<東京怪談ノベル(シングル)>


レシピ

 照りつける太陽が、人々の影を色濃く石畳に焼き付ける季節。
 連日の暑さを挨拶代わりにし、ゼノビアでも人々が最も活気付く季節だ。
 しかし今、ヴァンサーソサエティ本部から見下ろす街にかつての賑わいはない。
 ロストソイル以来、ウォズが発生する度に街は破壊され、また復興するのを繰り返す。
 疲弊した市民が少しでもウォズからのがれようと他の都市へと逃れていくが、結局そこでもウォズが発生すれば同じ事だった。
 人々は長い流転の生活を強いられ続けていた。


 石造りの回廊を抜けて、オーマ・シュヴァルツはヴァンサーたちが集うサロンへと歩いていた。
 歩みを進める度に、吹き抜けの窓から入る砂がざらりと音を立てる床。
 オーマは顔をしかめる。
 ここも汚れちまってんな。
 こういう所に目がいかねぇのは、ソサエティもお疲れって事か。
 近いうちに大掃除を提案しようと考えつつ、オーマはサロンのドアを開けた。

「んだよ、お前しかいねーのか?」
 ち、と舌打ちしたオーマの目の前には、酒瓶をはべらせソファに身体を沈めた男がいた。
 大柄なその体躯は芯を失ったように伸び切っている。
 サロンといっても単なるヴァンサーたちの溜まり場なのだが、ここに来れば必ず誰かがいるのでオーマもよく顔を出していた。
「……ここを酒場か何かと勘違いしてないか、オーマ。
可愛い娘でもいると思ったか?」
 酒瓶の本数に対して、意外にしっかりした声が返ってくる。
「酒飲んでる奴がへたってるには違いねーだろ」
 オーマに酒瓶を取り上げられ、男の手が宙を泳ぐ。
 四人がけの大き目のソファの端に腰掛けたオーマを、寝そべっている男が半目でにらんだ。
「飲みすぎだぜ。アルコールが染みて、火ぃ付けたらよく燃えそうだ」
 生地の毛羽立ったソファの端を指でなぞりながら、やんわりとオーマは男をさとした。
 この男もオーマと同じく、ウォズに対抗できる具現能力を持っている。
 いわゆる『大多数』の人々は己と異なるものを受け入れない。
 ある者はその能力を羨望し、ある者は忌み嫌う。
 ヴァンサーたちはウォズと戦うと同時に、人々の様々な視線とも向き合わなければならないのだ。
「……落ちて行くような気が、するんだ……」
「あぁ?」
 聞き取れなかった言葉に、オーマが顔を近付ける。
「魂とかいう奴がさ……」
 削られて、落ちてく気がするんだよ、と声は続く。
「この手で銃を手にして……ウォズを封印する度に」
 具現化にはなんらかの代償が必要になる。
 この男が魂と言ったものも、おぼろげにオーマにはわかるような気がした。
 具現能力を使う時の感覚は、オーマもいまだに慣れない。
 一瞬だが全身が冷え切り、意識は身体の再奥を目指す。
 思い浮かべるのは黒く光る巨大な銃器そのものの形ではなく、それを預かった友の面影だ。
 何かを差し出しても具現能力を使うのは、そこに守りたいものが存在しているからだ。
 それは目の前の男も同じなのだろう。
 だからこそ時には酒に逃げたくなるのだ。
「悪いな。愚痴だ」
 身体を起こした男は、薄く笑って頭をかいた。
 その笑みで隠した男の感情は、微笑みが柔らかな分だけオーマの心に刺さった。
「なんかさ……最近ちゃんと笑わねーのな」
 オーマらしからぬ力ない物言いに、男は問い返した。
「誰が?」
「お前だっつの」
 徐々に酒が抜けてきている男だったが、オーマを見返す瞳はまだ焦点が定まらない。
「……そうか?」
「ったく、腑抜けやがってよ!
ちょっと待ってろ、美味いもん喰わして目ぇ覚まさしてやる」
 一方的に宣言してオーマはサロンの一角にあるキッチンに向かった。
 そこは簡単な調理くらいなら十分できるスペースと設備が整っている。
「……材料がねえっ!」
 振り返って叫ぶオーマに男は呆れた視線を返した。
「あるかよ。
ぎっしり食い物集めたお前んちの貯蔵庫じゃないんだぞ?」
 病は気から、笑顔は美味いメシからをモットーに掲げたオーマは、普段から食材にこだわりを持っている。
 単純にオーマが食道楽なせいもあるが。
「すぐに仕入れてくるからな! いや、家から持って来る!
いいか、ここから出んなよ!?」
「正直、胃が受け付けないと思うんだが……」
 男の言葉の最後まで聞かず、オーマはサロンから飛び出していた。


 廊下を駆ける騒がしい足音が聞こえてきたと思うと、勢いよくサロンのドアが開いた。
「随分早いな」
 男が予想した半分の時間でオーマは戻ってきた。
 オーマは籠一杯に入れた食材をその手に抱え、満面の笑みでキッチンに直行する。
「走ったからな。とりあえず出来るまでこれ食っとけ」
 オーマが放った物を男が受け止める。
 拳ほどの大きさのそれは、黄色い皮が鮮やかな果物だ。
 この辺りでは一年中取れるが、やはり陽射しの強い季節の物が一番美味い。
 厚めの皮をむいて取り出した実が、爽やかな柑橘の香りを漂わす。
「それ、美味いだろ?」
「まだ食ってないぞ」
 まな板に向かったまま聞いてくるオーマに男は苦笑する。
 強引でいて嫌味のないオーマの好意に感謝しながら口に運んだ果物は、酸味と甘みが程よく美味かった。
オーマは持参したエプロンを身に付け、鼻歌を歌いながら野菜を刻んでいる。
 その姿がさまになっているのが、オーマらしいといえばオーマらしい。
 リズミカルに奏でられる包丁の音に、男は眠りを誘われて横になった。


「出来たぞ! さっさと起きやがれっ」
 眠っている間、いつの間にか掛けられた薄い夏用の上掛けはオーマの気遣いだろうか。
 そうぼんやり思いながら身体を起こす男の目の前には、テーブル一杯に皿が並べられている。
「これは……食い切れないだろう」
「お前一人で食わせるかよ」
 ローストしたかたまり肉と根菜の付け合せ、軽く焼き目を付けて香辛料をふったパン、野菜でとろみを加えたスープ、ざっくりと切り分けた果物の盛り合わせがテーブルに置かれ、更にまだキッチンではスパイシーな香りを放つ鍋が掛けられている。
「二人で食うんだよ。飯を喰う時ゃ一人より二人ってね」
 言いながら肉にかじりつくオーマにつられ、食欲のない男もスープに手に取った。
 細かく刻まれた野菜と雑穀が、するりと喉を滑り落ちていく。
「あ、美味い」
 胃の位置に温かさを感じて、思わず男は呟いてしまった。
「だろー?」
 自信ありげに笑ったオーマが、少し改まった表情を作る。
「……やっとちゃんと笑ったな、お前。
誰かに喰わしてやりたいって思いながら作ったメシは絶対美味いし、美味いモン喰えば人ってつい笑っちまうよな」
 そこで改めて、男はこの目の前の料理がオーマの励ましだった事に気付かされた。
「俺、そんなに沈んでたか?」
「おう、もうどん底!」
 きっぱりと言い切られても、相手がオーマなら悪い気はしない。
 男の酔いはすっかり醒めていた。
「お前、良い主夫になるよ」
 料理の出来栄えに、男は素直に感想を漏らす。
 先ほど男から取り上げた酒をグラス一杯注いで、オーマはそれを高く掲げた。
「おうっ!そのつもりだぜ!
それにな。レシピって言葉は、処方箋って意味もあるんだぜ?
結構効いたろ、俺の料理も」
 ああ、効いたよ、と男は笑顔で返して肉の皿に手を伸ばした。

(終)