<東京怪談ノベル(シングル)>
『パスカルの庭、デカルトの娘』
「リリン・ゲンナイさーん。郵便小包でーす。サインをお願いします」
『え、ボクに?』
声に気づき、少女はブラインドの隙間から庭を覗き見た。門にポストマンが立っている。
鼻メガネになっていた大きく四角いフレームを正しく整え、白衣姿のままで荷物を取りに出た。
エルザードの郊外に、水車が回る建物がある。日焼けしたような風合いの古い木造の家だが、屋根はソーンでは高価とされるガラス製。ソーラーシステムを採用していた。もっともこのガラスはソーンのものでは無いが。
水は家屋の回りを流れている。川の水が流れ込むわけでも、雨水を流し込んでいるわけでも無い。
祖父が作った永久機関は水を動かし続け、水車はエネルギーを蓄積する。
庭の池の淵には葦が群生して、風になびいていた。首の後ろで無造作に括ったリリンの髪もなびいた。ピン止めからはみ出した前髪もさらさらと動き、丸くきれいな額を見え隠れさせる。
「ご苦労さまです〜」
リリンがサインしながらねぎらいの言葉を述べると、『初めまして、ご苦労さま!』『ルーキーだね?』『ご苦労さま。今日はいい天気ね』などの声が辺りから聞こえ、ポストマンはきょろきょろと首を回す。
「ああ、葦が挨拶したのです。AIが組み込んであるので。葉を震わせて、『声』を出します。
葦は、すだれの材料となるイネ科の植物です。アシは悪しに転じて縁起が悪いので、ヨシと呼ぶ地方もあります」
「え・・・ええあい?」
「人工知能です。新任の方ですね?次に配達でこちらへ来られた時、彼らはあなたを覚えていて、『仕事は馴れた?』『調子はどう?』など、二度目に会った対応をします」
「はぁ」
配達人は、ぽかんと口を開けたまま去って行った。このシステムは祖父が作ったものだ。『考える葦』。悪趣味な冗談のようだ。
祖父の研究を抽象的に説明すると、無機物と有機物の融合ということになる。具体的に言うと、サイボーグの研究も含まれていたようだが、リリンは明確には知らない。知るのが怖かったせいもある。明確に知っている研究についてはリリンも引き継ぎ、庭には光合成エネルギーで動く花時計の試作品も置いてあった。
荷物は、祖父からだった。期日指定にしてある。リリンへの誕生日プレゼントのようだ。いったい、死後何年分のストックがあるのだろう。
リリンは室内に戻ると、ダイニングのテーブルで包みを開けた。
今年もドレスだった。去年のピンクのフリルよりはマシな、ピンクのレースのワンピースだ。
『ハッピー・バースディ、リリン。今日で17歳だね。一緒に誕生日を祝う恋人はできたかい?今夜は彼氏とデートにでも行って楽しんでおいで』
カードを開くと、懐かしい祖父の文字。
リリン・ゲンナイは、太陽系第三惑星・地球で生まれ育った、と思う。『思う』というのは、教師から『ここは地球だ』と聞いただけで、本当かどうかはわからなかったからだ。
リリンの両親は海外を飛び回る研究者と聞いていた。リリンは祖父に預けられ、中立国の山あいにある研究施設の中で育てられた。施設自体が小さな街のようで、子供もいれば学校もあり、商店街もあれば映画館もレストランもあった。
祖父は、ジェットエンジンの付いた絨毯やら、柔らかくて履いても痛くないガラスの靴やら、遊びでリリンに色々なものを作ってくれた。
ある時、祖父の何かのマシンが暴走し、時空と空間が歪み、この屋敷だけが『ソーン』というこの異世界へ吹っ飛ばされた。
祖父は5分程アグラをかいて考え込み、そして「よし!」と立ち上がると、金槌を握って屋敷の破損を修復にかかった。偏屈な祖父は、鉄筋の建物を嫌い、木造家屋を研究所にしていた。おかげで、家ごとソーンにワープしても風景に溶け込む事ができたわけだが。
「ほら、リリンも手伝え。釘を持って」
まだ子供だったリリンは、脚立に乗る祖父に、背伸びをして釘を手渡した。祖父は5分でこの世界に順応する腹をくくり、リリンもそれに準じた。
この街で、祖父は、馬車の修理や、調理用具の修復や竈の調整等をして収入を得て暮らした。現在、リリンも、祖父の仕事を続けて請け負っている。エルザードの人々は、ゲンナイ家はただの修理屋だと思っている。
「まあ。きれいなドレスですこと。リリン様に似合いそうな・・・」
リリンが一瞥をくらわすと、家政婦アンドロイドは途中で世辞をやめた。彼女の外見は鉄のマネキンそのものだが、何の意味があるのかメイド服を着用している。メイド服は趣味のようだ。祖父のでは無く、家政婦の、である。
こうして、毎年、不要な布の山がたまっていくのだろうか。プレゼントなので、処分するわけにもいかない。
リリンがお洒落に興味の無いことは、祖父も気づいていたと思うのだが。これらのドレスは、リリンの為でなく、自分の楽しみの為に揃えたとしか思えない。
こんなドレスを着て、人形のように踊るリリンを見たいとでも思っていたのだろうか。
『人形・・・』
厭な事を思い出してしまった。リリンは顔を顰めると、ドレスを家政婦に押しつけて、「箱に戻して倉庫にしまって」と指示を出す。
幼い頃、滑り台を逆走して落ちて、膝から血を流した記憶。ブラウスの長袖が折りにくくて、消毒の後に袖が降りて来てしまった予防接種。かさぶたの跡も針山の跡も、リリンの体に残っている。だが、それが本当にその記憶の通りの傷なのか。後から植えつけられた記憶では無いのか。この膝は、この肩は、本当に自分の体の一部なのか。偽の記憶と共に、ラバーの上の皮膚組織に加工された傷でないと言い切れるのか。
自分の一部は、もう祖父の実験に利用されているのではないか。それとも、初めから全て機械なのかも?
砂男。砂男が来るよ。教授の娘は、ギシギシとゼンマイの音をさせて踊る。
T社のレプリカントは出来が良過ぎて見分けがつかず、バウンティ・ハンターの仕事は尽きない。
デカルトは、鞄の中に、死んだ娘そっくりの人形を忍ばせ、夜な夜な話しかける。
「リリン様。着用せずに収納すると、また博士から叱られますよ」
誰の真似なのか、家政婦は小首を傾げて掌で頬をおおい、困った振りをしてみせた。
去年は、『死んだ祖父から』文句の電話がかかってきた。もちろんソーンには電話など通じていないし、家に電話機があるのはワープしたそのままの状態だからに過ぎない。電話線など繋がっていない。祖父が電話に模した機能を付加し、ドレスのセンサーと連動させて音声を流しただけだ。ガラス屋根も水車も、この家のコンピュータ・システム維持の為に使われていた。祖父の残した膨大で貴重な資料とプログラム、そしてリリンをからかう少しのトラップ。
デカルトは、娘の人形にAIを搭載したら、彼女には自我があると言い張るだろうか。『彼女は考える。ゆえに彼女は存在する』と。
リリンはのろくさと白衣を脱ぎ、ブラウスも脱ぎ捨てると、裾が床でたるむパーティードレスを身につけた。ほんとに彼氏ができたとしても、こんな服でデートができるかっ。
前髪はあちこち乱雑な方向にピンで止められ、髪は後ろで引詰めである。ごついメガネのままのドレス姿は道化のようでもあった。現に家政婦は、横を向いて吹き出した。
それでも、電話で小言を言われるよりはいい。リリンは、『ドレスの上に』再び白衣をまとう。
実際にコール音がして受話器を取るのも厭だが、『また、去年のように電話がかかって来るんじゃないか』と、コール音に怯えるのも気分が悪い。だったら、着心地が悪くても、似合わなくて悲しくなっても、着用してしまった方がよかった。
RRRRR・・・
予期しなかったコールに、リリンも家政婦も飛び上がった。
「うそ!なんで!ちゃんと着たのに、かかってくるなんて!」
「と、とにかく、リリン様、電話に出てください」
「あなたが出て!」
「イヤですぅ、叱られます、『なんでリリンが出ないでお前が出る!』って」
「・・・。」
叱られても、どうせ、生前の録音なのだが。
リリンは、うんざりしながら電話を取った。
『やあ、リリンか?』
少ししゃがれた太い声が響く。日曜日のひなたのような声だ。
つまり、録音は二種類用意されていたわけだ。ドレスは着ても着なくても、声を聞かされるハメになるのだ。
「・・・はい。ボクです」
『17にもなって、まだ“ボク”なんて言ってるな』
リリンの受け答えを予想していた返事。それとも、リリンの言葉によって、祖父のセリフも切り替わる仕組みなのかもしれない。祖父は、リリンの頑なな青さを嬉しそうに笑う。
『でも、ドレスは似合っているよ。リリンは色白だから、ピンクが似合うなあ』
いつごろ録音された声なのか。リリンが『色白になった』のは、外でのオテンバを辞めた13歳を過ぎてからだ。いつごろから死を予感していたのか。
『じいちゃんは、いつでも、リリンのことを見守っているからな』
なんでそんなクサいセリフを堂々と吐けるのか。
それでも、リリンの目からは涙が溢れて来る。
くやしい。おじいちゃんったら。だから厭だったんだ。リリンはメガネをはずして、手の甲で涙を拭った。家政婦が差し出したタオルでハナもかむ。
哲学者が愛したのは、5歳で死んだ実の娘なのか、鞄の中の人形なのか。
もう、どうでもいい気がした。二人とも愛されたに違いない。
リリンは、線が床で途切れた電話の受話器を握りしめ、小さな子供のように歯を食いしばって嗚咽をこらえた。
泣き声は、電話の向こうには決して届くことはないのだけれど。
< END >
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