<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


帰れない場所 戻れる家
■プロローグ
 女は白山羊亭の前でさまよいながら、決めかねていた。一度迷ってしまうと無限ループに陥ってしまい、とうとう店のドアの前でたたずんだまま硬直さえしてしまった。しゃがみこんで大きくため息をつくと、自分のふがいなさばかり思い出してしまい、ついでとばかりに無関係な昔の記憶さえも引きずり出してしまう。
 今しかない、という気持ちと、今更、という気持ちがせめぎあい、その場から離れることも、店に入ることもできずにいた。
 胸元のロケットを出して開くと、うつっているのは幼い子供の姿。数年の日々がたち、もうだいぶ成長したに違いない。ののしられても仕方がない。ののしられて、当たり前だ。
 それでもあいたいと思う自分のエゴを押し付けるのに、どうしてためらいがないといえるだろう?

 女は、立ち上がった。


■女と少年と
 昼の白山羊亭。酒場を旨とする店の趣旨から大分外れてしまうために、昼のそこは夜に比べていささか閑散としている。客もまばらなら、店員も数人、申し訳なさそうに居る程度だ。昼から夕方にかけて、店の片づけを終えた店員が続々と仮眠に入るころあいなのも、その状態を手伝っていた。
 ソル・K・レオンハートはそんな状況のなか、一人ホットサンドをほおばっていた。マスターに頼んだ昼食だ。時計の針はちょうど、長針と短針を重ねている。
 ドアがベルの音をからからと鳴らしながら開いていく。ちらと見ることもなく、ソルは無心で目の前のお昼を食した。
 隣で足音がすると、入ってきた客はソルのイスひとつ挟んだ隣に座り、同じようにホットサンドを頼んだ。ちらりと様子を伺うと、小奇麗な装いの、色の白い女が見える。顔色はいっそ青白いようにさえも見えるが、それは薄暗い白山羊亭のせいにしてしまう。十人中九人は美人と判定しそうな顔が、そこにあった。
 なれているのか、女はソルの視線に気づくと首をかしげ、口元を緩めた。魅惑、という言葉を一瞬にして当てはめてしまいそうなその笑みは、ソルの顔をやや赤らませた。
 もくもくとホットサンドを食べ終わると、立ち上がったところを女に呼び止められた。
「きみ、名前は?」
「……ソル」
 悪意のない視線。それだけを感じ取って、ソルは答えた。
「ソル君? ……きみ、冒険者でしょう? ちょっと、依頼があるんだけど」
 ソルは女をじっと見つめた。白い肌。柳眉。通った鼻筋に、響きのいいメゾソプラノの声。歩く足を止めて、もといた席に座り、女のほうを向いた。朱雀は、熱いくちばしを頬に撫で付けた。
「大丈夫、疲れてないよ」



■白い肌、赤い頬
「……お迎え、ですか」
「お迎えと言うか、同伴と言うか……とある場所に行きたいのだけれど、お前一人じゃ無理だと、いろんな人に言われてしまって……冒険者同伴なら平気かしらと思って」
「どこなんですか?」
「聖都の近くにある、山」
 ソルはサービスのレモン水を、危うく肘で押し倒すところだった。よっかかっていたテーブルから肘を離し、手を足の上に置く。飲み物はもちろん、カウンターの隅へ。
「あそこってたしか」
「ええ、冒険初級者用の山、ですわ。でもわたし、山を登ったことがありませんで……」
 ソルはその言葉に一瞬呼吸と言葉を失ったが、復活すると同時に、そのとき一番大きく声にならない声を発した。いきなりだったためかむせてしまい、十分間ほど、女は路頭に迷ったような目でこちらを見つめた。
「山に、子供? どういう神経なんだ」
「そうするしかなくて」
「それでも親か」
「……」
 女は胸元で手をぎゅっと握り、白い手が赤くなっていた。視線を目から少し上に上げると、耳も赤い。かすかな罪悪感を感じないわけではないが、この程度でへこたれるとは思いもしなかった。
「……依頼は受けます。ですが、店ではちょっと……」
 風通しのいい店内では、わずかな客が興味深々でこちらを見てきた。女は今まで以上に赤い顔をして、その場で硬直してしまった。
「ルディア、ここにお金置いておくから」
「ありがとうございましたー!」
 ルディアの声と一緒に、二人を冷やかす声がそこかしこから聞こえてきた。ソル達が逃げるように白山羊亭を出ると、女の手を握っていた自分に驚いて、急いで手を離した。


 二人は噴水広場のベンチに腰をかけ、さんさんと照りつける太陽の中、おそらくその広場ではもっとも真剣な顔で会話をしていた。
「私の名前は白陽。娘の名前は……濡樹、といいます」
「ジュジュ?」
「ええ、濡れた樹と書いて、ジュジュ。私が白い太陽だから、娘にもそういった……自然にちなんだものをと思って」
「すてきですね」
「ありがとう」
 女がまた顔をほころばせる。血色の良くなったように見える顔の、頬は赤く、紅をさしたような色が広がる。つられるようにそるも赤くなってしまうが、早々のんびりしていられるほど暇ではなかった。
「依頼内容をまとめると、儒樹さんのお迎えに、私とあなたが、ということで?」
「間違いないです」
「場所は聖都近くの山……と。山は初めてなんですよね?」
「はい」
「じゃぁ明日、必要なものを提示しますから、今日明日中に買っておいてください」



■山の中に?
 翌々日の、広場。朝も早い時刻に待ち合わせた二人は、山へと向かった。白陽はソルに言われたとおりの格好で、あからさまな格好ではないものの、登山に適している。手袋をしなければ傷で、目も当てられなくなりそうな白い肌は、人間のものではないとさえ思ってしまう。
 今登っている山は頻繁に冒険者が使うので、道が踏み均されており、一般人でも比較的登りやすい山だ。油断大敵、とは言うものの、山自体の規模もさほど大きくなく、なれた冒険者なら数時間で頂上に行って変えることも出来る。今回はこの山がはじめて、という白陽にあわせて朝早くからの登山となったが。――だが。
「平気ですか?」
 白陽は、前を歩くソルの足を幾度となく止めさせた。
「むっ、むむむむむっ、む、ムシが!!」
「山なんだから虫や動物、食虫植物……なにがあったっておかしくないでしょう。いきますよ」
「むにょっほっあー!」
 虫に触ったのか、奇怪な叫び声をあげて騒いでいる。逃げようとしていて足を取られたのか、盛大に枯れ木の割れる音がなる。呆れながら、しりもちをついた白陽に手を出し、腰を持ち上げた。
「これじゃぁいつまでたってもつきませんよ……」
 白陽から渡された地図は、大雑把かつ無意味のように思われた。正確な位置を示していない地図だ。お宝の地図にだってならない。山頂付近に×マークがあるので、とりあえず山頂を目指さないことには始まらない。
 だが、その山頂に着くまでに、いったいどれぐらいの時間がかかるのやら……
「お子さんにあいたいんでしょう? 虫ぐらいなんですか」
「……でもあいたいのは、私のエゴかもしれないし……あの子にしてみれば、私なんて忘れているかも」
「あなたはどこに行きたいんですか」
 ソルはいつもと変わらない様子で言ったつもりだが、白陽が顔を赤らめる。
「あの子には、私は必要ないんじゃないかって、思うのよ……」
 白陽の潤んだ目が、ソルを見つめる。答えを求めている目だ。
「子供に、母親が必要かなんて、知りませんよ。ただ、―― 子供の名前を一生懸命考えて決めたあなたなら」
 ソルは、白陽が噴水広場で話した、名前の由来を思い出していた。

 ――私が白い太陽だから、娘にもそういった……自然にちなんだものをと思って

 名前をつけるという行為は、親のエゴじゃないのか。勝手に決められた名前。そこに本人の意思はない。けれどそのエゴに、含まれる愛情があるなら、悪くないと思う。
「今まできっと、悩んで、けれど今、ここにいるということは……覚悟を決めて、エゴを押し付けたいと思っているんじゃないでしょうか」
 ソルが言うと、白陽は目からぽろぽろと涙をこぼし始めた。


 着けるか悩んだのはいつのことか、着こうと思えばつけるものだ。――自分が一人で登ったときと比べ、おそらく3倍ほどの時間が経過していようとも。やっと太陽が傾き始めたばかりなのに、用意をはじめたカラスを恨めしく、空を見つめていると、肩で息をしている白陽が追いかけてくる。
「すっ、スミマセン……!!」
「はやくしてください」
 泣きつかれているのもあるだろうが、白陽に歩きなれてきた様子は見られない。期待はしていなかったが。
「あと少しですよ、頂上」
 そういって青空を見上げようとするが、樹が高くそびえていて、青空を隙間なく埋めていた。それでも白陽は肩で息をしながら、大きく、息をついた。まだがんばれる、とつぶやいて、ソルのほうを見つめた。
「はい!」


 二人は頂上に立ち、風を胸いっぱいに受けながら、しばらくボーっとしていた。それではいけないと、ソルが急かして目的地へと向かった。ソルは目的地が近づくにつれて重くなっていく白陽の足に気づかなかったわけではないが、あえてそのままにしておいた。
 子供を捜して、初めての山登りをする『母親』――
 自分にはほとほと縁のないものだったが確かに存在する「関係」。悲しさを目に宿らせながら口元を緩め、白陽を見つめていると、白陽は首をかしげ、朱雀がのどを鳴らした。
「はやくいきましょう。きっと、待っている」



■エピローグ
 白陽の持つあやふやな地図と頂上からの様子を頼りに歩くと、一人の少女が山小屋の前に立っていた。白陽は気づくとその少女に駆け寄り、抱きしめた。呆然とその様子を見つめていたソルの傍らで、老婆が一人、立っていた。
「……ほぉ、良くあのお嬢様が来たねぇ……あんたはおつきの従者かい?」
「いや、同伴を頼まれただけ」
「むむぅ。微妙なことを言う少年よ」
 微妙もなにも、とソルは内心つぶやいたが、老婆を前に、思うだけにしておいた。
「立ち話もなんじゃ、はよ入れ」
 老婆はすたすたと山小屋に入り、そのあとを少女が追い、白陽が追っていく。ソルは一人、山小屋の前でたたずみながら、どうするべきなのか迷っていた。その先にあるのはきっと、団欒の光景だ。
 自分には、ない。
 朱雀と視線を交わし、ソルはその場をあとにした。



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■    この物語に登場した人物の一覧     ■
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< ソル・K・レオンハート >
整理番号:2517 性別:男性 年齢:12歳(実年齢14歳)
クラス:元殺し屋



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■        ライター通信         ■
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はじめまして、ライターの天霧です。
発注ありがとうございました。

ソルさんは元殺し屋と言うことで。
ちょっと冷たいんだけど心はホット! な感じなのか、
全体的にクールなのか、とても迷いましたが。
性格ゲージがフルに理性的だったりしなかったので、
「心はちょっとホット」ということで、がんばっていただきました。


ご意見・ご要望・ご感想などはご遠慮なくどうぞ。
細かい誤字脱字等もお気軽に。
次の機会には挽回させていただきますので。

天霧 拝
個別受注ページ:幸せってなんだろう
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