<東京怪談ノベル(シングル)>
乙女の祈り
そよそよと穏やかな風が吹いていた。
もう辺りはすっかり新緑の頃。その暖かさに応えるように、様々な種が芽を出し、大地を華やかな色へ染め上げて行く。
きりりと表情を引き締めた竜の騎士、セフィスが今まさに入ろうとしている個人病院の中もまた、花盛りだった。
ゆらゆらと花弁を揺らしながら、その中心からぬぅと突き出したダックスフントの小さな頭が、目を輝かせてその顔を彼女へと向け。
もうひとつの…これは種類の違う花だろうか、幾重にも花弁を重ねたその真ん中に、目をうるうるさせて花弁と共にふるふると顔を震わせるチワワがいた。
「今日も無事だったようですね」
そう言いつつ、花サイズなため通常の犬よりも随分と小さな『彼ら』に話し掛けつつしゃがみこむ。
そのふたつの『花』の向こうには、あらぬ方向を見詰めているように見えなくも無い『タツノオトシゴ』と『フグ』が、同じように花弁の名ん中から顔だけ覗かせて生えていた。
ゆらゆら。
風に揺れる4つの植物。
院長の趣味か、黄色と紫で彩られた水差しから水をやると、心なしか喜んでいるように見える。
それでも、あくまで『彼ら』は植物であり、ここエルザードでも滅多に目にする者の無い稀少種なのだった。
*****
人面草はエルザードの天然記念物となっている。
観光地でもない森の奥深くでひっそりと群生しているらしいそれらは、通常花のイメージに似せてか儚げな印象の乙女の顔をしている事が多い、らしい。
だが、それはまた滅多に人前に姿を現す事がないため、そう言った植物が存在する事すら知らない者も多い。
それなのに。
――類は友を呼ぶと言うが…
恐らく『客』なのだろう、わさわさと器用に互いに蔦や葉を絡ませあい、その上にティーカップとお茶菓子を載せたお盆をしっかりと固定して別室へと進んでいく『彼ら』。
人馴れし、気に入った人間を見るたび取り付いては悩ましげな視線を送る人面草は、とてもではないが噂で語られるような儚げな乙女では決してなかった。
そして…セフィスの目の前に居る4種の花もまた、人面草の中でもとびきりの亜種と呼んで良い存在だった。…何しろ人の顔をしていないのだから。
それも、犬と海の生き物がそれぞれ2種類ずつ。
森の奥深くで生えるにしては不釣合いなそれらは、その見た目のイロモノ具合とは対照的に、静かに、ゆらゆらと風に身を任せるばかり。
はふはふ。
そっとその顔を撫でると、犬にしては頼りない力でセフィスの指を噛むダックスフントにふっと笑みを浮かべる。
「ここの主の色に染まる事が無いよう、気をつけなければ」
どういう経緯でここにやって来たのかは不明だが、腹黒同盟などと言う怪しげな世界に文字通り根までどっぷりと浸からせるわけにはいかない。
初めて出会った時に祈りを捧げたように。
それは騎士としての誓いでもあるのだから。
*****
「王女様のお風呂の残り湯?」
「ええ」
こくん、と頷いたセフィスに、庭を掃除していた侍女が面白そうに目を輝かせる。
「気さくな方だから、頼めば貰えると思うけど…何に使うの?」
「病院の貴重な植物に与えるために。エレガントに育つと思うのだけれど」
「――エレガントに?」
ほんの少し間を置いて、にこりと侍女が笑う。
「お掃除の時にお願いしてみるわ」
「ありがとう」
元々ここに済む住人に気さくな人物が多いのか、それとも『院長』の名を出したのが功を奏したのかそれは分からなかったが、意外なほどあっさりとセフィスの願いは了承された。
それから毎日、王宮の裏口へ通い始めたセフィスは、いつも帰りには手に小ぶりの壷をぶら下げるようになった。一体何を貰っているのかと通りがかりに彼女の姿を見た者は気になって訊ねた事もあったのだが、彼女は僅かに笑みを浮かべるばかりで、その中身が何であるか語ろうとしなかった。
*****
さわさわと、葉が風に揺れている。
春の太陽を一杯に浴びて、幸せそうに目を細める犬2匹と相変わらず表情が読めない魚類2つ。
気のせいか、葉の色も肌もつやつやぴかぴかになっているように見える。
「栄養が行き渡っているせいかしら?」
来たばかりの頃に比べ明らかに成長し、また丈夫に育っている様子の『彼ら』を愛しげに撫でつつ、ぽつりとセフィスが呟いた。
健やかに育って行った『彼ら』は、未だ病院内部に蔓延しているイロモノの気配に染まる様子が無い。それどころか、彼らの置かれた一角だけは他の人面草たちが避けて通るほど清浄感に満ち溢れていた。
その様子は、半ば意地でイロモノ化させようと画策していた院長自ら、一般患者の気鬱を和らげるためにと待合室の日当り良い位置に設置し直した事でも分かる。
そして。
待合室の中は、今日もごく微かながら、実に上品な香りに満ちていた。
――それは、セフィスが壷から取った水を与え始めて2、3日後から、今日に至るまでずっと香り続けている。
その香水が、王女の浴槽に使われているものと同種の香りだと言う事を、セフィスは知らない。壷に入れられた残り湯からは、そうした香りがほとんど感じられないからだ。
そうした『彼ら』の清浄な雰囲気や香り以外にはまるで変化が無く、セフィスが望んだようなエレガントさは今の所現れる様子が無い。
それでもイロモノに染まるよりはずっと良いと、セフィスは今日も唇にほんのりと笑みを浮かべつつ、王宮と病院の間を歩いていく。
暖かな光の中を、しっかりとした足取りで。
-END-
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