<東京怪談ノベル(シングル)>


溜息に乗せて


「全く、失礼しちゃうわよね」
 ユンナはそう呟きながら、がしがしと歩いた。コツコツ、と綺麗な歩き方ではない。がしがしという、明らかな怒りを露にした歩き方である。
「全くもって、失礼だわ」
 ユンナはさらりと桜色の髪をかきあげ、ぴたりと立ち止まる。
「どうしてこの私が、この美貌の固まりのような私が、素晴らしさをそのまま形にしたかのような私が……」
 ぐぐぐ、とさらにユンナは拳を握り締める。自らの誉め言葉は、いくらでも湧いて出てくるから不思議だ。枯れる事を知らぬ、泉のように。
「そんなこの私が!……何で、前座なんてしないといけないのよ」
 ぎりぎり、と再び拳を握り締める。今ならば、林檎も拳で割れるかもしれない。下手すると、胡桃だって割れるかもしれない。やしの実だって割れるかもしれない。
 さすがに、それは言い過ぎかもしれない。
 ともかく、ユンナは怒っていた。怒りによって硬い実シリーズを片手で握りつぶす事も可能となるかもしれないと思わせられるだけの力が、ユンナに宿っているかのように。
「大体、私に歌わせたいのならばメインじゃないの?メインよ、メイン!フルコースで言う所の、最上級ヒレステーキみたいなものよ?……それも、脂なんて無いかのような綺麗なお肉で、上品な香りを醸し出しつつ柔らかく湯気が出てる?みたいな」
 ほんの少しずれてきた事に、ユンナは気付かない。
「そして、勿論三ツ星シェフが腕を篩う訳よ。美味しくない訳が無いのよ。一口食べたら正に天にも昇るかのように……って、そうじゃなくて!」
 漸く、ユンナはずれてきた事に気付く。びし、と何もない空間に突っ込みを入れる。誰もいない路地裏で良かったと思われる。
「何でそんな私が、最初に出される『つきだし』みたいな役割をやらないといけないのよ?」
 フルコースと言いつつも、何故か居酒屋のような発言が飛び出す。きっとそんな事はユンナにとってどうでもいい事なのだろう。
 ここで彼女が重点をおいているのは、自分がメインではなく前座だというその待遇の違いが腹立たしい、という事なのだから。
「私の歌声を聞いておいて『じゃあ、前座で』って、それはないわよねぇ」
 事の起こりは、たまたまユンナが鼻歌交じりに道を歩いていた事に始まる。
 上機嫌で鼻歌を歌いながらユンナが歩いていると、突如腕をつかまれた。ユンナは「はぁ?」と言いながら、つかまれた腕を素早く捻りあげた。ぎりぎり、と。見るからに痛そうで、やられている相手が可哀想だと影で評判になっている必殺技である。
 何者かとユンナに問われ、答えたその可哀想な男は「酒場のオーナー」と名乗った。ユンナの美貌を誉め、ユンナの美声を誉め、ユンナのその全てを誉めまくった。勿論、ユンナはそれに「当然よ」と綺麗に微笑んだりもしたのだが。
 そのオーナーは、そんなユンナに「歌ってもらえないか?」と頼んできたのだ。自分の酒場で。
 誉められ、そして歌う事が嫌いではないユンナはそれを快諾した。快諾した後で知らされたのだ。
 ユンナが、別の歌姫の前座である事を。
「全く、失礼にも程があるわ」
 ユンナの不満は留まる事は無い。そして何よりも腹が立つのが、結局その前座のために自分が酒場に向かっている事なのだ。
「こうなったら、出演料はたんまりと貰わないとね」
 ユンナはそう呟き、何とか自分を納得させる。というか、それくらいしか自分を納得させる術が無い。
「今回だけだからね」
 ぽつり、と呟くとユンナは酒場の中へと足を踏み入れた。


 酒場の中は、割合にして明るい雰囲気だった。
「感じいいじゃない」
 ユンナはそう呟き、にやりと笑う。
(私が前座と言いつつ、メインをぶんどってしまえばいいんじゃない?)
 ユンナの野望は、果てしない。
「これはこれは、ユンナさん。お待ちしておりました」
 ユンナの姿に気付き、奥からオーナーが出てきた。まだちらほらしか客がいない所為か、堂々と店内を歩いてきた。
「で?いつから歌えばいいの?」
「そうですねぇ、もう少ししたら」
「勿論、報酬はばっちりよね?」
 ユンナがにこにこと笑いながらオーナーを見つめた。オーナーはくるりと振り返り、財布を取り出してお金を数え、再びくるりと戻ってきた。
「ばっちりです」
「そう。ならいいわ」
 オーナーの言葉にユンナは安心し、小さく溜息をついた。歌う事は嫌ではなくとも、どうしても前座という位置付けが気に食わない。
「それで、メインはもう来ているの?」
「ええ。あそこに」
 オーナーはそう言い、カウンタの中を指差した。すると、そこにはでっぷりとした体格の女性がおり、ひらひらと手を振ってきた。
 お世辞にも綺麗とか美人とか言う言葉は、出てこない。
「……何、あれ」
「何って……私の妻ですけど?」
 ユンナは思わず「はぁ?」と聞き返す。オーナーは「ですから」と言いながら、にこにこと笑う。
「私の妻です。可愛いでしょう?」
 オーナーの言葉に、ユンナはじっとオーナーの妻を凝視する。
 丸っこい体、太股と見間違えんばかりの両腕、パンチパーマ?と聞きたくなるような微妙な髪型……。ある意味可愛いといえなくも無いが、ユンナの美意識からはかなり遠い。遠すぎて涙が出そうなくらい。
「……ちょっと待って。もしかして、私が前座で、あの人がメイン?」
「そうですよ」
「そりゃ、ある意味メインディッシュに近いかもしれないけれど!」
 ちょっぴり失礼発言をしたユンナに、だがしかしオーナーは何も気にしない。
「ちょっと嫉妬深いんですけどね、そこがまた可愛いというか」
「……へぇ」
 もう、それくらいしか言葉が出ない。ユンナの頭の中が、ぐるぐると煮えたぎっているようだ。
「今日のユンナさんの事でも、最初は拗ねてたんですよ。でも、ユンナさんが来て、そんな事もなくなったみたいです」
「……何ですって?」
 ぴくり、とユンナの眉間が動く。嫌な予感が足音を立ててやってくる。もの凄く嫌な足跡だ。暗い短調のメロディに合わせ、重苦しい雰囲気を纏わりつかせながら、ずしりずしりとやってくるかのように。
「ユンナさんよりも……」
「その先を言ったら、叩きのめすわ!」
 ユンナは叫び、どん、と床を踏みつけた。思わずオーナーはびくりと体を震わせ、客たちは突如起こった、だが起こって当然のユンナの講義に大喜びである。
「で、でも……」
「でもじゃないわ!この私が、貴方の奥さんよりも、ですって?」
 神秘の面持ちと、魔の如き妖かしき美貌を誇るといわれた、ユンナ。そんなユンナが、オーナーの妻よりも、と言われて黙っている事など出来ようか。……否!
「あーもう気分が害したわ!さっさと歌って帰るわよ!勿論、ギャラは二倍よ!」
「……ギャラ二倍って、何でです?」
「分からないなら、自分の胸に問い合わせてみる事ね!」
 小首を傾げるオーナーに言い放つと、ユンナはマイクを取った。
 曲が始まり、歌が始まると、客は皆うっとりと耳を澄ました。ユンナの歌声は美しく、囚われるかのようだ。何故か、悲しみと怒りを帯びてはいたが。
「……ダーリン……」
 ぼそり、とオーナーの妻がオーナーに囁く。
「これなら私、勝ったかしら?」
「もちろんとも、ハニー」
 だむっ!
 ユンナは再び床を強く強く踏みしめた。全く不愉快でならない、と主張するかのように。そして歌い終わると、ユンナは大きな溜息をつく。
「世界の広さを、思い知った気がするわ……」
 オーナーからお金を受け取り、客から絶大な声援を受け、ユンナは酒場を後にした。背を向けた酒場からは、驚きの歌声が響いてきた。
 一言で表現するなら「大変」という歌声が。
「世界は広いわね」
 ユンナは再び呟くと、大きな溜息をつくのであった。

<溜息混じりの歌を響かせ・了>