<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


紳士の嗜み


 オーマ・シュヴァルツは、考え込んでいた。
 目の前に在るのは、宣伝のチラシ。煌びやかなハートの絵が何とも可愛らしく、中央にどーんと据えられている文字もメルヘンチックだ。さすがは聖獣界ソーン。
「……どうするか」
 ぽつり、とオーマは呟いた。どうしようもこうしようもない、と思ってしまうのに、何故だか疑問の言葉となる。
 答えなど分かりきっているのに。
 どうすればいいかなんて分かっているのに。
 戦いの場へ誘われるのは、初めてのことではない。対する敵との会合も、決して少なくも無い。
「どうすりゃいいんだろうかねぇ」
 分かっている、分かってはいるのだ。全ての事は今までを考えれば、必然的に答えが出てくるというのに。まだこうして、オーマは踏み出せずにいるのだ。最初の一歩を。
「……畜生」
 小さく呟き、オーマはぐしゃりとチラシを握り締めた。
『ソーンラブラブ胸キュンカカア天下、夫婦タッグ第二段!アニキ・伝説のブラッドバトル、愛の昼メロ裁縫筋大会〜下僕主夫のハートは百億マッスル』
 そう、書かれてあるチラシを。
「出るしかねぇ……だが、裁縫……裁縫だと?」
 オーマは小さく「くっ」と言いながら、奥歯を噛み締める。チラシに書かれてある不思議な言葉たち(ツッコミどころ満載で、まずどれから突っ込めばいいので省略)も、よもやこのように真剣に考え込むなどとは思わなかっただろう。
 オーマは、自信がある。
 自分がイロモノ完全装備だと。
 オーマには、実感がある。
 腹黒にかけて右に出るものは居ないのだと。
 ソーンを日々徘徊する、腹黒イロモノ親父愛メラマッチョとの異名を持っているし、ゴッド親父なんていう言い方もされる。
 そんなオーマの天敵が、裁縫であった。
 因みに、ヴァンサーとしての天敵であるウォズはまた別の次元での話である。……多分。
「裁縫……何であえて裁縫なんだ?前回は料理だったぜ?」
 料理、裁縫。こうきたら次は掃除か洗濯か。
「裁縫はなぁ……裁縫だけはなぁ……」
 事の起こりは、突然だった。
 いや、いつも突然以外に起こることは滅多に無い。いつでも突然に物事は起こるのだから。じわじわと物事が起こる事があれば、それは本当に稀な事であり、空から雨やら雪やら色々なものが落ちてきても仕方の無いほどだ。
「あいつら……」
 オーマが考えていると、がんがんというノック音が響いた。こんこん、ではない。そんな可愛らしいノック音が響く事はまず無い。がんがんというたくましいノック音。豪快で、力強い。
「オーマ、さっさと出ておいで」
 ノックの返事を待つ事なく、ドアは開けられた。ばんっ、とノック音に負けることの無い力強さで。
 ドアの向こうから現れたのは、オーマの妻であるシェラ・シュヴァルツであった。
「シェラ……そのうち、家は壊れるかもしんねぇぞ?」
 オーマがぎしぎしと軋んでいるドアを見ながら言うと、シェラは「まさか」と言いながらあっはっはと笑った。
「そんな軟弱なドアじゃないって。心配性だねぇ」
 そんな過大評価をされては困る、とドアが軋む。……ように聞こえた。
「それよりも、何か用か?」
「用も何も。さっさと出かけないと、失格になるじゃないか」
「失格?」
 オーマがぎくりとしながら尋ねると、シェラはにやりと笑いながら懐から一枚のチラシを取り出した。件の、煌びやかなチラシだ。
「これだよ。……前回だって優勝したんだ。今回も優勝して、二連覇を目指すんだよ」
「いつの間に、そのチラシを?」
 恐る恐るオーマが尋ねると、シェラは「ああ」と事も無げに言う。
「今日の朝刊に挟んであった。ほらほら、またまた優勝商品は聖獣もびっくりって書いてあるだろう?」
 朝刊。それは家庭を支える為の必須アイテム、折り込みチラシの入った魔法の情報紙。尤も、魔法というまで大袈裟ではない所がまた奥ゆかしい。……そうでもないが。
「いや、優勝商品以前に……」
 俺たちはヴァンサーじゃねぇか、と続けようとしたオーマは、はっと気付く。
 そんな事を言っても、無駄なのだ。
 シェラの目は「行く」と決めていたから。「参加する」と決定しているのだから。
「裁縫だろう?あたし、裁縫得意」
「……知ってる」
「ならいいじゃないか。さっさと行けば」
「俺、裁縫嫌い」
「知ってるさ。……さ、行くよ」
「ま、待ってくれって。俺の話、聞いてたか?」
「聞いてたよ?ほらほら、王室公認」
 それが何の足しになるのだ、といいたかったがぐっとオーマは我慢した。いや、我慢しなければならなかった、というか。
「昨日、ウォズがこのチラシを持ってきたんだ。自分たちが優勝したら、腹黒魔の手を引けと要求してきた」
「そうか。……じゃあ、ますます負けられないねぇ?」
「でも、裁縫じゃねぇか」
「……負けられない、ねぇ?」
 シェラの笑顔がぐいぐい、とオーマにプレッシャーを与える。オーマは観念した。全てにおいて観念した。ぐっと手を握り締め、聖獣界ソーンに来てから一番の観念を発動した……!
「分かった!分かったぜ、シェラ!俺ぁ、やるぜ!」
「さ、行くよ!」
 オーマ一番のやる気は、シェラの呆気ない言葉によって少しだけ消えてしまった。よって、シェラの手によってずりずりと引き摺られながらの出発となってしまったのであった。


 会場となる広場には、沢山の見物客と、ほんの僅かな参加者がいた。
「……少っ」
 思わずオーマは呟いた。見物客は楽しそうに今か今かと大会が始まるのを楽しみにしている。が、参加者はオーマ達と、勝負を仕掛けてきたウォズ達だけだ。
「なかなか、活気のある大会となりましたね」
「おや、エルファリア王女じゃないか。また視察かい?」
 聞いた事のある声に、シェラとオーマは振り返った。にやりと笑うシェラに、王女はにっこりと微笑む。
「ええ。ほら、楽しそうじゃないですか」
「楽しいだろうねぇ。ま、あたしらが優勝で決まりだから、ある意味楽しくないかもしれないけどねぇ」
 シェラはそう言い、ふっふっふと笑った。やる気まんまんだ。その笑みに、オーマはもとより、王女や対戦相手であるウォズ達まで圧倒されている。
 気迫勝負は、シェラの圧倒的な勝利である……!
 が、ここで行われるのは裁縫筋大会。決して気迫大会ではないので、残念ながら勝利の副賞は無い。当然だけれども。
「これより、ソーンラブラブ……中略……マッスルを始めます!」
 長い大会タイトルの為、略された。もう少し司会くらい、やる気を出してもいいと思われる、日の差し込む暖かな午後。
「勝負は簡単、奥様が旦那様を使って一枚のドレスを作ってもらいますっ!奥様は最初の裁断とおおよそのデザインを決め、旦那様に指示してください。旦那様は奥様の指示どおりに、針に糸を通して縫って下さい。以上です!」
「我々は知っているのだぞ、オーマよ」
 参加者であるウォズ夫婦はこちらを見、にやりと笑う。
「裁縫が苦手なんですって?これであなたの腹黒魔の手も終わりね」
「くっ……俺ぁ……」
「なーにそこでごちょごちょ言ってるんだい!オーマ!しゃきっとしないか、しゃきっと!ああまで言われたら、きっちり見返すってもんだよ!」
「はいっ!」
 しゃきっとせざるを得ないシェラの気迫に、オーマは元気一杯返事をした。小さいお友達ならば、花丸をもらえそうな、いい返事だ。
「始めてください!」
 司会者の言葉により、大会はスタートした。まずシェラが布を選び、オーマがそれを担いで持ち場に持って帰った。持って帰った布は、赤と白。紅白でなんともめでたい。
「めでてぇな」
 ぼそり、とオーマが言うと、シェラは「いや」と首を振る。
「最終的には、綺麗になるはずだよ」
 にやり、と笑いながらそう言うと、シェラは布を広げて裁断を始めた。型紙がいらないのかだとか、むしろハサミを使わないのかだとか、色んな疑問を一身に受けながら。
 シェラが用いる裁断道具は、大鎌であった。
 鎌というのは、そのように使うかどうか、怪しい。というか、普通は使わない。普通じゃないのだといってしまえばそれで終わりだが。
「ほら、オーマ!さっさと針に糸を通して!そこの赤の糸と白の糸」
「お、おう」
 オーマはそう言い、針にそっと糸を差し込もうとする。その間にも大鎌を使った踊っているかのような裁断は、何とも派手で綺麗だ。観客から「おお」という感嘆の声を響かせている。
 一方、糸通しはなかなか終わらなかった。まず第一歩が、針の穴に糸を通すという作業が、上手く出来ないのだ。オーマは大きく溜息をつき、赤い糸をそっと引き伸ばす。
「……シェラ、赤い糸ってちょっとロマンティックだよな?」
「まだ出来ていなかったのかい?ほら、一本だけ見本を見せてやるから」
 シェラは白の糸を手に取り、針を上に放り投げ、落ちてきたところに大鎌を一閃した。そこで何故大鎌が登場したのかは不明であるが。
 なんにせよ、気付けば針に糸が通っていた。オーマはそれを見て、ぱちぱちと手を叩く。
「ほらほら、さっきのを手本に糸を通して」
 さっきのがどう手本になったのかは、置いておいて。オーマは必死になって針の穴に向き合った。すると、シェラが裁断を終える頃、ようやく通ったが。
「次は縫う作業だね。オーマはそっちの赤い布の方を塗っておくれ。あたしはこっちの白い布のを縫うから」
「縫うって言っても、どうやってだ?」
「あたしのやる通りにやりゃいいのさ」
 ほら、と言いながらシェラは白い糸の通った針を手にした。そして大鎌を構え、ぐるりと回した。すると、気付けば全てが縫い終わっていた。
 神業である。
 というか、人間業ではない。
「今の、見本か?」
「見本だろう?……ほらほら」
 シェラにせかされ、オーマは赤い糸の通った針を手にした。ぶすり、とまず布よりも先に指を刺した。じわりと出てくる血を舐め、改めて布に取り掛かった。ぶすり、と今度は布に刺さったが、次に刺したのは手の甲だった。
「……あーもう、じれったいねぇ!」
 そのオーマの様子を見ていたシェラが、ついに耐え切れなくなってオーマから針を奪った。そして大鎌を一閃させ、あっという間に縫い上げてしまった。
 神業によって出来上がったのは、赤いドレスの上から白い布が柔らかく包んだ、桜色のドレスであった。
「おお、すげぇ!さすがはシェラ」
 感嘆するオーマであったが、そこでピピーと笛が鳴り響いた。
「シェラさん、反則です!オーマさんが何もしていません」
「したじゃないか!針に糸を通していたぞ」
「縫ってないですよ?」
「縫っていた!……最初」
 ぼそり、と付け加えられたのも、きっちりと司会者の耳に届く。
「ともかく、失格です。優勝は、ウォズ夫婦!」
 そう、司会者が高らかに宣言してしまった。その途端、オーマの背後からもの凄い気が溢れてきた。
 シェラだ。シェラの気迫だ。ここでも発揮されてしまった。
「……ふふ、本当に勝ったわね」
「こ、これで腹黒魔の手を引いてもらおう」
 何故だか怯えるウォズ夫婦。
「商品は、こちら!今やレトロな大人気、足踏みミシンです!」
「欲しい!」
 シェラだ。本当に欲しそうな目で、ウォズ夫婦を見ている。じいっと。
「……すまん。それ、譲ってくれねぇか?」
「だ、駄目だぞ!俺たちが勝ったんだから」
「そ、そうよ。私達が勝った……」
 ばんっ!オーマはウォズ夫婦に手を合わせる。
「この通りだ!……代わりに、ここで一戦やるのを差し止めてやるから」
「差し止めるって……おい!」
 ウォズ夫婦の目に映ったのは、大鎌を構えているシェラであった。小さく「特務捜査官の血が騒ぐねぇ」とか言っている。怖い。
「……どうぞ」
 それだけ言うのが、ウォズ夫婦に出来る精一杯であった。
 因みに、オーマとシェラが、というか主にシェラが作った桜色のドレスは、王女のお気に入りドレスの一つに加えられたそうだ。
「裁縫くらい、オーマもした方がいいかもしれないねぇ。男の嗜みとして」
 足踏みミシンを嬉しそうに見ながら、ぽつりとシェラが呟いたが、あえてオーマは聞こえないふりをするのであった。

<針と糸は男の嗜み?・了>