<東京怪談ノベル(シングル)>


■■ 七と七十倍の罪 ■■

『僕はただ、貴方が世界を裏切るさまが見たいだけ。
それはきっと、鞘のない狂った刀が、命を得るのと同じこと』


■■■■


「へっ…大地に献血ってか?俺様から湯水のように溢れ出るのは親父チャームと腹黒カリスマオーラと相場は決まってんだがね。愛の抱擁もねぇのに桃色マッスル天国がやけに近くに見えやがる。ヤベェヤベェ…っと。はいハズレー」

 動作と口調は相反していた。
 紙一重で。
 頭の角度を本能で変えて、オーマは来襲する一撃をかわす。獰猛な唸り声が、荒く熱い呼気をともなって左頬をかすめた。細い痛み。薄皮一枚持っていかれて、名うてのヴァンサーは口角を持ち上げ浅い息で嗤う。肌に朱線が三本走る。尖って鋭く速くて熱い。擦過音でも聞こえそうな殺気は、心臓の位置やや上で集束する。そこにタトゥがあるからだ。契約の刻印。それは封印者の名を破壊者と同義にしない為の、世界を守る最後の盾だ。

「なんでおまえがそんなこと知ってるんだかなぁ……」

 タトゥを媒介に具現するヴァンサー専用戦闘服『ヴァレル』の情報は、ソサエティ内でも機密事項に類される。ヴァンサーは必要性から内容を知るが、制作者であるマイスターの情報は原則として秘匿。巷で一般人の口に上る機会はまずない。
 理念も概念も法則も、世界さえ凌駕する異端の力を、さらなる異端で包囲するのだ。
 タトゥを鎖と呼ぶものもいる。組織に恭順を証する有形の首輪だと。よって身にまとう戦闘服は拘束衣に他ならない、と。
 オーマはそうは思わない。彼のヴァレルは姉の手による。
 むしろその恩恵は、抱擁に似ている、とオーマは思う。

「親切な隣人はどこにもいますし、ヴァンサーがウォズを学ぶように、ウォズもまたヴァンサーを学ぶ。勉強熱心はお互い様、というところでしょう?………まだ武器を持つ気になれませんか?まだ、僕の背信が信じられませんか?無抵抗のままでいいんですか?媒介を壊されても?貴方、世界と心中する気ですか?」

 言葉と同時に、後方の茂みが鳴った。刹那の接近に乗じてオーマの右手も相手の首筋を狙うが、獣の敏捷さに競り負けた。もとより、殺す覚悟で挑む者と捕らえようとする者とでは、圧倒的に後者が不利だ。自身に課す制限が、実力差を埋めて勝負の行方を曖昧にする。

 ―――逞しく育って嬉しいやら悩ましいやら。とかく親父は複雑ってか。

 呟いて、苦笑する。
 確かに、「裏切りだ」と本人の口から聞いてなお、それを認めない自分は愚かと言うしかないのだろう。だが。
 人差し指が、懐かしい毛並みに触れたと感じたのは、はたして錯覚だっただろうか?指先から流れ込む温かさに変わらぬ親愛を求めるのは妄想か?
 なにより。
 養い子とはいえ親が我が子を信じないで、どうして「おまえの味方だ」と、胸を張って言えるだろう。

「医者に向かって心中なんて単語口にすんじゃねぇよ。とにかく坊主、いい加減にしとけや?悩みがあるなら年中無休で愛の胸板貸出中だ。その熱烈過激な爪と牙しまってセクシーマッチョな大胸筋目がけてドーンと飛び込んできやがれ?こ〜の照れ屋さんめ!」

 軽口をたたくが、オーマだとて楽観視できる現状だとは思っていない。
 身じろぎの度に滲む血が、ヴァレルを纏った肩口を濡らして半身を斑に染め続ける。黒色の勝つ髪が月明かりで青く濡れる。赤い瞳は血を溶かし込んだ、二対の光る紅玉のようだろう。
 2mを越す長躯を戦闘服で包み、月下に立つ己の異相をオーマは自覚している。
 裏切りを口にする人形を放棄したウォズの養い子。それでもあの子に、恐れられたくはないのだ。

「お人好しも過ぎると滑稽だ―――ヴァンサー」
「もうパパとは呼んでくれねぇの?」
「―――貴方、いつかそれで死にますよ」


『御主、いつかそれで身を滅ぼすぞ』


 脳裏に再現された呆れ声に、オーマは小さく肩を震わせた。笑っているのだ。

「それ、昔、別のヤツにも言われたぜ?俺もたいがい進歩がねえってことだ」

 かの声は、眼前のウォズより皮肉っぽく辛辣で、だが軽やかに、そして底知れぬ闇を抱えていた。



『我輩のヴァレルをここまで疲弊させるのは御主くらいぞ。不殺も結構だが使い分けねば身を削るばかりだ。個人で御主に勝利する敵対者はそうはいまいが、御主の首は呆れるほど容易く奪えるよ。御主の愛する者が手になら』
 
 欠損した両腕を武器に変え、亡くした片目さえ絆だと豪語する、誇り高い隻眼の女はそう言って笑った。

『それでも御主は道など数多あると笑うのだろうな。おかげで御主の色は定まらぬ。まるで遊色だ。約定じゃ。失せることも褪せることも許さぬ。我輩の楽しみを奪うな弟。果たせよオーマ』

 姉の言葉は、戯言に見せかけた紛れもない本音だろう。
 有り難く思う。多少の面映ゆさとともに。そしてその感情が、他者の想いが、揺るぎなくオーマに第三の道を選ばせ続けるのだと告げたら、『筋肉馬鹿につける薬はない』と美しい唇を歪め、そうして薬の代わりに希有な衣を投げて寄こすのだろう。あの激しくも情深い異能の創造者は。


 奥深い山中。どうやら危惧した状況のど真ん中に佇んでいる自覚はある。だが、どれだけ敵意を向けられても、罵る言葉で拒絶されても、迷子の子供の慟哭に聞こえて手を差し伸べたくなるのは、やはりオーマが父親だからなのかもしれない。

「………この姿を見ても貴方は、同じことが言えますか?」

 丈高い巨木の枝葉が、ふいにザワリ、と身を震わせた。隆起する根が複雑に絡み合い、大地の所々に濃淡様々な闇を巣くわせる。その影から。
 一匹の異形が進み出た。
 灰色の獣毛で覆われた逞しい四つ足が、しなやかに大地を踏みしめる。姿形は犬に似ていた。だが威容は狼により近く、能力は人獣可変な性状からも伺い知れる。金の双眼に野生の猛々しさはない。仔牛ほどの大きさで、本来尾のある位置に、第五の足を持っていた。
 息を呑むオーマに、それを嘲笑し、ウォズは続ける。

「そっくりでしょう?この姿は。貴方が殺した、僕の父に」



■■■■


 『正義が何かは知らない。
 ただ、僕は、貴方のようになりたかった』


 ―――人間を見て、飢えを感じた。
 
 それは唐突に訪れた。顔見知りの母娘と道ですれ違う瞬間に、あまりの渇きに顔を伏せた。それが会釈に見えたのだろう、母親は柔らかく笑んで挨拶を返し、幼い娘はひらひらと手を振る。その仕草に覚えたのは、ただ純粋に、食欲だった。単純に、それのみだった。
 涙は出なかった。だが顔は上げられなかった。食いしばった歯のかみ合わせが不快で、犬歯が異様に伸びているのだと知る。まるで牙のように。
 無意識の獣化など初めてだった。呻いて膝を落とす。その場で吐いた。
 滑稽だった。嗤えばよかった。どんなに人と交わって生きても、やはり、ウォズはウォズなのだ、と。
 食人の嗜好は潜伏していただけなのだろう。結局自分は、育ての親よりも実の親に似ていたということだ。残虐を極め、息子をも食い殺そうとして、直前で果たせず、ヴァンサーに封印された、あの、狂ったウォズの父親に。

 骨格の変形で歩行もままならない。躓きながら、しまいには這って、寝起きしている簡素な小屋に逃げ戻り、欠けた鏡の前に立った。

 古びて所々曇った鏡面には、見知らぬ老人が映っていた。

 異様な風貌だ。獣の輪郭に人間のパーツ。目は人の面影を残している。鼻も辛うじて。
 瞳には英知の光があったが、いつ潰えるか保証のないともしびだった。

 ―――『喰わねば老いるぞ』

 「………っ」

 記憶の深淵に沈めた声が、ぽっかりと浮かび上がり、全身を席巻する。
 振り上げた拳には、隙間なく獣毛が生えていた。かまわずに鏡を叩き割る。飛び散った欠片の数だけ、血筋を想わせる無様な自分が映っていた。

「オマエは…親じゃない!親なんかじゃない。僕の父親は………っ」

 不意に、息を飲む。嵐を飲んだように喉が痛い。視界が歪む。


 ―――ここまで。こんなにまでバケモノになってしまって。どうしてあの人の息子だなどといえるだろう。それを自分に許せるだろう―――


「ふっ…く、はは…はははは」

 哄笑した。嗤った弾みで口角が裂けて、凶暴な牙が露わになった。
 喰わねば老いるというのなら、餓死や老衰による絶命は望めるのだろうか。
 それまで………正気を保っていられるだろうか。

「………っ?!」

 それが扉を叩く音だと気づくのに、数秒を要した。落雷のようだと思いながら息を整える。完全に獣化を終えたことで、肉体の軋みや圧迫に似た不快感は消えていた。
 戸板一枚隔てて、人間の佇む気配がある。
 男。三人。薬品臭。腐敗臭。ウォズの血と肉の臭い。それと、隣国の風の匂い。

「開いている」

 くぐもった声で応じて胸中で嘲笑した。よく効く鼻は以前あの人に誉められた唯一の自慢だ。
 蕾の匂いで花の咲く順番がわかる、と言うと、『おまえは世界で一番早く次の季節に気づくのかもしれねぇぞ』と豪快に笑って頭を撫でられた。
 必要なことは、総てあの人に教わった。大事なことも。
 本当は、あの人のように、誰かを守れる者になりたかった。

「貴殿はウォズだな。オーマ・シュヴァルツの養い子とは本当か」

 獣形を晒して、ウォズはせせら笑って嘯いた。

「同列にしないでくれませんか」

 嫌悪さえ滲ませて吐き捨てる。
 一計を案じた。冥途の土産に、彼と彼の周囲を害する石ころを拾っていこうか?

「無礼でしょう?」

 オーマ・シュヴァルツに。



■■■■


 『絞るように。
 叫ぶように。
 貴方は僕の誇りでした』


「わり。見事に似てねぇから、一瞬固まっちまったわ」

 あっけらかんと、オーマは言い放った。悪気のない断言は、いっそ無邪気と言ってもよかった。
 ウォズは沈黙した。発言の真意が読めなかったのだ。
 攻撃性と食人の欲望を体現したこの獣形は、浅ましく醜いあの日の父親そのものだろう。

「あー…まあなあ。うん。そりゃ同じ種族なんだから、カタチは似てるけどよ。だがそれは、俺とキュートガールむしろズッキュンときめき☆プリンセスその名も愛娘、が似てるのと同じレベルの問題だ」

 アナタのレベル認識は問題だ。ネーミングセンスも問題だ。いっそアナタ自身が問題だ。と関係各所からツッコミが入りそうな暴言を、オーマは平然と吐く。それから体躯に似合わぬ所作で頬を掻いた。

「あのウォズとは似てねぇよ。目が違う。心が。おまえはむしろ、俺に似ちまったから」
「………っ」

 獣形のウォズは、細長い瞳孔の目を一瞬見開き、それから人間めいた表情で目を細めた。めくれた口元から覗いた牙が、ギチリ、と不穏な音をたてる。うめき声が漏れた。苦痛を、噛み殺している。
 葛藤を、噛み殺して、いる。

「………僕は、貴方とは、似ていません」

 無理な発声を強いられ、ようやく押し出された言葉は、ひどく掠れて、潰れていた。

「似てるぜ?権謀術数駆使してるつもりが、いつのまにやら直球勝負なところとか?芝居が不得手なところとか?」
「!!」

 ウォズは息を飲む。
 オーマの右手に具現化した巨大な銃が握られている。月光を纏ったその全容は、圧倒的な存在感で周囲の空間を支配していた。無骨なフォルムが、同時にこれ以上優美な武器はないとも思わせる。定まらない。印象も色も。鈍色かと思うと純粋な銀に、褪せた月の色かと思うと次には夜空を溶かした透明な紺青に。ヴァレルもまた遊色に輝く。
 美しくも鮮やかな変化に、ウォズは陶然とした。
 目の前には威名を轟かせる希代のヴァンサー。
 もう少しで、望んだ瞬間が訪れる。

「早とちりなところとかなっ!」

 だが銃口は、明後日の方角を向いていた。ウォズの斜め後方。綾なす木々の隙間の闇に向かって、オーマは無造作に発砲する。長大な愛銃を木杖のように軽々と扱い、まだ残響も止まぬうちに、大音声で怒鳴り上げる。
 オーマは笑っていた。生涯に二度とは見たくない種類の笑顔だった。『凄惨』を絵にすれば今の彼の立ち姿になるだろう。

「そちらにいらっしゃるオモチャを持った野ネズミさんよ、タトゥやらヴァレルに目を付けたのはなかなかだ。アンタらの、熱いハートは受け取った。息子のこともな。オーマ・シュヴァルツに人質は有効と、帰って親ネズミに伝えるといいぜ。持つには効果的な爆弾だと――――――自爆のな」

 か細い悲鳴の後、動転した気配が、草木を乱雑に踏み散らす足音と共に遠ざかっていく。
 一目散のお手本だな、と。僅かに険を削いだ瞳で、オーマは苦笑する。それからゆっくりと息を吐き出した。弾みのように膝を折って地べたにしゃがみ込む。右手でもどかしげに髪をかき回し、左手でおもむろにウォズの首根を捕まえた。

「それからおまえだ馬鹿息子。お隣さんの……アセシナートの動向くらい、おまえが無理に潜入しなくても、それなりに把握してる。腹黒親父のネットワークをなめんなよ」
「………僕を封印すれば、貴方に人質は無効だと証明できたのに」
 
 右手を髪から引っこ抜き、オーマは即座にウォズの頭をはたいた。

「まだ言うか。そんな弱気じゃ筋肉ラブなイロモノ親父になれねぇぞ。身内を守る為に身内を犠牲にするってのは一番最低な本末転倒だろうが」
「心底からそんなモノにはなれなくていいです。それに僕は、もう貴方に守られる資格もないし、立場でもないから」
「………食人の欲求があるから?」
「っ………?!」

 直截な物言いに見抜かれていたと知る。柔らかい声音には、恐れていた軽蔑はなかった。怒りも安易な哀れみもなく、ただ理解と、労りだけがあった。

「飢餓感はいつからだ?………よくがんばった。怖かっただろう?」

 自分で、自分が怖かったのだろうと、父親の声をしたヴァンサーが言う。
 隣人が、餌に見える。友人が、餌に見える。親が家族が愛する者が、餌に見える。餌にしか見えない。自分に対する嫌悪で震える。だがそれさえ感じなくなったら?………恐ろしくない訳がないのだ。
 ウォズはゆるり、と頭を垂れる。自分に今、人の両腕があったら、両手でこの情けない顔を覆って隠してしまえたのに、と思う。
 彼にだけは、知られたくなかった。一方で、彼にだけは知っていて欲しいとも思ったのだ。真実を。
 獣形のウォズは人形に変化する。
 オーマは呼吸を止めて見守った。

 恐ろしく年老いて、やせ細って疲れ切った、人間の男が、曇りのない瞳で見上げてくる。一心に。

「―――どうして、黙っていた」

 小さく息を吐いてオーマは、「こんなになるまで」と無声で告げて、顔を歪めた。

「貴方でも、この性は変えられず、この寿命は延ばせない、と知っていたから」
「………苦しみを、和らげる事はできた。一緒にいることも」
「ええだけど。…何の意味もなかったかもしれないけど、スパイの真似事をしていたときは、少しは貴方の役に立っている気がして嬉しかったんです。…オーマ・シュヴァルツの養い子のウォズにしか得られない情報も、確かにあったから」

 だから自分がいなくなったら、その日から一週間、黒山羊亭の一番手前のカウンター席に座り続けている人物と接触して欲しい。損にはならない筈だから、と老人は言う。少年のような目で。

「それでも。一緒にいたかったと思うのは、俺のわがままか」
「僕もです。でも少しだけ……貴方と本気で闘ってみたかったのも本当なんです」
「ずいぶんと遅い反抗期じゃねえか。言っとくが、反抗期でも親泣かしたら反則で、子供の負けなんだぞ?」

 ウォズは木枯らしに似た呼吸から、咳混じりの声で抗議する。

「なんですかそれは。貴方ルールですか。いつから勝負事なんですか。………ああだけど。それじゃあ、今回は僕の負けですね」

 老人は皺深い手でオーマの両頬を包み込み、小さく笑った。ひどく幸せそうに嗄れた声でゆっくりと告げる。


「無茶してごめんなさい。ありがとう………………父さん」





   -END-