<東京怪談ノベル(シングル)>
その恋の奇跡
崖を登っている。間違いなく、崖を登っている。
断崖絶壁を、地味な装いに身を包んだイマイチ頼りがいのなさそうな体躯をしたその男は登っている。
「なんじゃありゃあ」
ムキムキマッスル腹黒イロモノ親父ことオーマは、崖の男を見つめて思わずそんなことを呟いていた。
早朝も早朝。昨夜の雨がまだ草葉を濡らしている時間。そもそもそんな時間にこんな崖っぺりを歩いているオーマもオーマであったが、そこはそれ、彼とて事情というものがある。
ちょっとしたことから関わった女性、ウォズの相談を受けることになっていた。それがこの早朝。最初は人間と上手くやっていけないという話であったが、その内容はいつしかただの恋愛相談へと行き着いていたわけで。
とにもかくにもその帰り道。しかも大雨の後の崖。人が登っていれば、目に付かないわけもなかった。しかも、
「あ」
――落ちてるし。
嗚呼、咄嗟に動く身体のなんと憎らしい、否、誇らしいことか。
眼前の崖から落ちてくる男のスピードは速い。ひょろりとした体躯であっても、そこは男。それなりの筋肉がついているのだろう。物が落ちるときは重さに比例してスピードは速くなるというのが世の理だ。『危ねぇ!』と口をついて出た言葉が早かったか、オーマが足を踏み出したのが早かったか。殆どそれらは同時で、そして彼は世の人間の大半がそうするように、落ちてくる人物に向かって両手を広げた。
どぅん! ――音にするならばそれくらいの衝撃があったに違いない。しっかり地へと踏ん張って、オーマはその男を受け止めた。
「あ…ありがとうございました……!」
お姫様抱っこで。
しっかりとお姫様抱っこをされたその男は、オーマの顔を見上げるなり一瞬怯えた顔を見せたが、ついで絞り出すような声でそう告げた。だからオーマも、その男をお姫様抱っこしたまま、おう、と真面目に頷いて返す。
何の冗談だこれは。ていうかシチュエーション的におかしいだろう。普通ここは可愛らしい嬢ちゃんが落ちてくる場面じゃねぇのか、コラ。
もはや何に対してかなど自分でも分からなかったが、一頻りツッコミを入れてから、オーマは男を降ろす。ひょろりとしたその男は、そこで漸く安堵の息を吐いたようだった。
恋愛相談は今朝方終わらせたはずだ。それなのにどうしてまた、この拾った男の恋愛話など聞かなくてはならないのか。崖の傍に座り込んで相槌を入れながらも、彼は時折遠くへと視線を向けていた。
「……彼女が言うんです。ルベリアの花束を持ってきてくれたら付き合ってあげるって。あれは想いを映すから、そしたら貴方を信じられるって」
「んで、どーしてンな崖登ってんだよ」
「こ、この、崖の上に花があるって聞いたから」
「それガセだろ」
今にも泣き出しそうに顔を歪めた男の言葉に、あっさりと突っ込みを入れる。
少なくともこの辺に咲いているなどという噂は聞いたことがない。それでも花の情報を聞けば、この男はいたる所へと出かけたらしい。洞窟、湖、森。そして今回の、この断崖絶壁。
花束ならば、花もそれなりの数がいる。咲き誇る場所でなければならないのだ。
――その女……よっぽど付き合いたく無ぇんじゃ。どっかの話で……えーと。嫁に行きたくないからって言い寄ってくる男たちに無理難題ふっかけるお姫さん、つーやつ。あれだ。
本格的に振られる前に制止してやるのも優しさと言うもの。思い立ったら即実行。
「つか、花に頼るんじゃなくてだなぁ! 男なら! ビシっと!! ズバっと!! 燃えさかるラブを発散すべく当たって砕けろ!!!!!」
ビシと勢い立てた人差し指をポイントに、オーマはスッパリと言ってやった。多少――あくまでもオーマの中では多少、無茶な話だが仕方ない。これもお前のためだ。愛のムチ。
「砕けたくないんですけど!?」
「砕けたら地道に拾い集めれば大丈夫だッ!!」
「だから根本的にどーして砕けてるんですか!!」
「いやこう、そこはかとなく砕け散りそうな雰囲気が」
「どんな雰囲気なんですか! どんな!」
「いや、だから、これも俺様の優しさっつー………」
そうやって愛のムチが振るわれていたまさにその瞬間。物音に、オーマは振り向いた。眼前の男の顔が強張った様に見えたのは気のせいではなかったはずだ。
今朝、オーマが恋愛相談にのったウォズがそこに、いた。
儚げな女性が落とした困惑の色。数度の瞬きの後――頬をすぐに赤くした。わかっている、彼女の薄紅色の頬は、決してオーマのせいではないと。
出かける途中だったのだろう。彼女の住まいはこうした崖の上で、それは彼女が人との関わりをできるだけ避けていたせいであったようだけれど。とにもかくにも、街へと行く道はここしかない。
まさかそこにオーマがいるなんて、思いもしなかったはずだ。
『好きだけど駄目なんです』
『わかるでしょう? 私は、ウォズだから。彼は、人だから。』
『だけど彼は、どうやったって諦めてくれない』
『嘘ばかりをついているのに、自分の身体を壊してまでも彼は私の嘘に付き合うの』
『諦めなくちゃいけないのに――嗚呼いっそ、消えてしまえたら』
「おい」
今朝の問答を思い出して、ぽつりと男を呼んだ。突然現れた彼女に固まっていた彼が、オーマの声に目を瞬かせた。次いで。
「ちょ、ちょっと……何を……!!」
「うるせぇ!」
まるで物でも扱うように首をつかまれ突き出される男と、献上しますといわんばかりの態度のオーマ。
よくよく見れば、女の目が赤い。そういえば今朝は泣いていた。ウォズである自分は、いつ凶暴性を現すか分からないから好きな人とは一緒にいられない、と。人に紛れて普通に生活しているものの、もしかしたら彼を手にかけてしまうかもしれないと。
ようやく話が繋がった。
だから彼女は男に無理を言ったのだ。ルベリアの花束なんて決して楽には手に入らないものを提示して。そして自分を諦めてくれればいいと願った。けれどその反対で、もしかしたら手に入るかもしれない花束の存在をどこかで期待していた。ルベリアの奇跡を頭のどこかで信じていた。
それは多分、彼女の幸せと同じくらいの奇跡だったから。
「花を探す前にやることがあんじゃねぇのか。花より大事なもんは、ほらよ、おまえの目の前にあんだろ?」
かなり無理やりではあったけれども、向かい合わせになった彼と彼女。ただ、ぐっと息を呑んだ時間だけが過ぎる。ほんの僅かの時間であったが、それが非常に重く、長く。
「……あの」
そうして。
オーマに首を掴まれた男が、漸く口を開いたその時。カランと響く音。足元に落ちた小石。振り仰ぐ崖の上。
「――ッ、ヤベェ!!!!」
雨が降った後の崖は、非常に脆い。
オーマの声にはじかれたように視線を崖へと向けた男女。頭上の岩が生き物のように轟音を立てながら、まさに彼女を潰さんばかりに落ちてきていた。
顔を覆う女に、オーマは苦笑を漏らした。あのヒョロリとした男が、彼女を突き飛ばすようにして岩から護ったのだった。男はというと多少怪我を負ったものの、特に大惨事というわけでもない。けれど。
女はほろほろと零れる涙をどうしても止めることが出来ないようであった。
「諦めるっつーのは、ちぃっとばかし早い結論だと思わねぇか?」
「……え」
持て得る力を振り絞ったせいなのか、隣で気絶している男から視線をオーマへと向けて。彼女はグイと涙を拭う。
「こんだけ想ってくれる奴っつーのはそうそう居ねぇと思うぜ?
街に下りてみろよ。ウォズでも人間でも、上手くやってるやつなんて結構いるもんだ。それに――愛こそ力だ、なんて言うだろ?」
――この男みてぇによ?
傷を負い気絶をしている男に悪戯っぽい視線を向けて口にした。しばしの間の後、『はい』と聞こえた声に、オーマはよっしゃ、とだけ返して。
「……なぁ、ところで」
その転がっている男の隣、女ではなく、岩の方。崖と岩との間、僅かな隙間。オーマは目を疑った。さっきは無かったはずだ。あったら、見逃すはずがない。もしかして崖の上にあったのか? 岩と一緒に落ちてきた? ――まさかそんな。
「………ルベリアの花」
輝く花が、まるで今そこに咲いたかのように美しい光を放っていた。
かくて――奇跡は、起きたのだ。
- 了 -
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この度は再度の発注いただきまして有難うございました。
前回と違った明るい感じを目指してみました。
『オーマ』というキャラクターであればこそ、ウォズの恋愛相談にもなんだかんだでのってしまうのではないかと思い今回のような流れになったのですが、いかがでしたでしょうか。
お気に召していただけたとしたら、幸いです。
2005,4 了英聡
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