<東京怪談ノベル(シングル)>
+ 思慕、積もる時 +
■■■■
懐かしい風が身体を撫でる度。
私の心には寂しさが舞う。
ああ、それでも私は生きるのです。
この身体と共に……――――。
夢を、見ていた。
誰が見ても其れだと分かるものを瞼の裏で映し出していた。遠くから見ている映像は主人公が三人。
楽しそうね。
とても楽しそうね。
『待ってぇー、待ってよぉー』
『こっち、こっちよっ。あっちの方にお花畑があるの!』
『ほら、ルヌーン。早くおいでよ!』
私を見ている子供の視線。
手を繋いで楽しくステップして踊れば其処は最上の地。幼き日のあの楽園のようだった日々を思い出せば、当たり前のように彼らを思い出す。
空気を含んだ茶色のスカートが足に縺れ、拙い足取りで二人の元に駆け寄っていく私。仕方なく裾を捲り上げるように持ち上げる。そうやって急いで駆けつければ、二人に苦笑されてしまった。
偶像の癖に何処までも鮮明な其れに私は微笑んだ。彼らも、微笑み返してくれた。
丘を駆けていた子供達。
手を繋いで笑いあった幼子。
覚えているのは、過去の産物。
『わぁー、良くこんなところを見つけたね』
『えへへー、凄いでしょ? この場所は秘密よ、秘密』
『三人だけの秘密ぅー? ねえ、三人だけ?』
『そうよ、ルヌーン。私達三人だけの秘密の場所よ。他のお友達も、大人達も知らない場所なのだもの』
『きゃぁあ! 三人だけなのねっ』
私は胸の前で手を組み合わせてその場所で何度も飛び跳ねる。
その度に後ろ髪がぴこぴこ揺れて項を擽った。走ってきた時点ですでに乱れていた髪形だから気にしない。跳ねるたびに足元では花びらが飛び散ったので、お姉ちゃんが私を叱り付けた。
お花さんが可哀想よ。ほら、謝りなさい……ってね。
慌てて、私は動きそうになる足に手を添えて止めた。それでもかたかた痙攣しているみたいに震える足を見て、二人はプッ、っと噴出した。
秘密だよ。
秘密の約束だよ。
誰にも言っちゃだぁめ。
三人で人差し指を立てて、唇に乗せあった。
大人達に内緒の事柄を作るとどうしてこんなに胸がどきどきわくわくするのかしら。ふにふにした唇を突付くと思わず誰かに言いふらしたくなるけれど、それは我慢我慢。誰にも言わない、秘密の事柄は私達だけの共有物。
『ねえ、鬼ごっこしましょう。今日はルヌーンが鬼よ』
『そうだよ。昨日は僕だったから、今度はルヌーンだ』
『んむぅー、でもお姉ちゃん達足速いじゃない。ルヌーンの足じゃ追いつけないよぉー』
『でもそれがルールだもの、仕方ないわ。ほら、逃げるわよっ』
二人が駆け出す。
私は瞳を懸命に動かして彼らを逃さないように追う。
『待ってっ、待ってよぉー』
『あはは、ルヌーン、こっちにおいでー!』
『こっちよ、こっちー!』
足を動かして必死に追いつこうとするけれど、息が細かく断続的になってきて辛い。苦しくなって思わず胸を押さえてその場に屈み込む。地面が近くなってその表面をざらりと撫でた。草が沢山生えているこの場所。緑と花の艶やかな色彩が目に眩しい。
ふと、赤くて珍しい花を見つけた。綺麗な花弁に見惚れていると時間を忘れそうになったので、慌てて首を振って意識を散らす。お姉ちゃん達にも見せてあげようと思って思いっきり引っこ抜いた。
ブチリ。
嫌な音がしてそれは茎から千切れる。
『お姉ちゃん見て! これ珍しい花よっ』
私の言葉に遠くにいた二人が足を止めた。
ゆっくりとこちらに戻ってくる様子を見て、膝付近を軽く叩いて土埃を叩き落す。綺麗な花を引き抜くことに罪など感じない。子供は無邪気ゆえに残酷だっていうのが通説だ。
走って帰ってきてくれた彼らの翻る髪を下から見上げる。仕方ないのだ、私は一番小さいのだから。
そして彼らは私を指差した。私はきょとっと見返した。
―――― よく、此処まで来たね。
世界は一変して空気が緊迫する世界に変る。
幼かった身体は手足がすらりと伸びたものに変り、手でぺたりと触れれば顔立ちも大人びたものに変っていた。
今まで見ていた花畑は何処にもなかった。そしてお姉ちゃん達も居なかった。
ぐるりと辺りを見渡せば、其処は戦場。兵士達が山のように身体を重ねあって死んでいる姿が見える。その顔には見覚えがあって、そしてどれも見た覚えのない表情をしていた。
唇から。
額から。
鼻から。
胸元から。
手足から。
肉を損傷して、殺されて?
焼かれたものも居た。蛋白質の焦げた香りがする。ぢりぢり髪の毛が縮むように丸まっていた。中には失禁しているのか股間が濡れているものもいた。それもまた仕方がないこと。恐怖によって染み出すものを止める手立ては強い精神力のほかにない。
これは何処だ。
この記憶は誰のもの?
私は手の中を見る。
先程まで花を持っていたその手には一本の杖が握られていた。呪具だと気が付いてもう一度握り直す。目を閉じて開いてみても、それは変らなかった。
その瞬間、全てを悟る。察せねばならなかった。
―――― これは、『私』の記憶だ。
『魔術師様ッ!!』
呼びかけられた声に反応して身体を振り向かせる。
後ろからは重装備の兵士が剣を杖代わりにするようにしてよろめきながらもこちらを見ていた。甲冑は大きく欠け、其処からは肉が覗いている。そして息を吐き出したと同時に口から鮮血を地面に滴らせた。
肩を上下させるながら荒い息を吐く。強い視線が私に向けられ呼吸が止まる。
『魔術師様っ……もう、我々は戦え……ませ、んッ』
『ヒッ……――――』
『一旦戻り、体制を立て直すことを……ッ、ぅがはぁァぁあああああああああ――――――ッ、!!』
悲鳴が鼓膜を震わせる。
次の瞬間、彼は全身に焔を纏い、狂ったように踊り始めた。熱さのためにのたうち苦しみ、地面に転がる。必死に火を消そうとしているがそれも叶わないまま、やがて静かに燻される肉塊が転がった。
ごとり。
焦げた肉は、人間でないものに変っていた。
死臭が鼻を擽って口元を押さえる。
戻ってきた胃の中身を構わずぶちまけると、其処にも僅かに血の色が混ざっていた。
<さあ、お前で最後だよ>
頭の中に響く声。
それは声だったのか念だったのかは既に分からない。その時の自分は耳鳴りと汗、そして言い難い精神的苦痛に襲われていた。鈍器で殴られたような鈍痛がする。
魔女の紅を引かれた唇がゆるぅりと引き上げられる。自分は足が地面に生えてしまったかのように動けなかった。
長く伸びた爪もまた赤く、持ち上げられた指先。
一直線に向けられた其れは、呪詛。
<お前はこの魔法で一生苦しむがいい! おー、ほほっほっほっほッ!!!>
グっと喉がつまり、息が出来なくなる。
地面に這うように身体を四つん這いにして、全身を襲う痛みに耐える。何かが体内で這いずり回っている気配がした。骨が軋みをあげ、皮膚が変化する。視界の端に見えていた髪の色が段々と銀色に染まっていくのが分かった。
魔女の高笑いを聞きながら変化に耐え、意識を失う。やがて再び瞳を開ける頃、私は気が付くのだ。
すでに姉や幼馴染と遊んでいたあの頃の私はいないのだと。
そして。
『ッ―――、ぃいぃぃ、やぁああアアぁぁぁぁッ!!!』
すでに人間ではないのだと。
■■■■
あの懐かしい風に吹かれる度。
私はそれを思い出すのです。
楽しかったあの頃。
子供過ぎたあの平和な時間帯。
そして寂しさに負けないように世界を見つめるのです。
「ッ、ヒィ―――っ!」
飛び起きた時、最初に視界が暗かったことに動揺した。
やがて暗闇に慣れてきた瞳が辺りの状態を確認出来るようになると、そこは小屋の中だと言う事を思い出す。此処は聖都エルザードから少し離れた森の中。
掛けていた毛布が乱れているのを確認して手繰り寄せる。その手には汗が滲んできた。
ああ、夢を、見ていた。
幼い自分。
過去の自分。
その全ては蓄積され、私の夢として表現された。
頭の上に手を乗せると触れたのは自分の背丈ほどある大きな葉っぱ。時期が来れば紫の花を咲かせ、そしてオレンジの実をも付けるそれを指先で撫で上げた。
あの時かけられた呪いはマンドラゴラへの変化。
しかも瞬間ではなく、日々植物化すると言う悪意が沢山詰ったものだ。悪趣味だと思う。そのせいで言葉も流暢に飛び出してこなくなった。
「……あ、さまで……まだ、ある、わ」
表情を変えることなく呟く。
外にはまだ太陽が登っていない。頬に手を添えると嫌にねっちょりとした汗を掻いていた。べったり手の平にくっついたそれを服でこそぎ落とす様に擦り付ける。その部分だけ変色したのを見て、ため息を零した。
夢の中で笑う私。
現実では笑えなくなった私。
「……っ……」
風のない小屋の中で足を抱える。
独りぼっちの生活はもう慣れた。あの討伐の時に人間のルヌーンはいなくなってしまった。今居るのは、マンドレイクとしてのルヌーンだ。
寂しくない。
寂しくない。
『うふふ、ルヌーンこっちよーっ』
『こっちこっち、ほらもうすぐ届くよっ!』
『待って、待ってよぉーっ』
子供達が駆けるあの丘の上。
笑い声が柔らかく耳を撫でていた過去の思い出。
―――― あの頃の私は、もういない。
…Fin
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今日は、初めましてルヌーン・キグリル様。
今回はシチュノベ発注真に有難う御座いましたっ。丁寧な発注文章でしたのでこちらも頭の中に情景が浮かびやすかったです。注文に沿えるようにしつつ、少々手を加えてみたのですが……もし気に入らなかったら遠慮なく仰って下さいね。
では、本当に有難う御座いましたっ。
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