<東京怪談ノベル(シングル)>
『身に纏う物‥‥その思い』
ソーンの小さな店、その看板に彼は目を留めた。
「ここは‥‥そうか。あの子の‥‥」
『ステキな服ですね? きっと、着る者を守って幸せにしてくれるわ』
あの子はそう言っていた。
服を触り、飾りを真剣な目で見つめていた。
そして、作ろうとしていた。
服を、その指で‥‥。
彼女の思いを纏う、誰かの為に‥‥。
その娘とオーマ・シュヴァルツが出会ったのは偶然と言えるものだった。
彼女にとっては、幸いだったろう。
「ちょ、ちょっと! 止めてください」
「いい加減に店を売った方が、アンタの為だぜ!」
小さな店先でそんな会話が聞こえてきた時、通りすがりのオーマはふと、足を止めた。
「ち〜っと、待つんだな?」
ひょいっ! 店の外側から内側へと娘を追い詰めていた男達は、まるで首根っこを掴まれた仔猫のように宙に浮かび上がって、道に投げ落とされる。
「な、何だ? てめえ!」
怒りを帯びた声が、眼差しがオーマを睨むが、それ以上の言葉は出てこない。
どう見ても真っ当ではない男達であるが、男達の闇の中に住む者の本能が告げていた。
(「こ、こいつは‥‥ヤバイ奴だ」)
(「敵に回してはいけない‥‥」)
「きょ、今日のところはカンベンしておいてやる!」
「借金は、まだあるんだからな! 忘れるな!」
明らかに負け犬の遠吠えである、そんなものを気にしてやる義理はオーマには無い。
3秒後には忘れて、振り返る。怯えているかもしれない娘に向かって。
「よう、大丈夫‥‥か? って、おい、何してるんだ? アンタ?」
オーマの言葉が聞こえているのかいないのか、娘はオーマの服、コートの端をしっかと摘まんでしげしげと見つめていた。
裏を返し、表を撫で、やがてその視線は服の裾から、首元。胸元まで。
「こんな‥‥凄い布地に、服。見たことないわ。派手だけど、人物に凄く合っていて、強い‥‥あっ! ゴメンなさい!」
その時、娘は始めて気がついたようだ。自分が初対面の男性の胸元に手を伸ばしている事を。
パッと、手を引き俯き、顔を赤らめる。
オーマは服の胸元を整えながら、良いんだよ? そう言って笑うことにした。
彼の言葉に娘も、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑ったのだった。
「‥‥あの、お願いがあるんですけど‥」
それから、オーマはその娘の店に通った。
彼女は仕立て屋を営んでいたのだ。大きな店ではない。だが、丁寧な仕事は人々に愛されていると通ううちに段々解ってきた。
「でもよ。いきなり驚いたなあ。このヴァ‥‥いや、服をもっと良く見せてくれ、なんていわれるなんてよお」
出されたお茶を片手で啜りながら笑うオーマに、すみません、と娘は頭を下げた。
「だって、もっと良く見たかったんです。ステキな服ですね? きっと、着る者を守って、幸せにしてくれるわ」
服に触れ、素材を見る。そしてオーマとの全体のバランスを見て、装飾品を見て、そして‥‥幸せそうに笑うのだ。
「そうかい? そんなことを言って貰えたら、作った相手も喜ぶだろうよ。俺の、姉貴だからよ」
「お姉さま? だから、そんなに合う服が作れたんですね。私も、そんな風に人に合う服を、作りたいです。素敵な服は、人を幸せにしてくれるから‥‥」
言いながら布を裁ち、針を運ぶ。楽しそうに。
そんな娘を見ながらオーマは、黙ってお茶を啜っていた。
言おうか、言うまいか、思っていたことがある。
「この服は、決して人の能力、人の手で作られるもんじゃ、ねえんだよなあ‥‥」
今日も言えなかったことを、帰り道、オーマは口の中で呟いた。
オーマと服との関係を、一言で表現するのは難しすぎる程に難しい。
あえて言うならば、この服はヴァンサー専用戦闘服【ヴァレル】 具現化という特殊能力によって紡がれる現実にはありえないものなのだ。
だから、この服を再現することは誰にも出来ない。ヴァンサーの中ですら特別の力を持つ者、このヴァレルの場合には姉にしか生み出すことができないのだから。
「う〜ん、だけどあんなに楽しそうなのをバッサリと無にしちまうのもなあ‥‥」
だから、今日も言えなかったオーマは、店の周りをうろつく『ゴミ』の始末をした後、黙って住処へと戻っていった。
「お待ちしておりました」
彼女が一人の人物を店に迎えたのはそれから数日後の事だった。
この間逃げていったチンピラと、店の周りをうろついていた『ゴミ』を従えて男はやってきた。
「約束の、服は出来たのか? 今までに俺が見たことの無いような服、それができたら借金を待ってやると、言った。その約束の期限は今日だぞ!」
「はい‥‥。少し、お待ち下さい」
客の気配を察して奥に入ってきたオーマは、少し心配になって声をかけた。
「おい! 大丈夫なのか? この服を参考にしていたみたいだが‥‥この服は‥‥」
「大丈夫です。待っていて下さいね」
強い笑顔にオーマはそれ以上の言葉を失って、黙って様子を見守ることにした。
男の前に差し出された服。部下の手を借りてその服を身に纏った男は、ほおっ、と声を上げた。
「これは‥‥面白い!」
オーマは目を見開いた。その服は確かにオーマの服を参考にしていたのだ。だが‥‥
(「なるほど‥‥な」)
だが、それは決してオーマの服のコピーでもなければヴァレルの素材を真似したものではない、見事な彼女の作品だったのだ。
艶やかな服、服とバランスのあった装飾品、そして、戦闘服であるが故にたっぷりとしている割に動きやすいその作り。
そして、何よりその男に合っていた。
オーマの服と、似て非なる、その男の為の服。
(「人間ってのは、こういうところが面白いよな。具現化の能力も無い。大した戦闘力も無い。でも‥‥」)
時として自らの手だけで、彼らをも驚かせるものを生み出すことがある。
(「あの子の目は、ヴァレルを見ながらも、その先を、見てたって訳か‥‥」)
彼のヴァレルに帽子は無い。だが、言葉で表すなら、脱帽。
そんな思いを抱きながら、彼女と、少なくとも今はその服に満足し、彼女を傷つけることをしないだろう男をオーマは黙って見つめていた。
夜、彼女の店の周囲をいくつもの影が揺れた。
その影は、何かをしようとしていたのかもしれない。
だが‥‥それはより深い闇に阻まれ、やがて消えていった。
静かだった部屋はその人物の一人の登場で一気に賑やかになる。
眩い服が、周囲を明るくするかのようだ。
鏡を見て、彼は悦に入っている。
この世で唯一つの服。そして、今頃は‥‥
「この服は、俺のものだ。他の誰にも入らない。誰にもやるものか!」
ハハハハハ‥‥。
高笑いと呼べるそれは、鏡に映る影に凍った。
自分の服とよく似た服を纏う戦士。首元に当てられた詰めたい感触の‥‥銃。
「おめえが、何にもしなければ黙ってやるつもりだったんだがな‥‥。知っているか? ヴァレルを纏うってことは、覚悟がいるんだぜ!」
戦士の姿が変わっていく‥‥。
「や、止めてくれ!!」
音が響き、そして‥‥沈黙が部屋に戻った。
それから、オーマが彼女の店に行く事は無かった。
彼女がオーマの名を知らなかったことに気付くのは、オーマが消えてからのこと。
借金取りは、いつの間にか街を逃げ出したらしい。二度と彼女の前に現れる事は無かった。
自分がちゃんとしたお礼も言えなかった事を、彼女は後悔した。と後に夫になる人物に語ったという。
彼女が、独自のセンスと才能でその服屋を育て上げていくのはまた、後の話。
その結婚式で、周囲を驚かせる服を二人が纏ったのも、また後の話。
だが、彼女はいつまでも自分にインスピレーションを与えてくれた人物を忘れはしなかった。
そして、生涯、人の為、誰かの為の『人を守り、幸せにする服』『生きるための戦闘服』を作り続けたという。
『ヴァンス』
偶然かもしれない。だがその店の名前に、オーマは小さく微笑んだ。
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