<東京怪談ノベル(シングル)>
『見えない光の向こう』
「あー、どうしたもんかねえ?」
そう言ってオーマ・シュヴァルツは腕を組んだ。
彼にとってはとても珍しい現象だ。
何においても迷わず、怯えず、天上天下唯我独尊。そんな自分が相手をするにこれほど悩むとは‥‥。
天使の広場の噴水の側。ベンチに足を伸ばす彼の膝の上には子供がいた。
長いたっぷりとしたコートを毛布代わりにして眠る‥‥少年というには小さい子供が‥‥。
この子は無論、彼の子供ではない。
出会ったのは、まだ、ほんの少し前のことだ。
のんびりとした昼下がり、彼はアルマ通りをのんびりと散歩していた。
いつもなら家や、店や病院で食事をするのだが、今日は買出しと、ちょっとした気まぐれもあって外に出てきたのだ。
軽く軽食を食べ、薬草を買い、店々の品物をひやかして見たりしていた時だ。
「ん? 何だ?」
彼は微かに聞こえてきた音に、耳を欹てた。人ごみ、ざわめきの中で普通の人には気が付かないだろう、微かな、微かな泣き声。
「泣き声‥‥か? 一体、どこから?」
周辺を歩く人々よりも頭一つ大きい視点から見てみるが解らない。
だが、素通りするには‥‥気になりすぎた。
「‥‥‥‥! あそこか!」
幾度か周囲を見回して、オーマは屋台街から少し離れた所へと顔を向けた。
建物と建物の間の暗い細道で、膝を抱えてなく子が一人‥‥。
声を聞いてキョロキョロと首を動かす子供を見つけた時に泣き声も止んだ。
やはり、この子なのだろう。5〜6歳くらいだろうか?
少しホッとして彼はその子に声をかけてみる。
「坊主? 一体どうしたってんだ? ほら、こっちへ来い!」
顔は、こちらに動くがまだ立ち上がらない。膝も抱えられたままだ。
オーマが入るには細い道。彼は子供の顔の真ん前に手を差し伸べる。
だが、子供の表情は、人形のように動かない。
目の前に差し出された手がまるで見えないかのように首を右左と動かす子供に、オーマは首を捻った。
「おい、その手を掴んで出て来い!」
それでも、出てこない。目の前に手がある。それを掴めばいいだけなのにいかに相手が子供だとしても‥‥。
「‥‥あ! まさか‥‥」
彼の緑の瞳の前で、手を揺らしてみる。一回、二回、三回。
「やっぱり‥‥か」
子供の瞳は動かない。仕方ない、とオーマは身体全体をぎりぎりまで通路に押し入れて、なるべく優しくその肩を叩いた。
「‥‥ひっ!」
大きな手の感覚に怯えかけた子供も、その温もりにふと、心の警戒を解く。
「何があったか知らないが‥‥必ず助けるから出て来い。ほら、俺の手に捕まって‥‥」
「‥‥」
返事は、帰らなかったが細い指が10本、オーマの手を握る。
「よし! よいせえ!!」
ビュン! まるで土から引き抜かれたカブのように子供は明るい所に出てきた。
やれやれ、と肩を降ろすオーマであったが、一難去ってまた一難。
「どうしたんだ? お前さん、どこの‥‥誰だか言えるか?」
「ひく、ひくひく‥‥エ〜〜〜ン! ママア、どこおお??」
じわり、じわりと浮かんだ涙が大洪水になるまで僅か数秒。
大声で泣き出す子供に対して、オーマができることは、ただ、おろおろすることだけだった。
泣き疲れたのだろうか。それとも緊張の糸が解れたのだろうか。
暫く後、眠ってしまった子供を膝に乗せたまま、さて、とオーマは考える。
泣いている子供に勝てる大人は、そうはいない。
大泣きする子供と周囲の怪しい者を見るような目になんとか耐えて聞きだしたのは母親とはぐれた、それだけ。
名前さえも、子供は口に出さなかったのだ。
ウォズを使って親を捜させようか、とも思ったがそれはできなかった。
子供が怯えるのだ。具現化させようと力を入れただけでも、身体をひくつかせる。
「きっとその分、気配や感覚に敏感なんだな。この子はよ‥‥」
故に得意な能力は全く使えない。今は、ただの腹黒い親父でしかないと、小さく苦笑せずにはいられなかった。
ふと、思う。
この子が生まれ持っての定めを持っているように、自分や一族の定めもまた生まれついてのものだ。
生き物は例えどんな命でも、生まれた場所の中でその定めを果たさなければならない。
もって生まれた能力と定めは、きっと、その為に必要なものなのだ。と‥‥。
「だとしたら、この子にはどんな定めがあるんだろうな?」
正直、自分が子供に対して無条件に好かれるとか、警戒心を抱かせない外見をしているとは思っていない。
だが、不思議なことにこの子は、特別な能力にこそ怯え、警戒するが、オーマ自身に怯えたり警戒する事は無かったのだ。
素直に手を取り、素直に膝で眠る。
無防備な子供の寝顔を見ていると、思わず笑みがこぼれるのは彼も、やはり父親だからだろうか?
子供が枕にしている膝を揺らさないように、ぐっと伸びをして後、彼はまた最初の呟きに戻った。
「あー、どうしたもんかねえ?」
この子が起きたら、親探しかと、そう思っている時、聞こえた噂話。彼は軽く聞き流しかける。
「‥‥馬車と、人が‥‥」
「若い‥‥女性が‥‥」
「‥‥‥‥」
ピクン! 膝の上の子供が突然目を覚ました。
「ママ!」
「お、おい!!」
膝の上から飛び出し‥‥駆け出す子供にオーマは手を伸ばしかけた。
それさえすり抜ける素早さで子供は走っていくが案の定、子供は転び、ぶつかる。何度も、何度も。
だが、それでも子供は走った。
見えない何かを、何よりも大切な何かを追いかけるように‥‥。
「‥‥待て!」
オーマは何度目かに転んだ子供にその手を伸ばした。
頭よりも大きな手が、軽々と子供の身体を宙に浮かばせる。
「あ‥‥」
「ママのところに行くんだろう? 連れて行ってやる。行くぞ!」
「うん!」
身長2mを超える大男の全力疾走と、肩に乗る子供の姿はその日、街の小さな噂となった。
近くの医療所に運び込まれた婦人がいた。
馬車とぶつかり骨が折れたのかもしれないと人々は噂する。
出血と傷の痛みで意識を失っている彼女と手当てを尽くす看護人達の元に、扉が開かれた。
「ママ! ママ!」
一目散に走る子供の登場に驚きながらも、彼らはそれを止めない。
子供が彼女の息子であろうことは直ぐに解る。
「ママ、ママ。起きてよ。ママ!」
母の手を取り、子供は泣きじゃくる。意識が遠のき、消えかけた女性の力が、意志が声に答えるように戻ったのを見たときオーマの意志は決まっていた。
「‥‥どきな。俺が、俺様がお前のママを助けてやるぜ!」
自分の病院ではない。だが‥‥目の前で救える命を見捨てることなどできはしない。
「あんた達、手伝ってくれ。命を救うために!」
強い意志を持った声に‥‥彼らは従う。
そして、彼らは知った。全ての思いが一つになった時、そこに‥‥光が生まれる事を。
「本当に‥‥ありがとうございました」
あれから暫くがたったある日、オーマはその職場に二人の訪問者を迎えた。
「お、元気になったのか? 良かったな」
「はい、お陰さまで」
頭を下げる婦人を笑顔で出迎えながら、彼は『ここ』に来てくれたことにほんの少し感謝する。
(「俺の病院とかでなくて良かったぜ。子供づれにはち〜っと厳しいからな。あっちはよ」)
「俺は大した事はしてねえよ。坊主‥‥良かったな?」
膝を折って、婦人の後ろに隠れる子供と同じ高さに顔を合わせる。
オーマの笑みは彼の瞳に映り、オーマに帰ってくる。
澄んだ無垢な笑顔と共に。
「お兄ちゃん、ありがとう」
「お兄ちゃん?」
くすくす‥‥。母親は笑っているが、滅多にもらえない形容詞にオーマの顔が破顔する。
「もう迷子になるなよ」
「うん!」
オーマの腕が子供の身体をひょいと持ち上げ、肩車する。
小さな嬉しい叫びと歓声がきゃっきゃというはしゃぎ声と共に広がり、それを母親が幸せそうに見守る。
まるで家族のような光景だ。
(「男の子ってのもいいかもなあ?」)
ほんの少し、そんな思いが過ぎったような、過ぎらないような‥‥。
ふと、家族の顔が思い浮かんだような、浮かばないような‥‥。
彼の気持ちを知る由は無い。
ただの当たり前の日常、当たり前の日々。
暖かい春の日差しのような光が、笑顔が、彼らを暖かく包んでいた。
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