<東京怪談ノベル(シングル)>


思い出小箱

 ――ぶぅんぶぅん。
 ――ぶぅんぶぅん。
 …羽音のような音が、室内に静かに広がって行く。
 窓から差し込む光の帯に浮かぶ、空気に舞う細かな埃。
 それら全てが、大切な宝物。

「終わった〜」
「お疲れ様。一休みしましょうか」
「うふふ、そう言うだろうと思って用意して来たの〜」
 ガルガンドの館――いつの頃からか分からない古い書物から、最近の出来事までほぼ全ての情報を網羅していると言われる巨大な書庫を持つこの館の主、ディアナが、館の一室を借りて作業を行いたいと言って来たエルダーシャに部屋を提供し、その「作業」を眺めていた。
 とても楽しそうに微笑んでいるエルダーシャの手には、ぱっと見、ごく普通の宝石としか見えないものがある。それを大事そうにテーブルの上に置くと、よいしょ、と床に置いていた籠を持ち上げて、今朝焼いたばかりのマドレーヌとジャム、それに店で使っているティーセット一式を取り出す。
「お湯は沸いてるかしら〜?」
「そうね、少し待って貰えれば…」
「そうなの〜?それじゃあ、今沸かしちゃいましょう〜」
 のんびりとした言葉とは裏腹に、流れるような動作でエルダーシャがやかんに水を注ぎいれ、「え〜い」と言う言葉と同時に持ち手ぎゅーっと握り締めた。
 ――途端、水だったはずのやかんからしゅんしゅんと言う音と共に勢い良く湯気が吹き出して来る。
「…便利ね、それ」
 でしょう〜?とのんびりした声のエルダーシャが、ディアナの言葉にそう答えてにっこりと笑った。

*****

「これはね〜、思い出を保存したり、再生したりする道具なの〜」
 お茶を楽しみながら、一体何をしていたのか訊ねたディアナに、籠とは別に持ち込んで来た小箱の上にそっと手を置く。
「今日は最近の出来事を記憶してもらったの〜。私って長生きしてるから、物忘れも激しいのよね〜」
 だからこの箱を作ったのだと、箱の表面を撫でながら言う彼女に、
「それじゃあ、ずっと昔の事もここに入っているの?」
 柔らかな食感を楽しみつつ、ディアナが興味深そうに箱を眺め、エルダーシャがふるふると首を振った。
「さっき見せた宝石があったでしょ〜?あの中にね〜…ええっと…」
 そう言いながら様々な色の宝石の入った皮袋を取り出して見せた。
「この石ひとつひとつに、その時の大切な思い出が入っているのよ〜」
 見た感じ、どれも宝飾店で売られている石と違いがあるようには見えないのだが、エルダーシャの言葉を信じるのなら、その一粒一粒に、彼女自身の思い出が刻み込まれている筈だった。
「そうね〜…ひとつ、ず〜〜〜っと昔を見てみる〜?」
「ええ、是非。興味があるわ」
 膨大な量の蔵書を管理しているディアナでも、エルダーシャが言うような品は聞いた事が無く、それだけに好奇心が疼いたらしい。
 ちょっと待ってね〜…と言いつつ、周囲をぐるっと見渡してから、エルダーシャは小箱に手を置いて目を閉じた。
 今までは自分ひとりで楽しんで来たものだったが、その情景を他の者と一緒に観る事が出来るのか、自分の中で何度か確かめてから顔を上げた。
「4人くらいまでなら、一緒に観る事が出来るみたい〜。それじゃあ…始めるわよ〜」
 ディアナを自分の隣に座らせ、持って来た宝石の中から過去のものを拾い上げると小箱にセットし、もう一度周囲に目を走らせてから『力』を注ぎ込んだ。

*****

 穏やかに注ぐ日の光をいっぱいに浴びて、溢れんばかりの緑が目に飛び込んで来る。
 一瞬、草原の中に立っていたのかとディアナは思ったのだが、良く見ると広々とした土地の中にぽつんぽつんと小屋のようなものが建っており、畑らしきものも見つけて人が住んでいる場所なのだと納得する。
「ここがね〜、私が住んでいた場所〜」
 ついさっきまでテーブルに付いていた2人は、その場に立って辺りを見回していた。エルダーシャは目を細めて楽しそうに、ディアナは初めて見る光景に不思議そうに。
 そのまま、エルダーシャに導かれて歩いて行くと、一軒のこぢんまりとした家に辿り付いた。
 …中から、ぶんぶんと虫の羽音のような音が聞こえて来る。
「………」
 『思い出』を、何らかの形で映像化するものだとばかり思っていたディアナが、ちょいちょいと手招きするエルダーシャにはっと気が付いて足早に向かう。
「…何をしているか、わかる〜?」
 昼間だと言うのに薄暗い室内は、灯りが無い故だろうか。その中で木の床に片膝を立てて座り、長い年月を経たものだとひと目で分かる回し車を一心に操る女性の姿が見える。
 それは、ガラスも格子も無い、ただ切り抜いただけのように見える窓から中を熱心に覗いている彼女と同じ顔をした――ありし日のエルダーシャ。今よりも幾分幼く見える。
 片手で木製のハンドルをぐるぐる回しながら、もう片方の手で白い糸を操っている。
「懐かしいわね〜…むかーしはね、ああやって仕事をしていたものよ〜」
 エルダーシャが言うには、彼女の故郷…この村は、綿花の栽培と織物を作る事で成り立っていた、ごく小さな村だったのだと言う。
 小さいとは言え、エルザードの一角分は優にある土地ではあるが、実際住んでいる人間は数えるほどしかいなかったらしい。
 エルダーシャの家も綿花は作っていたし、彼女自身こうして出来上がった綿花から糸を紡ぐ事は当たり前のように行っていた。
 何より、この作業を続けて行くと頭の中が次第に空っぽになり、神経が研ぎ澄まされていく…その感覚が好きだったのだと言う。
「この時はね〜…ずぅっと悩んでいたの〜」
 ぶぅん、ぶぅん、と規則正しく回る車を動かすエルダーシャの目は、ひたりと一点に向けられている。目に見えない何かを見据えるように、瞬きもせず。
 ――ずっと悩んでいた事があった。
 日増しに強くなっていると実感していたものの、その先にあるであろう『何か』に到達する事がどうしても出来ずにいて。
 当時、武術と剣術を同時に教わっていたエルダーシャは、武道に関してはめきめきと実力を付けていったものの、もう1つの剣術は一向にその身に付いて来なかった。
 剣を手足のように操る事は、出来ないのだろうか…いっそ、武術1本に絞った方が良いのではないだろうか、その頃のエルダーシャの頭の中には、その事が常に渦巻いていた。
 そんな時には、いつも糸を紡ぐ作業に没頭した。
 きらきらした白い糸。別の土地で作っているような綿と違い、伸びはあまり良くないけれど、その分丈夫さは折り紙付き。そして、良くこなれた布になった時の肌触りはどこの織物にも負けないと自負していた、自分たちの作った綿。
 心を込めて、良い布になるよう、良い糸になるよう熱心に糸車を回す。
 ――心が澄み渡るまで。

「!?」
 ディアナが不意に目に怯えの色を浮かべる。それは、今まで何の問題も無くそこにあった風景が、砂のようにさらさらと崩れ落ち始めたからで。
「…大丈夫よ〜」
 同じく消えて行った自分の家や周囲を見ても、エルダーシャは動じる事が無い。
「次に行く場所はね〜こっちよ〜」
 2人を導くように、そこだけ残った道を先に立って歩いていくエルダーシャ。

 その2人の前に。
 きりっと表情を引き締めて、目的地へ向かってすたすたと歩いていく『彼女』の姿があった。
「そうね〜…この時にようやく、剣の道とさよならしたのよね〜」
 感慨深げに呟くエルダーシャたちの目の前で、剣を捨て、武道に専念すると宣言した彼女が、何かふっきれたような表情で師の教えを仰いでいた。
「…綺麗ね」
「そお〜?」
 武術は舞いに通じると言う。
 その所作の美しさは、無駄のない動きと滑らかな線を描く肢体によって作られる。
 早回しのように、日々熱心に稽古を繰り返すエルダーシャの動きは、ディアナの目から見てとても優雅に映っていた。
 そして…2人を取り巻く世界が、次第に白々と色を抜いて消え去って行く。
 それは、まるで夜明けのような美しさだった。
 ――その白さが目からようやく取れ、気付くと2人は既に最初の場所…ガルガンドの館、テーブルに付いたそのままの姿勢で戻って来ていた。
 見れば、先程エルダーシャが淹れたお茶のぬくもりはまだ残っている。
 してみると、そう時間は経っていなかったようだった。
「どうだった〜?」
「とても不思議な体験をさせてもらったわ。…古代の機械で、映像を映し出すものは何かの話で聞いた事があるの。でも、まさかその中に入って動き回れるなんて」
「だって、忘れたくないんだもの〜。その時の風景や、音や、匂いも〜」
 にっこりと、そう言って彼女がふわりと笑った。――あの風景に、溶け込みそうな柔らかな笑顔で。

*****

「それでね〜」
 残りのお茶とお茶菓子で、もう一度ティータイムのやり直しをしながら、あの思い出の後に何があったかを話し出す彼女。
 その後…武道1本に絞ったエルダーシャは、彼女曰くめきめきと実力をつけて行った。努力していたが実らなかった剣の道を絶ち、専念したお陰でもあったのだろう。
 そして――今の彼女に至る原因となった神と出会い、彼女のもう1つの力である『魔法』を授かる事になったのだったが、その辺りの詳しい話にエルダーシャが触れる事は無かった。
「さ〜あ、今から戻って働かなきゃ〜。良いお天気だしね〜」
 あらかた食べ終えて、籠の中に持って来た道具をひとつひとつ片付けたエルダーシャが、小箱を大事そうに抱えて立ち上がる。
「今日は面白い経験をありがとう。また、いつでも遊びに来て。歓迎するわ」
「ええ〜、喜んで〜。今日の事も、いつかまた思い出に保存すると思うわ〜」
 ほんわかした笑みを余韻に残し、紅茶屋の店主である彼女が去っていく。
 その背中を見送ったディアナがテーブルに戻った時、一瞬、どこからか糸車を回す音が聴こえたような気がしたが、それもすぐ消え、いつもの古めかしい匂いと静寂に包まれて行った。


-END-