<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


きっと、いつか






 空間という概念は、どこの世界にも存在するものだ。
例えば、人形王のこの館にも。

「ほぉ。最期の作かの」

 その空間に融け、一つの声が響いてきた。
 老いた老人のテノールか。
けれどもまっすぐに響き、とても綺麗だ。

「この人形がのぅ〜」

 もう一度、まじまじと見つめ、呟く。

 赤い人形だと、彼は思った。
それは、この人形の親を知っている所為もあるだろう。

 最も、彼女は紫苑のイメージだったけれど。

「しかし、あやつの全てを賭けた作品なだけはある。まだ生まれたばかりだと言うに、今にも動き出さんばかりの生気じゃ」

 ずっと。
 ずっと、見てきた。
 隠れて。
 空間に、隠れて。

「あの様子を?」

 不意に動き出すは、あの紅の人形。
どこか疲れたような調子でそう言いながら、まっすぐに無を誇る場所へと視線を向ける。

「そうじゃ」
「ふむ。茶目っ気たっぷりで答えたつもりかもしれないけれど、はっきり言って可愛くないね」

 これは、ある種の挑発だ。

 人形に宿る魂は知っていたのだ。
この声の主が、彼自身が望まぬ限り決して姿は見せぬ事実を。
そして、それをしてもらうためには、何か切っ掛けを――スイッチを入れなければならないと。

 人形は、スッと目を細めた。

「変わらないね、アルゴ。覗き見とは悪趣味じゃないか」
 
 含みのある笑顔を浮かべながら言葉の攻撃を続ける人形を、やはり含みのある笑みで返す老人。

 銀や金という扱いの難しい色を持つ彼は、なかなかどうして派手に感じない。
鮮やかな長い銀髪だからこそ、緋色めいた金色の瞳が高貴な美しさを引き出している。
若かりし頃は、さぞ美男子だったに違いない。

 この老人こそが、アルゴ。
観察者にして傍観者。
ただ行く末を見、自らに記す。

 此処に存在しておきながら、ただひたすら無である者。

「まさか、本当にスイッチが入ってくれるとはね」
「なに、単に突然の声に吃驚しただけのことよ。年寄りの心臓は弱いんじゃ」
「それでも、ボクがスイッチを入れたことに変わりはないわけだ」

 軽口を叩き合う二人。
旧知の仲であるような、それでいて遠い存在であるような、そんな不思議な雰囲気がある。

「しかし、我輩も予想をしなかったわい。まさか、作品の中に自らの意識を入れようとはのぅ」
「そっちこそ。姿も声も違うのに、よくボクをわかったね」
「わかるぞ? 面白い存在じゃ、間違いようがない」

 きっと。
 きっと、この先この人形にいくつの人格が入り込んでいったとしても、すぐにわかる。
気高き人形王としての魂は隠せない。隠しきれない。

「……良い」

 自然と、声が漏れた。

「良い儀式であったと思うぞ。アレや他の人形については、ちと不憫に思えるがの」
「はは、あなたにまでそう言われるとはね。でも、ボクは後悔はしていない……。それに、この子は私そのものだよ。ファサードだからね」

 人形に宿る一つのファサード。
ファサードは一人ではなく、一つでもない。
いくつものファサードがあり、しかしそれらの目指すものは、目標は変わらない。

 同じ。全てが異なり、全てが同じ――。

「これから、たくさんのファサードがファサードに詰まっていくんだ。そしてそれは、ファサードとしての力になる」
「あの従順な晶石の娘もか……」
「うん、そういうことだね。キミも、もしかしたらファサードになるかもしれないよ?」

 ちらりと、上目遣いで言われた言葉は、まるで呪のようにアルゴに浸透した。
予言とも言えるかもしれない。
 それくらい、ファサードの言葉と瞳には迷いというものがなかったのだ。

「……肝に銘じておこうかのぉ」

 くつくつと空間に声を融かしながら、アルゴは再び姿を消した。

 いつか、本当にその日≠ヘやって来るのかもしれない。

 一体の人形に、想いの篭った人形に、その空間の一部に紛れ込む瞬間が、やってくるのかもしれない。

 そこは、どんな空間なのだろう?
居心地は良いのか、どんな空気でどんな臭いを持つのか。
何を見れるのだろう? 何を知れるのだろう?

 ……目指すもの、目標とは?

「面白いと、嬉しいんじゃがな」

 どちらにしても。
今は、もう少し見守るだけにしておこうと思う。

 人形王と、その愛し児と、たくさんの魂の行く先を。




 ――面白いと、嬉しいんじゃがな




 その言葉を後に、声が館に響くことはなかった。

「まさか、あの食えないご老体がボクの言葉を本気で気に留めていることはないだろうけれど」

 ……。
 少し、考える。

「もし本当にファサードになってくれるのなら、ボクとしては大歓迎かな。あの人は面白いしね」

 ファサードはそっと目を瞑る。
今までの自分とは違う、ファサードとしての空間が其処に広がる。

 そこでは、たった一人のファサードになれるのだ。
ファサードとしての空気をすって、ファサードとしての想いを馳せる。

 今はこの場所を、三人で共有していた。

「晶石のあの子は……彼女は、この子の眼。光を示し与えるだろう。そして、ボクは記憶の翼と心の灯火を与える」

 強すぎる力。それを受けた人形。

「御主の愛し児の負担と成らん事を……ね」

 彼が空間に姿を現す前。
 儀式の終わったすぐ後。
 声を出した本人も、声にしたことに気づかなかった言葉。

「何が吃驚で、何の予想がつかなかったんだか。全く、本当に食えないご老体だよ」

 ファサードから、ファサードの意識が消える。
アルゴが館の空間にまるで最初から存在していなかったかのように。
ファサードも、ファサードの空間にまるで最初から居なかったかの如く。

「…また、ね……」

 薄目を開けて、薄目を閉じる。

 きっと。
 きっと、幾百の年月を経て、アルゴとファサードは邂逅を果たすだろう。

 今度はまた、別のファサードとして。

 人形王としてではなく。
 ただの人形師ファサードとして。




 その日はきっと、やって来るよ?