかに、封印されてしまったんです。」
目の前でほの白い光に包まれて、突如ベッドの上から姿を消してしまったのだと言う。
そしてジャスティーの頭にあの老婆の声が響いた。
『誓いの言葉を言わない限り、封印は解けぬ。身体を探し出し、その前で愛する者と誓いの言葉を交わせよ！』
「・・それって、愛の誓いか何かなの？」
「いいえ。何の誓いでも良いんです。愛でも、友情でも・・とにかくその胸に相手を大切だと言う思いが刻まれていれば・・。」
「それでうちに来たのね？」
「はい。でも・・難しいですよね。私を、愛してくれなんて・・。」
「・・それ、何時までにやらなくちゃいけないの？」
「明日の、日没までにです。」
「・・分ったわ、どうにかしましょう。こんなに可愛らしい女の子が困ってるのに、手伝わないなんて事ないわよね？！」
エスメラルダはそう言うと、店内の客達をグルリと見渡した。
「それにしても・・・なんで封印なんて・・？」
「さぁ・・私にも分らなくて・・。」
ジャスティーはそう言うと、一つだけため息をついた。
「ねぇ、そう言えば・・貴方一番最初に“歌って”って言ったわよね？誓いの言葉って、歌なの？」
「いいえ。・・ゴメンナサイ、あの時は焦っていて・・。」
「そう？」
エスメラルダはちらりとジャスティーの目を見たが、すぐに店内へと視線を戻した。
ジャスティーが小さく呟く。しかし、その声は誰にも届かなかった。
ジャスティー以外には・・。
『そして・・・。』
■アイネ・クライネ・ナハトムジーク 第一楽章
ウィー ディアはその日も黒山羊亭を訪れてきていた。
扉を開き、普段と変わらない雰囲気の中を・・・。
「エスメラルダ。船長、見なかった？」
「見てないわよ。」
「また迷子だ。はぁ〜。」
ウィーは深く深くため息をつくと、ふと顔を上げた。
エスメラルダの隣に座る、見慣れない少女。
彼女だけが、この落ち着いた黒山羊亭のなかで浮いた存在として光っている。
「で、君誰？」
「え・・・？わ・・私ですかっ！？あ、私はジャスティーと申しますっ！」
急に話をふられて驚いたジャスティーが、ビクリと大きく肩を上下させる。
「ふ〜ん。ジャスティーか。」
「あのね、ウィー・・・」
エスメラルダはウィーに先ほどの出来事を細かく伝えた。
「それでね、彼女の身体を探してほしいんだけど・・・」
「え〜、探すの苦手だよ。全部焼いた後、探せば？早いし。」
ウィーの発言を受けて、エスメラルダが可愛らしく微笑む。
そう・・“とっても可愛らしい真っ黒なオーラ”を出しながら・・・。
「ウィー？」
「ゴメンナサイ。ちゃんと探します。」
「大体、焼いちゃったら身体も焼けちゃうじゃない。ねぇ？」
「あ・・え！？は、はい・・。」
「う〜ん。そっか。それじゃぁジャス、探しに行こうか。」
「うえ！？も、もうですかっ！？」
「早いほうが良いでしょ？」
「そうですね・・・。」
ジャスティーはコクリと小さく頷くと、席から立ち上がった。
「それじゃぁエスメラルダ、行ってくる。」
「言っておくけど、焼いたり燃やしたりしたら・・・」
「ちゃんと探しますって。」
「それじゃぁ気をつけて行ってらっしゃい。」
エスメラルダがヒラヒラと手を振り、2人を送り出す。
ウィーは後手で扉を閉めると、隣で珍しそうに夜空を見つめているジャスティーの横顔を見た。
「さてと、ジャス。何かを隠してるね？」
「え・・？」
クリクリとした瞳が、正面からウィーの瞳を捕らえる。
「ジャスが何を隠してるか言ってくれないと、ホントに街を燃やすよ。」
小さく微笑む。
それは、黒山羊亭から発せられる淡い光に照らされて美しくも残酷に光る。
しかしジャスティーはその微笑に不思議な笑顔を返してきた。
それこそ、ウィー以上に残酷で無垢な笑顔を・・・。
「本当に・・燃やしてしまえたら・・。」
「え？」
「あっ・・な・・んでもないです！街が燃えちゃったら大変ですし・・・。」
直ぐに先ほどまでの表情を取り戻すジャスティー。
「ジャス・・・？」
「えっと、私は・・何も隠してないですよぉ！」
「嘘ついたらダメだよ、ジャス。“歌って”とは何？」
「あっ・・・。」
ジャスティーが言葉につまり、口ごもる。
視線が宙を行ったり来たりして何かを考えている事を教える。
「あの、少し・・歩きません・・か・・・？」
ウィーは軽く頷くと、ジャスティーと共に歩き始めた。
「私、幼い時から身体が弱かったんです。すぐ病気になったりして・・。運動もしちゃいけないって・・・。」
「そうなんだ。」
「えぇ。ずっとベッドの中での生活でした。必要以上に動いちゃいけなかったんです。体力が・・なくなっちゃうからって。」
「退屈だった？」
「退屈でした。けれど、いつもそばに本だけはありました。両親が、ベッドから出られない私のために、それこそ・・読みきれないくらい買ってきてくれて。」
「ふぅん。」
「私の世界の中心は本でした。・・もう、何の本だったのかは覚えていないんですけど・・。凄く好きな本があって、その中に女の人が歌を歌う場面があったんです。とても綺麗な挿絵がついていて・・。」
「それで？」
「歌詞が凄く綺麗で、私も・・歌ってみたいって思ったんです。けれど私は歌を歌えるような身体じゃなくて・・。」
ジャスティーがふと歩を止めた。
ウィーも同じく歩を止める。
「歌って、言葉とメロディーが作り出す魔法じゃないですか。・・私には言葉はあったんです。でも、音がなかった。だから、魔法は発動しないんです。」
「どう言う事？」
「私は生まれてこの方、歌と言うものを聞いたことがないんです。うちでは誰1人として歌なんて歌わなかったから・・・。」
冷たい夜風がジャスティーの長い髪を揺らす。
「ゴメンナサイ。私、嘘ついてました。」
「今の？」
「違います。エスメラルダさんに言った事、ほとんど全て・・。確かに、私の精神と身体は別々の場所にあります。身体はこのどこかに・・。けれど、封印の呪なんかじゃないんです。私が、頼んだんです。」
「それじゃぁ、明日の日没までにって言うのも嘘？」
「それは本当です。明日の・・って、もう今日になってしまいましたけど、探さないと、精神と身体は別々のままです。」
「身体が何処にあるのか、ジャスは知ってるの？」
「・・いいえ。聞く前に、城を飛び出してきちゃって・・・。ゴメンナサイ。」
「まぁ、身体は探せば良いし。」
「そうじゃなくて、嘘ついてて・・ごめんなさい。」
ウィーはひらひらと手を振ると、ジャスに手を差し伸べた。
「改めまして、ウィーだ。よろしくね、ジャス。」
「はい、ウィーさん。」
軽く握手を交わし、手を放す。
「期限は今日の日没までだったよね。」
「えぇ。」
「じゃぁそれまでこの辺を案内するよ。面白いモノもあるし。」
ジャスティーが嬉しそうに微笑み、ウィーの後をチョコチョコとついてまわる。
「もし身体が見つかったら、歌を歌ってあげようか。」
「本当ですか！？それなら・・歌ってほしい歌があるんです。あの、本の歌を・・。」
「そうは言っても、メロディーが即興になっちゃうよ？」
「構いません。あの歌を聞いてみたいんです。ウィーさんの音で。」
「そっか・・。」
「ジャスはどっかの国の姫なんだって？」
「・・そうは言っても、一番末っ子なんですけど・・。」
「末っ子か・・。可愛がられたでしょう？」
「どうしてです？」
「一番年下は可愛がられる運命にあるんだよ。どこでもね。」
「そうなんですか・・・。でも、私は違いましたよ。あ、可愛がられたと言えば可愛がられましたが、病気がちだったんで・・。」
「心配だったんだろうね。」
「それはもう。」
「ウィーさんは何をなさってる方なんですか？」
「何って？」
「えぇと・・お仕事・・とか。」
「あぁ、海賊。」
「・・・海賊ってお仕事だったんですか！？」
「仕事って言うか・・まぁ、仕事かな？」
「なんだか面白そうで良いですねぇ〜。私は・・職業って言ったらなにになるんですか？」
「姫じゃないの？」
「職業姫・・・。なんだか弱そうです・・。」
「弱いか強いかが論点なの？」
「え？違うんですか！？」
□愛の夢 第3番
着いた先は町外れの小さな家だった。
ボロボロになって、主を失った小さな家だった。
「ジャス？ここになにかあるの・・？」
「何もありません。でも、これから・・なにかあるんです。」
小さく微笑むジャスティーの横顔が、オレンジ色に染め上げられる。
既に日は傾いてしまっている。
もうすぐで・・完全な日没になってしまう。
「行きましょう。」
ジャスティーがウィーの手をとり、中へと引き入れる。
中は外とは違い、それほど荒れた様子ではなかった。
しかし、長い間人が住んでいなかったことが伺える。
「ウィーさん、私の身体が・・どこにあるのかご存知ですよね？」
ジャスティーの言葉は断定的だった。
絶対に知っていると言う確信を持って、言葉にしている。
「・・あぁ。」
ウィーはそっと瞳を閉じた。
通常、封印した対象物は安全且つ見つからぬ場所に隠す。
例えば・・・。
「精神の中とか・・。」
「・・・歌ってください。私が聞きたかった、あの歌を・・・。」
ジャスティーはそう言うと、一つの詩を紡いだ。
それほど長くない言葉達は、すぐにウィーの中へと入ってきて、ストリと落ちた。
少しだけ肺に新鮮な空気を送り・・・。
憂う藍は甘美なまでに
移ろう蒼は妖艶なまでに
叶わぬ願いは幾千の時を越え
再び舞い戻るは紅の社
閉ざす瞳は闇夜を連れ
紡ぐ言葉は光を連れ
孤独を解き放つ時を求め
進み行くは茜の架け橋
赤く濡れるは始まりの時
赤く染まるは終わりの時
甘美な宴は昼夜を問わず
舞い遊ぶはこの世の永久
穏やかで澄んだ歌声が響く。
それはどこか哀しくて、優しくて・・泣きたくなるほどに美しい歌声だった。
「ウィーさん。ありがとうございます・・。」
「いや・・」
「マルネさん。」
ジャスティーが向いた場所に、いつの間にか1人の老婆が腰を下ろしていた。
真っ黒なフードつきのローブをかぶった、それこそ、魔法使いと言う格好のおばあさんだった。
「畏まりました。」
マルネと呼ばれた老婆がすいと宙を右手の長い爪でひっかいた。
そこから空間が裂け、中から1人の少女の身体がゆっくりと吐き出された。
隣にいる少女とは違う、漆黒の髪・・・。
「誓いの言葉を。」
「・・ウィーさん・・。」
「ジャス、仲間として好きだよ。」
海賊において、一番大切な気持ちを表す相関関係は『仲間』だ・・・。
「ありがとう。」
ジャスティーは穏やかに微笑むと・・腰の辺りからなにかを抜いた。
そして、たった今吐き出されたばかりの身体に駆け寄ると、倒れこんだ。
「ジャス・・・！？」
グサリと、何かが刺さる音がしてウィーは思わず固まった。
見つめる先、漆黒の髪の少女・・その左胸に深々と突き刺さる、銀色のナイフ・・。
「ジャス・・？なんで・・・。」
ジャスティーがナイフを胸から抜き、小さく微笑んだ。
それはあまりにも痛々しい微笑だった。
『そして・・・殺して、ウィー。』
「何言ってるんだ！？仲間を殺すなんて出来るわけがないだろう？」
「私を、殺して。ウィー。」
ジャスティーがこちらに歩み寄り、ウィーの手にナイフを握らせる。
「なんでだ・・？ジャス？」
「身体は死んだわ。精神を、このままにしておけない・・。」
「どうして・・なんでこんな事に・・・？」
「もう、長くなかったからだよ。」
困惑するウィーの耳に、老婆の声が虚しく響く。
「その子は、最初からもう長くはなかった。でも、その子は外の世界に出てみたかった。だから・・」
「だから、お願いしたの。精神だけを人形に入れてもらうように。この魔法を解くには、身体を自分の手で、精神を愛するものの手で、殺さなくちゃいけない。」
「そのままで良いじゃないか・・」
「ダメ・・。約束だったから。ゴメンネ、嘘ついてて。でも、どう言って良いのか分からなかった。」
ガラスの割れた窓から、夜の気配を含み始めた日の光が斜めに差し込む。
「魔法は、解かなくちゃいけない。解かないと、私はこの身体で一生の生を貫かねばならない。一生を生きる、その怖さは、死ぬ事の怖さと似てる。・・私は、一生の生よりも、この瞬間での死を選ぶ。」
一生を生きなければならない苦しみと、死んでしまう苦しみ。
どちらがより苦しいかなんて、ウィーには分からなかった。
少なくとも、目の前の少女は死ぬ苦しみを選んだのだから・・・。
「ウィー、殺して。」
「出来ない。」
「ウィー・・！」
「出来ないっ・・。」
ジャスティーが穏やかに微笑む。
そっとウィーの両手を包み込む。
そして・・・。
クッションにナイフを突き立てたかのような、軽い手ごたえだった。
何の抵抗もなく入ってゆく切っ先は、彼女が人形である事を肯定しているようだった。
「ウィー。好きよ。仲間として。・・ありがとう。」
ふわっと温かな白い光が宙へと飛び出し、そして消えた。
満面の笑みで微笑んでいたはずの彼女の顔がだんだんと表情を失い、ついにはただの人形としてその場に崩れ落ちた。
その胸に、銀色に光るナイフを抱きながら・・・。
■Forget Me Not
「これで、良かったんだ。きっと・・。あの子がなによりもこれを望んでいたのだから。」
老婆の声が穏やかにウィーを慰める。
「本当に、これで良かったのか・・・？なにか他に手が・・」
「ない。あのまま大人しくベッドで寝ていたとしても・・あの子はもう長くはなかった。それを知っていて、この事を私に頼んできたんだ。あの子が選んだ道だ。あの子が精一杯悩んで、考えた道なんだ。」
・・それを、否定する事は出来なかった。
どんなに哀しくても、どんなに悲惨でも・・ジャスティーから見たら、凄く素敵な選択だったのだ。
哀しくもない、悲惨でもない。
ジャスティーから見れば・・・。
「・・・ひとつ聞きたんだけど・・『個』を消す呪の解呪方法を知ってる？」
「“個”を消す・・？いや、知らないな。」
「そっか、知らないならいい。」
完全に日が没した室内は、老婆の顔が見えないほどに暗かった。
ウィーはそのまま何も言わずにその場を後にした。
憂う藍は甘美なまでに
移ろう蒼は妖艶なまでに
叶わぬ願いは幾千の時を越え
再び舞い戻るは紅の社
閉ざす瞳は闇夜を連れ
紡ぐ言葉は光を連れ
孤独を解き放つ時を求め
進み行くは茜の架け橋
赤く濡れるは始まりの時
赤く染まるは終わりの時
甘美な宴は昼夜を問わず
舞い遊ぶはこの世の永久
〈END〉
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
2322/ウィー ディア/男性/27歳/海賊
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■ ライター通信 ■
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初めまして、この度は『哀しき愛』にご参加いただきありがとう御座いました。
副題は全てクラシック曲からつけさせていただきました。
ドビュッシーの『月の光』
モーツァルトの『アイネ クライネ ナハトムジーク』
リストの『愛の夢』
リヒナーの『Forget Me Not』（忘れな草）です。
どれも素敵な曲ですよ〜。
それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。
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