＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
『オウガストのスモーキークォーツ』
＜オープニング＞
黒山羊亭に久々に訪れた詩人の青年は、奥の席に座るとバーボンを注文した。
「あら、オウガスト。今夜は仕事じゃないの？」
エスメラルダにからかわれ、苦笑してグラスを振ってみせる。この青年は、こっそりと店のテーブルを借り、客にカードを引かせ言葉を選び、その言葉を織り込んだ夢を見せるという商売をしていたからだ。
「今夜は純粋な客。俺にだって、１、２杯飲む金くらいあるさ」
「そうじゃなくて、今夜ちょうど、夢を織って欲しいってお客様がいるのよ。さっき、あなたは来てないのかって聞かれて」
「うーん。今夜はカードも持ってないし、大きな水晶もないし」
今、身につけたアクセサリーで完全な球に近いのは、左手中指のスモーキークォーツぐらいだ。だが、自分を覚えていてくれて、リクエストしてもらえるのは嬉しかった。
「わかった。
ギャラリー無しで、言葉は２つ、カード無しで好きなのを選んでもらう。但し、この『黒山羊亭』の店の中に有るものに限る。“テーブル”とか、“酔っぱらい”とか、“剣”とか。自分の持ち物でもいい」
「ありがとう、オウガスト。さっそくお客様を呼んでくるわ」
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「こんばんは。宜しくお願いします」
礼儀正しい挨拶と共に現れた青年は、アイラス・サーリアス。武闘家であるが、眼鏡の奥の瞳はいつも穏やかな青い色を湛える。今夜は手にオレンジ・ジュースを持っている。
「おや、禁酒中ですか」
「今夜は乗物で来ているので」
それを聞いたオウガストは、自分のグラスを遠くへ押しやった。
「では今は、私もお酒は控えましょう。ええと、言葉は・・・」
「抽象的な言葉でいいなら『夢を見せる女』と『夢を見せる男』でどうでしょう？物の名でないといけないなら、『空瓶』と『樽』で」
オウガストはにが笑いして、指の背で鼻の下を擦った。
「４つ言われてしまうと、全部入れてやろうと思うのですよ。私は負けず嫌いなものでして」
そしてグラスに手を伸ばしかけ、約束を思い出してコップの水を飲んだ。
もう一つの、空だった椅子に、「私もいいですか？」と白いマントを気にしながら青年が座った。シーレ・テュペリ。明るい茶色の髪はさらさらと腰まで届く。
「エスメラルダさんが、あなたを『あの貧乏詩人』と呼んでいたので、つい、本当かどうか確かめてみたくなりました。本当に貧乏なのですね」
クスクス笑いながら、小さな布巾着をテーブルに置いた。
「あー、こ、これ、俺の財布っ！いつの間に！」
「大丈夫、貧乏な人からお金は盗みません。言葉は『花』、そして『眠りの砂』でいいですか」
シーレはザントマンだ。瞼に『眠りの砂』をかけて人を眠らせる。
「眠りの砂があれば、俺がコレを振って眠らせる必要は無いな」
貧乏貧乏と連発されて不機嫌になったオウガストは、営業用の態度がすっかり剥がれ落ちている。有り合わせの紐とスモーキークォーツの指輪で作ったペンダントを、指に引っかけてくるくる回した。
「いえ、他の人の技で眠らされるのも興味ありますよ」
肩を揺らして小さく笑う青年は、どこか掴み所が無かった。
オウガストは紐の先を長く持ち、ゆっくりと指輪を揺らして二人を眠りに誘う。先にアイラスが頭をガクリと下げ、疑い深そうに指輪を見つめていたシーレもやがて静かに瞼を閉じた。
＜ １ ＞
エスメラルダが二人のいるテーブルにメモを滑らせた。冒険依頼だ。『軍警察正式依頼』という赤いスタンプが押してあった。
「金山羊亭って居酒屋を知っているかしら？」
「ああ、最近行列ができている店ですよね。赤ワイン飲み放題の」
アイラスはメモを手に取る。
「ふうん。そのおかげで、ここはいつ来てものんびり飲めるのですか」
シーレの口調に悪気は無いが、エスメラルダの棘のある目に気付いたアイラスは咳払いをした。
「いくら何でもワインをタダで提供できるのは怪しいですね。オープン記念では無く、もう半年以上も続けているわけだし」
結構詳しいアイラスだ。『情報収拾です』と言いながら並んだクチだろうか。
「密造酒の疑いがあるということですね？」
シーレも察しはいい。
「正式なルートで仕入れた酒なのか、それとも密造酒なのか、証拠を持って帰って欲しいそうよ」
「僕、変装して行っていいですか〜」と、アイラスは楽しそうにエスメラルダに尋ねる。彼は最近変装に凝っている。
「酒場でまたナンパするんですか？」とシーレ。
「しませんよっ。潜入捜査だからですよ。だいたい、『また』って。僕はナンパなんか・・・」
エスメラルダが「はいはい」と手を打ち、「とっとと仕事にかかって」と出口を顎で差した。
さっそく、店を調べる為に、客として訪れることにした。金山羊亭は、黒山羊と同じベルファ通りにある。つまり、あまり健全な場所では無い。
「にいさん達、うちの店にゃいいコがいますぜ」
「坊や、あたいと遊んでかない？」
暗い路地に人通りは少なく、客引きや娼婦が物陰に佇み、人が通るとすかさず声をかけてくる。
アイラスは顔を覚えられ、客にならないのを向こうも知って、普段は無視される。だが今日は眼鏡を外し、髪を真っ直ぐにほどいていた。服も、普段は着ない赤い細身のジャケットに皮パンツという出立ちだ。いつもの眼鏡君だとはわからないのだろう。
「私は＜夢を見せる男＞。一晩遊びませんか？」
裾の擦り切れたローブ、石が所々取れたアクセサリー。どこかで見たような男だと思ったら。
「オウガストさん！男娼なんてやっているのですか！」
「貧乏だとは思っていましたが・・・」
「オウガスト？私の名はセプテンバーといいますが。で、客になるんですか、やめるんですか」
アイラスは口を尖らせて「なんで僕らに声をかけるんですか〜」と不満を述べる。
「あれ。違ったんですか。では、あちらには＜夢を見せる女＞もいますよ」
二人とも優しい女性的な外見なせいか、『“そっち”に見える』とからかわれることはある。だが、男相手の男娼に声をかけられるほどとは思っていなかった。アイラスは眉間に皺を寄せながら「急ぎますんで」と立ち去った。シーレは面白い事件に遭ったように笑っている。
金山羊亭は、二つ先の路地を入ったところにあった。入り切れない客で、扉から数メートルも列が伸びている。赤や黄のペンキを駆使した看板や、安っぽい丸太作りの店構えは、この通りでは浮いた感じだ。入口にいる係員が「一時間の入れ替え制ですー。ご協力でお願いしますー」とがなりたてていた。
外で３０分程待たされ、二人はやっと店内に入った。テーブルは座りが悪く、シーレが肘をつくとガタガタと鳴った。椅子も硬い。が、ワインがタダなら尻の痛さも気にならないのだろう。店構えや備品を安価に抑え、その分商品を安くしているのかもしれない。
赤い作務衣の制服を纏う給仕達は、酒や料理を運ぶのに走り回っていたが、やっと一人が気付いてオーダーを取りに来た。
メニューを開くと、葡萄酒以外の酒は特に安くも無く、料理はかえって他の店より高い気がした。
「ええと。これとこれとこれと・・・」
シーレは、特に高価な料理を選び、二人では食べ切れないと思えるほどオーダーした。
『シーレさん！』
テーブルの下、アイラスが彼の膝を軽く叩いてたしなめたが。
『いいじゃないですか。食事代は軍に請求できるのですから、高いものをたくさん食べましょうよ』
シーレはアイラスに耳打ちして、片目をつむってみせた。
酒は、もちろん赤ワインを頼む。ジュースなどで薄める不正行為も考えられたので、飲んで味を確かめなくてはいけない。
ボトルからブラッディレッドを注いだグラスをカチリと合わせ、「さて」と、この先の段取りを確認しあう。口に含んだワインは普通の味で、薄めている様子も無かった。ワインの口当たりは良く、小さなワインボトルはすぐに＜空瓶＞となった。
「考えてみると、結構危険な仕事ですね。これで済ませませんか？」と、シーレはテーブルに飾ってあった花瓶の＜花＞を抜き取る。黄色いガーベラだった。シーレは、花びらを一枚ずつ摘まみながら、「密造酒だった。密造酒じゃなかった。密造酒だった・・・」と呟く。
アイラスは唇を歪めると、花を取り上げた。
「花占いで真偽を決めないでください。それに花が気の毒です」
「花には優しいのですね。私には優しくないくせに」
シーレは上目使いでアイラスを見つめ、鼻にかかった声を出す。
横を通った店員は、今のセリフを聞いてぎょっと立ち止まり、皿を持ったまま二人をまじまじと見た。そして、「なるほど」と呟くとまた動き出した。
「シーレさん、誤解されるようなことはやめて下さいっ」
アイラスが声を荒らげる。そして、「気が進まないなら、僕が行きますよ」と、立ち上がりかけた。シーレは含み笑いで腕を取り、「いえ、愚痴ってみただけです」と肩の白いマントを直した。
「では、お互いの健闘を祈って」
シーレからグラスを傾けアイラスのグラスに合わせた。そして彼は一気に飲み干すと、ゆっくりと立ち上がった。
＜ ２ ＞
「どうしましたか？」
赤い作務衣の青年が、厨房前の廊下に蹲まるシーレに声をかけた。
「気分が悪くてお手洗いに立ったのですが、混んでいて一度席に戻ろうと思って。でも迷ってしまいました。外の空気が吸いたいのですが、出口はどこですか？」
「ここからだと廊下の非常口が近いですね。ご案内します」
善良な相手だろうが親切な人だろうが、シーレは騙す時に良心の呵責を感じない。騙すのが悪いことだという感覚は無かった。後ろめたさは偽善者の感情だと漠然と感じていた。
人の世は砂上の楼閣。虚も真実もそう意味は無い。
非常口の扉まで案内してもらい、辺りに誰もいないのを確認する。「ありがとうございます」とにこやかに礼を述べると同時に、青年の目に＜眠りの砂＞を投げつけた。「何を・・・」と穏やかに反問する青年は、まだされたことに気付いていない。シーレは彼の膝が折れると、体を支え、ゆっくりと裏庭の芝に横たわらせた。
素早く赤い作務衣を剥がし、シーレがそれを身に付ける。下着姿の青年が寒そうだったので、マントを巻いてやった。周りを見回すと、物置のような建物があった。死体のように眠る青年をその陰に押しやり、隠した。
すっかり金山羊亭の店員に成り済ましたシーレは、堂々と厨房へ入り込んだ。ワインのオーダーを受けた振りをして、酒の＜樽＞に近づく。問題の葡萄酒は、３つも並んだ大樽の蛇口から捻り出される。樽には特にラベルなども貼って無い。樽で仕入れているならメーカーのラベルや出荷刻印があるはずだが。焦げ茶にくすんだ木からも、年季の入ったものとわかる。洗って使用しているとしたら、もっと大きな樽からここへ入れ替えているのか？
「２番、空になりました〜」
給仕の一人が申告し、樽を外した。後ろに置いてあった満タンの樽と交換する。空の樽は台車に乗せられ、店員はそのまま裏口から出て行く。しばらくすると、新しい樽を乗せて戻り、『２番』と呼ばれた樽置き場の後ろへ置いた。シーレは、扉が開いた時の裏口の様子を見逃さなかった。石が敷かれた廊下、その先に地下へ降りるスロープがあった。
「料理長！お客様がお怒りになられて。料理に髪の毛が入っていたというのです」
厨房に走り込んだ店員が早口で告げた。
「今、給仕長が謝っていますが、料理長に会わせろと・・・。
あ、お客様！厨房へは入らないでください！」
「ここの厨房は、いってぇどうなってンだよ。料理に髪混ぜて煮込んでやがんのかい？」
店員を押し退けて厨房へ入って来たのは、水色の髪をなびかせた赤い服の青年だった。青年は皮パンツの足を曲げ、竈の側面をブーツの底で蹴飛ばした。派手な音がして、厨房の全員が息を殺して青年の方を振り返る。
シーレも、さっきまでこの服装の彼と居なければ、アイラスだとわからなかったかもしれない。
「お客様、落ち着いて下さい！」
「お客様、お席に戻って下さい！」
コックも給仕達も慌ててアイラスの周りに集まり、もし乱暴を働こうとしたら取り押さえようと意識を集中している。誰も、裏口に消える一人の店員の姿には気付かなかった。
スロープの先、地下室の鉄の扉を引くと、中から鍵がかかっていた。シーレは手が痛くなるほどドンドンと叩いた。
奥から声が聞こえた。
「誰だ？叩き方の約束が違う。いつもの店員じゃないな？」
入るのに合図まで決めているなど、どう考えてもただの酒蔵では無い。
「大変です！ワインに虫が入っていたと、上でお客様が怒って暴れて。厨房で大乱闘になっています！」
「なに〜？」
驚きの声は一人のものだ。口の利けない者がいる可能性もあるが、一人だからこそ厳重にしている可能性が大きい。
丁度その時、上の階で続けて食器が割れる音がした。金物同士がぶつかり合う音も混じる。
慌てて鍵が開けられる音が響き、鉄の扉が開いた。紺の作務衣を着た中年男が顔を出し、「虫は、どの程度の大きさの」と尋ねた瞬間には、シーレはもう目に砂を撒き掛けていた。室内には、後に続く者はいなかった。
扉に挿まれるように倒れた男を「よいしょ」と跨いで中に入る。
狭い部屋にはランプが３つほどぶら下がり、四隅まで見渡すことができた。ひやりとした空気にアルコールの匂いが混じる。石の壁は、シーレの呼吸にまでエコーをかける。
だが、シーレが想像していた大釜で葡萄を掻き回すような密造酒工場でも無く、樽の並ぶ酒蔵でさえもなかった。
部屋の真ん中には、大きな石ガメが置いてあるだけだ。
尖ったもので引っ掻いて描いたような宗教絵が、カメの周りを質素に飾っている。ローブ姿の髭の男が指で彼方を差し、周りの者達もそちらを見上げているという絵だ。シーレは、この石ガメを、エルザードに来る前に見たことがあった。他の国の国立美術館でだ。
カナの婚礼の石ガメ。
どこかの世界の神様が、ガリラヤのカナという土地で行われた結婚式で、石ガメの水を葡萄酒に変えたという。本当にその時のカメかどうかは知らないが、これは、注いだ水が葡萄酒に変わる魔法のカメと伝承され、国宝に指定されていた。
「ええと、あの時は女王の首飾りを盗みに入って・・・」
それまで、持ち去るのに楽な小さい物ばかり盗んでいたシーレは、「チャレンジしてみましょう」と、ついでに盗んで。すぐに闇市で売って。
シーレは額に手を当て、笑いで肩を震わせた。まさかこんなところで再会するとは。
客が暴れたとの通報を受けた警察兵が店を訪れたところへ、シーレが石ガメの件を報告した。店長は、盗品とも他国の国宝とも知らなかったので罪は問われなかったが、石ガメはその国へ返却されることになった。
黒山羊亭に報告に来たアイラスとシーレは、カウンターに座ると二人とも赤ワインを注文した。
「ここの方が、ゆったり飲めて落ち着けます」
アイラスがグラスを掲げると、シーレもカチリと受けた。
「でも、ここが空いてるのは、金山羊亭のせいでは無かったみたいですね」
「そんなこと言うヤツには、酒は出さないわよ」
エスメラルダが、シーレの指からグラスを奪い取り、ぐいと飲み干す。
「あ、私のワイン！・・・ドロボー！」
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「うわあ、ここで終わりですか」と、シーレは目覚めるなり苦情を言った。
「あれでは、ワインが飲みたくなるじゃないですか」
シーレは夢で握っていたように、ワイングラスを握る手つきをし、ふうとため息ついた。
「本当にそうですよ。・・・僕も飲みます。ドラゴンは手で引いて帰ればいいし」
アイラスも断固として言い、二人は声を合わせて「赤ワインくださ〜い」とオーダーした。
オウガストは笑って気兼ねなくバーボンに手を伸ばした。
＜ ＥＮＤ ＞
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
1649／アイラス・サーリアス／男性／19／フィズィクル・アディプト＆腹黒同盟の２番
2595／シーレ・テュペリ／男性／28／盗賊
ＮＰＣ
オウガスト
エスメラルダ
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■ ライター通信 ■
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発注ありがとうございました。
＜２＞からお二人の行動が分岐しています。
アイラスさんもなかなか大変だったようなので、よろしかったらご覧になってくださいませ。
ところで、私も欲しいです、あの石ガメ。
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