<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


Sweet Picture


「パフェでしょ、アイスでしょ、パンナコッタにマドレーヌ! アイラス、本当に色んなお店知ってるよね」
 はふぅ、とお腹の辺りを撫で回しながらリースが口にした。隣でサモンが溜息にも似た息を吐く。
「……よく…食べる……」
「ちょっとー! サモンだって一杯食べてたじゃないっ。ずるい、一人だけ食べて無いって顔して」
「……マドレーヌ…二つ……アイスも…二盛り……パンナコッタも…」
「う、だ、だって美味しいんだもん!」
 大通りを歩く三人の姿に周りの人々が柔らかく眼を細めた。言い合っているような口ぶりもどこか微笑ましい。

 数日前に『食べ歩きをしよう』と言い出したのはリース。たまたまそこを通ったサモンも半ば無理やりに引っ張り込まれ、アイラスの『甘味処メモ』に誘われた、という次第である。
 昼ごはん代わりのデザート巡りが始まり、今は夕方。空の色は鮮やかな茜色に染まり僅かばかり冷えた風が三人の肌を撫でる、そんな時間。
 それでは――と、口にしたアイラスが小さく笑ったのは、美味しいマドレーヌを出すと評判のお店を出た時。
『本日最後を飾るに相応しいお店へと向かいましょうか。……僕が知る中でもとびっきりのチーズケーキを出してくれる喫茶店です』
 その言葉に二人は頷いたのだった。



「――ここ?」
 大通りから三つほど角を曲がり奥へと入った場所にその喫茶店はあった。
 小さく亀裂の入った壁や、黒ずんだ扉の感じからして随分前からあるのだろうと想像がつく。それはリースが想像していた喫茶店とは違ったのか、思わず間の抜けたように声を出してしまった彼女に、アイラスが笑顔で『そうです』と返した。
「……しかしおかしいですね。普段ならば、この時間には常連の方々がゆったりとお茶を楽しみに来ている筈ですが」
 店の外には誰もいない。知る人ぞ知る店だからこそ根強いファンもいるというその喫茶店は、時間によっては酷く混む。だというのに今日は。
「…………」
 サモンがゆるりと人差し指を扉へと向けた。[closed]の札が出ている。
「え。今日ってお店休みなの?」
「いえ、今までこんなことはなかったんですが……」
「……オーナーが……病気、とか……」
「――僕も暫く足を運んでいませんでしたし……可能性としては、確かにそういうことも考えられますね」
 僅かに眉を寄せ、はて、とサモンの言葉にアイラスが考え込んだ瞬間。
「あれぇ、久しぶりに来てくれたんだねぇ」
 背後からしゃがれた声が聞こえた。のんびりと振り向く三人の目の前に、くしゃっと顔を崩したお婆さんが一人、立っていた。
「……! 覚えていてくださったんですか」
 アイラスの声が裏路地に響く。瞬時に綻んだ彼の表情に、リースとサモンが目を合わせた。眼前の小柄なお婆さんが嬉しそうにゆったりと近づいて、そっとアイラスの手をとった。
「忘れるわけないよ、あんたはあたしのチーズケーキを本当に好きでいてくれたからねぇ。最近顔を見せてくれなくて、寂しかったんだよ」
「貴女の作るチーズケーキは本当に絶品ですから。……すみません、色々と忙しくて。僕もずっと食べたかったんですけれど」
「ねぇねぇ、アイラス?」
 二人のお互いを知った会話に、リースが目を瞬かせて割って入った。アイラスが、あぁ、と目を細める。
「すみません、お二方。この方がオーナーですよ、この喫茶店の。――ところで、今日は休店日なんですか? それともどこか、お体が悪くていらっしゃる……?」
 後半のセリフは老婆へと口にした。
「違うんだよ」
 ゆったりと首を横に振った老婆の笑顔が、ほんの少しだけ陰る。
「店は昨日で終わり。……閉めてしまったんだ」
 そう言った老婆の顔を照らす夕焼けの赤が、やたらに明るすぎるとアイラスは思った。そして多分、その場に居る誰もが。目に映すにはあまりにも――あまりにも。寂しい笑顔だったから。



 喫茶店の中に甘い香りが満ちている。
 せっかくだからと入れて貰った喫茶店は、とても閉店しているようには見えなかった。
 テーブルも、椅子も、窓も、カーテンも。そして。とびきりのチーズケーキを焼く大きな窯も。
 今ここに沢山の常連客が溢れていてもおかしくない、そんな雰囲気があって。アイラスは出してもらった紅茶に口をつけて『こちらこそ何も知らずに押しかけて』と苦笑を漏らして返す。
 ゆるいカーブを描いた背をテーブルの三人へと向けて、老婆は窯を見つめていた。
「いいんだよ。あんたが来てくれたのが本当に嬉しかったんだ。それに今日は友達も一緒に来てくれて……。
 無理やり引き止めて、チーズケーキ食べていってくれなんて。あたしの我侭につき合わせてしまって」
「そんなことない! だって本当にここのチーズケーキ食べたかったんだもん、だから私達の方が嬉しいくらい。ねぇ、サモンだってそうでしょ?」
「……良い、香り……」
 ぐ、と拳を握って熱弁したリースに軽く頷いて言葉少なに返すサモン。二人とも本気で食べたがってたんですよ、と補うように口にしたアイラスに、老婆が笑った。
「そうかい? そう言って貰えると嬉しいねぇ。……ちょっと待ってておくれ」
 嬉しそうに目尻を下げた彼女が窯からチーズケーキを取り出す。その瞬間に喫茶店に満ちていた甘い香りが一層にその濃さを増した。
「熱くて申し訳ないけど……外も暗くなってきたからね。いつまでも引き止めておけないしねぇ」
 ほんの少しだけ仰ぐようにして冷やされ切り分けられたケーキが、白い皿に飾られて三人の前へと静かに置かれた。
 縁に青い模様のある白い皿はアイラスがこの喫茶店に通い始めた頃から使われているものだ。それでも染み一つなく美しいそれは、大事に扱われていたのだと見た目だけで物語っている。
「わぁ、美味しそう! いただきまーす!」
「……いただき、ます」
「それでは僕も。いただきます」
 銀色のフォークで、柔らかいチーズケーキを三人同時に口に放った。
 出来立てのそれは熱を持っていたけれど、濃厚なチーズと控えめの甘さとが上手く口の中で調和されて柔らかい世界を広げる。まるで眼前の老婆のように、尖ったところの無い優しい味だった。
「アイラス、これ本当に美味しいよ!?」
「ですから最後を飾るに相応しいと言ったはずですよ、リースさん?」
「ふふ、美味しいかい? ……あんたのお口には合ったのかねぇ?」
 無言でチーズケーキを食べていたサモンは、老婆の言葉に小さく、けれど力強く頷いた。

 窓の外を見れば、すっかり闇が落ちている。
「……ねぇ、お婆さん。聞いてもいい?」
 ケーキを食べ終わったリースが伺うように口を開いた。
「なんだい?」
「どうしてお店、閉めちゃったの? ……だって、だってだって、こんなに美味しいチーズケーキなのにもったいないよ。もっと一杯、色んな人に食べて欲しいよ」
 リースの視線が空の皿へと落とされる。
 すでに食べ終わった二人も思わず同じように皿を見つめた。チーズケーキがどれだけ美味しかったのか、言わずとも空になった皿が知っている。こんなに美味しいケーキを二度と食べることが出来ないなんて。
「……有難うねぇ。でもね、仕方ないんだよ。私も年だし。こんなに背中も曲がってしまって……なかなか思うように身体も動かないんだ」
「でも……例えば、誰か継いだりとか」
「……息子がいるにはいるんだけどねぇ」
 老婆が苦笑を漏らした時だった。喫茶店の扉が開いて、杖をついた男が入ってくる。たどたどしい歩き方に右足が義足なのだとすぐに分かった。
「噂をすれば、だね」
 可笑しげに笑って席を立った老婆は男に近寄り笑顔で話す。最初は心配していたような男の表情が次第に笑顔に変わっていった。その笑顔は、老婆が優しく微笑んだ時のそれに酷く似ていて二人が親子なのだという証拠のように見えた。

「ちょっと片付けを頼むよ。あたしは準備してくるからね」
 老婆がその場を離れて厨房へと向かったのを見て、男が三人へと近寄る。母親が聞いていないのを確かめるように一度厨房の方に視線を向けてから、小さく頭を下げた。
「母がお世話になりまして――本当に、有難うございました。
 ……母はこの喫茶店が生き甲斐だったので、閉めてしまって心の支えがなくなるんじゃないかと心配だったんです。今日も出かけたきり帰って来ないと心配になって。
 でも、最後にケーキを食べてくださったのが話に聞いていた方とそのお友達だと聞いて……本当に、良かった」
「いえ、僕達の方がお礼させていただきたいくらいです」
 アイラスの言葉に男が優しく笑う。
「――お分かりかと思いますが……数年前に麻痺をおこしてしまって。身体の右側があまり自由に動かなくなってしまったんです。
 俺もここを継ぐつもりだったので……だから、母だけじゃないんです。この店を愛してくれた貴方とお友達が最後にケーキを食べてくれて……本当に、俺も嬉しいんです」
 なんせ数十年間ケーキはチーズケーキ一筋の母ですから、家族以外に継がせたくないって言って。頑固者で困ります。
 冗談めかして言葉を付け足した男の背後から老婆の声が聞こえた。
 なにを話してたんだい? そんなお決まりのセリフに、男は笑って返した。 ――母さんのチーズケーキについて話してたのさ。



「……ところで、さっきから気になってたんだけどねぇ」
 帰り支度をして外に出たところで老婆が口にした。
「どうしました?」
「このお嬢さんの首に下がってるものは、なんだい?」
 老婆の視線の先に、サモンが首から下げている奇妙なもの。
 ピンク色の大きな塊だ。ドの付くピンク色で微妙に小さな白い花が咲いているのが、趣味の悪い植物のようにも見える。
「……見えて、たんだ……誰も…何も言わない、から……僕にしか…見えてない…かと……」
 老婆の言葉に、心底嫌そうにサモンが胸元に視線を落とした。ピンク色が夜の闇にさえも映えて見えるような気がして眩暈でも起こしそうだ。
 どうしたらこんなに趣味の悪いものが出来上がるんだと、『青春は甘酸っぱいピンク色〜♪』と妙な歌を歌ってこのカメラを無理やり押し付けた男を思い出した。
「見えてたんだけど、突っ込んだら怒られるかなって」
「聞かずとも大体の予想は付きますので、あえて突っ込まずにいました」
 サモンの言葉にエヘと笑顔で返すリースと冷静なアイラス。サモンは溜息一つ、ボソリと口にする。
「……カメラ………」
「カメラ!? え、え、えーーーっ!? どうして早く言ってくれなかったの、一杯撮ったのに!」
「……誰も……言わない…から……別に、いいかな……って……」
 胸元のそれを手にとって見て、サモンは至極真面目に答えて見せた。
 えー、と残念がるリースを横目に、アイラスがそれならばと手を打つ。
「今、撮りませんか。息子さん、オーナーと僕達三人と一緒に。この喫茶店を背景にお願いできますか? ……記念、ですから」
 アイラスの言葉に、リースが嬉しそうに頷く。二人の様子にサモンが無言でカメラを男へと差し出した。
「いいのかい? あたしも一緒に?」
「お婆さんも一緒がいいの! ほらほら並んで並んで」
 リースが笑顔で喫茶店を背景に一番に並んだ。老婆とサモンが隣に並び、アイラスが端へ。四人が綺麗に横に並んだところで、男があの柔らかい笑みでカメラを構える。
「……あんたもきっと、笑ったら可愛いよ」
 老婆がサモンに小さく口にした。
「あたしはねぇ、あたしのケーキを食べて皆が楽しそうに笑顔をこぼしてくれる、そんな風景が大好きだったんだ。
 だからね、笑っておくれ。最後はやっぱり笑顔で終わりたいんだ。……写真を見たら、すぐに喫茶店を思い出せるようにね」
 ――それに、友達と一緒で楽しかったんだろ? 笑わなくても態度に出てるよ。
 可笑しげに最後に付け足された老婆の言葉に、サモンが表情をふいに緩めた。
「何しゃべってるの、母さん。写すよー?」
 老婆の言葉がそこで止まる。
 男が構えたカメラに向かって皆で笑う。――『みんな』で。
 パシャリと乾いた音と同時の光に瞑りそうになった目も堪えた。
 カメラが写したのはあの古ぼけた喫茶店と、優しい四人の笑顔。それから、甘いチーズケーキの、香り。
 食べ歩きの末に手にしたその写真は、貴重で大切な、確かに充実した一瞬を切り取ったようだった。




- 了 -