<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


前兆
 ――今日も、世界は何事もなかったかのように時を刻んでいる。
 誰と誰が喧嘩しようが、結ばれようが、あるいはひとつの種が滅びようが、無関心に、そして、憎らしいくらい優しく。
 救ってくれない代わりに、世界自らが何かを拒絶する事は、まず、ない。
 だからこそ、こうして。

「――――」

「よう、おはよう。いい天気だよなぁ。なあ」
「………」
 朝から暑苦しい程の笑顔を向けて来た男にちらと視線を向ける事さえ無く、少女はすとんと椅子に腰を降ろした。目の前には、こんがりと美味しそうに焼けたパンと、血の色をした真赤なジャムがこんもりと山を作っていた。
 黙って、少女がパンに手を伸ばし、慣れた手つきで薄くバターとジャムを引き、さくさく音を立てながら齧り始める。
 その後、絶妙なタイミングで湯気の立つお茶が目の前に差し出された。
「……」
 一瞬だけ、口の動きが止まる。
 そして今日初めて、ちら、と少女が…サモン・シュヴァルツが男を――自らの父親であるオーマ・シュヴァルツを見上げた。
「ん、どうした?」
「……なんでも……」
 ぼそりとそれだけ呟くと、きっかり一枚分だけで食事を済ませ、かたりと小さな音を立てて立ち上がる。
 必要最低限の言葉さえ滅多に出そうとせずにすたすたと去って行くサモンの背中を見ながら、オーマはやれやれと半ば笑いながら肩を竦めた。

*****

「この辺りだな」
「……」
 数刻後。
 2人はソーンのある場所にいた。オーマたち特殊能力者にだけ分かる空間の歪み…それは普段から世界中のいたる所にある。尤も、そのほとんどは誰かに害を成すわけではなく、ただそこにあるだけ。
 だが、ごくまれに、周囲に影響を与えてしまう歪みが存在する。
 その中でも、2人がその歪みがある事に気付いた途端、オーマの経営する病院を飛び出してまでやって来る気になった『ここ』のような場所は、一番やっかいなものだった。
 何故なら。
「…さぁて…どう料理すりゃあいいかねえ…」
 金属色に染め上がった木々と、その足元で風に吹かれた形のまま宙に縫い付けられた銀色の葉。自分の身体で確かめてみようとは思わないが、金属質の何かに変容してしまっているのは十分に理解出来る。
 そして、地面は今にも何かが生まれて来そうにやんわりと波打っていた。
「やれやれだ。そうは思わねぇか」
「……別に…」
 オーマの言葉にあっさりと答えたサモンがその辺にある小石を投げつける。
 ――とぷん。
 波打つ地面が、波紋を広げながら小石を飲み込んでいく。それだけなのに、全身の毛穴が開きそうな異質な感覚が2人を包み込んだ。それを見て、ちっ、とオーマが舌打ちする。
「まずいな。それだけでここまで反応するっつう事は、放置すりゃ広がって行きそうだ」
「…閉じればいい。それだけ…」
 そう呟いた次の瞬間、歪みを正すためにサモンが力を解放する。
 他の世界と繋がる事が多い空間の歪みは、本来あるべき位置の場所を繋いでいるわけではないため、酷く不安定な存在。
 だから、大抵の場合はその空間を掻き乱すだけの力を混ぜ込んでやれば良かった。
 そうすれば、自然に『あるべき姿』に世界そのものが戻そうとするのだから。

 だが。

「…………っ」

 ――何の力が、どう作用したのか。
 不意に2人の立っている位置にまで『歪み』がその範囲を広げた。
 それだけではない。

 突き出したのは、腕…そうとしか思えない、『何か』。

 それが、まるでサモンを抱きしめるように包み込み、表情を変えずにいたサモンがオーマへ一瞬目を向けた直後、歪みの向こうにある空間へと彼女を引きずり込む。
「お…おいッ、待てッッ」
 続く動作は、自分でも呆れたものだった。
 …普段なら、もう少し考えた行動を取っただろう。
 まして、この異質さを剥き出しにした――ヴァンサーたちにだけ感じ取れる歪みだと言うのに、オーマは自分を置いて正常な位置に戻ろうとする世界を置いて、自分も力を解放しつつ中へと飛び込んで行ったのだから。
 ――それが、無謀だと言う事はとうに分かっていた筈なのに。


 移動していた間の記憶はない。恐らくはほんの一瞬のことだっただろう。
 オーマは、見た事もない――だが、酷く懐かしさを覚える場所に立っていた。

 機能性を追及し過ぎて遊びの空間が最低限しか存在しない通路。
 視力の悪化を促す刺激を極力廃した天井と壁に取り付けられた灯り。
 そして何より、この――ソーンではありえない空気の匂い。
「…また、来ちまったのか?」
 ぼそりと呟くオーマは、その場を足早に去りながら、建物の中を次々と調べ始めた。…歪みに飛び込む前よりも寧ろ熱心に、サモンの姿を求めて。
 ここが、オーマたちが元いた世界だと確信しつつ。
 ――サモンが、同じ場所に飛ばされていない事を願いながら。
「…凄いな、こりゃあ」
 いくつめの部屋を覗いた時だろうか。オーマも良く知る汎用型アンドロイドと良く似た形の機械たちが、起動を待ちながら固定されているのを見て、思わず声を上げる。
 その数もさることながら、起動を待ってスリープ状態に設定されているそれらは全て、軍御用達の兵器を装備し、その上自らも兵器として使えるようフルチューンナップされたモノばかりだったからだ。
 その隣の部屋は研究所らしく、覗いてみれば誰1人としていないものの、ガラス張りの奥の部屋にはいくつもの檻や最新型の手術台が置かれており、その脇にある巨大なコンピュータがある種の実験を行っていた事を示唆していた。
 …以前見た、ヴァンサーたちの体の一部を使って行われていた身の毛もよだつような実験…兵器と能力者の融合と同種の『匂い』がここにはある。
 檻の中は空で、開け放たれているものもあったが、その中にいた『もの』は、おそらく動物だけではなかっただろう。
 ――舌打ちしたい気持ちを堪えつつ、急いで他の部屋も回ろうと廊下の角を曲がる。
 その時、廊下に倒れているいくつもの物体に気付いて、半ば慌ててその場所へと走って行った。…顔を覗き込むまでもなく、それは先程も見た兵器用アンドロイドのなれの果てだと分かったのだが。
「襲われてやがるな」
 駆動系を破壊され、機能停止に追い込まれたアンドロイドの姿は、顔を上げた向こう、通路上にいくつも倒れていた。そこには自分の持つ銃器を使う事も出来ず気を失っている者もおり、何らかのトラブルが起こったと言う事が分かる。ただ、それが何であるかオーマには知る術が無かったのだが。
 とりあえず倒れている男に声をかけようかと、近寄っていくその向こうからばたばたと走ってくる足音が聞こえ、顔を上げると――オーマは目を見開いた。
 そこにいたのは、各々得意武器を持ったオーマの仲間…現在はオーマの病院で居候のような事をやっている面々だったからだ。
「おい、おまえら…」
 こんな所でどうしたんだ、と言葉を続けようとしたオーマの体を、彼らが次々と通り抜けて行く。――あれだけ実感のある姿だったのだが、これは幻のようなものだったらしい。
 いや。
 ――幻は、オーマの方かもしれなかった。
 オーマの知らない建物の中で襲撃を繰り返す彼ら。
 これは、少なくともオーマの記憶の中の話では、ない。
 …もしかしたら、以前ちらりと彼らが口にしたのを聞いた、過去のとある施設の事かと思い至ったのは、彼らが姿を消してたっぷり数分は経ってからの事だった。

*****

 ――ゆっくりと目を開いていく。
 包み込まれた時に感じたのは、記憶に無い母の胎内に居た時のような、奇妙な安らぎ。
 そこから外された時も、微妙な余韻を楽しむ余裕さえあった。
「――――」
 何も無い空間。どこまでも続いているように見えて、実は何も無いのではないかと思わせる、真っ白い世界。
 いるのは、自分ただひとり。
 違和感は感じなかった。
 ――元々自分はひとりきりで生きて来たのだから。
「やあ」
 なのに。
 邪魔をする者は、いつだっている。
「………」
 ――だが。
 排除するつもりで振り返ったサモンの目は、ほんの少しだけ見開かれた。
 そこにいた男の姿に――いや、姿ではなく、雰囲気に覚えがあったからだ。

 その男は、『組織』の中でも特に異質だった。
 サモンの剣の師である彼は、組織の中に与していながら、組織の者を嫌い抜いていた。もちろん、組織の者からも嫌われていた。
 それでも彼が組織の中にい続けたのは、互いに離れられない理由があったのだろう。
 具現能力者は、オーマのような正式なヴァンサーが一番多かったが、『彼』のようにヴァンサーになる事無く具現の能力を駆使していた者もいた。
 その中でも、彼は特別だったかもしれない。
 初めて彼に会った時には奇妙に思える程、彼は全身を機械で覆っていた。そしてそのパーツは、全て具現と融合し、まるで服を変えるように機械の形や機能を変化させていたのだから。
 サモンのいた世界でも、機械と具現の完全な融合は存在しない、と言うのがその世界での定説だったと言うのに。
 そして現に、サモンは彼以外にそのような具現能力を持った者の存在を知らなかった。

「どうしたのかな?驚いたような顔をして」
 声も、姿かたちもまるで違う。そして、『彼』でない事だけははっきりと分かる。
 それなのに、似ていると言う思いは消えなかった。
「……別に……」
 ぼそりとそれだけ呟いて、目の前にいる男を見詰めるサモン。
 その、ぶしつけな視線にも動じる様子は無く、むしろくすぐったそうに目を細めて口元をほころばせる男は、やはり『彼』とは似ても似つかない。
「――ふむ。なるほど…」
 そんな事を考えていたら、今度は逆にサモンが男に観察されていた。…真正面からサモンを見ているのに、まるで全方向から見られているように全身がちりちりと違和感を感じる。
「でも、まだだ。――君はまだ、成長しなければならない。心身ともに、ね」
 何がとは言わず、男がそう結論付けるとにっこりと笑いかける。
「想いの強さは、心の豊かさに比例する。…君はまだ、生まれて間もない赤ん坊のようなものだ」
 …サモンの心は、ごく最近まで求められる事はなかった。
 組織にいる限り必要な物は、命令に背く事のない従順な手下であり、考える事なしに任務を遂行する実力を持った者だったのだから。
 そしてサモンは、戦闘の師であり、そしてある意味親代わりであった『彼』から、幼い頃から刷り込まれて来ていた。
 ――自分は、必要とされない子だったのだと。
 物心付いた時には両親はおらず、しかも自分の存在は忌み嫌われる異端の中でも、存在する事も許されない者だったのだ、と。
 今は、そんな事は無いと自分の言葉で言えるようになったとは言え、あの頃ずっと教え込まれた内容は…親をつい拒否してしまう自分の心の動きまでは、今でも中々消えるものではない。
「やっぱり、そこが引っかかるだろうね」
 まるでサモンの考えを読んだように、男が呟く。
「それじゃあ、仕方ない。――少しだけ、見せてあげるよ」
 真実を、ね――。
 その意味深な呟きと共に、さあ…っと世界が色付いて行く。それは、さっきまでの真っ白とは少し違うが、やはり白。清潔さを印象付けるためだけに着ている薄青い服の看護婦が、服以上に顔を青ざめさせてぱたぱたと行き過ぎる。
「う、生まれたってのは本当か!?」
 その向こうから、どこかで聞いたような大声が響き渡ったのは、サモンがこの場所を病院と知った直後の事だった。
「……オー…マ?」
 今では時々しか見ることの無い、若々しい姿のオーマが、顔を真赤にしながら病室へ駆け込んで行くのが見えた。――生まれた、と言う言葉から想像するまでもなく、その向こうにいるのは自分の母親だろうし、その腕に抱かれているのは、生まれたばかりの自分だろう。
 ――何を考えて、あの男はこの場に自分を連れてきたのだろうか。
 そんな事をふと思ったその時、先程青い顔をして走って行った看護婦が、今度は青い顔を伝染させた医師と共にオーマが飛び込んだ病室へ入っていく。
 それから暫し。
 話に聞く産院での出来事のように、喜びの声や、産声は聞こえない。
 何が起こったのか、医師も看護婦も入ったきり戻って来ない。
「………」
 ゆっくり、ゆっくり、と、サモンが開いたままの扉の中へと足を踏み入れていく。
 固まっているように見えるオーマと、看護婦、それに医師は、保育器の中を強張った顔で眺めている。
 何を見ているのかと、サモンが覗き込む、と…一瞬何が目の前にいるのか分からず、サモンが目を何度か瞬かせ…そして、そこにあるものが何か分かって、ゆっくりと目を見開いた。

 ――それは。
 赤ん坊では、なかった。

 かろうじて分かるのは、突き出した頭と四肢。それがあると言う事だけは分かる。
 でも、それだけ。
 小刻みに呼吸をするように揺れている『それ』は、祝福と共に包まれる筈だった産着の上で、つるんとした身体を横たえている。
 なんと言って良いか分からないような顔の医師も、青ざめたままの看護婦も…それだけではない。成長した後だから分かる事だが、サモンのような多種族との異種婚によって生まれた子供は、存在する事自体がまるで罪のような扱いを受け、処分されてしまうのが常だったからだ。
 しかも、このような…人間の姿すらしきれていない形で生まれたとなれば尚更。
「……」
 だから、捨てられてしまったのだろうか。
 その当時の事を、両親は何も言わないけれど、こんな姿で生まれたのならきっと。
「―――――あーびっくりした」
 その部屋の沈黙を破ったのは、また随分とあっけらかんとしたオーマの声、だった。
 思わず、聞き耳を立ててしまう。
「赤ん坊っつうのは猿そっくりだって聞いてたんだが、随分と違うんだな」
 そう言いながら、ためらいもせずに下に敷かれていた産着ごと不器用そうな手つきで抱き上げる。その目は、いつもサモンを見る目と同じ、暖かく柔らかな瞳。
「おう。柔らけえぞ。…なんか見た目といい、粘土細工みたいだな」
「……言うに事欠いて粘土かい。あたしとあんたの共同作業なのにさ」
 ベッドの上で、身動きもならず横になっているらしい人影から、声がかかる。その声は顔を見るまでも無く、良く分かっている人の声。
「わはは、すまんすまん。だが正直な感想だ。――なぁに。俺様の不器用さが伝染っちまったんだろうさ。なあ?」
 そう言いつつ、ぷにぷにと顔…らしき部分をつつくオーマが、そのうち我慢しきれなくなったのか力加減に気を付けながら抱きしめ、頬擦りを繰り返した。
「すげえぞ。こんなちっこい体のくせに生きてるんだからな」
「…当たり前だろ」
 おうよしよし、と泣きもしないそれを抱き上げて夢中で可愛がっている様子から、ついと離れて部屋の外へ出る。
 ――それは。
 ずっと昔から繰り返し聞かされて来た、自分を虐げる親の姿ではなく、エルザードに来てから何度も目にした、街に住む親子の光景そのものだった。
 …自分には、そんなもの、存在しないと思っていたのに。
 そう――そんなものは、無いものと想い続けて来たと言うのに。

 病室の外の、真っ白な世界へ再び立ち戻る。
 男はもうそこにいなかった。彼が何者なのかは分からないままだったが、それは今の彼女にとってどうでも良い事。
 それよりも、今はただ――無性に、戻りたかった。
 今の自分の居場所へ。
 赤ん坊の自分に投げかけられたオーマの笑顔、それをまだ信じられないと叫ぶもう1人の自分の叫びを、押さえつけるために――そのために、今までにないくらい、力を解放させた。
「………ッ……オーマ………ッッ」

*****

 オーマの目の前に、サモンはいた。
 仲間たちとは別行動を取っていたのか、それとも最初からひとりだったのか、襲撃によって崩壊しかかっている建物の中で、氷のような視線をどこかに向けて立ち尽くしている。
 その目は、オーマが今まで見たどんな視線よりも冷たく、そして、感情が削ぎ落とされていた。
 それが、自分と離れていた歳月を物語るようで、見ていて体中を串刺しにされたような気持ちになって行く。――だが、オーマは、目を逸らすまいと決めていた。
 それは、何よりも大切なものを失ったと思ったあの日に、ずっと思っていたこと。
 もし、再び彼女らが自分の手の中に戻るのだとしたら――今度は決して、逃げまいと。
 例え相手が、幻のようなものだとしても。

「サモン…」
 呼びかけに、ぴくりと目の前のサモンが振り返る。――オーマの方にではなく。
 だが…その振り返った場所に立っていた『彼』を見た途端、オーマの顔が引きつった。
 黒尽くめではなかったが、過去に何度か会っている『彼』にあまりにも雰囲気が良く似ていたからだ。
「残念だ。残念だよ。こんなに簡単にここを嗅ぎ付けられるとは思わなかった」
 声色を聞けば、その表情に浮かぶものを見れば、別人だろうと言う事はわかるのだが。
「せっかく良い……を手に入れられると思ったのに、なんて事だ。あのガキの仕業か――」
 男が、サモンの側に一歩近寄る。
「まあいい。また機会もあるだろう――おい」
 ぐい、と男が乱暴にサモンの肩を掴んだ。思わずぎりりとオーマが歯噛みしてしまう程の力で。だが、サモンは顔色1つ変えることなく、男を見ている。涼しげな目で。
「子供を連れての逃避行は趣味じゃないが、俺はお前を手放す気は無い。わかってるだろうが……いや。いい、忘れないように刻めば済む話だ」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、男がサモンの左肩を剥き出しにし、爪の先をナイフのように尖らせて、文字のような模様を刻んでいく。
「…これでいい」
 まだ血の滲む肩を元通りにし、外の気配に耳を傾けながら、男がサモンの目をじっと覗きこむ。
「忘れるなよ。お前には俺が必要なんだ。――そう。いつか、ひとつになるためにはな」
「………」
 男が去って行った後、サモンが左肩をぎゅっと掴む。…服を通して、血が滲むのも気にしないまま。
 ――ひとつに、なる?
「…まさか」
 男と『彼』。
 見た目も声もまるで違うと言うのに、相手に感じるものが一緒と言う事は――男もまた、VRSによって生まれたイレギュラーとは考えられないだろうか。
 となると…ひとつになる、という意味も自ずと違ってくる。
 待て、と叫んで…聞こえる訳が無いのに、叫んで、一歩踏み出した、そのとき。

 ――オーマ…!

 声が、聞こえた。
 自分の名を呼ぶ声が――求めていた者からの声が。
「サモン!?」
 声の聞こえる方向へ、自分も大声を上げながら同時に一気に力を解放させつつ、ほんのひと針分の隙間でいいからと空間内部に生じていた歪みへ全神経を集中させた。
 声が聞こえる方向に、最愛の娘がいると信じて。

*****

「………」
「………」
 サモンは、何も言わない。
 そしてオーマも。
 だが――それは、どう言う訳か心地良い沈黙だった。
 いつの間にか綺麗さっぱり元の状態に戻っていた森で、2人は立ち尽くしていた。
 まるで一歩もそこを動いていなかったと言うような、最初に立っていた場所のままで。その後、どちらが言うともなく2人でゆっくりと歩いて、エルザードへと戻っていく。
 オーマと離れている間に何があったのか、サモンの表情も雰囲気も、常にないくらい柔らかくなっていて、オーマが不思議がりながらも嬉しそうににこにこと笑って愛娘をためすがめつ見続ける。
「……なに」
「いいやぁ、何にもないけどよ。わはは、気にするな気にするな」
 わしわし。
 他の者にやるような気楽さで、サモンの頭を撫でるオーマ。直後、普段なら蹴りなり能力の発露なりで散々な目に合っていた事を思い出して、一瞬だけだが指がぴくりと動く。
「………」
 それなのに、今日は、オーマから見てもすぐ分かるくらい戸惑った様子でちらちらとオーマを見、
「……それで……お終い……?」
 まるで、スキンシップをねだる子供のように。
 でも、その言葉を何と言ったら良いか分からない、そんな雰囲気のサモンに、
「―――――いーや。終わるわけねえだろ。こうなったら家に戻るまで延々さわり続けてやるからな、覚悟しろよ」
「……別に…覚悟なんて…いらないから…」
 そう言いながら、短くて柔らかな髪を撫で回すオーマの手を払いのける事もせず、むしろ触りやすいように心持ちオーマに近寄りながら、目をほんの少し細める。
 そんな娘の変化に戸惑い、それ以上に全身で喜びながら、オーマが筋肉痛上等とばかりに何度も何度もサモンの頭をかき回した。
 ――彼女の左肩…そこには決して触れようとしなかったけれど。


-END-