<東京怪談ノベル(シングル)>
□■□■ 白い日の前に ■□■□
いつでも無敵に素敵を貫き通す親父道にもたまに障害はある。ごくごくたまに、蹴散らせない障害が目の前に立ちはだかる。それは悲しいまでに愛くるしく、だが激しいまでに強力な結界を辺りに張り巡らせていた。オーマ・シュヴァルツはチッと軽い舌打ちをして、それに対峙する。
彼の前には強固な結界が張ってあった。突破するのは容易だが、ただ突破すれば良いという類のものではない。その痕跡を残さず、何者にも自分の存在を悟らせず、そこにある『もの』を持ち帰らねばならない。それが今日の、彼の使命だった。
ドラゴンの守る巨塔に無愛想な姫でも助けに行く方がよほど、楽な仕事だったかもしれない。だが現実として彼がしなくてはならないことは、これなのだ。もはや猶予は残されていない、意を決して踏み込まなければ何も発展せず、ただ時間が過ぎて行くばかりなのだから――ここでただ立っているわけにも行くまい。
彼は物陰から、足を一歩踏み出す。
その結果意に向かうべく。
下げていた顔を、上げる。
目の前にはファンシーショップが佇んでいた。
頭を包むのは唐草模様の頭巾、結び目は勿論鼻の下。手に持っているのは買い物籠、ネギや大根が収まりきらず顔を出しているのはご愛嬌。典型的な買い物スタイル、プラス、泥棒ルック。その状態で彼はアルマ通りの一角にあるファンシーショップの前に仁王立ちしていた。ぷるぷると脚は震え、買い物籠もゆらゆらと揺れている。通行人は勿論訝しげな視線を向けているが、まあいつもの腹黒胸キュンラブ上腕二等筋クラッシュ的に人畜無害な悪巧みでもしているんだろう――何か根本的かつ根源的に間違っている言葉だと突っ込んではならない――と、放置している。
そんな通行人の微妙な思考など華麗に無視しながら、オーマはただ目の前の店を凝視していた。店、ファンシーショップ。可愛らしいぬいぐるみや雑貨が多数揃えられている店にいる客は、勿論若い女性ばかりである。ある種、親父を拒絶するかのような薄紅色のオーラを発しているそこは、眼に見えない何かで堅固に守られている。
ではオーマが震えているのは、その結界に入り込めないことに対してか。
否、全然。
ぷるぷるとした震えが手足だけでなく身体全体を揺らして行く。
そして限界に達したように、彼は、咆哮した。
「ッだぁああぁぁあああ、ラブ、ラブい!! どこまでもラブいぞぬいぐるみ、クッション、その他諸々大胸筋キュンキュン刺激の雑貨達ィ!! 今すぐに飛び込みたい、あの高く積まれたぬいぐるみの山に飛び込みたい! テディちゃんを抱き締め圧迫しまくりてぇえぇぇえええ!!」
絶叫。
通行人、軽やかに無視。
店員や客、もはや視界から外している。
「だがしかし、俺には使命があるのだ、あるのだったらあるのだッ!! ここで誰にも見付からないように、腹黒うっふん隠れ身の術☆ を駆使して店の中にこそっと忍び込み、そして目当ての『アレ』を物色し、購入するという超ッ絶に極秘な任務が!! これは拷問なのか、そうなのか、ああッ神は何故こんな博愛親父に試練を齎そうと言うのかぁああぁ!!」
大声で言ってますから。
秘密、盛大に漏らしていますから。
普通若い女性に人気の雑貨店の類に入るのに、男性は躊躇いを覚える。そこに溢れているものはぬいぐるみや人形といった、彼らにはあまり理解の出来ないものだからだ。だが、オーマは今違う意味で二の足を踏んでいる状態である――それらを盛大に愛でたい、だが、隠密行動の最中。はたしてそのファンシー結界の中で目的を遂行するための行動に専念していられるか、それが問題なのだ。
まだ店内に入っていないにも関わらず、彼の筋肉はところどころぴくぴくと痙攣している。何かに対しての熱い抱擁の準備態勢に入っている身体の各部をぎこちなく動かしながら、彼は結界の中を睨む。休日の夕暮れ時、こそこそマッチョ☆ に腹黒ウォッチを続けた一週間で統計を取った結果、ひと気が一番に少なくなる時間帯は今なのだと割り出されていた。
買い物のついでにほんの数分立ち寄れば良いはずのそこ、それは魔の領域、ドラゴンの守る塔よりも難攻不落の結界、誘惑。つぶらな瞳で愛くるしい視線を投げ掛けるぬいぐるみ達は、モンスターよりも手ごわい。それでも、それでも彼は脚を進めなくてはならない。その理由が、あるのだった。
■□■□■
「ん」
ただ単純に漏らされた声に顔を上げれば、目の前には娘が立っていた。
昼の休憩時間、ムキムキ筋肉を人面草達が戯れる庭で休めていたひと時。ラブシックやドッキン外傷でやって来る様々な患者――新規が滅多に来ないのは彼にとってのみ永遠の謎である――との楽しいトーク混じりな遣り取りも、数をこなすと幾分疲労感が蓄積する。光合成で血液内のラブを生み出し、消費された体力と愛を充電している最中のその時間、彼の前には娘が立っていた。
少し眼を閉じていた所為で気配に気付かなかったらしい。疲れがたたっているのか、それともまだ愛が充電し切れていないのか。思考よりも彼の感覚を集めたのは、娘が差し出している小さな箱――だった。
小奇麗にラッピングされているそれは、彼女の小さな手のひらに丁度納まるサイズの本当に小さなものである。金糸銀糸のリボンが掛けられ、くるくるとカールしている。箱に対して少々過剰に付けられた飾りの造花は薔薇の花を模していた。ん、と再び小さな声が漏らされ、手が突き出される。惰性のままにそれを受け取り、オーマは首を傾げた。
「うぉい、どーした愛娘? パパりんの誕生日は今日じゃねーけど、どーいった風の吹き回しでこんなラブいプレゼントを渡しマッチョ☆ な心地になったんだ? あれか、とうとう素直にお父様の大胸筋に満開笑顔で飛び込みマッスル☆ 一緒に筋トレ、オリンピックの星を目指すわ☆ 気分にでもなったかー?」
「……………………半数以上の単語が、意味不明……。そういうの………………渡す日だって、言われた……だから渡してる、だけ」
「そーゆーの? 渡す日……ああ」
オーマはふっと思い出す。カルテに日付を入れるいつものルーチンワーク、あまり気にも留めなかったが、今日は二月の十四日だった。どこかの世界からやってきた召喚者達が広め、ソーンにも根付きつつある行事、バレンタインデーである。いつものように病院にいたので世間の状態は判らなかったが、なるほど、無口無表情無愛想三連コンポを常時繰り出し続ける娘も、それに倣ったらしい。彼はニッと歯を見せて笑う、娘は、少し身体を引いた。引き攣った表情は緊張、と言うよりは照れの気配が強い。
娘の手にすっぽり収まっていた小さな箱は、オーマの手には随分小さい。だが愛は質量などではない、そこに物理的なものなど必要ない。試されるのは思いの強さ、それ一筋。小さな箱の中に娘の精一杯のラブが詰まっている、そう思うとほんの少し、くすぐったい心地があった。腹筋辺りを刺激されるようなそれは、けっして人面草が絡みついている所為ではない。
「そーかそーか、嬉しいぞマイラブドーター! このマッスルな親父愛の大きさをやっと判ってくれたんだな、おとーさんは嬉しくて涙が溢れ大洪水だぞ!」
「全然。……………ちなみに。中身作ったのは、母さん……だから」
「……。そ、それが愛ならば親父は喜び勇んでマッチョ食いだぞぅ☆」
「…………絶句、したね」
だって愛妻激しいまでに料理オンチなんだもん。
ほろほろと涙を零すオーマを完全に無視する形で娘は去って行く。その後姿を眺めながら、彼は薄く微笑んでいた。世情に流されるほど角が取れて丸くなったのならば、それは喜ぶべきことだろう。そのまま一緒にヒンズースクワットをしてくれるようになってくれれば、それはそれで万々歳に平和な未来像である。家族で一緒に筋トレ。うっとりするほどに胸キュンな未来予想図だった。
「ッと……あー、確かお返しが一ヵ月後、なんだよな? さてさて、どんなラブマッチョ☆ なお返しをしてやろっかねーぃ……」
■□■□■
「ッぐおぉうぅうッ!!」
ぶしッ。
豪快に指に突き刺さった針に悶絶するオーマを眺め、黒衣の青年は苦笑交じりの溜息を吐いた。周りではいつものように霊魂軍団が浮遊しているが、今日は随分と大人しい状態である。集中しているオーマに気を遣っているのか、単に慣れない光景を目の当たりにして驚いているだけなのか。
一通りのた打ち回ってから再び『作業』に戻るオーマに、彼は声を掛ける。
「それ、本当に間に合うのですか? その様子では徹夜一晩では効きそうにありませんよ、オーマさん……いつものように具現化能力でどうにかしてしまえば良いでしょうに」
「なぁにを言うか幽魂紳士! 苦手をおしてもせっせと愛を紡ぐことこそ、ファミリー筋トレへの第一歩なのだ……ッぐをぅうッ!?」
「裁縫だけは、苦手でしょうにねぇ……」
料理洗濯掃除家計のやりくり家庭の医学、安物買いにタイムサービス網羅。主夫としてのスキルほぼ全てがマックスレベルに達している、そんな彼の弱点にも弱点は存在する――裁縫。ぶしぶしと指から上がる血飛沫で手元を汚さないように気をつけながら、彼は『作業』を続ける。
テーブルの上には、切り取られた布地。
それの全てがふわふわとした感触を持っている。
彼が格闘している相手は、クマのぬいぐるみ製作キットだった。
「大体、オーマさんは大柄すぎるんですよ。あまりちまちました作業は向かないのではございませんか? そもそも手元がきちんと見えているのか……布団針でも使った方がサイズ的には良さそうですが、ぬいぐるみは縫い目が粗いとすぐに中の綿が飛び出してきてしまいますからね」
「おうよ、ちまちまちまちま……ぐべはッ!!」
「…………お手伝いしましょうか?」
「ならん!! 愛は自分の手で完成させるものなのだ、それが俺のジャスティスマッスルハート! はぐあぁぁあッ!!」
ファンシーショップの誘惑に耐え、そして現在は苦手をおしながらもぬいぐるみ製作に魂を燃やす。その様子を眺めていた青年は、小さく、クスクスと笑いを漏らした。
なんとも、なんとも――微笑ましい光景なのかもしれない。
「クマの形のチョコレートでしたか。味はどうだったんです、それ」
「ああ、花畑が見えた。形がまともだったからもしかしてと思ったんだがな、はっはっは! あーうち!!」
「……お互い苦手なことをしているんですねぇ」
「それを言うな! それでも愛で解決する! っつーか本当にホワイトデー間に合うのか、これッ……のぉおぉぉおッ!!」
「間に合わせなくてはならないのでしょう? 頑張って下さいな、『お父さん』」
指に刺さる針は何度目か。がたがたな縫い目をやり直すのは何度目か。そんなことを考える事には、一時間ほど前に飽きていた。ただ彼は縫い続ける、そこに布があるからだ。そして、娘と妻の分、キットは二組ある。時間はどんどん無くなっていく、それでも針は指に刺さる。
どんな冒険よりも在る意味で達成困難な状況に追い込まれてはいるが、それでも、楽しいという心地が根底にある。
それは、冒険では生まれない感覚だった。
「ッだぁああぁぁ、爪と肉の間に刺さったぁあああ!!」
「ご愁傷様です」
ホワイトデーまで、もう少し……。
<<"Love tastes bitter" over>>
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