<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


□■□■ 扉屋より思い出を ■□■□


「扉屋さん、ですか? なんだかあまり聞き慣れない職業のように思われますけれど」

 ルディアの言葉に、カウンターのスツールに腰掛けた少年はふふふと笑いを漏らした。全身を黒で統一したその格好は、どこか滑稽な感もある。年の頃は十代も前半という様子で、まだ幼さも残っている所為だろうか。黒い外套と黒い帽子、そして黒い装束にはベルトが幾重にも巻き付けられている。そして、巨大なトランクを傍らに置いていた。

「それはそうだよルディア殿。扉屋なんて適当に付けた名の職業、僕だって僕のほかには知らないさ。旅から旅へ世界から世界への渡世渡界、僕は様々を知り様々を繋ぎ様々を渡る。だけど扉屋なんて自分以外に逢ったことが無い。ふふふふふ、ルディア殿、ルディア殿。どこか行きたい世界があるのなら、僕にご用命下されよ。何時でも何処へでも案内しよう」

 芝居がかったその声に、ルディアは苦笑する。

「私はソーン生まれですから、ここ以外の世界なんて知りませんよ。それに、怖いからあんまり行こうとも思いません。はい、フルコースお待ちどうさまっ」
「はっはっは、それはそれは。ところでルディア殿、実は僕は文無しだったりする。先程ここに渡ってきたばかりなのでね」
「……え」
「そんなわけで、ここで少々商売の募集をさせて頂いても良いだろうか」

 少年はスツールから飛び降り、立ち上がる。

「右に左にお並びのお大尽方、ちょいとお暇があらば僕の話を聞いてくれ。聞けば此方の世界の方々、どうやら様々の場所から召喚されてやって来たらしいと聞き及ぶ。自らの意思ではそこへ戻ることが出来ないとも聞き及ぶ。さてはてお立会いお立会い、この扉屋がそちらに繋ぐ『ドア』を用意しよう。まやかしだが夢だが懐かしい世界を見たい場面をその時を、その場所に繋ぐ『ドア』を用意しよう。時間制限はあるが、思い出に浸るのも良いだろう。場所がどこでも、時間が何時でも、この扉屋がお繋ぎしようではございませぬか」

 少年は。
 にこりと笑った。

「だからお客さんが分割でここの払いをしてくれ」

■□■□■

 比較的最近のこと、である。
 アイラス・サーリアスはドアの向こう側に広がる世界を眺めた。傍らには、ドラゴンなのに『うま』という紛らわしい名前の相棒が控え、佇んでいる。現在の風景。そして、向こう側の風景も、同じだった。同じように傍らには相棒。だけど、表情はまるで違う。夜陰に紛れる自分の表情は―― 一言で表すなら、そう。
 疲れていた。


{――ご主人様、本当に行かれるのですか? 僭越とは存じますが、少々分が悪いのではと}
「僕もそうは思うのですが、いかんせん、背に腹を変えられない状態ですからね。結果を出さないと牢屋行きと言うのは中々に権力の乱用だと思うのですが」

 苦笑しながらアイラスは、傍らで心配そうな様子を見せるうまに答える。新月、闇に紛れている所為か、上空を行く自分達に気付くものはいないらしい。たまに空を掠めるサーチライトが隣国の僅かに進んだ科学力を知らせるが、人間の意識はさほど変わらない。何もないいつもの平和な夜だと高を括ってか、同じテンポの同じ軌道。避けるのは、容易いことだった。
 場所はアセシナートとの国境近く。隣国と言うよりは敵国の砦、そのほぼ真上で、アイラスはサブマシンガンのロックを外していた。愛用の釵も今回は出番がなさそうだが、そもそも、きちんと帰って来られるものか。死ぬという予感はまるでなかったが、客観的に考えれば無傷で帰還出来る可能性と言うのも低い。それでも、まあ、仕方の無いこととして諦めるしかないだろう――長いものには巻かれておく。少なくとも、そんな素振りで。精々、今の内は。

「それじゃあ、行きます、か!」

 うまから飛び降り、降下していく最中。
 アイラスは腰だめに、両手のサブマシンガンを照射した。

 そもそもの切っ掛けは、馴染みの店で受けた依頼だった。城の宝物庫からアイテムを奪ってくる、シンプルではあるものの危険度の高いそれ。どうにか盗み出すことは可能だったものの、すべては城側の姦計の内。にっこりと微笑んだ女性は、牢屋に入れられたくなかったら、と脅迫してきた。
 曰く、隣国アセシナートの将の首、一つ。

 戦闘と戦争は別物だ。片手で器用にカートリッジを変えながら、アイラスは兵達に向かって照射を続けていた。とは言っても殺すつもりはない、狙うのはもっぱら足元である。転がしておけば後続への足止めにもなるだろうし、這い蹲っていれば流れ弾にも当たりにくい。なるべく殺さずに、いられる分にはそうしたい。ライフルを持った兵の頭を打ち抜く。飛び道具を持っている相手は別だけど。
 戦闘行為自体に躊躇いはない。言い切れははないが、七割八割はそんな心地だ。争いごとには慣れている、ここでも違う場所でも。だが、戦争は違う。それはまったく別の次元で語られるべき行為だ、入り口から出てくる兵の腹を蹴り飛ばす。後ろは階段、一気にドミノ倒しが落ちる。取り敢えず三十秒は稼げた、見張り台に向かう。暫くはまた時間が稼げるだろう、見上げた夜空には星が光っている。見下ろした下界には明かり。

「無茶言いますよねぇ、一人でこんな所に来たら、死ぬにきまってるじゃありませんか……」

 一人ごちながら、アイラスは眼鏡のリムを上げる。暗視状態にしているので、周囲の警戒には問題ない。かたっぱしから転がっている兵を引っ繰り返す後続達を鏡越しに見下ろしながら、彼はまたマシンガンのカートリッジを変えた。半分以上弾は残っているが、万全でいた方が生存率は高いに決まっている。物惜しみしている状況では、ない。
 人を殺すことにも時と場合によっては躊躇いがない。それでも、今回はなるべく殺さない路線を取りたかった。殺さずに、遂行する。自分にペナルティを課す形になるのはけっして驕っての事ではない、そこまでの自負は、しない。その方が安全だから。
 自分の戦い方を、考えたいだけ。

「お尋ね者より英雄を選ぶが良い――です、か」

 にっこりと笑顔で脅迫の言葉を紡いだ女性の言葉を思い出し、彼は薄く笑う。正直を言えばどちらも御免だった。犯罪者も英雄も、まるで興味がない。犯罪などとうの昔に通り過ぎた言葉で、英雄なんて失笑しか沸かない言葉。別に逃げても良かった、こんな取引。それでもあの国は少し居心地が良くて、そして。
 別に利用されるばかりの話と言うわけでも、なかったから。

 見張り台に入ってくる影を確認し、アイラスは苦笑を消した。

■□■□■

 陽動と、対になる言葉。無理矢理考えるならば陰動と言ったところなのだろうか――どうでも良いような思考を頭の隅に浮かべながら、うまは降下して行くアイラスの背を見詰める。だがそれはものの数秒の事で、すぐに彼女は自分のすべき行動へと動きをシフトさせていた。身体のサイズを縮める、人の乗れる状態から、小さく小さく。限界の五十センチ程度まで到達したところで、彼女は要塞の最上部に向かう。昼間に図面で教えられた通り、そこには通風孔が穿たれていた。丁度入れる大きさだろう、滑り込むように身体を押し込める。詰まったら洒落にならない、のだが。

{ご主人様。陽動ならば、私が引き受けるべきかと存じます。少なくとも人間よりは防御にも優れていますし、姿一つも威嚇になります。こけおどしではありますが、時間稼ぎ程度なら}
「その気持ちは嬉しいのですが、僕にも考えはありますよ。唐突にあなたみたいなドラゴンが出て来たら不自然です。何か隠された意図があるのではないか、勘繰られる。それでは陽動の意味がありません。まさか向こうも、ドラゴンが潜入とは考えないでしょうしね。相手の意表を突く、戦術の基本です」
{……かしこまりました、ご主人様}

 昼間の遣り取りを思い出せば、主はどこか――どこか。どことはっきり言う事は出来ないものの、何かの意図をもって、敢えて陽動を買って出たようにも感じられる。何を考えているのか、そこまで判ることは出来ないが――階層を降りる、たまに聞こえてくるのは、動揺の声ばかりだ。拠点として重要な場所ではないために、ここは日和っている。何の表裏も無く、この城砦は軽微が薄い。

 将軍の首を取れ。つまり、将軍であるならば、良い。何もエルザードに向かって進行している者を捕まえなくてはならないと言う訳では、まったくないのだ。例えば家が没落した軍閥、例えば上官とのそりが合わずに左遷された者。そう言う人間を探せば良い。単純に殺す必要も無い、寝返るのならばそれも良いし、情報を聞きだすのも良い。
 うまは三つ目の通風孔を超える。四つ目に到達したところで、減速した。砦の地上三階、そこが将軍の私室である。ばたばたとした気配から察するに、どうやら寝入っていたところらしい。ダクトの狭間から覗き見れば、慌てて着替えをしているらしい様子だった。こちらには背を向けて、鏡を覗き込んでいる。どうやら、勲章がうまく付けられないらしい――暢気な様子だった。

 かなり、日和っている。
 好都合なのかもしれない、が。

 ふっと男は勲章をベッドに放り出し、溜息を吐く。

「ドラゴンさん。君が本隊かね?」
{!!}

 唐突に掛けられた声、視線は真っ直ぐに通風孔を向いていた。柔和そうな微笑を浮かべた初老の男は恰幅がよく、悪く言うならば、肥満気味である。指揮を預かってから長いのだろう、威厳は無いが、放り投げられた勲章は派手なものだった。
 男は、将軍は、笑って見せる。

「いや、なに、鏡に映っていたんだよ――部屋の明かりを眼が反射しているようだ。これはあれかね、暗殺と言う奴かな? 私もやっかまれたなぁ、まったくもう」
{…………}
「ああ、喋れないのかね、失礼したな。ダクト、壊せるかね? 見たところ随分華奢なようだが。急ぐなら、こっちから外そうか。螺子はこちら向きだから」
{…………}
「あー。何か、反応してくれると、すっごく助かるんだが」

 …………。
 思いがけず、フレンドリィ。

{……あの。つかぬことをお伺いしますが、アセシナート公国陸軍中将エトワール殿……に、間違いありません、か?}
「ああ、そうやって喋るのか、良かった良かった。君の言う通りだよ、とは言っても本家からは勘当されて、もう昇進の見込みも無い爺なんだがね。で、ダクト、開けようか?」
{いえ、それは結構なのですが。あの、……何か、企んでいるのでしょうか}

 ダンダンとドアが叩かれる音が響く。兵士の声が彼を呼んでいた。だが彼はそんなものまるで聞こえない、とでも言うように、暢気な様子で肩を竦める。

「何にも企んじゃいないよ、用心深いね……いやいや。この城砦に押し込められて以来、こんな騒ぎは無かったからね。これだけ派手に暗殺してもらえるなら、中々光栄だと」
{……あっさり、受け入れられますね}
「だって君、この年で左遷されたら終わりだよ? 諦めが肝心の人生さ。さ、一思いにどうぞ」
{訂正させて頂きますが――私は、貴方を暗殺に来たと言う訳ではありません。アセシナートの将軍を一人連れて行かないと、私のご主人様が国、エルザードを追われるのです。誘拐と言う言葉が、ベストかと}
「ほう? ふむ、アセシナートのものではないのか……それは、また」

 彼は、柔和な顔にのほほんとした笑みを浮かべ、
 あっけらかんと、言った。

「よし、じゃー私は君達を利用して亡命しよう」

■□■□■

{ご主人様!}
「ああ、おかえりなさい、守備は――良いようですね。それじゃあ城までひとっとび、お願い……しますッ!」

 壮年の男性を閉ざした氷柱を腕に抱えて飛び上がったうまの背の上、アイラスは見張り台から飛び降りて跨る。確保の後には巨大化して内部を混乱させながら逃げるという手筈だったので、どうやら計画は上々の結果に終わったということらしい。高速で城砦を離れながら、アイラスは溜息を吐き――肝心の将軍を、確認する。確かに調べていた通りの様相だが、その姿は予想と違っていた。

 にっこりと笑っている。
 氷の中で、満面の笑みを浮かべている。
 すごく変だ。
 美女だったらまだ良いかもしれないが、初老の男じゃ絵にならない。

「……聞きますが、一体どんなタイミングを狙ったんです? この様子、少し面白すぎるんですが」
{左遷で退屈していた、らしいです。アセシナートの上部がかなり腐敗しているらしく、うんざりしていたのだとか。どうやら今回の件、この方にとっては渡りに船だったようです}
「…………」
{一応攫われたという体裁のために結界には入れたのですが、私も正直、調子が狂いました。ご主人様は如何でしょう、お怪我などはございませんでしょうか}
「ええ、平気ですよ――それにしても」

 彼女に利用されるのが少し癪だったから、自分にも目的を付けた。
 だが、結局こうやって、敵に利用されている。
 そして、自分はと言えば。
 結局見張り台の中に死体の山を築いてしまったわけで――。

「……中々上手くいかないものですね」
{? ご主人様、どうかなさいましたか}
「いえいえ。数奇な巡り合わせもあるものだと、少しだけ呆れてみただけですよ」


■□■□■ 参加PL一覧 ■□■□■

1649 / アイラス・サーリアス /  十九歳 / 男性 / フィズィクル・アディプト
2693 / うま         / 一五六歳 / 女性 / 騎乗獣

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 初めましてまたはこんにちは、ライターの哉色です。この度は比較的自由っぽいシナリオ・扉屋食い逃げ戦記(…………)に御参加頂きありがとうございました、早速納品させて頂きます。以前の依頼の続きと言うことで、ノリを引き摺ったらまた空回り的になってしまいましたが; 少しでもお楽しみ頂けていれば幸いです。それでは失礼致しますっ。