<東京怪談ノベル(シングル)>
「いつくしみ深き」 讃美歌 312番
遠く遠く呼んでいた。
いや、近く近く詠っていた。
それは、懐かしき歌声。
いいえ、知りもしない歌。
また、聖獣の守護が一度弱まったらしい。
オーマ・シュバルツにとってそれは自分が良く知っている存在が起こす事象だと知っていた。
「よぉ」
月が輝く夜。その場に生まれたばかりの銀色の花に、オーマは軽く手を上げた。
花が答えを返さない事も、言葉を解する事さえない事も知りながら、オーマは隣に座り込み、そっと花に語りかける。
「見つけたのが俺で良かったな」
いつもなら腹黒親父ラブマッチョと歯止め無く言葉にする口が、なぜか一切出てこない。
「この世界にもそれなりに沢山のヴァンサーが流れ着いているからな」
風に吹かれてオーマの青い髪と、銀色の花びらが揺れる。
月明かりに光る程度の銀の花びらならばまだ納得できるかもしれないが、茎も葉も銀色…自然界には絶対に存在しない銀色の花。
摘み取ってしまえば一瞬で消えてしまいそうなほど小さな花に擬態した、そうオーマたちヴァンサーが封印すべき存在『ウォズ』。だがオーマは銀の花に薄っすらと微笑を浮かべ、
「いい夜だな」
自らをどんな姿に模する事も出来るウォズという存在。
自ら脆弱な姿を取るその様は、己が強さを姿という視覚の情報に現す必要が無い自信の表れか。
「行くあてが無いなら、家に来るかい」
味オンチだが麗しき愛妻と、可憐な愛娘が住む、我が家へ。
このソーンの聖獣さえも餌とするその獰猛性。放っておけばいつか被害が出るかもしれない。
――いや、そんな物は建前で、オーマはできるなら共存という道を望んでいた。
まるで首を振るように風に花びらを揺らせた銀の花に、
「振られちまったかね」
と、こちらの言葉を理解しているような、そんな銀の花に、オーマは苦笑を浮かべ、花が見上げる銀の月を自分も同じように見上げた。
「聖獣の守りを突き破って、あんたはこの世界で何がしたかったんだ?」
腕を枕にするように頭の後ろで組んで、ゆっくりと大地に身体を預ける。夜風に舞う緑の匂いが鼻を突いた。
銀の花はやはり何も答えない。
――こちらの言葉は分かっているだろうに
何時だったかに拾った野良ウォズのカメレオンとは違い、この銀色の花は、相当な知能を兼ね備えたウォズなのか、はたまた能ある鷹は爪を隠す…なのだろうか。
だがこれだけは分かる。この銀の花が自らが望んで花に擬態している事も。
それなのに、安易に封印という手立てに出る事が出来ないのは、きっとこのウォズがそれないりに強いと本能で感じているから。
ヴァンサーを前にして、立ち向かう事もせず、逃げる事もせず、ただその場に居る事だけを望むような銀の花。
「お前面白いな」
ただ一心に月を見つめているように見て取れるその姿。
夜風が銀の花を優しく揺らす。
遠く遠く呼んでいた。
いや、近く近く詠っていた。
それは、懐かしき歌声。
いいえ、知りもしない歌。
いつ何処の世に生まれたウォズかも分からないが、この銀の花は今この場に存在する事を『強く、望み』その揺れる花びらは邪魔をするなと告げる。ヴァンサーを前にしたウォズの中でもなんと特異な存在か。
「まぁお前に、親父桃色桃源郷腹黒ラブマッスル☆を見せてやれねぇのは至極残念だ」
ピクッと揺らした葉に、こちらの話しに乗ってきたか?と、オーマはニヤニヤと笑顔を浮かべて、銀の花に顔を近づける。
「自己紹介がまだだったな。俺はオーマ・シュバルツっつー腹黒親父界ときめき憧れマッチョランデブー☆爆進中話題腹筋沸騰イケイケ★なシュヴァルツ総合病院もどきでぷりんぷりん染め上げ隊★理事長、むふーん洗脳し隊★副院長、もんもん悩殺し隊★薬剤部長、ズキュンお眠りさせ隊★看護部長、下僕愛極め隊★事務長、他諸々兼任してやがる医者だ」
変わらずの沈黙が、流れた気がした。これをはずしたと言う。
そして、ザー…と、風が流れる音と、葉がこすれる音が全てを支配していく。
「お前が俺んとここりゃ、腹黒親父マッチョ☆にはなれねぇにしてもイロモノフェロモンうっふん悩殺ラブフラワー★ぐれぇにはなれるかもしれぇな」
最高の勧誘文句で攻めてみても、銀の花はなんら興味をしめしたような気配が無い。
先ほどの、最初の反応は気のせいだったのか?
だがそんな事でめげる腹黒総帥ではない。
つい先日にもまた腹黒同盟のメンバーが増えた所だし、この機に乗ってゆくゆくは目指せ3桁の大台に…などと画策しつつ、いつもの調子でまくし立てるオーマ。
『いい加減にしろ』
月が陰る。
そして、銀の花が詠いだす。
『だが、お前は楽しそうだな』
「そりゃそうさ、人生は楽しくなきゃな」
オーマの答えに、銀の花がくすっと笑ったような声が聞こえた気がした。
『私を封印する気になったらまた来るがいい。私はずっとここにいる』
あくまで、この場に居る事を許すか、もしくは封印の二択を迫る。もうちょっと妥協してくれてもいいのではないかと思う。
「いや、俺は出来るなら、共存したいと思ってる。お前と俺がこうして話せているように」
『お前の言っている事の大半は理解不能だったがな』
愛娘と似たようなことを言いやがるな、などとチラッと少しほんのちょこっとだけ頭の隅で思いながら、オーマは撫でるように銀の花に触れた。
次は、月見酒でも持ってきてやるかな――…
遠く遠く呼んでいた。
いや、近く近く詠っていた。
それは、懐かしき歌声。
いいえ、知りもしない歌。
本当は、望んでいた。
あなたに、あなたに……
fin.
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