<東京怪談ノベル(シングル)>


能無し

「馬鹿な、こんな」
 オーマはぎり、と歯を噛み締める。
 眼前に残された陰惨な光景に、目を逸らしてしまいそうになる。
 だが、それはできない。
 眼に焼きつけておかなければ。もう二度と、同じことを起こさぬように。
 一般人から見れば、眼前の状況に何ら変わった所がないように見えただろう。
 敷かれた石畳、中央を抉りとる形で作られた温泉風呂。
 清涼な空気に包まれし空間。静けさに満ちた場所は、神聖な雰囲気をかもし出している。
 だが、オーマにはわかっていた。
 ここにいたウォズは、既に何者かによって殲滅された後だということを。


 ときは数日前に遡る。
「能無し同盟だぁ?」
 オーマはハルフ村に来ていた。活気に溢れた村は、いつ来ても賑わいを見せている。
 心地よい喧騒に浸るのも悪くはない。そう、陶酔してしまうほどに。
 馴染みの土産物屋にて、店主から出た妙な単語に、顔を歪ませる。
 店主の話によると、最近、能無し同盟と名乗る妙な格好をした集団が、村のあちこちで騒ぎを起こしているという。
 曰く、店から金を払わずに品物を持ち出そうとしたり、人の家に無断侵入したり、横道の真中で踊り出したり、女湯に勝手に入ろうとしたり、などなど。
「で、何でそれを俺に言うんだ?」
「それがのう、あのな……」


 店主の言葉を思い出し、オーマは小さく嘆息した。
 相変わらず賑わっている町並みは、陰りなど全く感じさせない。
 そう、ウォズの陰などどこにも。
 店主の口から飛び出した一つの単語、ウォズ。その言葉はオーマを驚嘆させるに十分なものだった。
 店主の話だと、そのウォズと自ら名乗る能無し同盟は、昼間、ハルフ村のあちこちに出没しているらしい。
 同時に、店主から気になる話も聞いた。
 それは、同時期に発生している無差別傷害事件である。
 何ものかによって、人間が無差別に傷つけられているというのだ。
 今のところ、死人が出てない事だけが唯一の幸いである。
「しっかしねぇ」
 オーマは呟きながら、肩を回し、辺りを眺めまわす。
 笑い声が聞こえてくる商店街を、日光が穏やかに照り付けている。
 不穏な影などどこにも見当たらないのだ。
 平和そのものだ、と感じながら、欠伸をかみ殺した、そのとき。
「うぉぉぉ、見つけたぁッ!」
 声と共に襲いかかってくる気配。オーマは素早く身を翻す。
 オーマの横を転倒する影一つ、オーマはしげしげとソレを凝視した。
 薄汚れた布に包まれた一つの影。怪しさ大爆発だ。
「ハン、その程度で、この俺をどうにか……」
「何で避けるんスか、オーマさん!」
 影はがばりと身を起こす。布の縫い目から、二つの眼球がぞろりと奇怪に動いた。
「何でって、いや、何でおまえこそ、俺の名前知ってんだ?」
「そりゃ、有名ですから! ヴァンサーのオーマさん!」
 オーマは、す、と目を細めた。
「へぇ」
 口の端を吊り上げる。
「ってことは、おまえ、もしかして」
「能無し同盟所属のウォズその1です!」
 ウォズはばさ、と布をはためかせた。


「お願いがあるんスよ」
 開口一番、ウォズはそう告げた。
「ワイら、ウォズのくせに、何の能力も持ち合わせてないんス」
「ワイら?」
「そうス。ワイの他にも後二人仲間がいるんス」
 村の大通りで話していては他の人間の邪魔になる、ということで、二人は道の端による。
 人通りから少し離れて、喧騒が静まったのを確認して、ウォズは再び口を開けた。
「ワイら、つい最近こっちに来たばかりで、右も左もワカンナカッタすよ。最初、ワイは一人だったんスけど、うろうろしていたら、同じ感じの仲間を見つけて、協力しあうことにしたんス」
「で、俺に頼みっつーのは?」
 ウォズはしゃがみこむようにして体を縮めた。嘆息混じりに答える。
「ワイら、もう疲れたんスよ」
 一呼吸置いた。
「ワイら、本当に何にもできないんス。それはこっちに来てよく身にしみたっス。でも、他のウォズたちは違うじゃないスか。それぞれ異能を持ち合わせているス」
 嗚咽が混じる。
「ワイらには何もないんス。それこそ、何も」
 ウォズは話し始めた。
 村に来て、初めてのことばかりで戸惑いを覚えたときのことを。村人たちに知らず知らずの内に迷惑をかけてしまったようで、酷い罵声を彼らから浴びせられてしまったことを。なるべく迷惑をかけないように動いているつもりだが、結局は騒ぎを起こしてしまうことを。
 そして、自分たちの他に一体いた、ウォズのことを。
「人間を襲っていただと?」
 オーマは険悪な顔で、拳をかたく握り締めた。
「そうス。無残なものだったス。人間は助けて、と懇願していたのに、そのウォズはばっさりだったス。辺りがもう、酷い有様で」
「ちくしょうが」
 オーマは吐き捨てた。オーマの心にはウォズと共存を望む道があった。最初から全てを決めつけては行けない。道は様々であり、どこに進むか決断するのは自分の心であり、そして相手の心であるのだ。そうして、自分と相手が納得したとき、大きな一つの道となる。
 大切なのは、結果ではなく、そこまでに至る経過である。
 道を最初から潰そうとしているウォズをどう、扱えば良いのか。
「だが、仕方ねェ、やるしかないだろうよ。で、俺にそのウォズを封じて欲しいってことかい?」
 ウォズは緩やかに首を振った。
 ぎこちなく言葉を紡ぐ。
「ワイらを封じて欲しいんス」


 そして、三日後、オーマはウォズとの約束通りに再び村に訪れていた。

『ワイら疲れたんス、さっき言ったスよね』

 活気で賑わう村を見れば、ウォズの言葉が鮮明に脳裏に浮かぶ。

『ワイら、ウォズとしても人間としても中途半端ッス。だったら、もう、そんなワイらに、存在価値なんかないっスよ」

 オーマは唇を強く結ぶ。
 やれやれ、だ。心中にて吐き捨てる。
 もちろん、オーマに、このまま黙って彼らを封じる気はない。
 騒いで、楽しんで、愛を注いでこその人生だ。ほんの少ししか、存在していないウォズの頼みなど、喝と共に吹き飛ばしてしまうつもりだった。

『ワイら。中途半端だから、両方よく見えるんス。楽しく暮らす村人も、人間を愉しげに襲うウォズも。どっちが正しいのか、正しくないのか、はっきり見える分、わからないんス。どっちも混ざることのできないワイらは、どうすればいいのか』

 オーマは約束した温泉宿に、足を進める。
 宿へ向かう大通りは人で混み合っていた。肩と肩が触れ合う距離で、道は人が幾人も行き交っている。
 人とぶつかりそうになるのを、オーマは器用に避けて、素早く宿へと向かう。

『ワイら、もう、よくわかんないんス』

 だから、いっそ、何も考えないでいたいのだと、柔らかに告げた。
 オーマは歯軋りした。胸に湧き上る怒りで体が軋む。
 何を勝手なことを言っているのか、人生、面白く生きてこその華である。愛を振りまき、愛を注がれてこそのものである。
 最初から、何もかも、なかったことにしたいなど。

『ワイら、今、村人と他のウォズが原因でいったんバラバラになってるス。だから、集めるのに時間がかかるっス。三日後、ここにまた来てほしいッス』

 オーマさん、聞いてください、と彼は言った。
 最初は、間違って入ってしまったのだけれど、温泉というものがとても気持ちがいいことに気付いたのだと。だから、悪いことだとはわかっているけど、店の人に内緒で、何度もある宿の温泉に入れさせてもらっているのだと。

『ワイら、気持ち良いまま、昇天したいス』

「別に、封じるということは、そういうもんじゃないんだけどなぁ。ま、封じる気なんか、さらさらないんだがよ。っと」
 宿屋についた。
 古臭い木製の建物である。のれんのかけられた入り口から内装を見れば、人気が感じられない。受け付け台にも、同じく、人影はなかった。
 のれんをくぐる。
「よっと、入らせてもらうぜ」
 オーマは林で先に進む。廊下の突き当たりに、男湯と書かれたのれんが見えた。
 廊下を軋ませながら、歩く。
「おーい、来たぜー。返事しな」
 昼間で、営業時間外だからか。辺りは静けさに満ちている。
 同時に、オーマの背を悪寒が這い寄る。
 不快感と、静寂に混じった微かな違和感に、身を戦慄かせる。
 全てが、終わっている。オーマは本能的に感じとる。
「おい、聞こえるか、聞こえるんなら」
 乱暴な足取りで、風呂内に踏み入れる。冷たい石の感覚が、直接足の裏に触れる。
 蛇口から僅かに漏れる水が、湯の表面に波紋を形成する。
 ぴちょん、と小さな音が。
 オーマは気付く。何の変哲もない場所だからこそ、奇妙なことに。
 もし、彼らがここに来ているのだとすれば、あの迷惑を無自覚に振りまく彼らのことだ。風呂場は無茶苦茶な有様になっているのだろう。
 しかし、それが全く感じられない。ということは。
「アイツら」
 一人残らず、どこかに消えたということだ。
 すぐさま脳に浮かぶのは、もう一体村に存在するというウォズの存在であった。
 確かめる必要があった。


「へぇ、まさか、ワシを見て逃げ出さぬもんがおるとはのう」
 黒い影を円状にまとめた形をしたウォズが、オーマの前に立ちふさがる。
 村へとつながる街道から少し離れた場所で、オーマとウォズが対峙していた。
 辺りは昼間というのに薄暗く、鬱蒼とした林に覆われている。
 だからこそ、ウォズの狩りの場所としてはうってつけだったのだろうが。
 ウォズは、舌なめずりをするような粘ついた感覚を、その身にまとわせていた。
 村で傷害事件を引き起こしているウォズである。
 そのウォズの足元では、人間がうつ伏せで倒れている。土は鮮血で真っ赤に染まっていた。
「一つ、聞きたいことがあってなぁ」
 オーマは余裕の構えを崩さずに、軽口を叩く様にして尋ねる。
「この村にいた、他のウォズを知っているか?」
 ウォズは一瞬体を硬直させた。しかし、一瞬。体を小刻みに震わせ始めた。
 嘲笑だ。
「しっとるいね。あの能無しどものことじゃろうが」
 言葉の底には、悪意がふんだんに込められていた。
「ほんまに能無しどもだったけぇのう。ワシの血肉にしてやったわ」
 甲高く、笑う。
「同類の肉なんざ、どうせまずいと思ったが、いやいや、これが意外と珍味でのう。癖になりそうじゃったわい」
 本来、食うことには興味がないのだと、ウォズは告げた。けれど、格別であったのだと。
「何、安心してええ。ワシは貴様を食う気などないわ。ただ、貴様は叫び、悶え、ワシを愉しませてくれれば、それでええんじゃっ!」
 一筋の影が、ウォズの足元から螺旋を描いて踊り出る。目にとまらぬ早さで、オーマに襲いかかった。
 鋭い槍を模した影が、オーマを貫こうとして。
 オーマは寸前で避ける。影はオーマの頬をかすって、後方の土を深く抉り取った。
 ウォズは影を元の位置に戻そうとして、足元に有る影を痙攣させる。
 動かない。
 影は、突然出現した大きな影に動きを封じられていた。
「狼、じゃと」
 驚きの声を上げる。
「おいおい、動きがちょいとでかすぎなんじゃねぇの?」
 オーマは口を僅かに緩ませた。
「さよなら、だ」
 狼が土を蹴り上げる。
 俊敏な動作で、ウォズに覆い被さった。


 ウォズを封じて、オーマは一呼吸つく。
「で、いい加減出てきたらどうだ?」
 背後にいるウォズに向かって話しかけた。
「ワイ、ワイは」
 オーマに相談を持ちかけたウォズだった。みすぼらしい布に包まれている。
 オーマはそれを一瞥した。
「逃げたのか?」
 ウォズは布を大きく一度震わせた。
「一人で、逃げたのか」
「そうスよ!」
 ウォズは大声で叫ぶ。
「ワイは一人で逃げたんス。何もできないから、仲間を見捨てて、一人で逃げたんスよ!」
 叫びは虚しく空へと溶ける。
「ワイは何もできないス。能無しスから。村人からも、同類からも、忌み嫌われているスから!」
「で、封じて欲しいのか?」
「嫌ス」
「何だって?」
 オーマは目を見開いた。
「ワイ、死にかけてわかったス。このまま無様に死ぬのは、封じられるのは、嫌ッス。ワイは確かに能無しッス。けれど、そんなワイでも自分の意思を持ちたいと思うんスよ!」
 ウォズの身が薄れる。空気に溶け込むようにして消えゆく。
「だから、ワイはヴァンサーもウォズも、人間も嫌いス。もう二度と、近づくものか」
 低い声音だ。抑揚が全く感じられない。
「では、ごきげんよう」
 声音だけがいやに大きく聞こえて、オーマの耳に届く。
 軽く舌打ちした。
「なかなか、うまくいかねぇものだな」


 村で騒ぎを起こしていた能無し同盟は消え去った。騒ぎも治まり、村は平和を取り戻した。
 皆は平和になった村を喜んだ。村はいつも以上に賑わいを見せた。
 オーマだけが、苦々しく現状を噛み締めていた。

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【ライター通信】
こんにちは、酉月夜です。
またの受注どうもありがとうございます。

このたびも、納期ぎりぎりの納品で申し訳ありません。
今回は、少しシリアスな方向性でいってみました。
シリアスにしては色々微妙ですが(本人がギャグ方面なもので・笑)
少しでも楽しんで頂けたら、と思います。

今回は本当に有難うございました。
またの機会がありましたらよろしくお願いします。