<東京怪談ノベル(シングル)>


『刈る者、刈られる者』



 夕焼けが深い赤に染まり、まるで血を思わせるような色をしていた。街行く人々の半分ぐらいは、その空を指差し、不気味がったり不吉な予想をしたりしているのだが、残りの半分ぐらいは特に気にする事もなく、夕食の支度をしたり、店を片付けていたり、子供の手を引いて帰路へとついたりしていた。
「気持ちの悪い色をしてやがるな、今日の空は」
 天使の広場で医療機関を営む医師にしてヴァンサーのオーマ・シュヴァルツは、空を見上げて眉間にしわを寄せていた。
 その身は逞しい筋肉にまとわれ、他人はオーマを豪快で大胆な戦いを繰り返す戦士だと思うだろう。確かにそれは間違いではないが、オーマは決して相手の命までもを奪わない。
 かつては戦場で自分の体よりも大きな銃器や、身の丈ほどもある大剣を振り回し、まわりを恐怖の感情へと陥れていたのだが、諸事情により現在ではその手に握るものは武器から医療用の器具へと変わり、豪快な両腕は病を取り除く医療技術へと使われているのであった。
「何だ、あの子供は」
 病院の入り口の扉がわずかな音を立ててゆっくりと開き、赤い夕日を背にして、一人の少年が入ってきた。それと同時に、オーマのまわりにいる他の患者や、職員達からどよめきの声が響いてきた。
「大丈夫か!?」
 口ではそう言いながら、心の中では大丈夫であるはずがないと、オーマは思ったが、反射的にそんな言葉が出てしまったのだ。
 黄色い髪に、小さなながらも鎧をつけた少年の体には行く筋にも血が流れ、来ている服は血液で茶色く汚れていた。額が見事なまでに切れており、そこから流れる血は止まらず、少年が息をする度に血が溢れ出ていた。額から流れる血が少年の顔を多い、目に入ってしまうのだろう、少年はほとんど目を開けていなかった。
「お願いです、助けて、下さい…」
 まだあどけない顔に、息も切れ切れの声で、少年はオーマを見つめてそう言うと、床に倒れこんでしまった。
「緊急オペだ!早くっ!!!」
 オーマは病院中に響き渡るように声を張り上げて、職員達に緊急の手術の準備へと取り掛からせた。
「大丈夫だ、必ず助けてやるさ」
 少年の、その弱りきった小柄な体を両腕にかかえると、オーマは少年と共に手術室へと向かった。



「何とか終わったな。もう少し発見が遅れたら、危ないところだった」
 血ですっかり汚れてしまった白衣を脱ぎ捨て、オーマは一緒に手術を行った職員と共に一息入れていた。
「しかし、とにかく良かった。回復には時間がかかるが、このまま安静にしていれば大丈夫だろう」
 しかしほっとした表情のオーマとは反対に、職員の顔つきはいまだに緊張したままだ。
「あの子、一体どうしてあんな事になってしまったのでしょう。あれはどう見たって、何かに襲われたような傷跡です。しかも、何箇所も」
「ま、確かにただ事じゃない傷だったけどよ、助かったんだからそれでいいじゃねえか」
「ですが」
 職員はまだ気にしているようであったが、オーマは席を早々に立ち上がるとその話を打ち切った。
「お前もゆっくり休め。あれだけの大手術だからな。今日は、霊魂どもにでも後の事を任せて、休んだ方がいいぜ?」
 何か言いたそうなその職員を残し、オーマは自室へと戻っていった。
 翌日、オーマは眩しい朝の光で目を覚まし、自室の窓を開けて大きく呼吸をした。
「ん?」
 自分に向けられる視線に、オーマはすぐに気がついた。エメラルドグリーンの髪に、空色のサラサラとした布で出来た女性が、オーマの方を伺っていた。
 その視線は、ただ単ににらみ付ける、というものではなく、殺気すら込められているようにオーマは感じた。
「おい、何だお前は。俺に用事でもあるのか?」
 半ばいぶかしげな顔でオーマがそう言うと、女性はその殺気のこもった視線をオーマに向けつつ、オーマの視界の外へと走り去ってしまった。
「何だ、あの女は」
 頭の中で、過去に出会った様々な人物の顔を思い浮かべてみるが、その女性の顔は思い浮かばない。
 細身に長い髪、赤い唇が印象的で顔も悪くはない娘であったが、どこか取っ付き難く、きつそうな雰囲気もある。その目は、例えて言うのなら、獲物を狙う肉食動物のような眼差しであった。
 オーマはしばらく窓の外に視線を漂わせていたが、その女性が戻ってくる気配もなかったので、一晩中気にかけていた少年の方へ向かう事にした。



「大分顔色が良くなったな」
 少年は昨日と変わらず、体中に包帯を巻いたままの姿でベットに横たわっていたが、出血多量で青白かった顔に赤みが差し、ゼイゼイと濁っていた呼吸音も綺麗になっていた。
「ドクターのおかげですよ」
 ちょうど少年の包帯を取替えにきた職員が、オーマの顔と少年の間で視線を交わす。
「ああ、思ったより回復が早いな。昨日は夢の中でもコイツの事を心配してたが、今夜からはいい夢見られそうだ」
 オーマは、少年を見つめて笑顔を浮かべる。
「ところでよ、お前、空色の服着た、変な女を見なかったか、このあたりで」
「いいえ?さっきゴミを捨てに外へ出ましたけど、変な人物はいませんでしたが」
「そうか。いや、それならいいんだ」
 そう言ってオーマが少年のいる部屋から出ようとすると、職員が手をポンと叩いた。
「そうそう、さっき病院の者達が言ってたんですけどね、ヴァンサーの一人が、この天使の広場へ来たそうですよ」
「何、ヴァンサーが?」
 異界からやってきた異形の生物・ウォズを封印する事の出来る唯一の存在であるヴァンサー。オーマもまたヴァンサーの一人であった。
「私も話を聞いただけなので、詳しい事は知りませんが、昨日、町の郊外で二つの影が激しくぶつかり合い、お互いを攻撃しているところ見た者がいるそうです。巨大な怪物と人間のような影だったとか」
「昨日、か。そういえば、昨日の空はまるで血みたいに真っ赤だったぜ」
 昨日の不気味な空の色を、オーマはとっさに思い浮かべる。
「戦っていた場所が大きな建物の影になっていて、暗くてよくわからなかったそうなのですが、怪物に人の方が倒されたそうです。その後怪物が、おそらく人の方にトドメを刺そうとしたのでしょうが、それを見ていた者は怪物が自分の方を見たような気がして、その場から逃げ出して来たそうですよ」
「そうなんか。じゃあ、その人の方はどうなったかわからねえんだな。生きているのかも」
「そうみたいですね。もし生きていたとしても、相当の傷を負っているのではないでしょうか」
 職員がそう言った時、オーマの視線は無意識のうちに、小さな寝息を立てている少年の方へと動いた。
「ちょうどその時刻だな、この子供がここに来たのは」
「えっ!?ドクター、それってまさか」
 職員が目を丸くしてオーマを見つめる。
「まさか、その戦っていた人影ってこの…」
「いや、それはまだわからねぇ。ただ、こんな大怪我をするのは普通じゃねえとは思ったさ」
「こんな小さな子供がヴァンサー?!」
 職員は慌てた顔をして、少年の顔をじっと見つめていた。
「年齢とか外見なんて関係ねぇさ。ヴァンサーも異界の住人だしな。が、問題はそこじゃねえんだよ」
 オーマは真剣な表情で、窓の外を見つめる。
「こんな怪我して、その怪物ってのを倒しているとは考えにくい」
「ああっ!ウォズがまだ近くにいるって言う事に?!」
 少年が起きてしまうのではないかと思われるほど、職員が大きな声を出すので、オーマは職員の口を手でふさいだ。
「騒ぎになる。いいか、この事は誰にも言うな?俺はこれからちょっと出かけてくるが、お前は何も知らない事にしておけ、いいな?」
「出かけるって。まさかドクター!?」
「俺の言う事をちゃんと聞くんだ。特に妻や子供達にはな。心配するに決まっている。もし俺が帰ってきておかしな事になってたら、特殊施設の方に送り込むからな」
 そう言うとオーマは静かに病院の外へと出た。



「やっぱり出てきたんだね。やっと気づいたわけだ」
 病院の出口を出てしばらく歩いたところで、予想通り、オーマは朝遭遇した、空色の服を着た少女に出会った。
「あんたがあの子供をかくまっているのは知っているんだ。あともう少しで息の根を止められたっていうのに。邪魔するなら、あんたも承知しないよっ!?」
 朝見たのとは違う、体全体から発せられる黒い闘気。オーマは少しもひるむ事なく、しかし何も発する事なくその場に立っている。
 少女の方は、その姿を徐々に変え、次第の人の姿を失っていき、巨大な甲虫の姿へと変わってゆく。
「何をしている?それとも、驚いて何も出来なくなったかっ!?」
 もはや、少女の声は人間のものではなく、狂った波長の音と化していた。
 まだ朝も早いが、すでに町には人がおり、悲鳴とともに一斉にオーマ達のまわりから人の気配が消えていく。
(こんな街中で。まずいな、こりゃ。だが)
 普通の人間なら腰を抜かしてしまうような光景を目の前にして、オーマは少しも心を乱さなかった。
「俺もヴァンサーだ。だが、お前を傷つける気はない」
「それはどういう意味だ?本気でいっているのか?この私を目の前にして」
「ヴァンサーとウォズは、いつも対極の位置にいるが、俺はそうではないと思っている。俺はウォズ達ともうまくやっていきてえんだ。ヴァンサーとかウォズとか、そんな事も意識しないぐらいにな」
 オーマはその少女…いや、少女だった怪物に、笑みさえ見せている。
「いつからこうなったのかは知らねえが、俺はお前に敵対する気持ちはこれっぽっちもねえんだよ。俺は、お前を追い返しには来たが、戦うつもりはねえ」
「ウォズ?ウォズと共存か?そう言いたいのかお前は?」
 オーマが頷いて答えると、その怪物は地面から響き渡るような声で高らかに笑った。
「笑わせるなっ!そんな事が出来るものか!それに、お前はひとつ勘違いをしている」
「勘違いだと?」
「そうだ。いいか覚えておけ。私がヴァンサーだ!あの小汚いウォズどもと間違えるんじゃねえっ!!」
「な、お前がヴァンサー?って事は」
 オーマはまだ病院で寝ているであろう、少年の顔を思い出していた。
「あのチビのウォズが異界から飛び出して来たんだ。ウォズを刈るのが私の役目さ、なのにヤツと来たら、今まで私が見たウォズと違って臆病で軟弱で、しかもちっとも私と戦おうって気になりやしない。張り合いがないのをいびるのもつまらないがね、致命傷にしたところでトドメを刺そうと思ったら、具現能力で真っ赤な光を目の前に出して、私の目をくらませて逃げやがった」
「真っ赤な光?って事は昨日の空は…いや、それはいい。ウォズを忌み嫌っている者は多いが、俺はヤツらと共存出来ると思っている。あのチビみたいな、無害なウォズだっているんだからな」
「無害などと言い切れるのか?そう演技しているだけだったらどうする?お前の仲間を、今ごろは皆殺しにしているかもしれないぞ」
 じりじりと、怪物がオーマへと歩みよってくる。オーマはそれでも怪物を直視したまま、話を続けた。
「それでも、お前が何と言おうとも俺は、ウォズを手にかける気はねえ。この世界に命を受けた者同士だ、必ず共存出来ると信じている!」
「奇麗事ばかり言うんじゃねえっ!!!もういい、お前の話は聞くだけ無駄だっ!」
 こうなればやむをえない、町中ではあるが普段隠している力を使うしかない!オーマがそう思い身を傾けた時、「伏せてっ!!」という高い声が怪物の後ろから聞こえた。
 即座にオーマが地面に伏せると、怪物の体がオーマの方へと飛び上がり、オーマの上を通過し、向かいの地面の上へと落ちた。その体は真っ白な糸で何十にもくるまれており、怪物はまったく身動きがとれなくなり、ごもごもと言う音だけが聞こえていた。
「お前、いつの間にここへ?」
 オーマの前に、包帯で頭を巻いたままの姿の少年が、体に巻いてある包帯を握り締めた格好で立っていた。
「体の包帯を具現化して網にしてヤツを捕らえました。有難うございます、オーマさん。貴方がヤツを引き付けておいてくれたおかげで、何とかうまくいきました。ヤツはぼくが異界へ連れて行きます。あまり手荒な事はしたくないですが、この人怖いですから、2度とぼくのそばに現れないような異界へ、連れて行こうかと」
 そう言ったとたん、少年の体がぐらりと横に倒れる。
「おっと、無理するんじゃねえよ。お前はまだ怪我してるんだからよ」
 優しく少年の体を支え、オーマが少年に言う。
「この化け物は俺がどっかにやってやるからさ。同じヴァンサーだし。ちと、ヤツは乱暴だがな」
「ぼく、嬉しかったんです。どうしてウォズなんかに生まれてしまったのかといつも恨めしく思っていました。人として普通に行きたいと、人の姿になる事を学びました。だけど、それでもヴァンサーの目は誤魔化せない。ぼくは毎日のように、ヴァンサーに追いかけれ過ごしていました」
 そう言って、少年が目を伏せる。
「俺だって、お前を最初見た時、何だか普通のヤツと違うなって思ったぜ?けど、酷い怪我をしていたお前だ。正体が何であれ、ほっとけなかったのさ」
「どうして?どうしてなんですか、貴方もヴァンサーなのに!」
 不思議そうな表情で、少年がオーマを見つめる。
「んなもん決まってらあ。俺は医者だからさ!」
 自信に満ちた表情でオーマがそう答えると、少年は目に涙をにじませて、オーマに笑って見せた。
「オーマさん、有難う。ぼく、あなたのような人に出会えて良かったよ!」



 怪物はオーマがソサエティへと送り込み、その後の処理は全て機関に任せる事になった。
 少年はしばらくオーマの病院に滞在し、傷が完全に治るまでオーマ達は少年の面倒をずっと見る事になった。
 普通の人間と違い、ウォズである少年はすぐに回復をし、数日後にはすっかり元気になり、助けてもらった礼として、しばらくオーマの病院で雑務を手伝う事となった。
 その間のやりとりで、あの時少年がどうしてオーマのところへ来る事が出来たのかを尋ねたところ、面倒を見ていたあの職員がウォズが攻めてくるとパニックを起こし、病院中を走り回って、一時は病院中が大騒ぎになったらしい。少年はその騒ぎで目を覚まし、オーマの元へと直行したのだが、騒ぎになった院内は、オーマの妻がきっちりと静めてくれたと、後から判明した。約束を守れなかった罰として、その職員は1週間ほど特殊施設へと送られる事になった。
「色々な騒ぎがあるけど、何が起きても俺は医者だ。その事は変わりねえよ」
 オーマの雑用を手伝う少年にそう言うと、オーマは今日もその腕を振るい、病に倒れた人々を助けるのだった。(終)



◆◇◆ ライター通信 ◆◇◆

 発注有難うございます!新人ライターの朝霧青海です。
今回は、前回の内容と180度変わったシリアス内容のものを、という事でしたので、とことんシリアスで書かせて頂きました。文章もその場の緊張感が伝わるように、描写に力を入れております。
 ウォズとヴァンサーの扱いはなかなか難しく、オーマさんの管理されている掲示板の方を参考にしながら書かせて頂きました。何か取り違えがございましたら、どうぞご指摘くださいませ。
 それでは、今回はどうも有り難うございました!