<東京怪談ノベル(シングル)>


いつかは翻る旗のために

■ 父さんは夜鍋をして
 静寂の中で聞こえるのは時計の針の音。
 そして、それよりももっと聞こえるのは張り裂けそうなほどの緊張に耐えるおのれの心臓の音…。
 目の前にあるのは裁縫道具とそれを使う布、そして救急箱。
 料理、掃除、洗濯。
 …どれをとっても天下一品だといわれたオーマ・シュヴァルツ。

 だが、彼の唯一の弱点がこの裁縫であった。

 最近知り合った裁縫の達人にその弱点を克服すべく日々教わっていた。
 さらに、人並みならぬ努力としてその日教わったもの全てを忘れぬうちにと、復習も怠ってはいなかった。
 なぜならオーマには夢があるのだ。

 風を体いっぱいに受け、光を一身に浴び輝く旗。
『親父愛篭め篭めアニキギラリマッチョ印旗』をあのエルファリア城のてっぺんに飾る。
 それを己が手で作り出すという素晴らしき夢が!

 だが、オーマは自分の手の中に横たわる布を見る。
 それは縫い目もジグザグで、等間隔にすらなっていない。
 ところどころ血に染まり、またあるところは刺繍した文字が逆を向いている。
 これを見て誰が『旗』であることをわかってくれるのだろうか?

「出来ないことを素直に認めるってのも時には必要なんじゃないのかい?」

 そう言った妻の声が聞こえた気がしたが、それは空耳だ。
 妻は今寝室で深い夢の中なのだから。

 時計は、既に真夜中の3時を指し示そうとしていた…。


■ 夢か? 現か?

「そろそろ寝とかねぇと、朝食の用意の時間になっちまうか」

 オーマはそう呟くと、摘んでいた針を針山に戻して体を伸ばした。
 バキバキと派手な音が体中から聞こえ、いかに自分が体を緊張させながら縫っていたかがよくわかる。
 だが…とオーマはもう一度手に持っていた布を見た。
 日々練習しているの関わらず、一向に上達しないためボロボロになっていく哀れな布…。

  その瞬間、オーマの心に激しい炎が燃えた。

「俺がきっとメラメラギランギラン☆スウィートラヴな旗にしてやる!」
 ボロ布にそう誓いを立て、再び針山から糸の付いた針を抜き取るとチクチクと物凄い勢いで縫いだした。

「ウッ…! いっ…! かっ!」

 縫い針は刺さると意外と痛い。
 これは大人子供関係なく、そして、腹黒同盟総帥といえども例外ではない。
 鋭い痛みと戦いながら、それでもオーマは布に一針一針刺しては縫っていく。
「見てるだけならあんなに簡単そうなのによ、何で俺は…」
 思い描くは、優雅な手つきでものの数分で鮮やかな刺繍を仕上げた知人の手。
 その手つきの『手』の字にすらまだ手が届きそうにない。

  やはり、地獄の番犬様曰く、俺には無理ってコトか…?

 オーマがそうため息をつこうとしたとき、キラリと針の先が光った気がした。
 思わず凝視したオーマは、ふと後ろに人の気配を感じた。
「誰だ?」
 振り向いたオーマが見たのは…

「なんだお前は!?」

 あでやかな赤髪、つややかに光る黒い双眸、その顔立ちはまさに夢を見ているかのように麗しい。
 だが、その体から香たつ汗、むせ返るほどの男臭、毒々しいまでに見事な人面花の刺青…と思われたが実は体から生えているらしい。
 そして何よりも何故半裸!? 何故マッチョ!?

「わたくし、裁縫の神なのでございます」

 そう言ったそのマッチョの言葉は、あまりにも寒々しかった…。


■ 裁縫の神の実力は?
 「…えーと。なにか反応していただけると嬉しいんですが…」

 オーマのノーリアクションに耐え切れなくなって、裁縫の神はそう聞いた。
「…おぅ。わりぃわりぃ。ちょっと知り合いの筋肉マッチョ☆を思い出してな」
 脳裏をかすめていった三つ編み髭マッチョの顔を振りきり、オーマは赤髪マッチョに対峙した。
「で、その伝説の裁縫筋親父神様が俺に何の用で出てきやがったんだ?」
「えぇ、実は毒電波をキャッチしまして…て、え? 伝説の裁縫筋親父神??」

  見た目はマッチョ、そのわり物腰優雅。
  しかしてその実態は驚き『天然キャラ』か!?

 オーマのそんな考えには露ほども気付かぬのか、裁縫の神は勝手に話を進めだした。
「とにかく、こちらから『裁縫を上達したい電波』を受けまして、わたくし自らが光臨してみたわけです。なんなりと訊いてください」
 にっこりと顔は笑えど、体はマッチョ特有のあのがっしり筋肉見せつけポーズ。
 それにいったい何の意味があるのかを問うことも出来ず、オーマは考えた。

  裁縫のコト訊けったってなぁ…。
  大体のことは裁縫師匠ラブマッスルちょんまげイケイケフレンド親父★から訊いちまってるわけだしなぁ。

 そう悩みあぐね、オーマはふと閃いた。
「よし。わかった。じゃあよ、伝説の裁縫筋親父神様の実力ってぇヤツを見せてもらえねぇか?」
 ニヤリと笑ったオーマに、裁縫の神はにっこりと笑った。
「お安い御用です。では、しばしお待ちを」
 そういうと、ほぼ半裸と思われたその服の中から裁縫の神は自らの裁縫道具を引っ張り出した。
「ぐ、具現化か!?」
「いえ、この中がわたくしの部屋に直通しておりまして…」
 神様に部屋があるのかとか細かい事は気にしない。
 とにかく神様は不思議な力を使ったのである。

「…では、裁縫の基本。愛のエプロンを作ります」
 
 そう宣言した裁縫の神の目は先ほどまでとは全く違う、鋭い眼光を放っていた…。


■ 愛のエプロン
 直線・曲線を織り交ぜて縫うエプロン、それは裁縫の基礎が色々と詰まった一品である。
 それを流れるような針さばきで一つ一つ確実に縫いとめ、裁断し、そして形作っていく。
 オーマはそれら全てを漏らさぬように食い入るように眺める。
 自分になくて、師匠や裁縫の神に共通する何かを探り出すように。

「さぁ、できましたよ」

 爽やか…とは程遠いように見える汗を拭い、やはり筋肉ムキムキポーズを決めた裁縫の神はそういって完成品をオーマに差し出した。
 出来上がったのは、青地にシンプルなポケットの付いた実にオーソドックスな一品であった。
 だが、基本の縫い目や裁断方法、布の始末にまつり縫いの素晴らしさは目を見張るものだった。
「…基本か。だが、俺もそれをやっているつもりなんだがなぁ…」
 そう呟いたオーマに、裁縫の神は呟いた。
「もう1つ、忘れてはならないことがあります。それは、愛! 愛なくして裁縫は語れません!」
「いや、それはもう腹黒イロモノ親父愛★フルパワーに詰め込んでるんだがなぁ」
 はぁ〜と珍しくため息をついたオーマに、裁縫の神は筋肉ムキムキポーズを数度意味もなく繰り返した。

「…む! 思いつきました!!」

 実はそれが考えるポーズだったようで、裁縫の神は突然わめきだした。
「一寸の虫にも五分の魂! 愛のほかにもう1つ、それは細かい物を細かいことだと認識することです!」
「!?」
 ブチッといい音がして、裁縫の神は自らの体に生えていた人面草を一輪抜き取った。
 そして、その人面草を優しく作りたてのエプロンでくるみ、2・3度マッスルポーズを決める。

  遂に裁縫筋親父神の本領発揮ってヤツか!?

 オーマはゴクリと息を呑んだ。
 裁縫の神は静かにエプロンを取った。

  中から、大きく光り輝く拡大鏡を咲かせた人面草が現れた!

「さぁ、オーマさん。今度からこれをお使いください。これならきっと手元の布と針をよく見ることが出来ます。よく見て1針1針に愛をこめ縫うのです! それが愛の裁縫技術です!」
 キラキラと光る汗、キラキラと光る拡大鏡。
 段々裁縫の神が何を言っているのかがわからなくなってきた。

 オーマの眼前いっぱいにキラキラが広がり、オーマは自分が目を開いているのか瞑っているのかすらもわからなくなっていた…。


■ そして…

「オーマ、いつまで寝てんだい!」

 爽やかな光と地獄の番犬様の声で、オーマは朝が来たことを知った。
 裁縫の神の姿はどこにもなかった。
「ちぃと根詰めすぎちまったか…」
 散らばった裁縫道具を片付けようと、机の上を見た。
 その中に、何か青い布が置いてある。

 広げるとそれは、見覚えのある完成したエプロンだった。

「…おい、メラメラ☆ラブアンドピース人面草ども! ちょっとと来い!」
 オーマがそう言うと、どこからともなくワラワラと這い出てくる人面草軍団。
 だが、いつものその軍団の中に見慣れぬ草が一匹。
 きらりと光る拡大鏡付きの人面草…。

  あれは、夢じゃなかったのか…。

「オーマ、サボってるつもりかい!?」
 また妻の声が聞こえて、慌ててオーマは青いエプロンをつかんで走り出した。

  あの裁縫筋親父神が一体何者だったのかは今となってはわからない。
  だが、少なくとも俺はまだ裁縫の『さ』の字もやりつくしてねぇってことだ!

「すぐに朝飯にするからよ!」

 今まで以上のやる気がオーマの中に満ち溢れていた。
 きっとまだまだ道のりは険しいかもしれないが、オーマには何より強い『愛』がある。

 いつかできるであろう親父旗。
 いつかあのエルファリア城の上に翻るであろうその雄姿。
 それを作る日まで、オーマの裁縫レッスンは夜な夜な続くのであった…。