<東京怪談ノベル(シングル)>
『永久に還る砂』
「我々ザントマンの習わしを破り、人間などという下等な生き物との間に生まれたものなどを、この村に置く気でおるのか」
まだ言葉も紡ぐことすら叶わない幼子を抱えた男は、村へ入ったばかりの場所で呼び止められると、取り囲まれるようにして、村人から非難の言葉を浴びせられてた。
「人間の子供を連れてくるだなんて。いったい、どういう考えをしているんだい!」
うっすらと産毛の生えた頭に、丸くて小さなつるつるの手。
黒に近い栗色をしたつぶらな瞳で父親の様子をじっと見つめているのは、生まれたばかりの、シーレ・テュペリだ。
柔らかい染み一つない小さな手を開いて、父親が差し出す人差し指を握りながら楽しそうな笑い声を上げている。
シーレに伸ばされているその指は、皺が深く刻まれている老人のものだった。
親子を取り囲んでいる人々も一様に、年老いた容貌をしていた。
ザントマンの種族のものは皆、生れ落ちたときからこの姿をしている。
彼らは砂から生まれ、砂へと還っていく――そういう種族の者たちだった。
だからこそ、触れれば壊れてしまいそうなほどに小さく、そして神聖なる砂から生まれたのではない、人と交わったがために生まれてきたこの姿の子供に、村人たちは酷く嫌悪感を示していた。
「皆に迷惑をかけるつもりはない。妻は病で死んでしまったから、私たちはここに帰ってくるのが最良の方法だと思ったんだ。どうか、分かってくれ」
そう告げる父親の言葉に耳を貸すそぶりも見せない村人たちだったが、父親は人垣をかき分け、村の奥へと足を進めていった。
自らの意のままに姿を現し、そして消す。
なんど父親から手順やコツを教えてもらっても、シーレはその技を会得することができなかった。
彼らの種族はそうして人の前に現れては、名前の由来、そして彼らの人生で大きな意味を持つ砂を用いて、人に眠りをもたらす役目を担っている。
人間の前に自由に行き来することができないということは、確かにザントマンとしては不都合なことではあった。
「……やっぱり、お父さんみたいな立派なザントマンにはなれないのかな。僕、皆と違うから」
俯き口唇をかみしめるシーレの頭に、父親は大きな皺枯れた手を乗せた。
「お前はお前でいいんだよ」
皆と同じようにすることだけが全てではない。
人間である母親の血を受け継いでいるシーレには、シーレなりの良さがあると、まだあどけない面立ちをしている子供に言い聞かせる。
「移動手段は消えるだけじゃない。その気になれば、お前だって人間の世界に戻ることもできるんだ。広大な大地に広がる草原、命の源の海、切り立った崖に、見上げるほどに高い山々、巡る季節、肌の色も喋る言葉も違ういろいろな種族の人間……。今まで目にしたことのないそんな世界に行くことも不可能ではない。だからシーレ、お前は落ち込む必要なんてないんだよ」
混血であるが故に、種族のものにはできてあたりまえのことができない。
いつでも村にいるだけのシーレに、村人は冷たい嘲笑を向けるばかりだった。
「お前さんは、なんのためにこんなところにいるんだ。ここは我々ザントマンのための村だ。仕事もまともにこなせないような半人前は、とっとと出て行くんだな」
それでも。
父親の居ぬ間にどんなに酷い言葉でなじられようと、シーレは父に言われた言葉を励みに、彼らの言葉には決して耳を貸さなかった。
ザントマンとして生まれたために授けられた能力。
そして、人との間に生まれたために受け継ぐことのできた容姿と、溢れるばかりに与えられる父親からの愛情……そして病弱であった母親が命と引き換えに産み落とした彼の生命。
――恥じることなどなにもないのだ、私は。
子供から少年へ、そして青年へと成長をし変化を遂げていくシーレの中にある信念は、決して揺らぐことはなかった。
眼下に広がる村を見下ろすことができる高台で、隣に立つ息子の頭に手を伸ばした父親は、申し訳なさそうに瞳を伏せながら呟いた。
「肩身の狭い思いをさせたな……」
幼い頃は簡単に触れることができたその頭は、今では背を伸ばさなければならないほど高いところにあった。
母親に似て、美しく成長してくれたことだ……と、潤む瞳の奥で今は亡き妻を思い出しながら、父親は自嘲的な笑みを漏らす。
はたしてこの村に息子を連れ帰ってきたことは、正しい選択だったのだろうか。
この子には長年辛く悲しい思いばかりをさせたのではないのだろうか。
迫り来る死期を前に、父親の脳裏にはそんな自問自答ばかりが過ぎっていた。
「私はただの一度も肩身の狭い思いなどしていませんよ」
皺枯れた手。
だけれども、なによりも温かい愛情を感じる父親の手。
それを感じながら、シーレもまた、曇る視界を堪えて告げた。
「お父さんとお母さんの子供で、本当に良かったんです。感謝してもし足りないほどに」
「そうか……」
瞬きとともに大粒の涙がシーレの頬を伝う。
大人になったように見えたが、どんなに成長をしても自分の子供であることに変わりない。
シーレの涙の跡を指で辿りながら、父親は最期の願いを口にした。
「死ぬ前に、お前の砂で眠らせてくれ」
覚悟をしていないわけではなかった。
それでもたった一人の肉親を失うことの悲しみは、変えようのないほどに大きい。
シーレはきつく奥歯を噛み締め、嗚咽を堪えた。
大好きだった父親の最期を自らの手で迎えさせるため、腰元に括っている砂袋を取り外す。
震える手で紐を解いたシーレは、袋の中の金色の砂に指を埋めた。
さらさらと、袋から取り出した砂が風に舞い上げられる。
「さようなら、お父さん。良い夢を……」
指の間から零れ落ちた眠りの砂が、父親の閉じた瞳の上にまかれる。
同時に父親の身体が柔らかな光に包まれたかと思うと、シーレの肩ほどはあったはずの高さから、一瞬にして崩れ落ちるかのように砂へと形を変えたかと思うと、村へと向かうかのように砂は高台から散っていった。
『――待ってください!』
そう呼び止める間もない出来事であった。
それは、ザントマンとして生き抜いた父親の最期だった。
砂へと還った父親を見届けたシーレは、小さな鞄と腰に括りつけられている砂袋一つだけを手にして、村を後にする決意をした。
育ったこの村に居着くことも悪いことではない。
村人の陰口など気にも留めないシーレであったが、父親から聞かされ続けてきた人間の世界を、自らの目で見てみたい。
その思いが強かった。
まだ見ぬ人の世界での出会いと冒険を求め、シーレは一人村を離れた。
サンドマンとして、人間として――自分にはどんなことができるのだろうか。
胸に大きな期待を抱きながら。
【永久に還る砂・完】
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