<東京怪談ノベル(シングル)>


枷は導く


其は鎧 汝を包みし戦衣
其は盾 汝を護りし不動の壁
其は枷 汝を留めし鋼鉄の鎖

「くそつ」
 再び攻撃を跳ね返されて、オーマ・シュヴァルツは小さく悪態をついた。続いて四方から降り注ぐ粘液の雨を、腕に出現させた身の丈程の銃で振り払う。粘液は強力な酸で出来ており、頬を掠めるとしゅっと嫌な音を立てる。
「ドウシタ」
 ほの暗い闇の中に響き渡ったのは敵…彼らヴァンサーが敵として戦い続けている相手、ウォズの声だ。
「マルデきカヌゾ、おーま・しゅヴぁるつ」
 いびつな響きで彼の名を発音するこのウォズは、あまり知性は高くない。調査報告によれば、沼地に潜み、近付いた人間や動物を片端から吸収していたらしい。形態については詳細な報告は無かったが、知性は低くただ貪欲なだけの、どちらかと言えば最下位に属するウォズだと思われた。だからこそ、ソサエティも、彼に同行者をつけなかったのだろう。実際こうなるまでは、オーマもそれで充分だと思っていた。だが、現地に着き、沼地に足を踏み入れようとした途端、沼は変化し、彼をぐるりと包み込んだのだ。
「まさか、沼全体がウォズだったとはね」
 苦笑いしつつ、再び銃を構える。だが、その攻撃は悉く吸収されてしまった。確かにこのウォズは元々、それほど知性を持ってはいない。人間形態を取る事の出来る高位のウォズに比べたら、多分虫以下だろう。だが、その能力自体は高位のウォズに匹敵するようだ。知性と能力がここまでアンバランスな例は滅多に無いだろうとオーマは思う。どんな攻撃をしても、ウォズは瞬時にその形態と特性を変化させ、オーマの攻撃を片端から吸収したり跳ね返したりしてくるのだ。非常に好戦的な所謂、狂戦士タイプなのも面倒だった。ウォズがすぐに彼を包み込んだ事を考えると、外側からの攻撃に弱いのだろうと想像はつくが、とにかくここから出ない事には話にならない。このウォズのキャパシティを越える攻撃で、内側から食い破れば良いだけの事なのだが。
「ドウシタ」
 再びウォズが言った。
「ナにもせぬのか」
 生意気にも挑発までしてくるとは。
「俺ニ勝テナイ」
「別に勝てなかねえよ」
 言い返すと、暗闇に笑い声が響き、再び粘液の雨が降った。オーマは銃を振り回して遮ったが、その一滴が足元に当たり、靴がしゅうと音を立てる。降り注いだ粘液はそこらじゅうに溜まっていて、酸の臭いが充満している。ひとしきり粘液の雨を降らせた後、ウォズが言った。
「今度ハ、その衣、溶カス」
「衣…?」
 オーマはぴくりと顔を上げた。
「ソウ、お前タチヴぁんさーの衣。ヴぁれる、と言うその衣。お前、其のセイで勝テナイ、ソレ、イラナイ」
「へえ。お前、こいつがどんなモンなのか、知ってるのかよ」
 自分の上着をひょいと広げて、オーマが言った。
「知ってイル。お前タチ、ソレのセイで、力出セナイ。本当ハもっと強イ。お前タチ、自分、封印スル。其れ、変」
「言ってくれるねえ…。ま、まるで間違いって訳じゃあねえが」
 オーマが苦笑した。『ヴァレル』は、ヴァレルマスターと呼ばれる精神感応型の能力者によってのみ生み出される特殊な衣であり、具現発動が行使者本人を含めた周囲に及ぼす破壊的な影響から、それらを護る為の言わば障壁であり鎧でもあった。力の影響を最小限に留めると言う点を考えれば、戦闘服と言うより封印の衣と言うべきかもしれない。実際、単純に能力のみに注目するならば、ヴァレルを脱ぐ事でヴァンサーは格段に強くなるだろう。だが、強い力は同じだけの代償を必要とする。無論、このウォズにはそれを理解する程の知能は無い。強い者を倒し、吸収する事のみに異様な執着を見せるだけだ。
「ヴぁれる、邪魔、お前、其レ脱グ、強クナル、強イお前倒ス、俺、ウレシイ」
「ったく、闘争本能ばっか育ってやがるな、お前。だが生憎と、俺はお前らに『勝つ』のが仕事って訳じゃないんでね」
 と言うと、オーマはじゃき、と音をさせて再び銃を構えた。
「何ヲする。お前、攻撃効カナイ。全部、食ウ」
 オーマが銃口を向けた先の壁が、ぐにゃりと変形した。
「お前、俺ニ勝タナイ、俺、食ウ。お前、ヴぁれる脱がない、俺、倒セナイ」
 揺らめく闇に、今度はオーマが笑った。少々遊んでいるうちに、舐められたものだ。
「そいつはどうかな」
 言い終わるか終わらないかのうちに、銃口が火を噴いた。と同時に壁が柔らかなゼリー状の物質に変化し、弾を飲み込んで行く、だが次の瞬間、オーマの放った弾は炎となってゼリーを焼いた。悲鳴を上げながら鋼に変化しようとする壁を、彼は容赦なく打ち抜いた。暗い壁にぽっかりと開いた穴から光が差し込む。ウォズの悲鳴が響き渡る中、オーマは力の限り、跳んだ。
「悪ぃな。封印させて貰うぜ?」
 久しぶりの陽光に目を細めながら、オーマが言った。ウォズは既に力の殆どを使い果たし、小さな水たまり程の大きさになっていた。
「お前…俺、勝ッタ、俺、弱カッタ。デモ、もっと強イうぉず、イル。それでも、ソノママか?」
 ゆるゆると蠢きながら呻くウォズに、オーマは当然、とばかりに頷いた。
「お前にゃわかんねーだろうが、禁忌ってもんにはな、ちゃんと理由があるもんなんだよ。俺は結構好き勝手やってるが、越えちゃならねえ一線ってのは知ってるつもりだぜ」
「一線・・・?」
「わかんねーなら、ゆっくり考えろ。なあに、時間なら山ほどあるさ」
 蠢く水たまりにそう言って、オーマは彼を封印した。静けさが戻った森には、もう不穏な気配はない。子供や動物が消えるという噂も、いずれ無くなるだろう。沼が消えて驚く人もあるかも知れないが、すぐに慣れるはずだ。それにしても。
「ヴァレルを脱げ、ねえ…」
 ウォズにそんな事を言われるとは思わなかったなと、オーマは再び苦笑した。好戦的にも程が在る。故郷では胸のタトゥを媒介に召還していたヴァレルを、ソーンでは出来る限り着用するようにしている理由なぞ、あのウォズには語っても無駄だろうし、そのつもりも無い。ウォズと戦う事、それを封じる事はヴァンサーの使命であり宿命ではあるが、たとえウォズを全て封印したとて、この世界の調和を破壊してしまっては意味がない。強さのみを追い求めれば見失うであろう一線を越えずに居られるのは、ヴァレルと言う柔らかな枷があればこそ、なのだ。
「もっと強イうぉず、イル。それでも、ソノママか?」
 ウォズの言葉がふと蘇る。そう簡単に出会うとは思えないが、もしもどうしようもなく強い相手に出会ったとして…。と考えて、オーマはふん、と笑った。
「ったり前だろ。俺はこいつと戦うさ」
 大切なものを守る為に。二度と失わぬ為に。雲の切れた空を一度見上げてから、オーマはゆっくりと歩き出した。柔らかな枷と共に。

おわり。